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125 ー髪ー

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 寒さに凍える中でかじかんだ指先に触れたものが段々と熱を帯びてきて、それをもっと感じたいと思い、それを握った。

 遠くで何かの音が聞こえて、それに耳を傾ける。
 耳に慣れた音は時折大きくなって、それが言葉だとわかるのに少し時間がいった。

「…ン…」

 ぼやけた視界に白皙が揺れている。そこから別の色が伸びてきて、頰をそろりと撫でた。
 暖かいものが首元も撫でていく。

「…リオン」

 何度か聞こえた声に、重いまぶたを上げようとしては下りて、それを繰り返し試みると、声がもう一度自分の名を呼んだ。
 それが誰の声か段々とわかってきて、重石の乗ったまぶたを、何とか上げた。

 青白く顔色を染めた黒髪の男が目に入る。
 揺れてイソギンチャクみたいだなと思ったものが、その男の髪の毛で、理音は少なからず吹き出しそうになった。

「フォーエ…」

 声が掠れて最後まで出ない。それに気づいたか、フォーエンは唇を噛み締めると、眉根を寄せてひどく険しい顔をした。
 不機嫌なのか、体調でも悪いのか。うっすらと目が赤くなったので、理音はその顔に触れようと手を伸ばした。けれどそれを防ぐように誰かが手に触れた。
 その手に力が入っていたのか、あまり感覚がない。けれど目の前に自分の手とフォーエンの手が見えて、フォーエンが手を握っているのだとわかった。

「ど…した、の、」
 フォーエンは何かを堪えるように顔を歪めた。
 なぜそんな顔をするのかわからない。顔色も悪く、病人のようだった。
 そういえば風邪を引いていたのだと思い出して、そのせいでそんな顔色を失っているのかと思った。何せ青ざめ方がひどく、血の気が引いている。

「たいちょ、悪い?」
「…悪くない」
 掠れた声にフォーエンは答えた。ただやけに苦しそうに返してくる。
 自分の声が掠れているのがなぜなのかもわからなかった。それよりも、フォーエンが苦しそうに泣きそうな顔をするのが、気になって仕方がなかった。
 フォーエンはゆっくりと理音の手に口付けようとする。そんなことをまた恥ずかしげもなくやるので、理音が手を引きそうになった。けれど力が入らずに、フォーエンの思う通り、唇に触れた。

「もう大丈夫だ。お前に触れる者はここにはいない。誰も寄せつけたりはせぬ。犯人は見つけた。お前をこのような目に合わせた罪は償ってもらう」
 静かに、けれど怒りを込めて伝えられても、何のことなのか理解できなかった。一度頭の中で言葉を反復させて、ふと考える。
「頭の傷がひどい。傷が癒えるまでゆっくりと休め。髪もあとで綺麗に整えてもらおう。殴られた時に擦(す)れたせいで、ざんばらになってしまったから」
 それを聞いて、どうしてフォーエンがここにいるのかを理解した。

 自分は見つけられたのだ。
 殴られて意識を失って、風の通る部屋で放置されていたのに、見つけてもらえたのだ。
 耳鳴りがするのは殴られたせいだろうか。意識が戻ってくると頭の痛みも感じてくる。 
 暖かいベッドにいるのだろうが、寒さの中にいたせいでか、まだ体が動かない。フォーエンの触れている手だけがやけに暖かくて、それに安堵した。フォーエンの体温を感じるのだ。

「しばらく眠れ。まだ夜は明けぬ」
 優しく撫でられて、理音はその言葉を聞くだけで眠くなってきた。まだ眠気が残り、体が疲れているようだ。目をつぶればあっと言う間に睡魔に引き込まれた。

