上 下
7 / 11

7 1日目の終わり

しおりを挟む
「どうしたんだエミリー、浮かない顔をして」
「あ、え?」

家族揃っての夕食の席。
少ししゃがれたその声に、私はぼんやりとした頭でただ反射的に返事をしていた。
見ると、お父様が心配そうにこちらの表情をうかがっていた。
清潔さを感じさせるブラウスに濃いブラウンのズボンというシンプルな出立ちだけれど、堀の深い凛々しい顔の造形、少し伸ばした顎髭が精悍さを感じさせる。シルバーの髪は額が見えるくらい上げていて表情がよくわかる。
端的に言えばまさにダンディ。素敵よお父様…!

そんな人が少々曇ったお顔でこちらを気にかけてくれたものだから、お母様や兄様も同様に私に視線を向けている。
元飼い猫の弟だけは、こちらを気にすることなく呑気に食事を続けていた。

「ごめんなさいお父様。少し考え事をしていて」

とりあえずの作り笑顔で曖昧な回答をしておく。

「そうか。今日は街に出かけたそうだな、何かあったのかね?」
「え? えーと…」

低く穏やかな声色で問いかけられると、つい何でも答えてしまいそうになる。しかし今の気持ちはなかなか説明しづらい。
私が態度を変えられずにいると、お父様はふうっと小さくため息をついた後、笑顔を浮かべながら続けた。

「ふむ、予期せぬ人物との出会いでもあったのかな? 大事がなければそれでいいのだ。ただ、食事の手はあまり止めないでおくれ。料理人たちが味つけに失敗したかと不安になるからな。はっはっはっ」
「ごめんなさい、ちゃんと、とっても美味しいわ! いただきます!」

お父様の笑い声にみんながつられて笑みをこぼし、しんとした雰囲気が明るくなっていく。
これ以上ぼーっとしているわけにはいかないわ。私は頭の中のモヤモヤをかき消すように食べ進めることにする。
わ、このお魚おいしいっ!

…もちろんモヤモヤの正体はわかっている。
時計塔から街を見下ろした夕暮れ時、高塚えみりとしては1秒も同じ時間を過ごしていないはずの同級生アルベルトが去り際に残していったあの態度。
それが私の心を…いや、むしろ脳内を駆け巡っているのだ。


部屋に戻って一息ついて。
淹れてもらった紅茶を口にしながら、私は今日という日を振り返っていた。
蝋燭は何本か火を灯してあるけれど、部屋全体をしっかりと照らすには至らない。夜の帷がとても静かに下りていた。

「愛猫との別れに悲しみにくれていたら、どこかの国の貴族に転生」
「すげーなあ」
「隣にはその愛猫が弟として転生」
「奇跡だなあ」
「はしゃいで街に遊びに行ったら同級生とバッタリ」
「奇遇だなあ」
「誘われた時計塔でまさかの恋愛ドラマ第2話あたりの展開」
「よくわかんないなあ」
「ていうかアレク、なんで私の部屋にいるのアンタ」
「まだ眠くないんだもーん」

そう言ってアレクは私のベッドに飛び乗る。ごろりと寝返りを打ってからこちらを見ると、にっこりと笑った。

「えみりにまたおやすみって言えるの嬉しいなー」
「き、急に何よ! 照れる!! 照れちゃう!!」

一瞬でニヤニヤしてしまった私の顔を見てアレクは満足気だ。
そうね、おやすみって言えるのは、嬉しいことね。

「ねーアレク。アルベルトのあの反応、もしかして、もしかしちゃうよね? ここ? ここで私にフラグが立っちゃった?」
「俺はよくわかんないよ」
「だってあんな映えスポットで、こっちの一言にあの態度だよ? 絶対気があるわよね彼」
「よくわかんないけど、もうちょっと言い方があるんじゃないかにゃー」
「スマホ持ってれば激写したのに」
「アルベルトを?」
「まずはあの風景ね。インスタに即アップ」

