泣きたいきみに音のおくすり ――サウンド・ドラッグ――

藤村げっげ

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第6章 雑音の美学

6-8 足音

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  自宅に帰ったのは、夕日が闇夜に溶け始める頃。

  珍しく陸斗が先にいた。
  歯磨きをしながら、洗面所の鏡でウインクの練習を繰り返していた。

「うわ、きも」
  考えるより先に声が出た。

「なんだよ」
  陸斗は眉を歪めて、不機嫌そうな顔をした。
  ぺっ、と白い泡を吐いて、俺を睨みつける。
「俺はこれから部屋にこもって『歌ってみた』を録る。音、立てんなよ」

  首には誕生日に両親からプレゼントされた、高級ヘッドホン。

  自惚れ、偉そうな態度、ブランド品。
  それが陸斗のスタンダードだった。

「その『歌みた』ってまさか『サウンド・ドラッグ』じゃねぇだろうな」
  爆発しそうな感情を押し殺した。
「もしそうなら、俺は、お前を、許さない」

「楽しみにしていてくれよ」
  陸斗がにやにやするものだから、胸糞悪くなった。

「ああ、お前がさらされるのを、楽しみにしてる」
  あおると余裕そうな表情が一瞬崩れた。
  いつもカッコつけているけれど、本当はクソ雑魚ざこメンタルだと俺は知っていた。

  2階の自室に入ってしばらくすると、真下の陸斗の部屋から歌が聴こえてきた。
  下手ではない。けれども、自分に酔った甘ったるい声。
  それが吸音材を突き抜けて俺の部屋まで聞こえる。

  突然、「悪い子」になりたい衝動に駆られた。

  俺は思い切りジャンプして――ドンと音を立てた。

  何回も繰り返す。
  「うるさい」とLINEが来たが無視した。

  ドン、ドン。
  これはひなのの分。これはぽめPの分。

  次は階段。わざと足音を立てて下ってやる。
  うちは古い木造住宅だから、ギッ、ギッと床のきしむ音がなかなかいい味を出してくれた。

「おい、てめぇ。ぶっ殺すからな!」
  兄が部屋から顔を出した。
  レコーディングを邪魔されたいら立ちで、顔が赤くなっている。

「あらあら、爽やかイケメンの『けちょん』さん。物騒な言葉遣いですこと」
  俺はにやりと笑ってスマホを掲げた。
「俺レコーディング、完了っと」

  「ぶっ殺すからな!」――けちょんの乱暴な言葉が再生されて、スマホのスピーカーから流れる。

「はあ!?  何、お前、え――」
「発した言葉は取り返しがつかないって、小学校で習わなかったのか?」

  人生初壁ドンの相手が、こんな兄貴だとは。
  陸斗の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
  自分でも、こんな凄みの効いた威圧的な声が出るなんて知らなかった。

「ぽめPとぴよに謝れよ。でなければ、配信者なんか辞めちまえ」
「は、はい――」

  陸斗の声が細くなった。
  慌てて自分の部屋に逃げていく。

「さて、と」
  再びスマホを開いた。

  陸斗にうるさいと言われた俺の、オリジナルの生活音。
  嬉々ききとして階段をきしませる足音が、面白いほどよく録れていた。

「サンプリング、完了っと」

  (第6章「雑音の美学」  了)
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