群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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37 ーしこりー

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 それから、どれくらい時間が経ったのかわからない。

 遠く離れた場所から聞こえる叫び声や金属の擦れる音、動く人々の足音が段々と収まってきた頃、理音は座り込んで膝に埋めていた顔を、ゆっくりと上げた。

 音が静まってきた。

 先ほどまで耳に残るほどの高音の悲鳴が聞こえていたのに、今その声はない。
 時折走る人の足音が聞こえたが、その音は理音のいる部屋から離れた場所から聞こえ、この部屋の周りには何の音もなかった。

 状況から考えれば、謀反。である。

 一見平和そうな、娯楽イベントの最中を狙った、計画的戦いだ。
 弓をつがえていたのは、一体何人いただろうか。
 兵士たちが刀を抜いて向かう先からも矢は届き、その体を射抜いた。

 狙われたのはフォーエンだったのだろうか、それとも自分だったのだろうか。
 どちらであろうと関わらず、自分たちが座る座席に向かって矢が射られたのである。
 誰を狙ったなどと関わりなく、それは謀反だろう。避けなければフォーエンが射抜かれていたかもしれない。
 それにより、戦いになった。
 フォーエンは剣を抜き、逃げるのではなく戦いへ向かった。
「普通、王様って逃げるもんじゃないの…?」
 彼は戦いへ戻ったのだろう。理音を安全な場所へと隠して。
 手助けをしたくとも、動けなかった。
 自分にできることはない。行っても邪魔になるだけだ。だからここにとどまった。フォーエンが連れてきたのだから、彼の言う通りに待つことにした。

 けれど、一体どれほどかかるのだろう。
 そんなに多くの人間の反逆が行われたのだろうか。
 何より、フォーエンは無事なのだろうか。
 王様なら王様らしく、後方に待機して、
 いや、そうではない。
 彼が戦うのであれば、とにかく無事で、何事もなく、戻って来なければならない。
 そうでなければならないはずだ。


 突然、扉の開く音がした。
 調度品の影に隠れていた理音の肩が、びくりと震える。
 部屋で待つにしても身を隠していたのだ。
 誰か、フォーエンではない誰か別の人間が来ては、恐ろしいからと。

「リオン!」
 声に、理音は立ち上がった。
 フォーエンである。けれど、その姿に言葉を失った。

 真っ白な衣装を身にまとっていたのに、それは無残にも真っ赤に染まり、白が塗りつぶされていた。
「フォーエ…、フォーエン、怪我、怪我したの!?」
 震える体で走り寄って、その服を握りしめた。近づけば首や頬にも血の跡がある。
「怪我、どこ。痛くないの!?」
 そんな大量の血を流せば命に関わる。
 一体どこに傷があるのかと探しそうになった時、フォーエンは落ち着くようにと理音をきつく抱きしめた。
「リオン…」
 怪我はない。血も敵のもので、自分のものではないと、問題はないのだと、ゆっくり説いて、理音の濡れた頬をそっと撫でた。

 既に涙が流れていた。
 恐ろしさよりも、フォーエンが斬られたのではないかと思った。それが恐ろしくて、ただ涙を流した。

「ダイジョウブ…」
 フォーエンの声に、理音は安堵した。
 怯える自分に、言葉を伝えてくれる。
「よか、よかった」
 流した涙は、いつまでも止まらなかった。
 抱きしめられて撫でられて、なだめられて、やっと止まるまで、フォーエンはずっと側にいてくれた。


 怖かったのは、彼を失うことだ。
 それがどう言う意味を持つのか、その時の理音にはわからなかった。


 謀反は、とてもわかりやすい話で終わった。

 フォーエンは即位してから間も無く、未だ即位したことを反対する輩が多くいるのである。
 敵の数はわからないほど多く、それをあぶり出すにはわかりやすい方法をとろうと考えていた。
 まだ国政の安定していない状況であるフォーエンの指揮下で、行われなければならない行事があり、しかしそれを行いたくなかったが、無理に行なっていたらしい。
 無駄なイベントごとだが、即位したばかりの王がそれをやめる権利はまだなく、ならば粛清しやすいように敢えて行い、その謀反をあぶり出す方法をとっていたわけである。

 だから何かが起こる。と言うのは、フォーエンの中ではわかっていたことのようだった。

 それは、今まで全てに当てはまるわけだが。

 敢えて理音をその場に連れたのも理由があり、未だ正妃をとっていないフォーエンであるのに、隣に理音を置くと言うことは甚だありえないことであって、既に妃として選ばれている女たちを袖にしたまま、身元も身分も不明な理音を選び、フォーエンの隣に座らせたと言うことは、フォーエン反対派からすれば愚行どころか屑レベルであって、反対派たちの活気を十分に上げさせる、一番の理由になったわけだ。
 矛先はフォーエンに行くと同時に、そこにいる理音にも向くわけで。