見渡した景色はとてもきれいだった。
どうやらここにはスマホもインスタも存在しないけど。

「で、エミリーは何がそんなに気になってんの?」
「どういうこと?」
「街から帰ってくる時も、ご飯の時も、なんか気になっててボンヤリしてるんでしょ?」
「気になってる…」

そうなのだろうか。気になること…気にしているのだろうか。
気にする。何を? アルベルトを?
ううん、これはきっと…。

「後悔かな」
「後悔?」
「そ。あー、やっちゃった!って」

ベッドでゴロゴロする弟から視線を外し、かと言ってどこを見つめるでもなく、住み慣れた見慣れない部屋を見渡す。

「高塚えみりが昔デートに誘ってもらったこととか、言わなくてよかったわよね。私の…もう前世って呼べばいいのかしら、その辺の経験は伝える必要なかったなー、って」
「そうなんだー」
「だってアルベルトも私も16歳よ。32歳のオトナの女としての経験なんて、説明されてもよくわかんないじゃない?
余計なこと言っちゃった」

ふうっとため息をついて天井を見上げる。
これからも前世の経験が邪魔になるってことなのかしら。
というか転生してまた一日も経ってない。

「朝からいろいろあったわね、どっと疲れたわ」
「そんな時は寝ちゃおうぜー」
「アンタは気楽ね」
「姉様がなんか悩んでるだけじゃん」
「まあそうなんだけど…よし、寝ちゃおう」
「寝よ寝よ、一緒に寝よー」
「それはちょっと恥ずかしいんですけど!?」


ベッドに居残ろうとする弟を部屋に追い返し、お風呂を済ませてネグリジェにお着替え。部屋の灯りを消すと一瞬で真っ暗になった。
明日起きたら高塚えみりに戻っちゃうのかしら。ふとそんなことを思いながらベッドに横になり、今日の出来事の記憶を反芻しようとして、しかし一瞬で眠ってしまった。
お疲れ様、私。

「エミリー」

アルベルトに呼ばれた。
ああ、これは夢の中ね。
これは夢だとはっきり認識するなんて、なんだか不思議。でも転生より不思議なことなんてそうそう無いわよね、これくらい平常心で向かわなくっちゃ。

「だったらさエミリー、俺はいつかお前のために、最高の時計を作ってやるよ!」

…思い出した。教会を出て、二人で時計塔を見つめながらお話をしたこと。
そう言ってくれたアルベルトの笑顔を思い出した。
そして自分の気持ちも。

「…そうだ」

私は…エミリー・フォン・ビスマルクは、アルベルトに恋をしていることを、はっきりと思い出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢になったので、可哀想な友人の婚約を破断させていくことになりました

ジャスミンティー
恋愛
ゲームを買う道中で死んでしまった主人公は、そのまま買ったばかりのゲームの世界に飛ばされてしまった。 そして、目がさめると悪役令嬢2転生してしまった。 そんな中、主人公は貴族の学校に通うのだが、そこで目にしたのは貴族の地位にふんずりかえり婚約者をいじめる卑劣な男達。主人公はそんな男達を権力と知恵を振り絞り、彼らを没落させて、婚約破棄させる悪役令嬢になっていく

恋人の水着は想像以上に刺激的だった

ヘロディア
恋愛
プールにデートに行くことになった主人公と恋人。 恋人の水着が刺激的すぎた主人公は…

今、夫と私の浮気相手の二人に侵されている

ヘロディア
恋愛
浮気がバレた主人公。 夫の提案で、主人公、夫、浮気相手の三人で面会することとなる。 そこで主人公は男同士の自分の取り合いを目の当たりにし、最後に男たちが選んだのは、先に主人公を絶頂に導いたものの勝ち、という道だった。 主人公は絶望的な状況で喘ぎ始め…

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する

真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

愛されてみることにする。

少女××
恋愛
「俺がお前を愛してやるよ。」 なんとなく、あなたのために 愛されてみることにする。 お兄さん×幼女

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...