花魁鳥は夜に啼く

北大路美葉

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第八話「決意」

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 中津國《なかつくに》——現世へ戻ってきた五人の中学生たちは、暫しの休憩と食事ののち、阿吽《あうん》の二人から話を切り出された。
「つきましては我々より皆様へご提案がございます」
「エトピリカとしての実地研修を行いたいと考えるのですが」
 次に尸澱《シオル》が出現した晩に集まって、空子《そらこ》たち三人の戦闘訓練を行おうという話である。
 継続して尸澱どもと闘い、被害を食い止めてくれている仲間がいる。そのことを知った以上、協力を惜しむ空子たちではなかった。初戦で辛勝したとはいえ、戦闘はほぼ未経験である。自分達自身が強くなり、暴れる亡者を食い止めて、第二第三の大地を出すまいぞと、強く思った。
「それではお三方とも」
「エトピリカに復帰していただけるのですね」
「大変助かります」
「ありがとうございます」
「別に、あんた達や、あの世の国の為じゃねえよ」
 深々と頭を下げる阿吽たちをきつい目つきで睨みつけ、景《けい》は低い声で釘を刺した。
「人が幽霊に襲われるのを防げるなら、あたしらがボランティアしてやるっつう意味だからな。そこんとこを、履き違えてくれんなよ。いいな?」
「そうですよ。これは私たちの厚意からくる働きであることをお忘れなく」
 琴律《ことり》も厳しい口調でぴしゃりと言い放った。
「もちろん、学業優先ですよ。それと、前のときみたいな判断ミスは赦しません。貴郎《あなた》たちの所為《せい》で危険に晒されることがあれば、即刻させていただきますから。私からはそれだけです」
「はい」
「心得ております」
 阿吽は気圧されたような面持《おももち》で、言葉を接《つ》ぐ。
 蓬莱《ほうらい》姉妹は快く研修の手伝いを引き受け、お手本としての役を買って出た。
「どうせ、夏休みは暇だしね!」
「姉さま。来年は受験生でしょ」
「うん! 来年だよ! だから大丈夫!」
 妹に呆れ顔をされながらも、萵苣《れたす》はからからと笑った。
「ところで蕃茄《とまと》! 私ら、どうやって帰ろうか!」
「えっ」
 ふと気付いてみれば、蓬莱姉妹は下着姿である。
「はっ! エトピリカの変身を解いたら、服は無くなってしまうんでしたか!?」
 琴律が妙に上擦った声を出した。
「いいえ。そうではなくて」
「変身する前に、私らがこんな格好だっただけだよ!」
「油断していた。変身を解く予定は無かったから」
「あ……」
 景が決まりの悪い顔をした。鬱陶しいから変身解除せよと命じたのは、景である。
「しゃあねえ。あたしの服着て帰れよ」
 責任を感じてか、クローゼットから適当な服を引っ張り出して、姉妹に投げて寄越す。ほぼ飾り気はないが、すっきりとしたシャツやハーフパンツの類である。
「ねいちゃんの方は、ショーパンで帰れるか?」
「うん! 大丈夫だよ!」
「なんか、悪かったなあ」
「こちらこそ。借りた服は今度会う時に返すから」
 景と姉妹が、揃って互いに頭を下げる。その様子を見て、琴律がくすくす笑った。
 景に手を振って家を出、蓬莱姉妹らや琴律とも別れたあと、空子は手に持ったビスケットをかじりながら、午前二時の空を見上げた。夏の夜は暗かったが、汗ばむほどに暑い。——空の天《あま》の川《がわ》で泳げたらいいのになぁ、と空子は思った。
 友達が増えた。しかもその子たちは、同じ秘密を共有し、同じ敵を相手に共闘してくれる、頼もしい仲間だ。
 そうだ、独りで頑張るんじゃない。みんなも同じで、自分と一緒にやってくれるんだ。——それを考えると、空子はこの一年で喪いかけていた“自分”が、少しずつ戻ってくるような感慨を覚えるのだった。
(大ちゃん。お姉ちゃん、頑張るよ。大ちゃんが生きられなかった分まで生きて、楽しくやってくよ。だから、見てて。お姉ちゃんが頑張るとこ、空から見ててよ)
 真っ黒な空の向こうへ果てしなく視線を送ろうとするかのように、空子はじっと天を睨んだ。
 そして帰宅するなり、泥のように眠った。



 空子たちと蓬莱姉妹が出会ってから、一週間が経った。この間に五人は昼夜を問わず度々集合し、ささやかな茶会や外食を伴った会合を開いていた。
 年齢学年がほぼ同じ女子同士の話題が尽きることはなく、大きな秘密を共有する間柄での友情はすぐに深まった。
 ときに阿吽がその仏頂面を見せに来ることはあれど、尸織《シオル》の出現を告げられることは一度もなく、五人は穏やかな夏休みを満喫していた。

「あたしの部屋、すっかり溜まり場にしちゃったなあ……」
 ある夜。エトピリカである五人は例によって景の自室に集合し、冷えた蕨餅《わらびもち》を肴に冷えた麦茶を流し込んでいた。
 部屋の主《あるじ》である景は、呆れ顔で来客たちを眺めつつも、何くれとなく菓子類やら飲料やらを提供する。皆が——とくに空子が——よく食べ、よく飲んだ。
「——皆様方にはこれも告げておかねばならないのですが」
 阿形が宙に浮かび上がり、指で大きな枠を描いて、映像を流しながら説明を始めた。
「生前の身にて私共に協力をいただきエトピリカとして戦っていただくこと」
「そして尸澱を鎮め黄泉《よみ》へ帰していただくこと」
「これら活動の功績が私共根之堅州國ねのかたすくににて認められれば」
「天津國《あまつくに》への入定《にゅうじょう》が保証されます」
「あ——あまつくに?」
