泣きたいきみに音のおくすり ――サウンド・ドラッグ――

藤村げっげ

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第1章 難聴の薬剤師

1-2 ボカロ

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  入院から3日が経った。
  迅速な胃洗浄と投薬のおかげで体調が安定し、わたしはICU(集中治療室)から一般病棟の個室に移っていた。
  
  両親は毎日お見舞いに来てくれた。
  ふっくらとしていた顔がやつれ、寝不足の目が充血していた。
「辛い思いをさせてしまったね。ごめんね」
「ううん、わたしこそ」
  互いに、申し訳なさで顔が見れない。

  気分が晴れるはずない。

「誰にも会いたくない」
「学校にも行きたくない」
  ネガティブで空虚な言葉が積み重なる。

  それでもぽめ兄は、病室を訪れるたび話に付き合ってくれた。

  どうして話を聞いてくれるの?  どうして何も言わないの?
  ねえ、もっとここにいてよ――。
  心の中で、存在がどんどん大きくなっていく。

  午後、新しい内服薬の説明に来たぽめ兄に問いかけてみた。
「ねえ、知ってるんでしょ?  その、わたしが――高次脳機能障害だってこと」

  高次脳機能障害。
  病気やケガで脳の一部が損傷し、記憶や言語、注意障害などが起きた状態のこと。
  外見では分からない「見えない障害」。

「ねえ、聞いてるの?」
「ん?」
  ぽめ兄は床頭台で資料を広げていた手を止め、わたしをじっと見た。
「ごめん、集中してた。何だって?」
「だから……わたしのこと、障害があるって知ってるんでしょ?  って話」

  ああ、と穏やかな声が病室に響いた。
「もちろん知ってるよ。それでも、ひなのちゃんは、ひなのちゃんだよ」

  そう言ってベッドの横に回り込み、わたしの右側で屈む。
  半側空間無視――脳の損傷によって、空間の片側に注意が向けられなくなる症状――への配慮なのかもしれない。
  わたしに目線を合わせてゆっくり話し、安心できる環境をつくってくれた。

「そうだね……少し、変化はあったかもしれない。でも、おれの中では、久しぶりに会えた嬉しさでいっぱいだよ。大人になったね、ひなのちゃん」

  思いがけない言葉に頭が「?」で満たされて、「!」に変わった。
「ほ、ほんとに!」

  数日前まで絶望の淵に立っていたのに。
  ぽめ兄に出会ってドキドキしているわたし、単純なんだろうか。
  もっと話していたい。何か話題は――。

  とっさに枕元に置いていたスマホを手に取る。
  Youtubeの履歴に残っていた、大切な曲。
「これ。わたし、これが好きなの!」

  再生数1500万回を超える人気ボカロ曲「ゲートキープ」。
  ぽめ兄は画面のタイトルを見て、目を見開いた。
「あぁ……この曲、おれも好き。切ないけど、力強くてかっこいいよね」

  ぽめ兄はボカロ――VOCALOIDやCeVIO AIなど音声合成ソフトウェアを使用した楽曲――に詳しかった。
  最近は吉田夜世の「オーバーライド」が人気だよねとか、原口沙輔の「イガク」は不気味さがいいよねとか。
  わたしが挙げた曲なら全て知っていた。

「みんな好き。でもやっぱり『ぽめP』が一番」
  一瞬の沈黙が流れた。わたしは構わず話し続けた。
「音のおくすり『サウンド・ドラッグ』っていうシリーズ、好き」

  ぽめ兄が何か言いたそうに視線を泳がせた。
  そのとき、胸元の内線ピッチが鳴った。誰かに呼び出されたようだった。

「ごめん、おれ、もう行くね。また話そうね」
  申し訳なさそうに言った。
「よかったら今度、『ぽめP』のおすすめ曲を教えてよ」
「らじゃ」

  希望の光だった。
  病室で暇を持て余していたわたしにとって宿題ができたのは、喜ばしいことだった。
  
  「ぽめ兄」に「ぽめP」のお気に入りの曲を伝えよう――。

  わたしはバッグから意気揚々とメモ帳とシャーペンを取り出し、ガリガリと汚い字で「ぽめぴー、さうんどどらっぐ」と書いた。
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