泣きたいきみに音のおくすり ――サウンド・ドラッグ――

藤村げっげ

文字の大きさ
上 下
8 / 69
第1章 難聴の薬剤師

1-7 歌い手

しおりを挟む
  ぽめ兄は壁にもたれて、目を閉じて歌に聴き入っていた。
「なんで泣きそうな顔、してるの?」
「だって……すごく良かったから」
  最後のピアノが鳴って再生が終わると、静かに拍手した。

「ミクさんが喜んでる。『楽しかった。ありがとう』って」
「えっと……こちらこそ、ありがと」
  恥ずかしくて、顔がぱっと赤くなった。
  パニックはいつの間にか落ち着いていた。

「ひなのちゃん、もし良かったらなんだけど」
  ぽめ兄は優しく微笑んだ。
「きみの声を、おれにくれないか」

  へ、と変な声が出た。
「どういうこと?」
「つまり、ぽめP専属の『歌い手』になってくれないか」
「えええ、無理無理無理!」

  わたしは手をぶんぶんと顔の前で振った。
「だってわたし、歌うの下手だし!  かわいい声じゃないし!  それに――」
  ずん、と心臓が重くなる。  
「障害が……あるもん」

「それでいいんだよ」
  ぽめ兄はわたしの右側で屈んで、目線を合わせた。
「障害があるってことは、他の人と違う音楽の楽しみ方ができるってことだろう?」

  ……あ。
  今気付いた。ぽめ兄がいつもわたしの右側から話してくれる理由。
  「半側空間無視」への配慮だけじゃない。
  きっと右耳の聴力が落ちたことで、左側に向かって話した方が負担が少ないんだ。

  わたしの右側にぽめ兄、ぽめ兄の左側にわたしがいる。
  わたしたちは、失うものばかりじゃない。
  地獄の底で再会したのは、きっと運命。


  廊下から、誰かが薬剤師を探す声が聞こえた。
  ぽめ兄が返事して立ち上がると、白衣の裾が膝元でひらりと揺れた。

「返事はゆっくりでいいよ。これはただのエンターテインメントじゃないからね」
「どゆこと?」
「聴くタイプのおくすり『サウンド・ドラッグ』の効果を調べる実験だよ」
「ええと、それはつまり……実験台になってってこと?」

  ぽめ兄はそういうこと、と笑った。
「きみとミクさんの声を組み合わせたら、すごい『おくすり』ができる気がする」

  効果を誰よりも実感しているのは、今のわたしだった。
  ぽめPの曲は脳にすうっと入り、歌うと心がとても落ち着いた。

  ぽめ兄は「じゃあ、またね」ときびすを返した。
  とっさにその背中に待って、と呼び掛ける。

「『音のおくすり』、ありがとう!」
  どうしても伝えたかった。
「好き、好き!  大好き!  ぽめ兄も!  ぽめPも!」

  ぽめ兄は一瞬動きを止めて、振り向いた。
  ふふ、と笑うと、きらきらと瞳が輝いた。

「ボカロが薬になるって、おれたちで証明しよう」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~

kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

【完結】ぽっちゃり好きの望まない青春

mazecco
青春
◆◆◆第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作◆◆◆ 人ってさ、テンプレから外れた人を仕分けるのが好きだよね。 イケメンとか、金持ちとか、デブとか、なんとかかんとか。 そんなものに俺はもう振り回されたくないから、友だちなんかいらないって思ってる。 俺じゃなくて俺の顔と財布ばっかり見て喋るヤツらと話してると虚しくなってくるんだもん。 誰もほんとの俺のことなんか見てないんだから。 どうせみんな、俺がぽっちゃり好きの陰キャだって知ったら離れていくに決まってる。 そう思ってたのに…… どうしてみんな俺を放っておいてくれないんだよ! ※ラブコメ風ですがこの小説は友情物語です※

執事👨一人声劇台本

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
執事台本を今まで書いた事がなかったのですが、機会があって書いてみました。 一作だけではなく、これから色々書いてみようと思います。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

鷹鷲高校執事科

三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。 東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。 物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。 各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。 表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...