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第2章 スプーン・ダンス
2-8 可能性
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弾けるスネア、地響きのキック。
複雑なピアノがリズム隊に被せて軽快な音を奏でた。
重いベースとシンセが中毒的でキャッチーなメロディをかき鳴らす。
太一はサウンド・ドラッグが紡ぐ不思議な世界で踊っていた。
クライマックスになると、スプーンを指揮棒のように小刻みに振り始めた。
「こんな太一、見たことない」
お母さんが口元に手を当てた。じわ、と目が潤んでいる。
「太一、すごく楽しそう」
リビングに響く重低音は鼓膜を突破して、脳内に気持ち良く響いた。
頭の周りをくるっと音に囲まれて、ふわふわと浮いているような高揚感。
「ちょっと、泣いてんじゃん」
「だって、お母さんも救われたもん」
ティッシュ箱を差し出すと、お母さんがふにゃと表情を崩した。
「障害があるって分かってから、一度でいいからこの子の笑顔が見たいって思ってたの。どうして表情が乏しいんだろう、どうしたら笑うんだろうって悩み続けて……でも今、もういいやって」
すごい勢いで鼻をかむ。赤くなった鼻先がわたしにそっくりだった。
「本人が楽しいって思えてるなら、お母さんは十分だな」
再生の止まったスマホをわたしに返して、お母さんはもう一度ティッシュで鼻をおさえた。
「ブレザーだって、太一が好きな服を着せてあげれば良かったね」
ハンガーラックに掛かった金ボタンのブレザーに目を向ける。
「太一を『障害者』に生んでしまったとか、桃花に大変な思いをさせてるって、お母さん自身がずっと受け入れられなくてね」
「お母さん――」
音のおくすりでほぐれた心が、ふわりと触れ合う。
お母さんの心はちゃんと柔らかくて、あったかくて――傷付いていた。
「わたし、寂しかったんだよ」
自然と本音が口をついた。
11年間、甘えることを忘れていた。
「太一が生まれてからずっとお母さんを取られた気がして、それが当たり前なんだ、仕方ないんだって思ってた。お母さんが精いっぱいだって、分かってたから」
菓子パンを詰めたお弁当箱が脳裏に浮かぶ。
――わたしたち、どうしたい?
生活するのに必死で、11年間話し合うこともなかった。
「大変なのは分かるけどさ……いつか、お母さんにも楽しいこと見つけてもらいたい。幸せになること、諦めないでほしい」
「ありがとう、桃花は優しいね」
ティッシュの箱をテーブルに戻して、お母さんがやっと笑った。
「もう幸せだよ。お母さんもね、桃花に楽しいこと見つけてもらいたいな」
「ほんと?」
障害がある弟を置いて、姉のわたしが友達と青春を謳歌するなんて許されない。
――そう、思っていた。
「さっきの話なんだけど……わたし、サポートメンバー引き受けてみたい」
スプーンを振って踊る太一に、可能性を感じていた。
やりたいこと、見つかった。
障害の有無とか、障害が見える・見えないとか、関係なく。
みんなが楽しめる音楽、作りたい。
「桃花がやりたいことなら、応援するよ」
だよね、と母さんが呼び掛けると、太一が「あー」と声を発した。
「なぁに、今日の太一、めっちゃ元気じゃん」
それから、わたしたちはもう一度「サウンド・ドラッグ」を聞いた。
また踊り出した太一を見て、わたしとお母さんはスプーン・ダンスと名付けた。
「みんなで聴くと、楽しいね」
複雑なピアノがリズム隊に被せて軽快な音を奏でた。
重いベースとシンセが中毒的でキャッチーなメロディをかき鳴らす。
太一はサウンド・ドラッグが紡ぐ不思議な世界で踊っていた。
クライマックスになると、スプーンを指揮棒のように小刻みに振り始めた。
「こんな太一、見たことない」
お母さんが口元に手を当てた。じわ、と目が潤んでいる。
「太一、すごく楽しそう」
リビングに響く重低音は鼓膜を突破して、脳内に気持ち良く響いた。
頭の周りをくるっと音に囲まれて、ふわふわと浮いているような高揚感。
「ちょっと、泣いてんじゃん」
「だって、お母さんも救われたもん」
ティッシュ箱を差し出すと、お母さんがふにゃと表情を崩した。
「障害があるって分かってから、一度でいいからこの子の笑顔が見たいって思ってたの。どうして表情が乏しいんだろう、どうしたら笑うんだろうって悩み続けて……でも今、もういいやって」
すごい勢いで鼻をかむ。赤くなった鼻先がわたしにそっくりだった。
「本人が楽しいって思えてるなら、お母さんは十分だな」
再生の止まったスマホをわたしに返して、お母さんはもう一度ティッシュで鼻をおさえた。
「ブレザーだって、太一が好きな服を着せてあげれば良かったね」
ハンガーラックに掛かった金ボタンのブレザーに目を向ける。
「太一を『障害者』に生んでしまったとか、桃花に大変な思いをさせてるって、お母さん自身がずっと受け入れられなくてね」
「お母さん――」
音のおくすりでほぐれた心が、ふわりと触れ合う。
お母さんの心はちゃんと柔らかくて、あったかくて――傷付いていた。
「わたし、寂しかったんだよ」
自然と本音が口をついた。
11年間、甘えることを忘れていた。
「太一が生まれてからずっとお母さんを取られた気がして、それが当たり前なんだ、仕方ないんだって思ってた。お母さんが精いっぱいだって、分かってたから」
菓子パンを詰めたお弁当箱が脳裏に浮かぶ。
――わたしたち、どうしたい?
生活するのに必死で、11年間話し合うこともなかった。
「大変なのは分かるけどさ……いつか、お母さんにも楽しいこと見つけてもらいたい。幸せになること、諦めないでほしい」
「ありがとう、桃花は優しいね」
ティッシュの箱をテーブルに戻して、お母さんがやっと笑った。
「もう幸せだよ。お母さんもね、桃花に楽しいこと見つけてもらいたいな」
「ほんと?」
障害がある弟を置いて、姉のわたしが友達と青春を謳歌するなんて許されない。
――そう、思っていた。
「さっきの話なんだけど……わたし、サポートメンバー引き受けてみたい」
スプーンを振って踊る太一に、可能性を感じていた。
やりたいこと、見つかった。
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みんなが楽しめる音楽、作りたい。
「桃花がやりたいことなら、応援するよ」
だよね、と母さんが呼び掛けると、太一が「あー」と声を発した。
「なぁに、今日の太一、めっちゃ元気じゃん」
それから、わたしたちはもう一度「サウンド・ドラッグ」を聞いた。
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「みんなで聴くと、楽しいね」
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