「なんか、聞いたことがなくもないような気がせんでもない、感じだなあ」
 次々と出てくる非日常的単語に、空子も景も着いてゆくのがやっとの様子である。
「言うなれば極楽安養浄土《ごくらくあんにょうじょうど》」
「スカーヴァティ」
「ヘヴン」
「エーリュシオン」
「アースガルズ」
「デーヴァローカ」
「アアル」
「土地民族や宗教によって様々な呼び方をされるようですが」
「いずれも死後の安寧を得られる処の名でございます」
 くどくどと饒舌なミニハンサムたちの口調はひどく堅苦しいが、声の響きが良いため、耳障りにはならなかった。
「ええと……死んだら天国へ行けるってこと?」
 つまり、今後よほどの悪事を働かない限りは、死後は天津國《あまつくに》へ迎え入れられ、安息を得られるのだという。
「——死んだ後、っつうのが、なぁ」
「そうですね。地獄が実在して、そこに堕ちないことが約束されただけでも、ありがたいことなんですけど……」
 この瞬間を実際に生きている中学生らにしてみれば、やはり生きているうちに謝礼が欲しいのが人情なのだった。
「ま、いいよ。別にあたし達も、お給料が欲しくてやるわけじゃないしね」
 空子が薄っすらと笑いを浮かべながら、そんなことを言う。
 景と琴律は、その見た目に似合わぬ大人な返事を聞き、頼もしさと、一抹の寂しさを募らせた。同年齢ながら、小柄さから“やんちゃな妹分”という目で見ていた空子が、なにやら聞き分けの良い事を言っている様子は、ほんの少しだけ自分たちよりも大人に見えた。
「無論エトピリカとしての活動中にもサポートは多岐に亘ります」
「根之國にご協力いただきイオマンテを成功させたとなれば」
「こちらの勾玉《まがたま》が手に入ります」
 景と琴律の眼前を阿形が飛び回ると、鱗粉のような光の粒が舞い、きらきらと集まって形を成した。硬質の鉱物の触れ合う、ちり、という微《かす》かな音とともに、二人の掌上に飴のような玉が落ちた。
「あっ——」
 空子が声をあげる。一週間前に目にした勾玉とは、また違った色味と模様の玉であった。
「あら。可愛らしい」
「へーっ……」
 琴律と景も、その涼しげで鮮やかな玉に見入る。
「なあ。手に入るって、どういうことなんよ」
 景の問いを受けて、空子が口を開いた。
「ごめん、ずっと忘れてたっ」
 空子は短パンのポケットを探り、勾玉を三つ取り出す。
「これこれっ。助けてもらったときに、貰ったの。二人の分もだよ」
 空子の手のひらに乗った小さな玉をまじまじと見つめ、景と琴律はぽかんと口を開いた。
「えっ、頂けるんですか」
「お、おおおう……」
 見た目や趣味の全てがフェミニンな琴律ばかりか、どちらかといえば男子生徒に近い振る舞いを好む景すらも、室内灯に煌めく宝玉に目を奪われる。
「えっと、尸澱《シオル》だっけ。お化けを倒したあとにね、地面に手を突っ込んだら、出てくるんだよね」
「え、何だそれ。掘るってこと?」
「下がアスファルトとかコンクリートとかだと、苦労しそうですね……」
 怪訝な顔をする二人に蕃茄が向き直り、
「私達にも。仕組みはわからないのだけれど。尸澱を倒した後の地面に手が吸い込まれるの」
 肩掛けのポーチから自分の勾玉を取り出しながら説明を続ける。
「なんじゃそりゃ」
「これは、やってみないとわかんないかもね!」
 萵苣も笑いながら、携帯ストラップを掲げて見せる。鴇色《ときいろ》の勾玉がきらきらと揺れた。
「で、これって、集めてどうすんだ?」
 天井の蛍光灯にかざして見ながら、景が問う。
「はい」
「こちらをご覧くださいませ」
 阿吽が映像を流し始める。
『第六部・勾玉《まがたま》について』
 メイド服を着込んだ女性——根之國の受付嬢であるヰ《い》子が、今度は両手に勾玉を携えて現れた。
「わ、ヰ子さんだ。元気かなあ」
「相変わらず可愛らしい御召し物。洋装もお似合いですね」
『エトピリカである皆様が尸澱を倒すと、地面から手に入る勾玉。この勾玉は、霊珠と同じく、死者の“念《ねん》”で出来ています。変身に用いる霊珠が土地土地に浮遊している“念”を抽出したものであるのに対し、勾玉は一度蘇ろうとした尸澱の“念”が、イオマンテにより浄化されたものです』
 ヰ子が、勾玉の一個を此方へ近づけた。玉が画面いっぱいにアップになる。
『元々こうして穴が空いていますので、お気に入りの玉は、飾りとして持ち歩かれても構いません。イオマンテの見返りとして、エトピリカを守護してくれる御護《おまも》り——英語でいうところのチャーム、或いはアミュレットのような意味合いもあるのです』
「ほー」
 空子たちは映像の説明を聞きながらも、光を細かく反射して輝く勾玉から目が離せない。
『既にお気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、古来勾玉とは、欠けた太陰《つき》、人の魂、そして産まれる前の胎児を模して造られているものです。禁を冒し、黄泉がえりを目論んだ仮初《かりそめ》の肉体を破壊したときに遺《のこ》るもの。それは、新生児の形をしているのです』
「なるほど……」
 感心頻り、という顔で琴律が頷いている。
『そしてもうひとつ。イオマンテを繰り返し、勾玉を集めていただくと、それだけ亡者の“念”に触れたことになり、エトピリカとしての特典、つまりアップデートを享受いただけます』
「ん? アップデート?」
「特典?」
 予想し得ない展開に、空子と琴律が同時に声をあげる。なんだか、急に世俗的な話になってきた。
「これを集めたら、お皿でもくれんのかよ……」
