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152 ー提案ー

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 痛い。と思った。そうなると思っていたから。

 思っていたのに何の衝撃もなく、理音はそろりとつぶった目を開いた。
 目の前に見えた朱の瞳は憂いを帯び、持っていた剣を地面に落として、理音を抱えていた。

「捕らえろ!城に連れて行け!」
 レイシュンの命令に、兵士たちは慌てて地面でへばっていた男たちを捕まえる。既に事切れている者も、あるべき部位がない者もいたが、生きているのはおそらく今の男だけだろう。

 その男も意識を失っている。
 引いた手綱に、馬がぐるりと一回転した。足元に何かが向かってくれば、蹴り上げるのが馬の習性だ。
 男は理音の乗っていた馬に蹴られて、地面に吹っ飛ばされたのだ。
 その代わり理音はバランスをくずし、地面に落ちそうになったところを、レイシュンに受け止めてもらった。

「リオンちゃん!あんなこと、二度としないで!」
 憂いたのかと思ったら、レイシュンはいきなり怒鳴った。耳元で怒鳴られたので、つい耳を塞ぐ。

 怒っている。うん、怒られるだろう。
 剣を持った男の前。レイシュンが斬ろうと剣を持ったのにも関わらず、馬で乗り出すとは、自殺行為そのものである。悪くすればどちらにも斬られていた。
 だが、そんな突然の瞬間など、どう動くかなんてわからない。

「すみません。体当たりすべきが、馬乗ってたんで、つい勢い良く馬のお腹蹴っちゃって」
 馬は蹴れば走るくらいの知識なので、どう動くかなど考えもしなかった。
 ついでに手綱を引けば止まるくらいの知識である。それもどう動くのか全く知らない。
 悪くすれば、蹴り上げたのはレイシュンだったかもしれない。あ、それやったら私が殺されるわ。

「そうじゃないよっ。…君はもうっ」
 怒鳴ろうとするのを、レイシュンは大きなため息で何とか我慢したようだ。
「ここの始末は任せた。残党も必ず捕らえよ」
 レイシュンは命令すると、理音を馬に乗せた。横乗りは落ちそうになる。着物のまま気にせず跨ごうとすると、レイシュンはその前に背に乗って理音の腰を引いた。
「うわ、わ」

 腰を引かれたまま馬が動き出すと、自動的にレイシュンの胸にぶつかった。レイシュンは理音を片手で押さえたままだ。理音の両手の行き場がなくなる。
「私の胸に掴まって。飛ばすよ」
 レイシュンは気にせず馬を走らせた。勢い良く走り出した馬の背で、何も掴まらないなんて無理がある。

 理音はレイシュンの言われた通り、胸に掴まるしかなかった。
 フォーエンに抱きしめられるのとはまた違う。胸回りが若干厚いのかもしれない。がっしりとした身体に体温を感じると、さすがに羞恥する。免疫がないって何て面倒なのだろう。

 けれど、血の臭いを感じて、意識がそちらに向いた。
 この世界では、簡単に相手を傷つける。逆も然り。簡単に殺されることだってあるのだ。

 レイシュンはなぜ狙われたのだろうか。



「レイシュン様。戻られたんですか?」
 城に入るなり、ギョウエンは涼しい顔をして問うた。レイシュンに抱かれて運ばれている理音に目をやりながら。
「腰でも抜かされましたかね?」
 ときたものだ。

 レイシュンが動いているならば、ギョウエンはもちろん今回のことは知っている。巻き込まれて腰を抜かしたと思われるのは心外だ。
 レイシュンが左右に首を振ると、とりあえず服を何とかしてくださいと、侍女たちを呼んだ。レイシュンにかかっていた返り血が、理音の着物にもついてしまっていたのだ。

「湯あみの用意もさせろ」
「え、お湯は大丈夫…」
「髪にもつけてしまったから、洗ってもらうといいよ」

 穏やかにそう言って、レイシュンは廊下を颯爽と歩いた。レイシュンの腕の中は居心地が悪いのだが、歩けると言っても下ろそうとしない。

 兵士が代わりに理音を運ぼうと寄ってきたが、
「彼女は私が運ぶ」
 と一蹴した。いや、運ばなくても歩けるって。


 レイシュンはそのまま城の人々の目も気にせず、湯殿に理音を連れた。軽く、服も脱がしてあげようか?とのたまってくれるが、睨みをきかせて外に出てもらった。
 侍女たちが急いで理音の湯浴みを手伝ってくれる。人にお湯の手伝いをさせるとか、お断りしたくて堪らない。

 何とかお断りをして、湯殿に足を踏み入れた。
「ひろーい…」

 石畳の地面に石で囲われた浴槽。石の細工が細かに飾られており、タイル画のように壁面を覆っている。浴槽の中には花びらが浮かべられ、どこぞの王国の風呂かと突っ込みたくなる。

