泣きたいきみに音のおくすり ――サウンド・ドラッグ――

藤村げっげ

文字の大きさ
上 下
12 / 69
第2章 スプーン・ダンス

2-3 弟

しおりを挟む
  午後5時、自宅の鍵を開ける。
  ただいまと声を発しても、反応してくれる人はいない。
  玄関ドアの内側に入るとWi-Fiが反応して、わたしは水を得た魚になる。

  通学用カバンをソファに投げて、誰もいないリビングをつかつかと横切る。
  洗面台でハンドソープを乱暴にプッシュして、学校という魔界の汚れを落とす。

  自室のベッドに寝転んで、最新のSNSを漁る。
  Xの通知を開くと、予想外の文字が並んでいた。
  ――ぽめP さんがあなたのポストをいいねしました

  がばと起きる。背筋が伸びた。

「最近買ったものは何ですか?  #ぽめとおさんぽ」  
  見返すと恥ずかしくなるくらい、超くだらない質問。
  だけどぽめPは「ウォーキングマシンです」と丁寧に画像付きでリポストしてくれていた。

  「推し」と会話できちゃったってこと?
  わたしは予想外のプチハッピーに浮かれた。

  どうだ見たか、ひなの!  わたしだって推しと繋がれるんだぞ!

  それからもう一度スマホを見て――わたしはすんと冷静になった。

  何、喜んでるんだろ。わたしなんかが、ひなのに勝てるはずないのに。
  わたしはぽめPの素顔も、本名も、本当の性格も知らない。

  「推し」は女子高生の煩悩ぼんのうなんか届かないくらい、ずっと遠い存在でいてくれたのに。

  ガレージから車のエンジン音が聞こえた。
  窓から覗くと、母さんが車から弟の車いすを降ろすのが見えた。
  11歳の太一が、母親に車いすを押されて玄関に入ってくる。

「たー坊、おかえり」
「ねえね」
  特別支援学校の小学部に通う弟は「あー」とリラックスした声を出した。

「母さん、今日も太一にブレザー着せたの?  さすがに暑くない?」
「そうだけど、この子はじろじろ見られちゃうからね」
  母さんは太一の正面で屈み、羽織っていたブレザージャケットを脱がせた。
「私立の学校に通っているように見えた方が、太一にとっていいのかなって」

  実際には、太一の小学校に制服なんてない。
  それっぽいエンブレムと金属のボタンが付いたブレザーを着せるようになったのは、母さんだった。

    わたしは『ぴよ』を思い出し、心の中で舌打ちした。
  ――見えない障害が何だっていうの。

  脳性まひがある太一の下半身は内反足で、動きがぎこちない。
  表情は乏しいし、斜視でいつも視線がさまよっている。

  制服という「よろい」がないと奇異の目で見られてしまう弟。
  本人もわたしたち家族も、今までたくさん傷ついてきた。

「桃花、お弁当は?  お腹空いたでしょ。お惣菜、買ってきたよ」
  まつ毛が疲れの重さに耐えきれていなかった。
「うん、大丈夫。ありがと」
  わたしはとびきりの笑顔で答えた。
「お弁当箱、洗っておくね」

  菓子パンを詰めたお弁当は、母さんなりの愛情表現。
  「仕方ない」をポジティブに言い換えると「大丈夫」になった。

「ねえね、ぼうる、せんせ」
「今日も先生とボール遊びしたの?  よかったねぇ」

  太一は笑わない。
  だからその分、わたしが笑ってあげるんだ。

  お弁当箱の隅で、水の粒が縮こまっていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

足を踏み出して

示彩 豊
青春
高校生活の終わりが見え始めた頃、円佳は進路を決められずにいた。友人の朱理は「卒業したい」と口にしながらも、自分を「人を傷つけるナイフ」と例え、操られることを望むような危うさを見せる。 一方で、カオルは地元での就職を決め、るんと舞は東京の大学を目指している。それぞれが未来に向かって進む中、円佳だけが立ち止まり、自分の進む道を見出せずにいた。 そんな中、文化祭の準備が始まる。るんは演劇に挑戦しようとしており、カオルも何かしらの役割を考えている。しかし、円佳はまだ決められずにいた。秋の陽射しが差し込む教室で、彼女は焦りと迷いを抱えながら、友人たちの言葉を受け止める。 それぞれの選択が、少しずつ未来を形作っていく。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

食いしん坊な親友と私の美味しい日常

†漆黒のシュナイダー†
青春
私‭――田所が同級生の遠野と一緒に毎日ご飯を食べる話。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

秘密のキス

廣瀬純一
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

泉田高校放課後事件禄

野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。 田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。 【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

処理中です...