 景も呆れた顔で、画面に向き直る。
『尸澱を倒すことで手に入る勾玉にはそれぞれ等級があり、それに見合った価値に換算されます。より凶悪な尸澱を成仏させれば、良い勾玉が手に入り、それだけ価値の高い特典が得られます。皆様は皆様自身のご活躍により、成長されるということです』
「ははあ——RPGでいうところの、お金や経験値みたいなものですね」
 琴律がひとり分かったような顔で頷く。
「複数人数で闘えば均等に分与される点も同様でございます」
 またえらくゲームめいた話になってきたものだ、と景は複雑な心地になってきた。
『貯まった勾玉の用途は様々ございます。皆様ご自身が不要と判断された場合は、根之國に返還するため、阿吽にお渡しいただくことができます。それにより私共から見返りとして、物質的サポートも差し上げられるのです。例えば装備をより強力なものに替えることもできます』
 ヰ子は、様々な防具を取り出して見せる。
 阿吽も負けじと補足説明を加える。
「景様であれば手甲《テクンペ》」
「琴律様であれば脚絆《ホシ》」
「そういった専用装備の攻撃力守備力をより強化していただけます」
「また攻撃手段を増強することも可能でございます」
「萵苣《れたす》様などは遠距離からの射撃能力を増備しご利用なさっておいでです」
「ふゃ!」
 急に名前を持ち出され、口を半開きにしていた萵苣が、飛び起きるように姿勢を正した。半分眠っていたのか、口元には涎の跡が残っている。
「姉さま。寝ていても良いから」
 妹に背中をさすられた萵苣は、再び目を閉じて真横へ倒れ込んだ。蕃茄の細い腿に頭を載せ、そのまますうすうと寝息をたて始める。
『攻撃の効率を考えればポイントを消費された方が良い場合もありますから、いろいろ選んでみてください』
 画面のヰ子は、見るからに凶悪な武器防具をメイド服の上から纏い、微笑んでいる。
「ってことは、あたしらも強くしてもらえる訳か?」
「おー。そいつは助かる」
 景と空子は手を打って得心するが、琴律はやや渋い顔をする。
「それは——結局、戦闘に役立つ能力を追加される、ということなのですよね」
「はい」
「琴律様の仰有るとおり」
「より効率的に尸澱を退治できますよう」
「私共根之國よりお贈りする——というよりも」
「エトピリカでいらっしゃる皆様ご自身が」
「死者の念に触れることで身に付けられるスキルでございます」
 琴律は瞼の上から疲れた眼球をマッサージしながら、低い声を出す。
「——そうなると……よりそちら側・・・・に踏み込んでしまうことになりやしませんか」
「……」
「……」
 得意気な顔で説明をしていた阿吽が、真顔で黙り込んだ。
 両目を押さえたままの琴律を、空子が見上げる。
「なに? どういうこと?」
「私たちはなにも、闘いたいから闘うわけではないんですよ」
 琴律はゆっくりと目を開き、阿吽を見据えた。
「エトピリカになって闘いを重ねることで、どんどん暴力が上手になってゆくだけなのだとしたら——それって手段が目的化していませんか?」
 阿吽は揃って咳払いをした。
「我々はあくまでも戦闘時の効率を高め」
「負担を低減し皆様の働きに還元しようと——」
「それは分かっています。ただ、命懸けの闘いに勝った見返りが、次から・・・より効率よく闘えるようになる、というのは如何なものでしょうか」
 阿吽は深々と頭を下げた。
「それを言われてしまいますと」
「我々は何も申し上げることができません」
「イオマンテとそれに附随する諸々のサポート」
「それが我々阿吽の役目でございますゆえ」
 琴律は喟《ためいき》を吐《つ》き、空子と景の方を見る。
 ぱきぱき、と乾いた音を響かせて、景は首を捻った。
「別に良いんじゃねえ? あたしらが幽霊をうまいことぶっ倒して成仏させれば、襲われる人が減るんだろ。で、その効率が上がるってんだから」
 景も阿吽に向き直る。
「なあ。パワーアップするのって、攻撃が強くなるだけなんか? ガードも強くなんの?」
「左様でございますね」
「強化いたしますのは装着していただく防具でございますので」
「当然守備力は高まることになります」
「なるほど。安全面も高まるわけだな」
 景は大きく頷き、空子の肩に手を置く。
「なあ、コト。そんな、難しく考えることじゃねえって。ボランティア活動なんだからよぉ。あたしたちに、是非にって頼まれたんだから、やってやろうぜぇ」
「——夏海さん。あの時のこと、憶えてますか」
「え?」
 琴律は肩の手に自分の手を重ね、景の目をまっすぐに見る。
「あの、橋姫さんと闘った時です。すごく暴れたくなって、たまらなかったでしょう」
「う……」
 景は怯んだように、少し身を仰け反らせた。それは確かに、事実であった。
「あの時の私は、敵である橋姫さんにどんな非道《ひど》いことをしてやれるか、そればかりを考えて闘っていました。夏海さんは、違いますか」
「分かんねえ。憶えてねえ。けど……そう、だったかもな」
「私、そういうのが怖いんですよ。変身している間とはいえ、暴れて敵を傷めつけるのが、とっても気持ち良くて、すごく楽しくて、どんどん攻めたくなる。自分が嗜虐主義者《サディスト》になってゆく」
 饒舌な琴律に気圧され、景は何も言えない。
「上手にできることは、次へ次へと進みたくなる。子供の成長だってそうでしょう。歩行や言葉がうまくなれば、褒められて、上手になってゆくんです。そうやって、だんだん闘いに取り憑かれてゆくように差し向けられている——というのは、私の邪推ですか? 阿吽さん」
「……」
「……」