 犯人は誰だったのか、一体自分はどこにいたのか、その時には何も気にならなかったが、目が覚めた後にそれを思った。
 眠っていると、起きた時にその日がいつで何時なのかもわからなくなる。
 目が覚めてはまた眠りに落ちて、それを何度か繰り返した。
 殴られた側頭部の傷は手当をされているが、膨らんでいて熱を持っていた。そのせいでか微熱があり、起き上がれても結局ベッドで休むことになった。


「傷が腫れているので、熱が出ているそうです」
 ツワは持ってきた水袋を理音の額に乗せた。フォーエンに言われて、氷の入った水袋を作ってくれたらしい。
 風邪の時に水枕を作った経験を生かして、小さな水袋をわざわざ持ってきてくれたそうだ。
 実は氷はとても貴重らしく、地下の氷室に保存してあるものの使うイベントが決まっており、病で使う発想はなかったらしい。
 ツワが水袋に氷を入れながら、それを驚いたように話してくれた。

 フォーエンが来るたびに理音は眠っていて、彼は理音を起こそうとはせず、しばらくして帰ってしまっていた。
 何度か来てくれていたようだが、微熱のせいで眠ってばかりの理音は目を覚ましていることがない。そのため会わずに何かしら物を置いていってくれていた。
 今日は甘い果物を置いていったようで、剥いてもらったそれを理音は口に入れた。

「珍しい果物ですよ。南州の町でしか取れないと言われているものです。冷やしておきましたので、丁度いい甘さかと」
「おいしーです」
 マンゴーのような甘さと柔らかさで、甘みが口の中に染み込んだ。熱があると冷たく甘い果物はやけに欲しくなって、すぐに平らげてしまった。

 頭の傷は木材のようなもので殴られたらしく、傷は深くなかったが髪の毛も剃っていった。そのせいで所々短くなっている。包帯を巻いてあるので今は気にならないが、ツワがやけにそれを気にしていた。
 フォーエンも似たようなことを言っていたが、こちらの人は髪の毛の長さにこだわりがあるので、髪がばらばらなのは見すぼらしく感じるのかもしれない。
 理音からすればショートカットでもいいので、起きられるようになったら自分で適当に切るつもりなのだが。
 ただでさえ短い髪を更に短くしようなどと言ったら、誰かさんに怒られそうではある。
 こちらにはハサミがないので切るとしたらナイフか何かを使うのだろうが、自分でできるだろうか。

 とは言え、微熱が引くまで、髪の毛は整えられなかった。
 熱が引くまで数日かかり、目が覚めてから起き上がるまで、結局一週間近く経ってしまった。
 それから良く晴れた日に、ツワと他の女官たちは理音を外に連れた。

 外に場所を設けて人に髪を切ってもらうことになったが、理音は鏡を持ちながらその自分の髪を見て軽く唸る。
 確かに側頭部、特に下の方が擦れて短くなっている。しかも意外にその量が多い。耳の後ろがごそっと短いのだ。
 何とか耳にかかるくらいはあるが、バサバサになってあちこちはねやすくなっていた。それを同じ長さくらいに刀で綺麗にしてくれるそうだ。
 器用にナイフで剃るように切ってくれる。カミソリですくような感じで、痛みもなく丁寧に切れていく。
 しかし、全て同じ長さに切ってくれるのかと思えば、その部分的に短くなったところを揃えてもらえただけだった。なので右が短く左が長くと、アンバランスな髪型になってしまう。
 そこに付け毛を付けて、ごまかすらしいが、

「いつも、付け毛を付けることになるんですか?」
「そうでございます」
 それは何とも煩わしい。ならば全て揃えてもらった方が楽だろう。遠慮せずに揃えるように言うと、切っていてくれた女性が困ったような顔をしてきた。
「あ、じゃあ、貸して。これくらいやっちゃっていーですよ」

 言って台に置いてあったナイフを取ると、理音は肩にかかっていた自分の毛を、ナイフでバッサリ切ってやった。
 それに悲鳴を上げたのは周りにいた女たちだ。
 むしろ何事かと理音が驚く。
「な、何と、そのようなこと」
 わなわなと震えて、女性が泣きそうな顔で口元を覆った。側に控えていたツワや他の女官たちが、一斉に青ざめる。
 いや、そこまでか。

