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146 ーギョウエンー

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「レイシュン様は手が離せない用がありますので、様子を見に行くように承りまして」

 ギョウエンは表情のない顔でそう言った。予想外の訪問だ。


 彼と二人で話すのは初めてである。基本レイシュンの後ろで茶々を入れてくるくらいだ。
 最初の内は警戒されているのだと思っていた。けれど、鋭く見ているように思えて、ただ見ているだけなのではないかと思い始めた。

 表情は変わらず何を考えているのか読めないのだが、理音を見る目はいつも同じ。何の話をしても同じ顔をする。ぽかんと口を開けても、目と眉の位置が同じに思える人である。感情を外に出さない、もしくは出せない人なのかもしれない。
 そして、レイシュンと話している時に話に入ってくると、レイシュンに対してのコメントが所々ひどいので、案外面白い性格をしていそうであった。

「お怪我の具合はいかがでしょうか」
 声色は少し低めで、その言葉にも心配の意味を感じにくい、棒読みな言葉だった。声質も同じく感情のこもる話し方をしない。

「大分落ち着いてます」
 答えるとギョウエンは、そうですか。とさわりない返答をした。何故聞いた。と問いたくなる答え方だ。

 レイシュンが来ないと散歩もしないので、足の怪我の経過はあまりわからないのだが、悪くはなっていないだろう。
 無表情のギョウエンは淡々と話してくる。それならばよかったです。と続けて言う割には表情がないのだ。表情筋持っているのだろうか、この人。

 理音は気にすることもないかと青灰色の瞳を見上げた。翡翠のような色だなと思う。青のような灰色に、石墨のように点々と黒が混じっている。翡翠は緑のイメージが強いが、日本産は青や紫が主流だ。その色に似ていた。
 宝石のようなその瞳に吸い込まれそうになったが、目を逸らしたのはギョウエンだった。

「外に出せれず申し訳ないと、主人が」
「いえ、むしろいつもありがたいです」
 本当にありがたいと思う。得体の知れない人間を助け、あまつさえ見舞いに来るのだから。

「主は女ぐせが悪いので、気になさらず」
 冗談で言っているのか、ギョウエンは真顔でぬかした。いつでもレイシュンに対して毒を吐くらしい。
 そしてレイシュンがいる時のように立ったままだった。座らないのかと椅子に目をやると、ちらりとそちらを見やる。
「お気になさらず。長居しますと機嫌を損ねますので」
 レイシュンのことを言っているのだろう。座ったくらいで機嫌など損ねないだろうが、理音はとりあえず相槌をうってみる。

「お忙しいんですか」
「そうですね。何かとありまして」
 州侯なのだ、何かと忙しいだろう。理音を殺そうとした団体も近くにいるかもしれない。レイシュンが問題視している貴族のこともある。お役人が何をしているかなど想像つかないが、暇なわけはないと思う。多分。

「祭りで、食中毒騒ぎがありまして」
 疑ったわけではないが、ギョウエンが忙しい理由を話し始めた。


 祭りで食事をしていた人々が病になった。吐き気や嘔吐を繰り返しており、何人かの子供が亡くなったらしい。
 亡くなった子供たちはこの町の人間ではなく、近くに住む部族の子供だけだと言うから、尚更問題が悪化したようだ。

 部族間での仲間意識は薄く、州の中で争わないために祭りが催されたのに、そこで子供たちが死んでしまった。
 しかもその食事を作ったのが、別の部族の者と言うことで、政治問題に発展してしまったのだ。
 聞いているだけで、大変そうなのが想像つく。故意ではないとしても、部族間の争いになり得る可能性があるのだろう。

「しかし、原因がわからないので、主人が頭を抱えています」
 食事のせいで食中毒になったとされているが、その肝心の食中毒の原因がまだわからないのだ。
 医者は何をしているのだろうか。いや、風邪ですらまともな対応のできない医者が王宮にいるのだから、こちらも同じか。

 祭りは数日で行われるので、祭り自体は終わっていない。しかし、既に部族同士が争い始める臨界体制に入っているので、レイシュンはそれを止めるのに双方の説得を行なっている。

「原因がわかりませんので、その部族を隔離していますが、既に死亡者が出ております。暴動が起きる前に対処しなければと原因を探っているところです」
「暴動、ですか…」
 死人の出た祭り。故意でなくとも原因がわからなければ、犯人とされた側も納得がいかないのだろう。いつどこで、お互いの不満が爆発するかわかない。深刻な話だ。

「それでは私は戻ります」
「あ、はい。ありがとうございました」
 頭を下げられて、理音も慌てて頭を下げる。上げた時にはギョウエンは扉に手を掛けていた。 レイシュンに無理を言われて来たのだろう。話に付き合わせて本当に申し訳ない。