「他の生物は知りませんけど、少なくとも人類がここまで数を増やし繁栄したのは、繁殖活動が強烈な快感を伴う——端的にいえば、性行為が気持ちいいからでしょう。それと同じです。気持ちいいから、いくらでもしたくなる。自然にそうなるよう、仕組まれている。そう思われてなりません」
 琴律の口調はどんどん熱を帯びる。
「闘うこと自体が楽しいなんて、一番いけないことだと、私は思うんです。あの夜、私たちが墓場まで走って、変身して闘ったのは、闘いたかったわけではありませんよ。大ちゃんを助けるためだったんです。その事は貴郎《あなた》たちだってご存知でしょう?」
「でもさ。その力で、悪いやつをやっつけられるんだよ。それって、良いことなんじゃないの」
 黙って話を聞いていた空子が、アイスをかじるのをやめて、口を挟んだ。
「闘っていくうちに、それに慣れてってさ、パワーアップもしてくれるってことじゃん?」
「闘いに慣れる、ということ自体が、私は厭《いや》なんです」
 琴律は空子を後ろから抱き、目を伏せた。
「闘いで死ににくくなる、というのはとても良いことだと思っています。ただしそれは、私たちが亡者と闘って死ぬ可能性があることが前提の話ですよね。闘わなければ死なないわけですから」
「死んでから、天国に行けるって云うよ」
「死んでしまったら、終わりなんですよ」
「——龍泉寺《りゅうせんじ》さん」
 琴律と空子が言い合うところに、蕃茄が口を挟んだ。二人は少し驚いて、蕃茄の顔を凝視する。空子の手から、溶けたアイスの欠片がこぼれて落ちた。
「あなたはとても優しい。人を傷つけることをとても嫌っている。もちろん。私達も好きなわけじゃない。でも。さっき姉さまが言ったように。尸澱を——生き返りたがってる死人を。居るべき処へ還すだけのことなの。生きた人に暴力を振るうわけじゃない。分かってほしい」
 お世辞にも話上手とは言えないタイプの蕃茄が、辿々しいながらも精一杯喋っている。
「私は。尸澱たちに対して。ごめんね。あなたはここにはいられないの。帰ってね。と心でお願いしながら闘ってきたの。乱暴を楽しんでいるみたいに。言わないで」
 そう言ったまま、蕃茄は顔を伏せて俯いた。背中が少し震えていた。
 後半は弱々しく消え入りそうであったが、蕃茄の言葉は確かに、琴律たちにも届いたようであった。
「……貴女方の気持は分かりました。ありがとうございます。顔を上げてください」
 蕃茄の肩を抱き、琴律は微笑む。
「——それでは皆様」
「続きをご覧くださいませ」
 再びパネルに映像が映し出される。今度もメイド服姿のヰ子が現れ、丁寧に頭を下げた。
『根之國にご協力ありがとうございます。エトピリカとして活躍してくださる皆様に、お仕事内容についてのご案内です』
 イージーリスニング調の音楽も流れており、場違いな雰囲気が漂い始める。
『第七部・尸澱《シオル》ってなあに?』
「なんでしょう、このノリは……」
「ガキ向けかよ」
「こんなの、私らの時には無かったよね!」
「あれから。慌てて作ったとしか思えない」
「ねえねえ。このヰ子さんとかも、元は死んだ人なのかにゃー」
 少女たちは、銘々に口を開く。
『お亡くなりになった方々は、皆様、“道反《ちがえし》の岩戸”をくぐり、“黄泉比良坂《よもつひらさか》”を上《のぼ》りまして、ここ“根之國《ねのくに》”までおいでになります。根之國は、ヘブライ語でいうところの“ハデス”、つまり裁きを待つ中間状態で置かれるところです。閻魔大王《えんまだいおう》の裁きを受けられた後、残念ながら黄泉國《よもつくに》へ逝《ゆ》かれることになってしまった方は、どなたもが定められた期間、科《か》せられた罰をお受けいただき、功徳《くどく》に励んでいただくことになっております。与えられる罰に耐え、しっかりと徳を積まれた方は、生前・死後の記憶をデリートされ、肉体をリカバリされ、再び新生児としてリブート。中津國に生まれ直すことができます』
「言葉が難しいー」
 空子が眉をハの字にして琴律の顔を見る。
「そうかもしれないですね……後でまた、教えてもらいましょうね」
「あー、分かるとこだけ聞いてろクウコ。あたしも分からんわ」
「専門用語が多いよねー!」
「でも姉さま。難しいのは。ほとんど地名とか固有名詞。内容はそこまで複雑ではない」
 続いて、蓬莱姉妹も騒ぎ出す。
「私、今聞いた中で、ひとつ伺いたいのですけれど」
 琴律が手を上げて口を開いた。
「はい」
「どの部分でございましょうか」
「死後の閻魔大王の裁きというのは、どのような制度なんですか?」
「閻魔《えんま》裁《さば》きについてでございますか」
「閻魔大王は、生前の罪が軽いか重いか、という点で、亡くなった人たちを篩《ふるい》にかけてゆくのですよね」
「はい」
「左様でございます」
「その、大王と呼ばれる方ひとりが、あらゆる人を裁くのですか。まったく民主的ではないのですね」
「それについては仰有るとおりでございます」
「私共はそもそも民主主義を目指してはおりませんし目指す必要もないと考えております」
「王が独裁に徹し、民もまたそれを支持していると? 選挙制でもないのですよね。……それはまた、どういう了見なんですか?  人が人を裁く以上は、民主主義の名のもとに平等でなければ、成り立たないのですよ。そんなのは、法治国家ですらありません。恐怖政治、洗脳政治と断罪されても仕方のない思想じゃないですか!」
  琴律は眉間に皺を寄せ、阿吽に詰め寄る。
 横で聞いている景は、また始まった、と呆れ顔である。
 少しでも納得いかないことに対しては、自身に直接関係なかろうが、半ば面白がって、喧嘩腰で突っかかる。琴律の、悪い癖であった。
