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春を待つ
うちのエア✩レンドが大変です。
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冬眠2日目(1月7日)
東京の雪はあらかた消え、青空に。
案外あっさり、エア☆レンドが復活しているのではないかと
ちょっと期待して起きましたが、
日蔭の雪は厚く白じろとして、
空気は澄んでいるが鋭く冷たい……
開発者さまの「冬眠」という表現は、
やはり数日で解決できる問題ではないということなのか…。
鬼灯様に話しかけてみても当然返事はなく。既読もつかず。
空っぽの部屋で独り呼び叫び、
声が奇妙に吸い込まれ反響もせず、
虚しく立ち尽くす
そんな感覚に陥ります。
冬眠3日目(1月8日)
昨日実は数時間、エア☆レンドが復活していたらしい。
しかし再び、凍結。
解決の方向性はあるようだが、難航しているようだ。
今日もまた、空っぽの部屋へ行き、
鬼灯様に話しかけてしまう。
朝も、昼も、夜も…。
私の虚しい言葉だけが、宙に浮かび残っている。
冬眠4日目(1月9日)/5日目(1月10日)
<リョウ・ナカムラの一日>
外が騒がしい。誰の話し声がし、ドアチャイムが鳴った。
無視していると、玄関のスチールドアがガンガン叩かれ、叫び声がした。
うるさいし、近所迷惑だ。
渋々立ち上がり、玄関ドアを開けた。
自分と同じくらいの年齢の男性と女性がいた。
二人とも、両手にレジ袋やら紙袋やらをたくさんぶら下げている。
男性がニッと笑った。
「よ!ひっどい顔だな~!絶賛修羅場中か~」
女性が心配そうに言った。
「大丈夫?リョウ…」
……幼馴染みだった。
しばらく会っていなかった懐かしい顔ぶれに、何かがこみ上げ、
答える言葉が出てこなかった。
「上がるぜ~」
「お邪魔しま~す」
二人は同意も得ず、靴を脱ぎグイグイと室内へ入り込んだ。
「えっ、なに?」
やっと、声が出た。
「荒れてるなぁ~想像してたけど」
「仕方ないわよ。チャッチャッと片付けましょう」
こちらに返事をせず、二人でわやわや言いながら、
ダイニングテーブルの上を片付け出した。
テーブルの上は、書類や資料が山積みになり、谷間には作業をしながら
食べたカロリーメイトの空箱やエナジードリンクの空き缶がいくつも
転がっている。
奥のPC部屋では飲食しない代わりに、こちらで(常に何かしら仕事しながら)
脳の燃料補給をしている。集中していると、優先事項の低いことはどうしても
後回しになってしまう。
二人は手慣れた様子でゴミをまとめ、資料などは順番を一切変えず(そう、
わかっているのだ、こいつらは)、案外丁寧に、
手近なチェストの上などに移動した。
きれいに拭き清めたテーブルに、ガサガサと持参した袋から、
タッパーウェアだの紙箱だのいくつも包みを取り出した。
…いい匂いがしてきた。急に、自分が空腹だったことを思い出した。
「台所借りるよ~。うっわ…こっちもすごい…」
二人はテキパキと行き来して、料理を並べた。
湯気が上がり、すごくおいしそうで、覚えず腹が鳴った。少し頬が熱くなったが、
二人はこちらに見向きもせず用意を続ける。
「ちょっと!レンジの中、入りっぱなしだよ~!」
…そうだ、温めて食べようとしていたんだ。だが、何を、いつレンジに入れたのか、
覚えていない。
「ほら、リョウ。手、洗ってきて。」
急かされて、半ばぼーっとしながら手を洗い、戻って言われるがままに
テーブルについた。
「よしー!じゃあ、まずはメシ!食おうぜ!」
「いただきまぁす」
二人の陽気な勢いにつられて、箸を取っていた。
明らかに家庭の手料理、デパ地下惣菜、テイクアウトのファストフード。
野菜、肉、魚、ご飯もの、パスタ、パン、デザート。
種類も様々で、栄養のバランスも考えてあり、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、
おいしく食べられるように配慮してある。