 それにしても食中毒とは。こちらは冷蔵庫もないのだし、食料保管も難しかろう。外は若干暖かいのだから、あり得ると言えばあり得る時期だ。
 せめて自分が医者とかであれば、何かわかったかもしれないが。
 考えても仕方のない話だ。だがしかし、何か役に立てればいいのだが。

 そうやって悶々と悶えていると、遠くで何かが割れる音がした。


 女性の声が聞こえる。どこか焦ったような話し声。廊下で誰かが走る音も聞こえた。
「何かあったのかな…」
 何かあるなら、刺客とか。
 そう思うとすぐにかんざしを思い出す。だが、手許には何もない。

 騒ぎは一定の場所であるか、誰かを呼ぶ声と、走る音だけが聞こえた。
 物を落としただけにしては大仰だ。
 気になってそっと扉に手をかけた。鍵はいつもかかっていない。扉の前に兵士がいるだけなのだが。

 扉を開けると、いるはずの兵士がいなかった。代わりに少し先の廊下で兵士たちが一つ所に集まっているのが見えた。そこにはギョウエンもいる。

「何してんだろ…」
「お目通りを、お願い致します!私の息子は6歳になる前に死にました!あの子に謝らせるくらい、させなければ、気が済みません!」
 集まりの中で女性が一人叫んだ。着ている服は侍女の物だが、髪を乱して引きつるような鬼の形相をしている。

 話からすると、祭りの食中毒で死んだ子供の母親のようだが、ここに何をしに来ているのだろうか。

「ここに、犯人が匿われていることを、知っています!」
 え、そうなの?

 つい話を耳にしたくて、理音は扉から身を乗り出した。母親の形相は尋常ではない。謝らせると言うより、殺しに来たような迫力がある。
「ここに、ガロン族の者はおりません。息子を亡くされたとて城に忍び込んだのであれば、ただでは済みません。厳罰に処されること、覚悟なさい」

 ギョウエンは容赦なく切り捨てた。いや、その言い方、まずいと思う。
 女性は四つん這いになりながら、わなわなと震えた。
 誰かちょっとお水でも飲ませて、落ち着かせてあげた方がいいよ。

 辺りを見回せば騒ぎに気付いた侍女たちが廊下の壁に引っ付いて兵士たちを眺めている。怯えているのか、侍女だけで固まっていた。
 あれでは動きそうにない。理音も足のせいで水を取りに行くなんて無理だった。水がどこにあるかわからないので、無理なのだが。

 身を乗り出すと、扉がぎぎぎ、と鳴った。取り乱していた女がパッと顔を上げる。

「え?」
 女と目が合った。それが、物凄い睨みを効かせた目線だった。

 気付いた瞬間、女は走り出していた。兵士たちの手からすり抜けて、女は理音に向かって走ってくる。
 手の中にあるのは銀色の煌めき。

「リオン殿、お逃げください!」
 ギョウエンの声が廊下にこだまする。

 お逃げって、この足でどうお逃げるの。

 驚きすぎてつんのめって、部屋に入るのではなく、廊下の壁にぶつかった。女の動きの方がずっと早く、持っていたナイフを空に振りかぶった。

 いや、まじで。

「何でそうなるのよ!」

 ガスリと大きな音がした。

「リオン殿!!」


 よくわからない逆恨みで刺されるとか、本当に勘弁としか言いようがない。
 尻餅をついて、理音は大きく口を開けた。ついで響いた右足の痛みに悶えそうになった。

「いっったああーーーーっ!」

 女はごろりと腹を抱えて廊下に転がった。ギョウエンや兵士たちが急いで理音と女を引き剥がす。

「ご無事ですか!」
 ご無事だけど、ご無事じゃない。
 痛みにやっぱり悶えて、理音は右足を抑えた。

「あだだだだだ」
「大丈夫ですか!?」

 転がったナイフを手にして、ギョウエンが心配そうにのぞき込むが、右足の痛みに理音が転がりそうになった。痛みに我慢出来ず、地面を拳で叩きつける。

「お怪我は!?」
「お怪我はない、です」

 振りかぶるナイフを避けるために、とっさに女の腹を蹴り上げた。添え木付きの右足は女の腹にヒットし、かろうじて女の攻撃は避けられた。その勢いで尻餅をついたが、ナイフで刺されることはなく無事だ。ただし怪我をした足を振り上げたので、痛みは倍になって返ってきた。

 ギョウエンが急いで医師を呼ばせる。兵士たちも増えて、女を拘束した。泣きわめく女の声を聞きながら、理音は廊下に転げながら痛みに悶えていた。
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