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第5章 絵師の祈り色
5-7 看護師
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「かかりつけ医とおっしゃいましたが、何か持病でも?」
「ええ、メニエール病ですね」
さぼじろーさんは病院に慣れているのか、スムーズに受け答えした。
「2017年に目まいや耳鳴りを発症して、蝸牛型メニエール病と診断されました。かかりつけ医は新宿の王鳴記念病院で、主治医は耳鼻咽喉科の轟杏里先生です。今も定期的に通っているので、診療情報提供書を書いてくださると思います」
「そうですか」
西野さんは手元の資料に王鳴HP、耳鼻・轟Drとメモした。
「お薬は、何が処方されていますか」
「イソソルビド、ベタヒスチン、ドンペリドン、ビタミンB12――」
スマホのメモを見ながら、さぼじろーさんは呪文のような薬剤名を呟く。
「それから、ロフラゼプ酸エチル錠」
あれ、と気になった。
ロフラゼプ――サウンド・ドラッグの最新曲と同じ名前。
もしかして、ぽめPは自分のお薬を音楽にしている?
実は、と補足が入る。
「お薬については本人が一番詳しいですね。清陵の薬剤師なので」
「あら、清陵医科大付属病院の? 当院もお世話になってます」
西野さんが神妙な表情で頷いて、今度はPhと書いた(薬剤師の略らしい)。
「急性期病院ですからね、お忙しいでしょう。症状とうまく付き合いながらお仕事されているんですね」
西野さんはわたしたちの話をじっくり聞き、共感し、理解を示した。
看護師さんは医療機器を扱ったり、カルテを記入したりするだけじゃない。
コミュニケーションで信頼関係をつくり、情報収集することも大事な仕事だと知った。
「それで、本人は入院になりそうなんですか?」
「まだ診察途中なので、何とも……最終的にはドクター次第ですね」
安静のために入院を勧めるかもしれない、と言った。
「一堂さんの方から、他に何か伝えておきたいことはありますか」
「じゃあ、一つだけ」
さぼじろーさんは視線を落とした。
「……両腕の注射痕についてですが」
思いがけない言葉に、一瞬息が止まる。
「目まいや耳鳴りを発症してから、点滴や注射などいろいろ試してきました。それで皮膚が、ところどころ黒や紫に変色しています」
廊下の業務用エレベーターがごうんごうんと重い音を立てた。
さぼじろーさんはいったん話をやめた。
西野さんは唇を結んで表情を硬くした。
静けさが戻った。
さぼじろーさんは重苦しくなった空気を戻すように、わざとあっけらかんと言った。
「本人も気にしてますし、必要以上に触れないでやってほしいってことです。ま、それくらいですね」
「分かりました。病棟や他のスタッフと共有しておきます」
「西野さん、ちょっと。看護師長が」
別の看護師さんが西野さんに耳打ちする。
「入院決定です。診察が終わり、地域包括ケア病棟からも受け入れ可能と連絡が」
「そうですか、分かりました」
西野さんはわたしたちに向き直り、改めて結果を伝えてくれた。
「本日はいろいろ教えてくださり、ありがとうございました」
さぼじろーさんは西野さんに一礼して、立ち上がった。
「ほら、行くぞ」
「あ、はい」
わたしも慌てて頭を下げる。
「あの、今日はありがとうございました!」
「ええ。頑張ってくださいね」
西野さんがにっこりと笑ってくれた。
廊下をちょっと走って、先を行くさぼじろーさんに追いつく。
「あの……ありがとう、ございました」
「おう」
「現場の空気っていうか……いっぱい勉強になりました」
感想を言葉でまとめるのが難しい。わたしたちはそのまま無言でロビーまで歩いた。
一人スマホをいじるひなのが見えた。
「ご家族、なかなか来ないですね」
「そりゃ、来ねえよ。俺の嘘だから」
「え? え?」
「ロビーに残らせる口実をつくらないと、あいつ、お前から離れないだろ」
きょとんとするわたしに、さぼじろーさんは呆れた顔を向けた。
「あーもう、言わないと分かんねぇかな。もう少し貪欲になれっての」
さぼじろーさんは指をぽきぽきと鳴らした。
「お前のやりたいこと、もう目の前にあるんだろ」
「ええ、メニエール病ですね」
さぼじろーさんは病院に慣れているのか、スムーズに受け答えした。
「2017年に目まいや耳鳴りを発症して、蝸牛型メニエール病と診断されました。かかりつけ医は新宿の王鳴記念病院で、主治医は耳鼻咽喉科の轟杏里先生です。今も定期的に通っているので、診療情報提供書を書いてくださると思います」
「そうですか」
西野さんは手元の資料に王鳴HP、耳鼻・轟Drとメモした。
「お薬は、何が処方されていますか」
「イソソルビド、ベタヒスチン、ドンペリドン、ビタミンB12――」
スマホのメモを見ながら、さぼじろーさんは呪文のような薬剤名を呟く。
「それから、ロフラゼプ酸エチル錠」
あれ、と気になった。
ロフラゼプ――サウンド・ドラッグの最新曲と同じ名前。
もしかして、ぽめPは自分のお薬を音楽にしている?