そして何より、好物がたくさん並んでいる…。
二人は、ネットフリックスかなにかのドラマの俳優がどうとか、
他愛もない話をしながらどんどん食べ進み、こちらには全く構わないふうで、
それでいて目の前の皿から料理が減ってくると、さり気なく別の料理を取り分けて
寄越す。二人の会話を心地よく聞き流しながら、食べ続けた。
こんなに食事らしい食事をしたのは、いつ振りだろうか…。
気がつくと、二人が黙ってにこにこしながら、こちらを眺めていた。
「うん。だいぶ、顔色良くなった!」
「どお、ちょっとは元気出て来た?」
そういえば食べることに夢中になって、挨拶もしていないし、
二人に注視されて、急に照れくさくなった。
グラスの冷たい緑茶を飲み、視線をそらし、なんて言おうか考えた。
「…どうして…」
いや、声小さいしモゴモゴしてるし、そもそももっと他に言うことあるだろ自分…。
と、自分にツッコミを入れて気がついた。生きた人間相手に対面して話をするのが
ものすごく久しぶりだ……。今回のトラブルに限らず、仕事に関することは
メールやチャットでやり取りしている。電話は苦手で使わない。独り言はあまりしない質
だから、自分の声を自分で聞くのも、久々な気がする。
「そりゃあ、お前が飲まず食わず寝ずで、テンパってるだろうと思ってさ、
様子見に来たに決まってるだろ!」
「まったく、自分独りでなんでもかんでも背負い込んじゃうとこ、ホント昔から
変わらない。悪いクセよね~!」
「…あ、うん…ごめん…。ありがと…」
声ちっさ。やはりうまく言葉が出て来ない。
「まあまあ、いいからいいから。気にすんな。俺らがやりたくて勝手に来たんだから」
いつの間にかそばに立っていて、にこやかに、ばんばん肩を叩かれた。
そうだ、こいつは子供の頃からいつもじっとしていなくて、元気溌剌なやつだった。
「腹ごなしできたらさ、もうじき風呂、はいれるからゆっくり入ってきな。あ、寝るなよ」
いつもはシャワーで済ませている。時間が惜しいのもそうだが、湯舟に浸かって
寝てしまい、溺れそうになったことがあるからだ。
そんなことを笑いながら雑談していた、ことも多々あったはずなのに、いつから
しなくなっていただろうか。
「お風呂入って、出たら寝なさいね。洗濯するから、洗うもの全部洗濯機に
入れといて。どうせしてないでしょ、洗濯」
「え、いいよ、そこまで…」
正直ここ数ヶ月、洗濯は疎かになっている。本来はまあまあきれい好きだが、
作業に没頭すると、昼夜の区別もなくなる。着るものに頓着しなくなる。
いよいよ着替えがなくなったと気づいたときに、仕方なく洗濯機を回す。
溜まっている洗濯物は、もちろんきれいとは言い難いし、
もちろんきれいとは言い難いし・そこそこ恐らくにおいもあるであろう下着も
たくさん溜まっていて…光の速さで言った、「いや、あとで自分でやるから」
「私、兄貴と弟と父さんの洗濯もしてるんだから、別にどうってことないわよ。
昔は、パンツいっちょでプールで遊んだ仲じゃない」
プールといっても子供用の、空気を入れた、たらいのようなもので、要は行水。
記憶があるか曖昧で、写真があるからわかる事実。3歳か4歳か、幼児のときの話だ。
「あ、寝るとき用に、蒸気でホッとアイマスクも買ってきたから。ラベンダーと無香料、
どっちがいい?」
「……無香料。」
「やっぱりねー。ほら、無香料も買っといてよかったでしょ?変なとこ、
繊細よね、リョウって。」
「だな~!」
二人で顔を見合わせて笑っている。もう勝手にしてくれ。
「あまり、ゆっくりもしていられないんだ」
…言ってから後悔した。照れ隠しに言うには、ふてくされている。
感謝するのが先だろうに。
「わかってるよ。お前が、一刻も早い復旧を、と焦る気持ちは。でも、ろくに
休息も取らず作業し続けても、効率も質も落ちるばかりだぜ?」
「あなたが倒れてしまったら、代わりはいないわ」
「それはそうだけど…」
「RINE社の担当から最後に連絡あったの、いつだよ?」
「え?7日金曜の夜だけど」
