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事実は小説より奇なり

人になりたかった人

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幼い頃から、
僕は気になっていることがあった。


僕の家の庭に隠れるようにある
扉のようなもの。



「その扉は開けては行けないのよ。
   分かったわね?」



どうして?と聞くと、母は口を閉ざした。




「あの扉は呪われているんだ。
   だから、触れてはいけないよ」




なにが起こるの?と聞くと、
父も口を閉ざした。


僕は知りたかった。


あの扉を開けたら、
一体、なにが待っているのだろうと。


あの扉の向こうには、
一体、なにがあるのだろうと。


知りたくて知りたくて。


溢れる好奇心に揺さぶられ、
僕は両親の言いつけを破って、
その扉に耳をつけてみた。



すると______________…。




______________…。




「…?」



今、なにか聞こえたような…?

なんだろう?



僕は耳を扉に押し付ける。





______________れ…?




______________________だれ…?




“だれ”


今、確かにそう聞こえた。


この中にいるのは、人なのだろうか?

それも、今にも死んでしまいそうな
弱々しい声をした女の子。



「僕はこの家の者だよ。
   君は…?
   もしかして閉じ込められたの?
   …ごめん。
   今鍵を持っていないんだ。
   誰か人に聞いてくるからもう少し我慢…」


「待って…行かないで家の者。
   貴方は前の子とは違う子だね?
   優しい声…。」


「…?」


「鍵は持ってこなくていいんだよ。
   私は、ここから出ては行けないから。
   また繰り返ししてしまう。
   …もう、あんな思いはしたくない」


「さっきから、なにを言っているのか…。
    僕には理解出来ないんだけど…」



弱々しい声は、喋る度元気になっていった。


なんでだろう。


心なしか、女の子の声が、
耳に透き通るような感覚。

聞こえているはずなのに、
耳に、脳に、違和感がある。



「私は、不老不死の実験の成功者。
   そして、不死身の実験の成功者でもある。
   だから、私はなにをしても死ねないの。
   こうやって光を塞いでも、
   食事をしなくても、
   人と会話をしなくたって…。
   だから、いろんな人の死を見てきた。
   友達、家族、恋人、恩人…
   すべての人の死を。
   私は、人に“呪われ人”として
   扱われるようになった。
   虐待を受け、拷問を受け、暴力を受けた。
   痛覚はある。情もある。
   だからより恐ろしかった。
   私は人を殺せるのに、
   人は、私を殺せない…。
   それが、なにより悲しくて、
   自分からここに閉じこもったの。
   もう、誰も傷付けたくない。
   誰の死も見たくない…。
   こうして、
   いつか死ねる日が来るだろうと、
   ずっと、ずっと行き続けている。
   世界はどうなっているの?
   空は、どんなだったかな…。
   草は、何色だったっけ…。
   私はなにをしていたかしら…。
   どんな風に笑って、
   どんな風に人に触れていたのだろう…。
   もう、忘れてしまったんだ…
   こんなに苦しいはずなのに、
   今は、涙の一つも出てきやしない。
   皮肉なものね…」


女の子はとても不幸な人だった。

幼い頃から実験体とされ、
人の扱いを受けられず、
こうして死ねずに、
何千年という時を生き続けているのか。

なんて寂しい人。


「君は、不老でも人じゃないか。
   君は、不死でも人じゃないか。
   君は、不死身でも人じゃないか。
   僕は、そう思うよ」



僕の中の、精一杯の気持ちだった。




「君は、人だよ。ちゃんと」




「……………………………。」




「僕は、君と話をしている。
   僕は、人としか話せない」




「………。
   前の子は、そんなこと…
   言ってくれなかったよ。
   ありがとう…この家の者」



「…………ねぇ。
   もう一度、
   外の世界を見たいとは思わない?」



「………え?」



「僕は君に見せたい。
   眩しい外の世界を。
   実験は、もう終わったんだよ」
   


「………嘘だ」



「嘘じゃない。
   きっと終わる。
   君が外に出たら、すべてが終わるんだ。
   さぁ、怖がらないで」



女の子はゆっくりと扉を開けた。


重く古い木の扉はキシキシと音をたてて
動きはじめる。


扉の中は真っ暗で、
本当に呪いがかけられているような
邪気を感じた。

背筋が凍る感覚が走る。





こんなところに、ずっといたのか…。





外に出た女の子。

白く薄いボロボロの服に、裸足だった。

細い体、折れそうな手足、
でも、女の子だった。

肌の潤いは失われていない。



「………………ありがとう、この家の者。
   私は、待っていたのかもしれない。
   貴方のような優しい子を。
   私の背中を押してくれるような子を。
   私は、やっと、解放されるんだね…」



「君は自由だ。もう何にも縛られない。
   その実験は、
   君を苦しめようと行われたものでは
   なかったと思うよ」



「……………そう。
   貴方が言うなら、そうかもしれない」



女の子は、そこから、
永遠の眠りについたのだった。
   


僕は冷たい女の子の頬に触れて、
耳元で囁いた。



「近所の人が言っていたんだ。
   “この扉には、ある聖霊が眠っている。
    私たちのために、その体と命を捧げて、
    私たちに死の選択肢を与えてくれた
    儚く美しい女の子の霊が________…。”
    って。」


翌日、女の子の遺体は無くなっていた。


代わりに、
彼女の髪の色と同じ黄色の花びらの小さく、
可愛らしい花が凛と咲いていた。



「自由になれたんだね…。
   君は、紛れもない、“人”だったんだよ」



君は恐れていただけだったんだ。



人となることを。



臆病になってただけだったんだ。



君は、僕と同じ。



たった一人の人だったんだ。
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