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事実は小説より奇なり

難しくない

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僕は、電車で椅子に座るのが少し苦手だ。

満員電車や、逆に人が少ない電車ではいいのだが、
まぁまぁ人がいて、年齢層も幅が広い時間帯。

お年寄りから子供まで、休日なんかは、特に。

席を譲るタイミングというものが分からない。

誰に席を譲って、誰に席を譲らなくていいのか。

お年寄りの方でも、
席を譲られることに不満を持つ人もいるだろうし、
逆に、席を譲られないことに腹を立てる人もいるだろう。

幼い子供を連れた母親。

妊婦さん。

電車には、本当に様々な人が乗り合せる。

席を譲ろうとしても、相手に断られてしまった時の恥ずかしさったらもうたまったもんじゃない。

だから僕は、普段から椅子に座るのを避けているのだが、この前の出来事だ。

妊婦さんのマークをカバンにつけた女性が電車に乗ってきた。

お腹が膨らんでいる彼女が立っているには少々困難な車内の混雑度。

座席は全部埋まっており、皆スマホに夢中らしい。

妊婦の女性には気づいているものの、
誰も声をかけようとはしないのだ。

それを見つけた若いサラリーマン。

すかさず自分が座っていた席を立ち、そこに荷物を置いてキープ。

その女性の元へ行き

「あの席どうぞ」

と声をかけた。

まさに紳士対応。

素晴らしいね。

これだよこれ。

見習いたいね。

かっこいいぞサラリーマン。


最近の若い人は、周りが見えていなくて仕方がない。

それは若い人に限らずなのかもしれないが。

最近は、助け合い、支え合い、思いやりの精神がどうやら欠如してきているように思う。

冷たい人間関係、互いを警戒し合った油断のできない関係。

あの若いサラリーマンは、ドアが開く度に誰が乗ってくるのかを見ていた。

恐らくだが、自分よりも優先して椅子に座るべき人が来た時のために、よく見ていたのだろう。

丁度そのタイミングが訪れて、変わるべく人に席を譲った。

彼からしたら、それは当然の事だったのかもしれない。

当然にあるべきこの行いが、
「素晴らしい」と評価されてしまうようになってしまったこの時代に、
当たり前のことを当たり前のようになし得た彼に、僕は非常に感動したのだ。

若いサラリーマンが電車から降りる際、妊婦の女性は頭を下げた。

サラリーマンは
「お気をつけて」と小声で言うと、
混雑した車内から人を避けながら出ていった。

僕は、心優しき、常識人な彼の、
その平凡な背中を見送った。
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