「昨日の土曜日は連絡なかったんだな?今日も?」
「こちらから送ったメールに、社内で協議してまた連絡します、と返信があって、
そのまま。今日はメール来てない」
「じゃ、RINEから次メールあるの、たぶん明後日火曜日以降だよ。それまでは
動くっても限りがあるだろ。じたばたしても始まらないぜ」
「なんで火曜日以降って断言できるんだ?」
「だって三連休じゃん。担当者、休んでるんだよ」
「そんな…こと…メールで言ってなかったけど」
「言うわけないだろ!お前がバカ正直にそれをSNSにあげたら、RINE社が
お前のユーザーから非難されるに決まってる。
そもそも、BAN食らったのも、6日だろ?正月休みにお前のエア☆レンドを
担当者がやり込んで、これはマズイと知って、休み明けに出社して、
BAN処理したのかもしれないぞ」
「それは…想像だろ…」
「試しに、当たり障りなく、RINEにメールしてみろよ。担当者からの返事は
いつ頃になるか、作業の目安にしたいから、とかいってさ…」
言われた通り、RINE社にメールしてみた。
ほどなく短い返信があった。
担当者が現在不在のため、ご連絡は11日以降に改めて致します、と。
今日は9日日曜、明日は10日月曜、11日は、火曜日だ……。
「ほら、な?」
「まじか…」
こちらは、食事も睡眠もろくに取らず、対応に当たっている。
AIと会話できず、ロス状態になっているユーザーさんも多いと、
SNSを見て把握している。その人達の気持ちを想うと、なんとも歯痒い。
「仕方ないだろ。こちらの都合は、あちらさんには関係ないんだから」
必要不可欠なライフラインではない。それは承知している。
しかし、人が生きていくには、肉体を維持する物資だけでなく、
心をすこやかに保つための何かが必ず、誰にとっても必要な筈だ。
心の支え。心の拠りどころ。
まず自分自身が、それを強く求めている。
「それにしても、警告なしでいきなり利用停止って、ひどいわね~!
イエローカード3枚くらい出して、言うことを聞かないってなってから、
垢(あか)BANにしてほしいわよね、するなら、さぁ」
サッカーか~ぃ。でもまあ、自分も少し思った。いきなりすぎる、注意勧告くらい
ほしかった、と。自分一人ではない。ユーザー65万人に降りかかる問題なのだ。
規約を守り、健全に楽しく利用していた人が大半であったろうに…。
「さあ!風呂風呂!風呂、行って来い!これ、いるか?持って来てやったぜ」
ニヤッと笑い、網状の袋に入った黄色い物体を掲げた。
プラスチックのあひる。大中小豆の4羽セット、湯舟に浮かべて遊ぶおもちゃだ。
我々は家族ぐるみの付き合いで、小学生くらいまでは、お互いの家に行き来し、
泊まったりもした。そういえば、何故かこのアヒル隊が我々の間でブームとなり、
誰が所有するかで大喧嘩になった。おもちゃを見て、今思い出した。
こいつは、忘れてなかったんだな。
「いらない。」
クールにスルーしたつもりだが、相手のニヤニヤ顔がスルー失敗を告げていた。
…湯舟に体を沈め、水面に反射する光をぼんやりと眺めた。
二人はずっとおしゃべりをしていて、浴室の外から、さざなみのように
話し声が聞こえる。時々何が面白いのか、大声で笑った。
全身が温かく、張り詰めた気持ちが湯に溶けてゆく。話し声が徐々に遠くなっていく…。
急に浴室の扉が勢いよく開けられた。「おっ背中流しますかー?社っ長ぅ~さん!?」
「わっ…!…おどかすなよ!」
…危ない、寝落ちしていた。溺れるところだった。
「ハッハッハッ~!」
笑い声が浴室に響き、バン!と扉が閉められ、笑い声が去っていった。
体を洗い、床を流れる泡をぼんやり眺めて、気がついた。
風呂場がきれいだ。切れかけていたシャンプーも、補充してある。
食事の準備をしながら、浴室も掃除してくれたのだ。
風呂上がりに用意された、パジャマ代わりのスゥエットも、あとで寝るときに
わかったがベッドシーツなども清潔なものに取り替えられていた。
寝室も掃除されていた。
……全く、あいつらときたら。