「いーですよ。同じくらいにして。私、ショートボブってやってみたかったんだー。黒髪だと重いかな。まあいっか」
「陛下が、何と仰られるか…っ」
 仰られても、こちらは全く気にしないのだが。
 女性はツワをちらりと見やる。ツワも青ざめたまま、しばらく見合っていたが、仕方なさそうに頷いた。
 もうやっちゃったから、いいよ切って。の意だと思われる。
 女性は震えながら、何とか整え始めた。
 あんま気にしないでいいのにねえ。とか、ツワも言ってくれないだろうか。無理か。

「短いとはねやすいかな。寝癖ついちゃうかな。長いと結べばばれないんだけど」
「そう言う問題では…」
「すぐ伸びますよ。肩から下に伸ばすのが少しかかるけど。途中でめんどくさくなっちゃって切っちゃうんですよね。背中まで伸びちゃえば、ほっとくんだけど。みんな髪の毛綺麗ですよね」
「髪は手を入れませんと」

 こちらの女性はそうなんだろうな。そうでなければ長すぎると途中で切れてしまうだろうに。余程丹念に手を入れているのだろう。平安時代のように髪を洗うことも少なそうだ。その辺りはあまり相入れない感覚なのだが。
 理音からすれば髪の毛なぞ、成人式までに伸ばしておけばいいくらいのものだった。そこまでは伸ばせと、母から言われている。着物にはやはり長い髪がいいとの意見だ。どうでもいい理音は、言う通りにしとこうぐらいの問題なのだが。

「頭軽くなったー。ありがとうございます」
「きっと、陛下はお怒りになられますよ…」
 女性は心からそう思っているであろう。首元にあった髪を払いながら、小さな声で気まずそうに言う。
 お怒りになっても気にしない。首元がすっきりして理音はご機嫌だった。そんなに短くないので結ぼうと思えば結べられる長さだ。
 ただこれでおしゃれ着物でも着れば、どう見ても七五三になるだろうが。その辺りはフォーエンが気にするところだろうか。囮にしては残念すぎるとか何とか。それは言われるかもしれない。

 切り揃えてもらった後、頭部の傷の手当をしてもらい腕の傷も診てもらった。腕はどうやら暴れた際に床の木が刺さったようで、布の上からでも血が流れたらしい。手首や足首にも結ばれた跡が残り、前に誘拐された時より、身体的にも精神的にも傷が深かった。

 死ぬかもな。
 そう思ったのは今回で、前回はそんな考えもよぎらなかった。

 その時に感じる恐怖は別物だ。今ではあれは危なかった程度で言えるわけだが、その時は違う。
 焦るばかりで何も思い浮かばなかった。
 昔はただ溺れただけだ。気を失っても水をそんなに飲んでいなかったため大したことにはならず、運がいいとライフセーバーの人に言われたのを覚えている。それも子供の頃の話で、しっかりと記憶があるわけではなかった。海の色と目の前にいた魚やサンゴがよく見えただけだ。

 今回の事件は、もしかすればまた起きるのだろう。溺れた時とはまた違う、長い時間を感じて耐えなければならないかもしれないし、耐える間もないかもしれない。
 手の震えは覚えている。凍えるような寒さも。

 犯人が誰だったかはまだ聞かされていない。出仕に戻る日もまだ決まっていなかった。
 ずる休みを続けているので心配になったのだが、怪我が治っていなかったので、ツワに呆れられてしまった。その頭で行くなんて無茶であると。
 フォーエンからもここから出る許可は出ていないので、大人しくしているしかなかった。もっとも、ずっと微熱があってそれどころではなかったのだが。

 風が吹くと頭に響く。
 それを言えば、当分外にも出られないだろうか。
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