 レイセン宮にも湯殿はある。桶一杯のお湯だけだったり、人一人入るくらいのバスタブでお湯をもらうこともあったが、湯殿と言うものは存在していて、そこに入ったことは何回かあった。
 その広さは中々なもので、同じく石でできた風呂だったが、装飾は華やかなものだった。
 それと同じくらいか、それ以上の造りだ。

 お湯を沸かすという行為が、こちらでは大変な作業であるのは常々感じていた。
 そりゃ、ガスも電気もないのだし、沸かすというならば人力で、薪をくべて沸かすのであるのだから、お風呂というものは大変豪勢なものなのだろう。
 なので、湯殿と聞くと、若干申し訳ない気持ちになるのだが。
 足の怪我もあって、湯船に入るのは中々骨が折れる。しかし、それでも嬉しいのは確かだ。


「はー。幸せ~」

 湯殿には香が焚かれ、仄かな明かりも丁度良い。湯船には月桂樹の葉が浮いており、暖かさが増す気がした。
 月桂樹は腰痛や肩こりを緩和したり、炎症を緩和したりさせる効能がある。冷え性にもよく、今の理音にぴったりな薬である。何と言っても抗酸化作用があるので、美容にいい。母がよく月桂樹のお茶を飲んでいたが、その香りを思い出させた。

 レイシュンは理音を巻き込んだ事に対し、それなりに気が引けたのだろうか。
 そもそもは理音を置いて討伐の指揮をする雰囲気だったわけだが、急にやめたのはなぜなのだろう。

 しかし、理由が見つからない。
 ただ気が向いただけだろうか。

 ともあれ、リラックスには最高なので、いただけるお湯は気にせずゆっくりいただく事にした。こちらでは風呂に入る回数が極端に少ないので、結構ストレスになるのは否めない。

 来てすぐ思った、トイレと風呂問題。
 怪我をしている身なので、レイシュンの厄介になってからは湯船は皆無である。
 なので、堪能させていただいた。



「ゆっくりできた?」
 風呂上がりに、既にお医者がスタンバッていて、取ってしまった包帯を巻き直してもらい、その後着物を広げた侍女たちに囲まれ、なぜか髪やら化粧やらを施されたのち、連れられた部屋にレイシュンはいた。

 レイシュンも湯に入ったのか、髪の毛が少し濡れて艶があった。しかもいい匂いがする。
 着ている着物は赤の刺繍の入ったものだったが、それがやけに似合っていた。この人、赤似合いすぎる。

「ありがとうございました。久しぶりのおっきいお風呂。すごく良かったです。月桂樹のお陰で暖まりました」
 温泉に行った気分である。大浴場なんて中々入る事がない。
「…そう」
 レイシュンは少しの間を置いて、不自然にニッコリと笑った。おかしなことを言っただろうか。

「髪、可愛く結ってもらったね」
 言いながら触れるのがレイシュンだ。短い髪を何とかまとめようと、侍女たちがやけに手を入れて飾り付けてくれた。二つに分けて、左右にお団子もどき。お団子が結えるほど長くないので、花をつけてごまかしてある。

 花である。花。左右にお花が咲いているのである。クロッカスを模した花のようで、雌蕊の真っ赤な柱頭がよく目立つ。
 その赤の雌蕊をサフランと言う。サフランってスペイン料理などに使う、あのスパイスだ。頭にのせるのは微妙だが、飾りとなると案外可愛い。自分が着けるのはともかくだが。
 薄紫の宝石がついた金属の簪は、花弁が開いているよう装飾されている。これ、フォーエン見たら絶対笑う。鼻で笑う。

「すごく似合ってる」
 なんて、緩やかに柔らかく微笑まれて囁かれても、フォーエンの横目で鼻で笑う姿しか思いつかなかった。
「侍女さんたち頑張ってくれたんで、かろうじてくっついてます」
 返した言葉に、レイシュンは再び間をあけた。そうしてニッコリ笑むと、席に座れるよう手を回してくる。

 レイシュンは時折、返答に間をあける。それがくせなのか、まあ、さして気にすることはないだろう。
 腰に触れるのはもうデフォルトである。座るのに足に体重をかけにくいので、理音も助かるのだが、レイシュンは人をからかう節があるので、優しさなのかどうか微妙なところだ。

 ついでにセクハラもしてくる。

「いい香り、するね」
 首元に顔を近付けたかと思うと、それである。人が避けられないとわかっているあたり、意地が悪い。

「髪に何かつけてくれたみたいです。首は匂いませんよ。首は」
 レイシュンは遠慮なく人の首を匂って、クスリと笑った。
「その花の花言葉知っている?」
「クロッカスのですか?」

 何だっけ。と思いつつ、むしろレイシュンが花言葉を知っていることに驚き、花言葉がこちらにあることも驚いた。
 いや、同じ植物があるのだからあってもおかしくないのだが。

 クロッカスの花言葉は確か、
「陽気。リオンちゃんに似合うよ」
 そう言って、顔を近付けないでほしい。

 花言葉もどうやら同じだが、同じ植物や動物がいるのだから同じになるのだろうか。不思議で仕方がない。別にこの世界が過去という訳ではないのだから、同じっておかしくないだろうか。
 考えたところで答えは出ないので、とりあえず今疑問に思っていることを口にする。