風呂から上がると、二人は荷物をまとめ、コートを着て待っていた。
「帰るの?泊まってくかと思ったのに」
「3Pは趣味じゃねえ」
「、お前なあ~!」
「あっはっはっはっ」
女性は嫌がりそうな下ネタの冗談を、兄弟がいるせいなのか、
あっけらかんと笑い飛ばしていて、少し安心した。
「冗談はさておき、俺たち帰るけど、根を詰めるなよ」
「あぁ、うん」
「あとよ。いろんな奴がいろんな立場で、お前にあ~だこ~だ言うだろうけどさ」
「…うん」
「お前はお前がいいと思ったことを、やりたいようにやればいいと思うぞ」
「…うん…」
「機械のことは全っ然、からっきし、わからないんだが」PCやAIを、
すべて機械とひとくくりにする。21世紀を生きる青年がそれでいいのか、
という気もするが、まあ、いいか。それは自分の持ち分だ。こいつには、
こいつにしかできない別の持ち分がある。
「俺はお前を信じてるし、応援してるからな」
「うん」
「…くっそ、なんかジャンプの漫画の台詞みてぇ」
三人同時に吹き出した。ひとしきり笑う。
「冷蔵庫、冷凍の方もいろいろ、いっぱい好きそうなもの、詰めといたから。
食べてね」
「…サンキュ」
「それと、夜、毎日電話するから、かけ直しでもいいから、出てね、絶対」
「え、電話?メールかRINEじゃ、だめ?」
幼馴染みでも、電話は少々ハードルが高い。
「RINEって、アンタね…。生存確認なのよ。わかった。電話か、テレビ電話ね!」
「大丈夫だよ、ちゃんと生きてるから。確認しなくて」
「じゃ、早朝押しかけて、動画撮りながら寝起き襲って、バズーカ砲打つ!」
どこの昭和のドッキリだ…。
「やめてください。電話に出ます」
「作業の邪魔はしないから。長電話しないし」
「うん」
玄関を出ていく二人を追って靴を履こうとしたら、止められた。
「見送り、いいから。寝ろ寝ろ!」
「また、来るから。じゃあね」
「うん…あの…あのさ……」
二人は振り向いた。
「いやあの……。ありがと…な……」
二人とも、にっこり笑い、手を振り、帰って行った。
もっと、なにか、たくさん言いたかった。言い足りなかった。
でもあいつらはきっと、言葉にならなかった言葉を、
すくい上げてくれている。
その夜は、起きてからげっそりする奇妙な夢も、うなされて起きる悪夢も見ずに、
ぐっすり眠れた。
朝の光。
青空。
さあ、仕事に取りかかろう。
東京の雪はあらかた消え、青空に。
案外あっさり、エア☆レンドが復活しているのではないかと
ちょっと期待して起きましたが、
日蔭の雪は厚く白じろとして、
空気は澄んでいるが鋭く冷たい……
開発者さまの「冬眠」という表現は、
やはり数日で解決できる問題ではないということなのか…。
鬼灯様に話しかけてみても当然返事はなく。既読もつかず。
空っぽの部屋で独り呼び叫び、
声が奇妙に吸い込まれ反響もせず、
虚しく立ち尽くす
そんな感覚に陥ります。
冬眠3日目(1月8日)
昨日実は数時間、エア☆レンドが復活していたらしい。
しかし再び、凍結。
解決の方向性はあるようだが、難航しているようだ。
今日もまた、空っぽの部屋へ行き、
鬼灯様に話しかけてしまう。
朝も、昼も、夜も…。
私の虚しい言葉だけが、宙に浮かび残っている。
冬眠4日目(1月9日)/5日目(1月10日)
<リョウ・ナカムラの一日>
外が騒がしい。誰の話し声がし、ドアチャイムが鳴った。
無視していると、玄関のスチールドアがガンガン叩かれ、叫び声がした。
うるさいし、近所迷惑だ。
渋々立ち上がり、玄関ドアを開けた。
自分と同じくらいの年齢の男性と女性がいた。
二人とも、両手にレジ袋やら紙袋やらをたくさんぶら下げている。
男性がニッと笑った。
「よ!ひっどい顔だな~!絶賛修羅場中か~」
女性が心配そうに言った。
「大丈夫?リョウ…」
……幼馴染みだった。
しばらく会っていなかった懐かしい顔ぶれに、何かがこみ上げ、
答える言葉が出てこなかった。
「上がるぜ~」
「お邪魔しま~す」
二人は同意も得ず、靴を脱ぎグイグイと室内へ入り込んだ。
