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第7章 サウンド・ドラッグ
7-8 ぽめP
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「弱虫だなんて、そんな!」
わたしは強く否定した。
「サンドラにはすごく勇気づけられたし、推し活がきっかけで友達もできた! ありがとうを伝えたいくらいなのに!」
「でも無力なのは変わらない。音楽の力をもってしても病気や障害をなかったことにはできない。実際そうだろう?」
淡々とした声が、現実を突きつけてくる。
ODの搬送前、最後の記憶が蘇る。
――ねえ、楽しかったよね。
口ずさんだのは、ぽめPの「ゲートキープ」だった。
そうだ。
あのとき、わたしの心は真っ暗だった。
切ない歌詞には慰められたけれど、結局障害が治る見込みはなくて、希望を持てずに人生を諦めてしまっていた。
「ひなのちゃんがODで搬送されてきたとき、嘘であれと何度願ったか。目を醒ましてくれたこと、『ぽめP』が好きだと言ってくれたこと、それにどれほど救われたか。一方で、ODを防げなかった自分の力不足を痛感した」
だから歌い手に誘った、とぽめ兄はぽつりと言った。
「おれたちが出会った意味が、きっとあるはずなんだ。絶望からよみがえった経験が音楽になって、次の誰かを救うと信じてる」
「そうだったんだ……ん、でも、あれ? えーと」
あの日ぽめ兄に言われた言葉を思い出した。
――きみに見つけてもらえるように。それで「ぽめP」。
頭が少し混乱した。
「わたしがケガしたのは去年だけど、その前からもう『ぽめP』の名前だったじゃん――どうして活動名とわたしが関係するの?」
個室に秒針の乾いた音が響いた。
壁時計が、面会時間は残り2分だと示していた。
「おれが音楽に興味を持ったきっかけが、ひなのちゃんだったから」
「わたし?」
思わず怪訝な顔をしてしまった。心当たりが全然ない。
「高校生の頃、隣の家から聴こえてきたエレクトーンの音がすごくカッコ良くてさ。親を説得して中古を買ってもらったんだ。独学ですぐに、打ち込みの音楽に夢中になった」
「ちょっと、それ初耳なんだけど!」
「だってひなのちゃんは当時小学生だったし、言ったら恥ずかしがるかなって」
ぽめ兄は大学に進学すると、パソコンのDAWソフトで作曲するようになった。
そこから音声も重ねられるボカロの世界にのめり込んだらしい。
パネルや鍵盤で音色と音の長さを選び、ダイヤルでBPM(テンポ)を調整して――。
地道な「打ち込み」が面白いのはエレクトーンもボカロも共通だった。
病室に再び静けさが戻った。
それ以上、長くは話せなかった。
ぽめ兄は少し疲れたと言って、またベッドに横になった。
時間は残り30秒を切っていた。
わたしはまだ、大切なことを伝えていなかった。
「ねえ、大好きだよ」
今までたくさんの患者さんにお薬を渡してきた右腕は、無数の注射痕で黒っぽい紫に変色していた。
ゾンビを連想させる、不気味な皮膚。だけど、怖くなんかない。
ぽめ兄の、命の色だから。
「カッコ良くなくていいよ。絶望ばかりでもいいよ」
点滴につながれた右手を、やさしく両手で包み込んだ。
「わたし、ずっとそばにいる。これからも音のおくすり、いっぱいちょうだい」
残り、10秒。
「仕方ないなあ。ひなのちゃんには敵わないよ」
ゆっくりと手を握り返したぽめ兄は、微笑んだ。
「おれたち、ドラッグな関係になっちゃったね」
わたしは強く否定した。
「サンドラにはすごく勇気づけられたし、推し活がきっかけで友達もできた! ありがとうを伝えたいくらいなのに!」
「でも無力なのは変わらない。音楽の力をもってしても病気や障害をなかったことにはできない。実際そうだろう?」
淡々とした声が、現実を突きつけてくる。
ODの搬送前、最後の記憶が蘇る。
――ねえ、楽しかったよね。
口ずさんだのは、ぽめPの「ゲートキープ」だった。
そうだ。
あのとき、わたしの心は真っ暗だった。
切ない歌詞には慰められたけれど、結局障害が治る見込みはなくて、希望を持てずに人生を諦めてしまっていた。
「ひなのちゃんがODで搬送されてきたとき、嘘であれと何度願ったか。目を醒ましてくれたこと、『ぽめP』が好きだと言ってくれたこと、それにどれほど救われたか。一方で、ODを防げなかった自分の力不足を痛感した」
だから歌い手に誘った、とぽめ兄はぽつりと言った。
「おれたちが出会った意味が、きっとあるはずなんだ。絶望からよみがえった経験が音楽になって、次の誰かを救うと信じてる」
「そうだったんだ……ん、でも、あれ? えーと」
あの日ぽめ兄に言われた言葉を思い出した。
――きみに見つけてもらえるように。それで「ぽめP」。
頭が少し混乱した。
「わたしがケガしたのは去年だけど、その前からもう『ぽめP』の名前だったじゃん――どうして活動名とわたしが関係するの?」
個室に秒針の乾いた音が響いた。
壁時計が、面会時間は残り2分だと示していた。
「おれが音楽に興味を持ったきっかけが、ひなのちゃんだったから」
「わたし?」
思わず怪訝な顔をしてしまった。心当たりが全然ない。
「高校生の頃、隣の家から聴こえてきたエレクトーンの音がすごくカッコ良くてさ。親を説得して中古を買ってもらったんだ。独学ですぐに、打ち込みの音楽に夢中になった」
「ちょっと、それ初耳なんだけど!」
「だってひなのちゃんは当時小学生だったし、言ったら恥ずかしがるかなって」
ぽめ兄は大学に進学すると、パソコンのDAWソフトで作曲するようになった。
そこから音声も重ねられるボカロの世界にのめり込んだらしい。
パネルや鍵盤で音色と音の長さを選び、ダイヤルでBPM(テンポ)を調整して――。
地道な「打ち込み」が面白いのはエレクトーンもボカロも共通だった。
病室に再び静けさが戻った。
それ以上、長くは話せなかった。
ぽめ兄は少し疲れたと言って、またベッドに横になった。
時間は残り30秒を切っていた。
わたしはまだ、大切なことを伝えていなかった。
「ねえ、大好きだよ」
今までたくさんの患者さんにお薬を渡してきた右腕は、無数の注射痕で黒っぽい紫に変色していた。
ゾンビを連想させる、不気味な皮膚。だけど、怖くなんかない。
ぽめ兄の、命の色だから。
「カッコ良くなくていいよ。絶望ばかりでもいいよ」
点滴につながれた右手を、やさしく両手で包み込んだ。
「わたし、ずっとそばにいる。これからも音のおくすり、いっぱいちょうだい」
残り、10秒。
「仕方ないなあ。ひなのちゃんには敵わないよ」
ゆっくりと手を握り返したぽめ兄は、微笑んだ。
「おれたち、ドラッグな関係になっちゃったね」
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