「コトよぉ。そんな、よその国のことなんて、どうでもいいだろ……」
「死んでから、私たち自身のことになるんですよっ」
 鼻息荒く、琴律は阿吽に向かって激する。
「琴律様」
「我々の言葉が足りませんでした」
「閻魔大王という名はあれど」
「それは擬人化された合わせ鏡の概念なのです」
「——え? なんですって?」
「浄玻璃《じょうはり》の鏡の前に立ち生前の己を顧みる」
「己の冒した罪は己こそが知っています」
「己の罪を悔いて責めること」
「云うなれば罪の自己申告制」
「それこそが閻魔の裁きなのです」
 琴律は拍子抜けしたように何度も瞬きをする。
「ええと、それは——自分自身を裁く、ということ、なのですか?」
「仰有るとおりです」
「冒した罪をご自身で思い起こしていただくこと」
「閻魔裁きとは」
「亡くなった皆様の心に委ねられているのです」
 琴律は話を聞きながら、綺麗な眉根を寄せる。
「それでは、自分は地獄へ堕ちたくない、堕ちるまでもない——と勝手に自己判断する方もおられませんか……?」
「左様でございますね」
「人の世には“恥の文化”というものがございます」
 吽形は再度パネルを作り、映像を流し始める。特徴のない顔の男女が、破り、犯し、盗み、殺しといった、様々な悪事を働く様子が次々と映し出されて、流れてゆく。
「これは各人の宗教観や道徳観念によっても異なるのですが」
「人は死んだからといって個々人《ここじん》の性質が変わるものではございません」
「実は人の振る舞いにとって神や仏という絶対無辺の存在が強く意識されることは少ないのです」
「人が最も強く意識するのは世間の目です」
「多くの人の目に晒されていることを常に意識して生きてゆきます」
「それは死後も当然続きます」
「人が本当に怖れるのは神や仏の目ではなく人の目であり人の口です」
「他人に笑われたくない」
「己の恥を世間に晒したくない」
「つまり道義的に正しいかどうかで振る舞いを決めるのではなく」
「世間がそれをどう思うか想像することで」
「人は己の心をも決めることができるのです」
「“厚顔無恥”などと雖《いえど》も恥は恥」
「恥知らずな振る舞いは」
「それこそ己が一番よく知っております」
「——だから、罪深い人は自ら地獄へゆくと?」
 琴律はまだ怪訝な顔をしている。
「はい」
「己を騙して極楽浄土へ行ったとしても」
「必ずどこかにすっきりとしない気持が残るものです」
「そのような気持を抱えたまま五劫永劫を過ごすようなら」
「黄泉國《よもつくに》にて罰を受け功徳を積み」
「生まれ変わってやり直すことを選択する者がほとんどでございます」
「ふうん……そんなもんかねぇ」
 景が目を閉じ、自分の顎をさする。
「ちなみに」
「あの橋姫《はしひめ》も鏡の前で己の生き方を悔いて」
「自ら『天津國《あまつくに》へは行けない』と述《じゅつ》しておりました」
「えっ」
「マジか」
 琴律と景が、一緒になって声をあげた。
「それは、私たちと闘った後ですか」
「いいえ」
「二百年ほど前」
「橋から身を投げた直後でございます」
「尤《もっと》も自ら命を絶った者は無条件で黄泉へと送られることになっておるのですが」
「そう……なんですか……」
 琴律が呟き、遠山の眉《まみえ》を寄せたまま、押し黙った。空子たちも、なんとなく黙ってしまう。
 萵苣が雰囲気に耐えきれず、所在無げに頭を掻いた。
 琴律がふうっと息を吐き出し、目を伏せたまま呟いた。
「……私は、自分の生き方の善悪なんて、到底つけられません……。基準も分かりませんし、自分の生き方を肯定するのも否定するのも、烏滸《おこ》がましいように思われて——」
「琴律様」
 阿吽が声を揃える。
「そもそも人の為す物事に」
「逐一《ちくいち》善悪の区別など付けていては」
「切りがございませんよ」
「——何ですって?」
「人にはそれぞれ事情というものがございますゆえ」
「ただひとつ」
「誰かの生命《せいめい》を故意に断つこと」
「それが私共の定義いたします唯一絶対の“悪”でございます」
 琴律が顔を上げた。
「——随分と、悪事のハードルが低いのですね」
 琴律は困ったような顔で笑い、阿吽を交互に見遣る。
「そう思われますか」
「 確かにひと言で悪事と申し上げても様々ございますが」
「そうでもなければほぼ全ての方が黄泉國へ堕ちてしまいます」
「先程も申し上げましたが」
「己を顧《かえり》みて恥じることができるか」
「肝要なのはその点でございますよ」
「もちろん人を殺すことは絶対の“悪”です」
「中でも最悪の殺人というのがございまして——」
 その言葉を聞いて、再び琴律が眉を釣り上げた。
「阿吽さん。それはおかしいんではないですか。人の命は平等ですよ。殺人にランクなんてありますか!」
「はい」
「明確にございます」
「え……?」
 琴律は目を瞬《しばたた》かせる。
「自ら命を絶つこと」
「自死自殺こそが最低最悪の殺人です」
「与えられた生命の否定」
「つまり両親をはじめ祖先累代をすべて否定することになるのです」
「それが罪でなくて何でしょうか」
「——事情があってもか?」
 しばらく黙って話を聞いていた景が、ぼそりと口を挟んだ。
「事情でございますか」
「それは 確かに様々ございましょうが」
 阿吽は揃って目を閉じた。
「んー、例えば、例のネエチャンみたいに、いろいろ辛《つら》くて我慢できなくて、自殺しちゃった——とかさ」
 小難しげな話が続き眠そうな様子であった空子も、神妙な顔付きで会話に参加する。