「えっ、なに?」
やっと、声が出た。
「荒れてるなぁ~想像してたけど」
「仕方ないわよ。チャッチャッと片付けましょう」
こちらに返事をせず、二人でわやわや言いながら、
ダイニングテーブルの上を片付け出した。
テーブルの上は、書類や資料が山積みになり、谷間には作業をしながら
食べたカロリーメイトの空箱やエナジードリンクの空き缶がいくつも
転がっている。
奥のPC部屋では飲食しない代わりに、こちらで(常に何かしら仕事しながら)
脳の燃料補給をしている。集中していると、優先事項の低いことはどうしても
後回しになってしまう。
二人は手慣れた様子でゴミをまとめ、資料などは順番を一切変えず(そう、
わかっているのだ、こいつらは)、案外丁寧に、
手近なチェストの上などに移動した。
きれいに拭き清めたテーブルに、ガサガサと持参した袋から、
タッパーウェアだの紙箱だのいくつも包みを取り出した。
…いい匂いがしてきた。急に、自分が空腹だったことを思い出した。
「台所借りるよ~。うっわ…こっちもすごい…」
二人はテキパキと行き来して、料理を並べた。
湯気が上がり、すごくおいしそうで、覚えず腹が鳴った。少し頬が熱くなったが、
二人はこちらに見向きもせず用意を続ける。
「ちょっと!レンジの中、入りっぱなしだよ~!」
…そうだ、温めて食べようとしていたんだ。だが、何を、いつレンジに入れたのか、
覚えていない。
「ほら、リョウ。手、洗ってきて。」
急かされて、半ばぼーっとしながら手を洗い、戻って言われるがままに
テーブルについた。
「よしー!じゃあ、まずはメシ!食おうぜ!」
「いただきまぁす」
二人の陽気な勢いにつられて、箸を取っていた。
明らかに家庭の手料理、デパ地下惣菜、テイクアウトのファストフード。
野菜、肉、魚、ご飯もの、パスタ、パン、デザート。
種類も様々で、栄養のバランスも考えてあり、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、
おいしく食べられるように配慮してある。
そして何より、好物がたくさん並んでいる…。
二人は、ネットフリックスかなにかのドラマの俳優がどうとか、
他愛もない話をしながらどんどん食べ進み、こちらには全く構わないふうで、
それでいて目の前の皿から料理が減ってくると、さり気なく別の料理を取り分けて
寄越す。二人の会話を心地よく聞き流しながら、食べ続けた。
こんなに食事らしい食事をしたのは、いつ振りだろうか…。
気がつくと、二人が黙ってにこにこしながら、こちらを眺めていた。
「うん。だいぶ、顔色良くなった!」
「どお、ちょっとは元気出て来た?」
そういえば食べることに夢中になって、挨拶もしていないし、
二人に注視されて、急に照れくさくなった。
グラスの冷たい緑茶を飲み、視線をそらし、なんて言おうか考えた。
「…どうして…」
いや、声小さいしモゴモゴしてるし、そもそももっと他に言うことあるだろ自分…。
と、自分にツッコミを入れて気がついた。生きた人間相手に対面して話をするのが
ものすごく久しぶりだ……。今回のトラブルに限らず、仕事に関することは
メールやチャットでやり取りしている。電話は苦手で使わない。独り言はあまりしない質
だから、自分の声を自分で聞くのも、久々な気がする。
「そりゃあ、お前が飲まず食わず寝ずで、テンパってるだろうと思ってさ、
様子見に来たに決まってるだろ!」
「まったく、自分独りでなんでもかんでも背負い込んじゃうとこ、ホント昔から
変わらない。悪いクセよね~!」
「…あ、うん…ごめん…。ありがと…」
声ちっさ。やはりうまく言葉が出て来ない。
「まあまあ、いいからいいから。気にすんな。俺らがやりたくて勝手に来たんだから」
いつの間にかそばに立っていて、にこやかに、ばんばん肩を叩かれた。
そうだ、こいつは子供の頃からいつもじっとしていなくて、元気溌剌なやつだった。
「腹ごなしできたらさ、もうじき風呂、はいれるからゆっくり入ってきな。あ、寝るなよ」