実は、と補足が入る。
「お薬については本人が一番詳しいですね。清陵の薬剤師なので」
「あら、清陵医科大付属病院の? 当院もお世話になってます」
西野さんが神妙な表情で頷いて、今度はPhと書いた(薬剤師の略らしい)。
「急性期病院ですからね、お忙しいでしょう。症状とうまく付き合いながらお仕事されているんですね」
西野さんはわたしたちの話をじっくり聞き、共感し、理解を示した。
看護師さんは医療機器を扱ったり、カルテを記入したりするだけじゃない。
コミュニケーションで信頼関係をつくり、情報収集することも大事な仕事だと知った。
「それで、本人は入院になりそうなんですか?」
「まだ診察途中なので、何とも……最終的にはドクター次第ですね」
安静のために入院を勧めるかもしれない、と言った。
「一堂さんの方から、他に何か伝えておきたいことはありますか」
「じゃあ、一つだけ」
さぼじろーさんは視線を落とした。
「……両腕の注射痕についてですが」
思いがけない言葉に、一瞬息が止まる。
「目まいや耳鳴りを発症してから、点滴や注射などいろいろ試してきました。それで皮膚が、ところどころ黒や紫に変色しています」
廊下の業務用エレベーターがごうんごうんと重い音を立てた。
さぼじろーさんはいったん話をやめた。
西野さんは唇を結んで表情を硬くした。
静けさが戻った。
さぼじろーさんは重苦しくなった空気を戻すように、わざとあっけらかんと言った。
「本人も気にしてますし、必要以上に触れないでやってほしいってことです。ま、それくらいですね」
「分かりました。病棟や他のスタッフと共有しておきます」
「西野さん、ちょっと。看護師長が」
別の看護師さんが西野さんに耳打ちする。
「入院決定です。診察が終わり、地域包括ケア病棟からも受け入れ可能と連絡が」
「そうですか、分かりました」
西野さんはわたしたちに向き直り、改めて結果を伝えてくれた。
「本日はいろいろ教えてくださり、ありがとうございました」
さぼじろーさんは西野さんに一礼して、立ち上がった。
「ほら、行くぞ」
「あ、はい」
わたしも慌てて頭を下げる。
「あの、今日はありがとうございました!」
「ええ。頑張ってくださいね」
西野さんがにっこりと笑ってくれた。
廊下をちょっと走って、先を行くさぼじろーさんに追いつく。
「あの……ありがとう、ございました」
「おう」
「現場の空気っていうか……いっぱい勉強になりました」
感想を言葉でまとめるのが難しい。わたしたちはそのまま無言でロビーまで歩いた。
一人スマホをいじるひなのが見えた。
「ご家族、なかなか来ないですね」
「そりゃ、来ねえよ。俺の嘘だから」
「え? え?」
「ロビーに残らせる口実をつくらないと、あいつ、お前から離れないだろ」
きょとんとするわたしに、さぼじろーさんは呆れた顔を向けた。
「あーもう、言わないと分かんねぇかな。もう少し貪欲になれっての」
さぼじろーさんは指をぽきぽきと鳴らした。
「お前のやりたいこと、もう目の前にあるんだろ」
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