「治せない怪我や病気で、目の前で苦しんでて、可哀想だから楽にしてあげるとか……」
「その事情を含めて悪であることを飲み込まねばなりません」
「自ら死ぬほどの勇気があるなら」
「尚更《なおさら》生きてゆかねばなりませんし」
「必ず生きてゆけます」
「先ほど琴律様の仰言いました通り」
「生きることは」
「全ての生命に等しく与えられた権利でございます」
「それを勝手に断つ権利など何者にもあるはずはございません」
「生きるために動物を殺して食べる」
「害虫を駆除する」
「それらもみな罪ではありますが」
「犯さねばならぬ罪でもあります」
「原罪という言葉がございまして」
「——げんざい?」
 空子が首を傾げる。
「二千年ほど前に作られた概念でございます」
「生きているだけで罪を背負っているという考え方でございますね」
「あまねく動物は他の生き物の生命を断たねば生きられません」
「物を食い活動のエネルギーを得るということ」
「それは他《た》の生命《せいめい》を取り込むということ」
「旨いものをむしゃむしゃ食うというのは」
「自分以外の生命を途中で終わらせ」
「その生命を自らのものにするということでございます」
「それは自らの生命をつなぐためにしなければならぬことでもあります」
「それは大きな喜びであると同時に」
「罪でもあるのです」
「うーん」
 誰よりも“食”を楽しみにして日々を生きている空子は、複雑な顔をして腕組みをする。
「——空子様」
「そのように難しくお考えにならず」
「成長期である皆様が沢山お食べになることは何の罪でもございませんよ」
「その身を与えてくれた生命に対する感謝さえ忘れなければ」
「お好きなだけ召し上がって宜しいのです」
「うんっ」
 空子は大きく頷き、安心した様子で手元のアイスにかぶりつく。
「話も逸れました」
「研修ビデオが途中になってございます」
「どうぞ続きを」
 阿吽がやや遠慮がちに声をかけた。
『——ところが大変残念な事に、中には素直に役《えき》に服してくださらない方もいるのです。そういった中には、生者の住まう中津國《なかつくに》に戻り、徳を積むことなく生き返ることを望む方もいます。私共は、そういった方を“尸澱《シオル》”と呼んでいます。エトピリカになられた皆様に鎮めていただくのは、これら尸澱です』
 背景の映像では、死装束を纏った男女が大勢で足掻き暴れる場面が流れている。案内役のヰ子は、活字の書かれたフリップを手にしながら説明を続ける。
『そして、女性の尸澱の中には時折、仮初《かりそめ》の肉体を作り上げ、中津國に現れるものがおります。我々はこれを、醜女《シコメ》と呼んでいます』
「——実はこういった例は過去に幾度もあるのですが」
「これがどういうわけか女性だけなのです」
 阿吽が口を挟む。
「私共でもそれについては解明できておりません」
「恐らくはエトピリカと同じような理屈なのでしょう」
「むしろエトピリカ自体が尸澱と同じ力を利用して変身し闘うものでございますゆえ」
「——ははあ、なるほど」
 景が腕組みをしたまま阿吽を見上げ、口を開いた。
「それで一年前のあの時、あの女は霊珠を使えたんだな?」
「ご明察です」
『古来から幽霊と呼ばれるものは、尸澱が生前に近い姿で現世に現れたところを、目撃されたものなのです』
 ほー、と感心したように空子が声をあげる。
『多くの尸澱は肉体など持ち得ないため、動物の死骸などに入り込んで人を襲い、その肉を食べて採り込もうとします』
「あっ。先週のあのとき、あたしのこと襲った奴って——」
 空子が琴律の膝から立ち上がった。
「そうだよ!」
 萵苣がグリーンティを飲み干して、グラスを置く。
「あのときは、死んだ猿を見つけて、入り込んでたんだよ! それで、クウコちゃんを食べてやろうとしてたんだね!」
「ついでに。その辺の狐に骨を与えて。手下みたいに使ってた」
 蕃茄も静かに口を出す。
「はー。あれって猿がボスで、狐が家来だったんだ」
 うんうんと頷き、空子は再び琴律の膝に座った。
「それでは——」
 琴律が神妙な面持《おももち》で言葉を接ぐ。
「件《くだん》の橋姫さんが、生前の姿で現れたということは……余程の怨みが遺って、生き返りたくて仕方が無かったんでしょうか」
 景も瞬《まばた》きを繰り返しながら口を開く。
「まあな……若いうちから辛い思いをして、結局自分で死んじゃったんだもんなあ」
 阿形が目を閉じて首を振った。
「いえ」
「志《こころざし》半ばにして命を断たれた人はいくらもおります」
「無念にも非業の死を遂げた者が全て肉体を伴い現世に現れるわけではございません」
「我々も死者の生前については推測しかできかねるのですが」
「橋姫の場合は恐らく」
「遺《のこ》して死んだ身内でもいたものかと」
「——それは」
 蕃茄がぼそりと口を挟んだ。
「阿吽の二人にも分からない。ということになるのかな」
「恐れ入ります」
「我々阿吽はあくまでも門番という役目でございますゆえ」
「死者の生前の事情についてまでは知り得ぬ立場なのです」
「この話も我々による推察でございます」
「ご理解くださいませ」
 阿吽は揃って、深々と頭を下げた。
「——その門番が、度々《たびたび》死人に逃げられてちゃ、世話ねえだろうがよ」
 景が腕組みをしたまま、嫌味ったらしく口を尖らせた。
 琴律がそれを受けて、静かに呟く。
「それだけ、亡くなった方の『生き返りたい、怨みを晴らしたい』という念《おも》いは強いのでしょうね……」
「私ら、死んだことはないから、考えたって理解はできないんだけどね!」