 つまるところ、囮である。

 フォーエンにも危険が及ぶが、理音にももちろん及ぶ。

 フォーエンが謝った理由がそれであった。
 最低限の安全を確保した上での行いだったが、エシカルの事件は想定外だったらしい。
 そこの話は詳しく聞くには難しく、全てを理解することはできなかったが、とにかくあれは防ぎきれず、理音を本当の危険に晒したわけだった。
 だからこそ、フォーエンは謝り、憂い、そして自己嫌悪に陥ったようだ。
 そのくせ理音が笑顔で戻ってきたものだから、心底反省したらしい。
 あくまでらしい、だ。
 何せ通訳なしで、このレベルの会話は難しい。
 かなり長い間説明してもらい、話し続けて、何となくわかったことである。

 理音を選んだ理由については語られなかった。
 そこまでの会話レベルに達していないのと、理音にはまだ話せないことがあるようだ。 
 それの説明を受けたわけではないが、多分そうであろうと思われる。
 存在的に、丁度良かったのもあるだろう。
 もし何かあっても丁度いい、ぽっと出の会話のできない、身元不明の女なのだから。
 そんな会話はなかったが、理音はそう思っていた。

 ともかく、納得の大舞台であったわけだ。
 無駄に飾り付けたのも、舞台へ上がらせたのも、わかりやすいぐらい、簡単な理由だった。
 それについてはすんなりと納得した。
 そもそも、優遇される理由がないのだから、そう言われた方が、だよね。くらいにすとんと理解できる。
 逆に殺されてもいいくらいに考えると思うのだが、それはフォーエンにとっては違うらしい。
 謝ってくるのだから、殺されることは良しとしないのだ。
 むしろ、それに驚いた。
 そうして、特別待遇の理由に素直に納得して、それに傷つく理由もなかった。
 だから、ああ、なるほどね。程度に終わったのだ。



「なのに何だろな、この気だるさ」

 脱力感と言うか、虚無感と言うか。
 最悪を想像していたわけなのに。
 囮と言われて納得もしているし、それを当然だと感じてもいるのに、なぜか途端に、何もかものやる気がなくなった。

「別に何の期待もしてなかったじゃん?」
 自分で自分に問いかけてみる。

 元々むしろ、なぜ特別待遇なのかと、疑問を持っていたはずだ。
 理由があることもわかっていた。どんな理由かはわからずとも。

 その理由が囮でしたと言われて、ショックを受ける必要もないだろう。
 むしろ知ってた。ぐらいに返す話である。

 けれど、ため息が一つ。

 裏切られたとでも思っているのか。いや、そう言うわけではない。
 ただ、何となく、沈むものがあった。

 心に何かが、どすんと沈んだ。

「ああ、やだな…」

 理音は呟く。
 だらなしなさを発揮するスカートで、ごろりと寝そべって、池に足を投げ出す。
 体重がかかって、ブルーシートがずるずると池の方へとずれる度、理音の足が露わになる。
 これを見られたらフォーエンに怒られるんだろうな。
 そう思いながらも、そのままの体制で空を見上げた。

「ああ、やだなー…」

 嫌な理由はわかっている。
 もう、わかった。

 理音は少なからず、フォーエンに好意を持っていたらしい。
 自分で何言っているのかであるが、好意を持ったことに気づかされた。

「アホだ…」

 近すぎると言うのは問題である。
 良い悪いを二択にして良いに傾けば、重しを乗せられたように、するするとそちらに傾いてしまうのだから。
 近ければ近いほど、それの動きは早い。

「うわ、アホだー…」

 信じたくない事実である。
 まだ出会って、一ヶ月そこらなのに。

「アホすぎる…」

 勘違いするほど近い場所にいて、優しくされて、それを好意と感じたかもしれない。
 その好意に乗りかかり、自分もそうであると思い始めてしまったのかもしれない。

「いや、ほら、経験値がだな…」

 いわゆる恋愛経験値が、ほぼ皆無である。
 それで男が急に側にいて、ちょっと優しくしてくれればだな、あれ、いいかも。くらいに思ってしまうわけだ。
 多分。

「はー、やだやだ」

 誰に言うでもなく呟き続けて、理音は両手で顔を日差しから隠した。

 それで今回のことを告げられて、あ、やっぱりと思うと同時に、あ、そうなんだ。と少なからずショックを受けたわけである。
 わかっていたのに、それが事実だと知った時、思った以上の衝撃があった。

 ずしりときた。

 重くのしかかった何かが、胸にしこりを残した。
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