「それより、なぜこんな格好を?」
 押しやって話を変えることにする。

 基本オシャレは囮でしかやらない。それが当たり前になってしまっているので、こんなところでも装われると、不安にしかならない。
「私のせいで汚してしまったからね。お茶もしたかったし。さ、飲んでみて。きっと気にいると思うんだ」

 出された茶器に入る白茶色の飲み物に、理音は首を傾げた。そのお茶は白色で、湯気が立っており、甘い香りと嗅ぎ慣れた匂いがした。

 ずるいなあ。こういうところで出してくるんだ。

「レイシュンさんは、女性の扱いうまそうですよね」
「ええっ、そこでそんな感想なの?」
「嘘です。おいしいです。ミルクティー、久しぶりに飲んだ」

 出されたお茶は、牛乳の比率が高いミルクティーだった。ハチミツも入っており、ほんのり甘くてお茶が濃く、鼻に茶葉の香りが残った。
 レイシュンはにこやかに笑うだけ。自身も同じミルクティーを淹れさせて、香りと味を楽しんだ。少し甘いかなと言いながら。

 不思議な男だ。時折鋭いくせに、ふいに柔らかな笑顔を向ける。
 女性の扱いがうまいのだろうなと思うし、全てが計算されているのかと思うこともあるが、それでも優しさが残った。
 いい人なのか、そうでないのか。一概に分けるのは難しい。

 ただ、フォーエンの敵でなければいいと思うだけだ。理音にとって、それが一番の振り分けの基準だった。
 レイシュンは、どうなのだろう。

「驚かせちゃったからね」
 わかりやすく詫びの品だと言いたいのだろう。
「次は先に伝えてください。心構えが違うので」
「もうしないよ。君を巻き込む気もなかったんだけどね。これは言い訳だけど、予定では君を先に帰すつもりだったんだ。けど、あまりにも喜んでるから、私も楽しくなっちゃってね」
「楽しかったですけどね」

 王都でもお使いをしながら町を見るのは楽しかった。あれから町には出ていないし、初めて来たこの町を見るのは、やはり心踊る。
 フォーエンに教えることができればと思うと、なおさら細かに見なければと思っていた。

「それで、今日のお相手は、どなただったんですか?」
「聞きたいんだ?」
「聞きたいですね」
 相手は確実にレイシュンを狙ってきた。どこが相手なのかは覚えておきたい。ついでになぜそうなったかの経緯もだ。

「リオンちゃんは、まるで監査機関のようだね」
 監査機関?聞き返しそうになって、言葉を止めた。無知はレイシュンに誤解されかねない。そんな仕事があるのだろう。
「なんてね。リオンちゃんの常識だと、監査機関の仕事は難しいかなあ」
 レイシュンは笑ってみせるが、内心心臓が止まりそうになる。当たらずも遠からずだ。ここでのことはフォーエンに包み隠さず話す気なのだから。

「あいつらはね、前に話した、最近気になっている部族の手下だよ」
 貴族とつるんで、金を不当に集めている部族のことだ。
「ちょっかいを出したら、わかりやすく動いて来たんだ」
 レイシュンはふんわりと笑む。

 この人、笑うと悪い顔に見えるのはなぜだろう。どうにも悪巧みをしている顔にしか見えない。
 しかもちょっかいって、一体どんなちょっかいを出したのか、聞いてみたいところだ。

「それでも尻尾は掴ませてくれないよね。今日襲って来たのはバラク族には見えなかったから」
「特徴ある顔なんですか?」
「少し肌が浅黒いかな。あとほりが深い。さっき襲って来たやつらはその辺のチンピラだろうね。金を積まれて私を狙うって噂は耳に入ってるんだ」
「自ら囮は感心しませんが」

 偉い人が囮になったらダメだろうに。フォーエンもそうだが、なぜ囮になりたがるのか。指導者が囮になって何かあったらその後の動きが損なわれる。まともな指導者であればあるほどだ。
 危険があるのならば避けた方がいい。命をかけても死ねばそこで終わりだろうが。無駄にしなければならない命など、ただの美徳でしかないと思うのだが。

「私を狙ってくるならば、わかりやすくていいことだよ」
 そう澄ました顔で言って、銀食器で紅茶を飲むのだから、何とも言い難い気持ちになる。
 一見チャラいが頭の中は恐ろしく器用。表なのか裏なのか、レイシュンは気安くありながら、人の内面を見定めるかのように話をする。

 だから、レイシュンが突如おかしなことを言っても、何かしら意図があるのだろう。
 紅茶を飲み終えたレイシュンは、それは面白い冗談を口にした。

「ねえ、リオンちゃん。私のところに、本当にお嫁に来る?」
「はい?」

 脈絡のない言葉に、理音は間抜けに問い返したのだ。
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