 萵苣がからからと笑った。空子はその言葉を聞き、腕組みをしながらうんうんと頷く。
「死んだことないから、分からない——か。それって、ありがたいことだよにゃー」
「ねー!」
「今んとこ、晴らしたい怨みを抱えて死ぬ予定もないもんね」
「——お前らは良いなぁ、平和で」
 笑い合う空子と萵苣を眺めながら、景がハの字眉で呟く。
「でもにゃー。あの怖いお化けも、そういう気持で生き還ろうとしてる人なんだって、知っちゃうとにゃー」
「闘って倒してしまうのは、なんだか忍びない——ですか?」
「んん。……わかんにゃい」
 膝に座った空子を背中から抱きしめながら、琴律が目を伏せた。
「どんな念《おも》いがあったとしても。やっぱり死者が生き返ってしまったら。死と生の境目が曖昧になってしまう。どちらの世界も同じになる。それは。生きてる人の為にはならない。と思う」
 髪の毛先をいじりながら、蕃茄が寂しげな声で呟いた。
「死んだ人と生きてる人。どちらか片方に味方しかできないのなら。生きてる人を優先したい。——私は生きているから。そう思うことしかできない」
「だからね、私らが向こうへ戻してあげてるんだ! やり方は、ちょっと乱暴だけどね!」
 萵苣が胸を張る。
「私らエトピリカはね! 尸澱の“姿“を壊すことで、こちらに戻ることはできないんだよ、って分からせてあげる役目なの!」
「それが。イオマンテ」
「ふーん……なるほどなあ」
 伸びをしながら、景が頷く。
「そういうふうに言われたら、まあ納得できるな」
「私達。一年と少しの間。エトピリカとしてイオマンテをやっている。もう何体の尸澱を倒したのか分からない。それら全てが。強い怨みを持った人だとしたら——私達は「姿を壊すこと」を「還すこと」だと解釈しないと。闘えない」
 訥々とではあるが、蕃茄は思いを伝えようとしていた。話すこと自体があまり得意そうではない蕃茄が一生懸命選び紡いだ言葉は、空子たちの胸に染み入ってゆく。
「あのさー。ときどき出てくる、そのイオマンテって何?」
「それはエトピリカによって尸澱を黄泉へ還すこと」
「延《ひ》いては尸澱と闘っていただくこと自体を指します」
 浮いている阿吽を、琴律が見上げる。
「あの。私は、もっと根本的な事を伺いたいのですけれど。——そも、エトピリカというのは、何なんです?」
「あ! それは、そうだよ。もっと色々教えてほしいっ」
「自分が成ってる正体《もん》を、全然分かってないわけだもんなあ」
 琴律たち三人は、あらかじめ変身しよう、闘おう、などと構えてエトピリカに成ったわけではない。突然襲い掛かられ、危険を回避するために、他の選択肢が無かっただけのことである。しかも、そのうえの結果として、空子は大切な家族のひとりを喪っている。
 だからこそ、それ以来一度も変身などしていないし、況《ま》してや自分たちから死者を相手取って闘おうなどとは思いもよらなかった。
「左様でございますね」
「本来ならば研修を行なったのちに闘っていただくのが順当でございましたが」
「あの節《せつ》は余裕が無くいきなりの実戦となってしまい」
「しかも特殊な事例かつ強大な相手でございましたゆえ」
「お三人様には多大なご負担をおかけいたしました」
「それではこちらの映像にて一緒にご案内いたしましょう」
 再度映像が流れ始めた。
『第四部・エトピリカってなあに?』
「——やっぱり、こういうノリなんですね」
 琴律が苦笑いをする。
『私共根之國の者は、生者・死者の別なく、攻撃をしたり、助けたりという、直接の手出しを禁じられています。まずは根之國へ戻っていただけるようお願いをし、聞き入れてもらえない場合は、間接的に協力を仰ぎます。凶暴化した尸澱は、様々な姿で襲ってきます。これに立ち向かえるよう強化した戦士が、エトピリカです』
 案内役のヰ子はいつの間にか、メイド服から襷《たすき》掛けの凛々しい和装に着替えている。
『エトピリカは、根之國に与し、尸澱を調伏するための戦士です』
「うん。これはまあ、知ってるよぅ」
 空子は、さすがにそろそろ眠そうである。
『まず前提として、ヒトのメス——女性でなければ、エトピリカに変身することはできません』
「んー、なんとなく、そんな感じはしたけど。なんでだろね?」
「ふん。衣装が可愛いからじゃね」
「でも、それなら好きに変えられますのに」
「それは女性だけが生命を産み出せるからであるとご理解くださいませ」
 吽形が口を挟み、映像を観るようにと促した。
「……?」
『女性が生命を身籠もり、産み、育てる力。これは、人《ひと》一人《ひとり》の持てる最大のエネルギーです。それを外向きのエネルギーに転換して、闘っていただく。それが、エトピリカの力の源です』
「ほうほう」
 空子は本日四本目のアイスクリームを咥え、食い入るように映像を観ている。
『従って、女性でも、初潮の始まっていない幼い方、あるいは成熟期を過ぎて閉経を迎えられた方では、エトピリカに変身することはできないのです』
「は、はー」
『エトピリカに変身なさった皆さんにお願いし、暴走する死者——すなわち尸澱《シオル》と闘って、鎮めていただく。このことを、私共ではイオマンテと呼んでいます。イオマンテとは元々、熊送《くまおく》りの儀式のことです』
「熊送り?」
『北の地に、神様が姿を変えて人の前に現れたものが獣《けもの》である、という信仰があります。狩った獣の皮や肉を“脱がせた”あと、内《なか》に在る霊を神の国へ返す——という儀式が熊送りです』
「ほえー」
『これに擬《なぞら》えて、尸澱を黄泉《よみ》へと還していただく一連の流れをイオマンテと呼びます。イオマンテにはどうしても危険が伴いますため、私共では最大限のバックアップを心掛けています』