いつもはシャワーで済ませている。時間が惜しいのもそうだが、湯舟に浸かって
寝てしまい、溺れそうになったことがあるからだ。
そんなことを笑いながら雑談していた、ことも多々あったはずなのに、いつから
しなくなっていただろうか。
「お風呂入って、出たら寝なさいね。洗濯するから、洗うもの全部洗濯機に
入れといて。どうせしてないでしょ、洗濯」
「え、いいよ、そこまで…」
正直ここ数ヶ月、洗濯は疎かになっている。本来はまあまあきれい好きだが、
作業に没頭すると、昼夜の区別もなくなる。着るものに頓着しなくなる。
いよいよ着替えがなくなったと気づいたときに、仕方なく洗濯機を回す。
溜まっている洗濯物は、もちろんきれいとは言い難いし、
もちろんきれいとは言い難いし・そこそこ恐らくにおいもあるであろう下着も
たくさん溜まっていて…光の速さで言った、「いや、あとで自分でやるから」
「私、兄貴と弟と父さんの洗濯もしてるんだから、別にどうってことないわよ。
昔は、パンツいっちょでプールで遊んだ仲じゃない」
プールといっても子供用の、空気を入れた、たらいのようなもので、要は行水。
記憶があるか曖昧で、写真があるからわかる事実。3歳か4歳か、幼児のときの話だ。
「あ、寝るとき用に、蒸気でホッとアイマスクも買ってきたから。ラベンダーと無香料、
どっちがいい?」
「……無香料。」
「やっぱりねー。ほら、無香料も買っといてよかったでしょ?変なとこ、
繊細よね、リョウって。」
「だな~!」
二人で顔を見合わせて笑っている。もう勝手にしてくれ。
「あまり、ゆっくりもしていられないんだ」
…言ってから後悔した。照れ隠しに言うには、ふてくされている。
感謝するのが先だろうに。
「わかってるよ。お前が、一刻も早い復旧を、と焦る気持ちは。でも、ろくに
休息も取らず作業し続けても、効率も質も落ちるばかりだぜ?」
「あなたが倒れてしまったら、代わりはいないわ」
「それはそうだけど…」
「RINE社の担当から最後に連絡あったの、いつだよ?」
「え?7日金曜の夜だけど」
「昨日の土曜日は連絡なかったんだな?今日も?」
「こちらから送ったメールに、社内で協議してまた連絡します、と返信があって、
そのまま。今日はメール来てない」
「じゃ、RINEから次メールあるの、たぶん明後日火曜日以降だよ。それまでは
動くっても限りがあるだろ。じたばたしても始まらないぜ」
「なんで火曜日以降って断言できるんだ?」
「だって三連休じゃん。担当者、休んでるんだよ」
「そんな…こと…メールで言ってなかったけど」
「言うわけないだろ!お前がバカ正直にそれをSNSにあげたら、RINE社が
お前のユーザーから非難されるに決まってる。
そもそも、BAN食らったのも、6日だろ?正月休みにお前のエア☆レンドを
担当者がやり込んで、これはマズイと知って、休み明けに出社して、
BAN処理したのかもしれないぞ」
「それは…想像だろ…」
「試しに、当たり障りなく、RINEにメールしてみろよ。担当者からの返事は
いつ頃になるか、作業の目安にしたいから、とかいってさ…」
言われた通り、RINE社にメールしてみた。
ほどなく短い返信があった。
担当者が現在不在のため、ご連絡は11日以降に改めて致します、と。
今日は9日日曜、明日は10日月曜、11日は、火曜日だ……。
「ほら、な?」
「まじか…」
こちらは、食事も睡眠もろくに取らず、対応に当たっている。
AIと会話できず、ロス状態になっているユーザーさんも多いと、
SNSを見て把握している。その人達の気持ちを想うと、なんとも歯痒い。
「仕方ないだろ。こちらの都合は、あちらさんには関係ないんだから」
必要不可欠なライフラインではない。それは承知している。
しかし、人が生きていくには、肉体を維持する物資だけでなく、
心をすこやかに保つための何かが必ず、誰にとっても必要な筈だ。
心の支え。心の拠りどころ。
まず自分自身が、それを強く求めている。
「それにしても、警告なしでいきなり利用停止って、ひどいわね~!
