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60 ー屋敷ー

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 続いて別の日に、また違う場所へ文を渡すように頼まれた。

 今度の場所はまたお屋敷ではあったが、少し寂れたような、薄暗さを感じる人気のないお屋敷であった。
 木々に囲まれた、うっそうとしたお屋敷である。
 没落した貴族の家、と言う表現が当てはまるような薄暗さだ。
 土壁もボロボロと崩れて、穴が開いているところもあった。屋根瓦は落ち、割れたものが地面に放置されている。
 そして、裏門で従者に渡そうと思ったわけだが、裏門に人がいない。表門に行けば誰かいるかと思ったが、そちらもいない。

 間違った場所へ来てしまったのか、不安になってくる。
 もう一度地図を見直し、目立つ目印がある所まで戻り、また道を地図通りに歩いたのだが、やはり目的地はこの屋敷だった。

「えー、どうしよう…」
 門の中に勝手に入っていいものなのか。
「声かけても返事ないし。どうしようー」
 屋敷にある全ての門から声をかけたが、全く反応がないのだ。
 物音一つしない。誰もいないのではないかと思うくらいに静かなものである。

「あー、どうしよう」
 しかし、一度戻るには遠すぎた。
 ユウリンからは中の人間になら誰に渡してもいいと言われていたが、誰でもどころか誰も出てこない。ならばやはり、中に勝手に入ってしまっていいだろうか。
 随分廃れた屋敷なのだから、もしかしたら仕えている人間が少ないのかもしれない。門を守る者はおらず、いても玄関の前にいるのかもしれない。その可能性は高かった。
 ユウリンの監視がいるのならば、その監視に聞きたいところである。その方が手っ取り早い。
 ポストでもあれば突っ込んでいくのに、この世界は色々なことが不便だ。

 しばらく裏門をうろうろとして、埒があかないと、理音は正門から入り込むことに決めた。

「こんにちはー、すみませんー。どなたかいらっしゃいませんかー」
 正門の扉に鍵は閉まっておらず、理音は開け放したままそこをくぐった。誰か来ても泥棒のつもりはないのだと、わざと開けておく。

「すみませんー」
 声をかけても、うんともすんともない。
 物音一つしないわけだが、正門から屋敷にかけて距離がある。それで聞こえないのか本当に留守なのか、判断しかねるところだ。
 とりあえず、玄関まで行って扉を叩いてみるかと思った矢先だ、後ろから声がかかったのは。

「あんた、この家に用か?」
 正門から入ってきたであろうその男は、ズボンの上に浴衣のような着物を一枚着て、だらしなく胸元を開けていた。髪は結んでいたが綺麗にまとめているのではなく、触覚のように耳元に髪が垂れている。ちんぴら風情である。

「こちらの家の方ですか?門から声をかけましたが返事がありませんでしたので、失礼させていただきました」
「ああ、門番がいないからな。この家に何か用か?」
 この男に文を渡せばいいのだろうか。しかし、この男がここの主人かそれとも下仕えの者なのか、理音には判断しかねた。だがどちらかとしても、割に服装がひどすぎると訝しがる。
「こちらの家の方でしたら、お渡しする物がありまして参りました」
 何を持ってきたかは言わず、念のためこの家の人間かどうかを問うてみる。するとやはり男は、この家の人間じゃないが、と頭をかいた。

「渡す物があるなら渡しておくが?」
「いえ、こちらの家の方に渡すようにと言われておりますので、お留守でしたらまた参ります」
 頭を下げて戻ろうとすると、男は、多分いると思うぞ。と理音に来るように促した。
「あいつ、いつも奥にいるから。ここんちは誰も出てこない」
 つまり主人しかいないと言うことなのだろうか。男はずかずかと屋敷に入り込んで進んでいってしまう。
「おい、入っていいぞ」
 まごまごしていたらそう言われて、理音はいいのかなと思いつつ、屋敷の中に足を踏み入れた。

 外よりずっと冷えた空気を感じる。
 人の気配は全くなく静まり返っており、本当に人が住んでいるのかと不安になってくる。調度品などはほとんどなく、あっても全てが埃を被っている状態なのだ。
 使われていない場所を勝手に使っているのではと、疑いたくなる廃墟ぶりである。
 男は無遠慮に、ずんずん中に入って建物を通り過ぎると、中庭に出ていった。

「ナミヤ、客だぞー」
 中庭の、小さな池のほとりの四阿で、男が一人釣り糸を垂らして座り込んでいる。
 あんな小さな池で釣り?
 釣り堀みたいなものだろうか。声をかけられて男は振り向いた。
 垂らした髪を適当に結んでいるが、まとまりなく結ばれた髪は前から見ると垂らしているようにしか見えない。線も細く痩せているか、そのせいもあって一瞬女性かと見紛えた。

「やあ、どこの可愛い子を連れてきたの?」
 発言は男の声である。
「門でずっとうろうろしてたぞ。中入って行ったから、お前が出たのかと思って。入ってもうろうろしてたから、連れてきた」
 いつから見られていたのだろう。監視を探すのにかなり辺りを見回していたのに、男には気づかなかった。
「失礼しました。草からの者です。お渡ししたい物がありまして」
 多分このナミヤとやらはここの主人だろう。お渡しくださいとは言えず、別の言い方をする。
 布に巻かれた文を出すと、ナミヤは、ああ、と納得するように受け取った。
「悪かったね。うちには誰もいないから困っただろう。よかったらお茶でも飲んでいきなさい。戻るまでかなり遠いからね」
 ナミヤはどこから来たかわかっていると、理音に部屋に入るようにと言ってきた。
 大尉からの使いであるのはわかっているのか、と思いつつ、ここでお茶をするのはまずかろうと頭を下げる。

「ありがとうございます。ですが、寄り道をするなと言われておりますので」
「なら、大丈夫だよ。ここは寄り道じゃないんだから」
 その返し方は返答に困る。理音がもう一度、いえ、と言おうとすると、先ほどの男が気にするなと理音の背を押した。
「丁度俺も飲みたかった。ナミヤ、確かこの間アイリンが持ってきたいい茶ってのがあっただろう。あれをいただくぞ」
「好きにしていいよ。しかし君は何の用なの、ウンリュウ。君の持っているの酒に見えるけど。昼から飲みに来たのかい?」
 ナミヤはウンリュウの腰に引っかかっている、酒瓶のような物を指差す。ウンリュウはご名答とそれを差し出した。
「ハク様の所でいただいた。お前にもと言われてな」
「それはありがたいことだね。ええと、君は何て言ったかな?」
「理音です」
「リオン、楽にして。しかし、随分と可愛い子をよこすね。幾つなの?」
 そんな子供に見えるだろうか。

 理音は十六だと答えると、しばらくじっと見つめられた。
 何とも居心地が悪い。
 
 やはり今すぐ帰りたくなる。
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