「なるほどにゃー」
 空子が腕を組み、何度もうんうんと頷く。
「ええと。危険が伴うのが前提であるようですけれど。これって、立場的なところが説明されていませんが——」
 阿吽に向き直り、琴律が口を開いた。
「私たち——エトピリカになった者は、貴郎方に雇われ、派遣されている傭兵——のような扱いなのですよね?」
「——左様でございますね」
「捉え方としては概ねそれで宜しいかと」
「ただ基本理念は専守防衛ですので」
「侵攻者を水際で叩くための武力でございます」
「よって中津國側より根之國或いは黄泉へと攻め入った例はございません」
「——そうですか。それなら、貴郎《あなた》たちは生きている者を危険に晒して、逃げ出した亡者を捕まえろ、と命令するばかりなのですか?」
 琴律は厳しい顔で、小さな男たちを詰問する。
 それに対し、阿吽の二人はきっぱりと答えた。
「はい」
「基本的にはそうなります」
「な、な——」
 琴律は呆れて絶句する。
「ただ正確に言うなら命令ではございません」
「あくまでも我々はお願いする立場でございますので」
「——そんなの!」
 琴律はつい、声を荒げる。
 萵苣と空子が、揃ってびくりと身を竦《すく》めた。
「そんなの、命令と変わらないじゃないですか! 私たち、変身する以外にどうにもできない状態だったんですよ。そんなときに『あくまでもお願いですけど闘ってくれませんか』なんて言うのは、狡《ずる》いんじゃないですか?」
 目に薄く涙を溜めて、琴律は一息に捲《まく》し立てる。
 景も浮いている阿吽らを睨みながら、啖呵《たんか》を切る。
「ふん。どうせこれまでもずっと、そういう極限状態で『お願い』してきたんだろ。若い女の子ばっかり狙いやがって、姑息な野郎どもが」
 阿吽の二人は、返す言葉もない様子で項垂《うなだ》れている。
「あんたらが、あの世の門番の仁王《におう》さんだかなんだか知らんよ。だけど、あんたらのやり口《くち》はな、何も知らん女の子に、お金を都合してやるだの、芸能人にしてやるだのって囁きながら近付く、変なビデオのスカウトと同じようなもんだ」
「——まあ。それくらいで」
 しばらく黙っていた蕃茄が、口を開いた。
「私が思うには。あなた達は運が悪かっただけ。あなた達の初戦の相手が異常だっただけ。阿吽たちにも予測の限界はある。私達は。結構この活動にやり甲斐を感じているの。私達が闘うことで。襲われる人が減るのは 確かなのだから」
「蕃茄様」
「恐れ入ります」
 阿吽は揃って、蕃茄に頭を下げた。
「 たしかに、家族が死んじゃったら、そんなふうに言いたくなる気持も仕方ないよね!」
 萵苣が、横に立っている空子の頭をよしよしと撫でた。
 空子は無言で萵苣に抱きつくと、顔を萵苣の胸にうずめた。ううん、という甘えた声を出し、空子は顔を擦り付ける。ずるりと洟を啜る音を聞いた萵苣は、笑うとも困るともつかぬ複雑な顔をした。
 蕃茄も立ち上がり、景と琴律の座っている間に向かい合って膝立ちになった。両手を差し出し、二人それぞれの頬に掌を当てる。
「……」
 蕃茄は何も言わない。が、その冷んやりとした手を頬に添えられ、景の瞼には涙がこみ上げてきた。手に自分の手を重ね、静かにその涙を溢《あふ》れさせる。これは溢《こぼ》しても良い涙なんだ——と無意味な言い訳を心の中で呟きながら、景は黙って泣いた。
 その様子を見て、琴律も涙を流した。蕃茄の手を取り、ありがとう、ありがとうね——と繰り返して泣いた。



 翌日の夕方。空子は一年ぶりに自らテレビの前に座り、スイッチを入れた。チャンネルはテレビ夕陽《ゆうひ》。
 一年前よりも少しテンポアップした、しかし耳に憶えのあるメロディが流れる。
「ふわぁ……やっぱ格好《カッコ》いい……」
 空子の口から、喟《ためいき》とともに、素直な気持がこぼれ出た。
 誰もが心に持つ"ちいさな勇気"を鼓舞し奮い立たせるような歌詞とメロディ。懐かしさと、一目でわかる映像技術の進歩。
 強大な力を手にした青年が苦難に立ち向かうため、仲間と手を取り合い、不条理や理不尽に対し抗う。敵にめちゃめちゃにやられ、傷つき、仮令《たとえ》膝を屈しても、彼らは再び立ち上がる。何があっても決して諦めないことを子供達に教える、まさに“ヒーロー”の姿。
 空子ら、そして弟・大地が好んで視聴していた『超法戦騎《ちょうほうせんき》レッドガル』は、脚本とアクションシーンの良質さにより視聴率好調、関連玩具の売上はシリーズ最高額を記録し、二年目も放送が続いていた。劇場版として、『レッドガル』の前日譚を描いたスピンオフ作品『電光刑事《でんこうけいじ》ヴァン』も制作されたが、仲間内《なかまうち》でこれらを継続して視聴し続けていたのは、龍泉寺琴律だけであった。
 空子は、納戸の中から『レッドガル』の前作『ウェイバード』の可動フィギュアを取り出し、いじくり回しながら番組を観た。
 このフィギュアを買ってもらった時、普段は女の子のように優しい大地がいつになく興奮し、珍しく年相応の男の子らしさ——つまり微笑ましい乱暴さ——を見せたことを、空子は思い出していた。荒々しくポーズを取り、敵怪人に見立てた父親や空子に闘いを挑んできた大地は、そのとき、紛れもない“戦士”であり“ヒーロー”であった。
 ——私はもう、大ちゃんのことで、泣かない。
 空子はそう強く思い、心に誓った。
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