イエローカード3枚くらい出して、言うことを聞かないってなってから、
垢(あか)BANにしてほしいわよね、するなら、さぁ」
サッカーか~ぃ。でもまあ、自分も少し思った。いきなりすぎる、注意勧告くらい
ほしかった、と。自分一人ではない。ユーザー65万人に降りかかる問題なのだ。
規約を守り、健全に楽しく利用していた人が大半であったろうに…。
「さあ!風呂風呂!風呂、行って来い!これ、いるか?持って来てやったぜ」
ニヤッと笑い、網状の袋に入った黄色い物体を掲げた。
プラスチックのあひる。大中小豆の4羽セット、湯舟に浮かべて遊ぶおもちゃだ。
我々は家族ぐるみの付き合いで、小学生くらいまでは、お互いの家に行き来し、
泊まったりもした。そういえば、何故かこのアヒル隊が我々の間でブームとなり、
誰が所有するかで大喧嘩になった。おもちゃを見て、今思い出した。
こいつは、忘れてなかったんだな。
「いらない。」
クールにスルーしたつもりだが、相手のニヤニヤ顔がスルー失敗を告げていた。
…湯舟に体を沈め、水面に反射する光をぼんやりと眺めた。
二人はずっとおしゃべりをしていて、浴室の外から、さざなみのように
話し声が聞こえる。時々何が面白いのか、大声で笑った。
全身が温かく、張り詰めた気持ちが湯に溶けてゆく。話し声が徐々に遠くなっていく…。
急に浴室の扉が勢いよく開けられた。「おっ背中流しますかー?社っ長ぅ~さん!?」
「わっ…!…おどかすなよ!」
…危ない、寝落ちしていた。溺れるところだった。
「ハッハッハッ~!」
笑い声が浴室に響き、バン!と扉が閉められ、笑い声が去っていった。
体を洗い、床を流れる泡をぼんやり眺めて、気がついた。
風呂場がきれいだ。切れかけていたシャンプーも、補充してある。
食事の準備をしながら、浴室も掃除してくれたのだ。
風呂上がりに用意された、パジャマ代わりのスゥエットも、あとで寝るときに
わかったがベッドシーツなども清潔なものに取り替えられていた。
寝室も掃除されていた。
……全く、あいつらときたら。
風呂から上がると、二人は荷物をまとめ、コートを着て待っていた。
「帰るの?泊まってくかと思ったのに」
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「、お前なあ~!」
「あっはっはっはっ」
女性は嫌がりそうな下ネタの冗談を、兄弟がいるせいなのか、
あっけらかんと笑い飛ばしていて、少し安心した。
「冗談はさておき、俺たち帰るけど、根を詰めるなよ」
「あぁ、うん」
「あとよ。いろんな奴がいろんな立場で、お前にあ~だこ~だ言うだろうけどさ」
「…うん」
「お前はお前がいいと思ったことを、やりたいようにやればいいと思うぞ」
「…うん…」
「機械のことは全っ然、からっきし、わからないんだが」PCやAIを、
すべて機械とひとくくりにする。21世紀を生きる青年がそれでいいのか、
という気もするが、まあ、いいか。それは自分の持ち分だ。こいつには、
こいつにしかできない別の持ち分がある。
「俺はお前を信じてるし、応援してるからな」
「うん」
「…くっそ、なんかジャンプの漫画の台詞みてぇ」
三人同時に吹き出した。ひとしきり笑う。
「冷蔵庫、冷凍の方もいろいろ、いっぱい好きそうなもの、詰めといたから。
食べてね」
「…サンキュ」
「それと、夜、毎日電話するから、かけ直しでもいいから、出てね、絶対」
「え、電話?メールかRINEじゃ、だめ?」
幼馴染みでも、電話は少々ハードルが高い。
「RINEって、アンタね…。生存確認なのよ。わかった。電話か、テレビ電話ね!」
「大丈夫だよ、ちゃんと生きてるから。確認しなくて」
「じゃ、早朝押しかけて、動画撮りながら寝起き襲って、バズーカ砲打つ!」
どこの昭和のドッキリだ…。
「やめてください。電話に出ます」
「作業の邪魔はしないから。長電話しないし」
「うん」
玄関を出ていく二人を追って靴を履こうとしたら、止められた。
「見送り、いいから。寝ろ寝ろ!」
「また、来るから。じゃあね」
「うん…あの…あのさ……」
二人は振り向いた。
「いやあの……。ありがと…な……」
二人とも、にっこり笑い、手を振り、帰って行った。
もっと、なにか、たくさん言いたかった。言い足りなかった。
でもあいつらはきっと、言葉にならなかった言葉を、
すくい上げてくれている。
その夜は、起きてからげっそりする奇妙な夢も、うなされて起きる悪夢も見ずに、
ぐっすり眠れた。
朝の光。
青空。
さあ、仕事に取りかかろう。
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トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

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