私のお嬢様は……

悠生ゆう

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第12話 お嬢様視点 1

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 目が覚めたけれど頭がぼんやりする。時計を見るといつもよりもかなり早い時間だった。だけど二度寝する気にもなれず、私は渋々ベッドから起き上がる。
 とりあえずシャワーを浴びて目を覚まそうと部屋から出ると、紗雪はすでにキッチンで朝食の準備をしていた。
「あ、お嬢様。おはようございます」
 紗雪は作業の手を止めて私を見る。
「おはよう……」
 鏡を見るまでもなくひどい顔をしていることがわかっていたから、私は少し顔を伏せて髪をかき上げるフリをしながら顔を隠して返事をした。
「どうしたんですか? 早いですね」
 紗雪は少し首を傾げながら聞く。
「たまたま目が覚めただけよ」
 私は少し苛つきながら答えた。こんなに早起きしてしまった上に寝不足なのは、ほかならぬ紗雪のせいなのに、当の本人にその自覚はないらしい。
 私は顔を伏せたままチラリと紗雪の様子を伺う。紗雪は私の返事を聞いて「そうですか」なんて言いながら、鼻歌交じりに作業にもどっていた。
「やけにご機嫌じゃない」
 私は嫌味のつもりで言ったのだけど、紗雪はそう思わなかったようで「そうですか?」と言いながら緩み切った笑みを見せた。その顔にさらに苛立ちが募る。
「お嬢様はご機嫌斜めですか?」
「別に……」
「何かありましたか?」
「何かって!」
 思わず叫んだ言葉を飲み込んだ。紗雪はキョトンとした私を見ている。紗雪にとっては何でもないことなのだ。それなのに私だけが大騒ぎするなんて馬鹿みたいだ。
「……シャワー浴びるから」
 私はそれだけ言って大股で浴室に向かった。
 少し熱めのお湯を頭から浴びると眠気が抜けて頭の中がスッキリしてくる。
 昨日は色々なことがあり過ぎて情報処理が追い付かなくてあまり眠れなかった。考えなくてはいけないことが山積しているというのに、目を閉じると紗雪と交わしたキスを思い出して叫び出したい気持ちになった。
 確かに私は紗雪に好きだと告げた。それにキスをしたのも私からだ。だけどあそこまでするなんて反則だと思う。
 別に嫌だったわけじゃない。むしろ良かったんだけど、心の準備というものが必要なのだ。あれは私にとって、好きな人とのはじめてのキスだった。ファーストキスがあんなことになるなんて思わないではないか。
 紗雪があんなに余裕のある態度なのは、はじめてのキスではないからかもしれない。紗雪は三十七歳で、私より二十年も余分に生きているのだから、これまで恋愛のひとつやふたつはしてきただろう。私がはじめての相手じゃないことくらいわかっている。だからそれはいいのだ。少し妬けるしどんな相手だったのか気にはなるけれど、過去のことを気にしても仕方がない。
 だけどあの調子で今後も紗雪に主導権を握られてしまうのはどうしても受け入れがたい。だってあのときの紗雪はいつもの紗雪と違って、なんかもうドキドキしたしびっくりしたし、ともかくあんなのが続いたら私は平静を保つことができなくなる。
 だから私は紗雪のペースに乗せられないように気持ちをしっかり持たなくてはいけないのだ。
 浴室を出てダイニングに行くと紗雪がチラリと私を見た。
「髪、乾かしましょうか?」
「自分でやるからいいわ」
 そうして再び自室に戻る。紗雪に髪を乾かしてもらうのは好きだけど今日は無理だ。
 髪を乾かして服を着替えて再び部屋を出ると、ダイニングテーブルにはすでに朝食が並んでいた。
 私はいつも通り席につく。
 するとそのタイミングで紗雪がテーブルロールの盛られた皿を置いた。ふんわりとして表面がツヤツヤと輝くそのパンからは焼き立て特有の香ばしい匂いが漂っている。
「焼き立て?」
 テーブルの脇に立ったまま期待に満ちた視線を向ける紗雪に向かって私は聞いた。
 紗雪がパンを焼くようになってから、こうして毎朝紗雪のパンの評価をしてきた。最初の頃の紗雪は、少し怯えるような目で私の評価を待っていたものだ。それが今は「さぁ、褒めてください」と言わんばかりの顔になっている。
 こうして考えていることが手に取るように分かる表情も好きだし、ちょっと鈍くて、ちょっとピントがずれているところも好きだ。だけど今日だけはそれが鼻につく。
 そういえば最初のころは紗雪の鈍さに腹を立てていた。
 紗雪に毎朝焼き立てのパンが食べたいと伝えたときもそうだ。私は紗雪が使用人になる前、パン職人の修行をしていたことも、いつかおじい様の味を再現してパン屋を開きたいと考えていることも知っていた。
 そんな私が「焼き立てのパンを食べたい」と言えば、紗雪にパンを焼くように言っていると気付くものだろう。ところが紗雪は「じゃあ買ってきます」と言い出したのだ。
 あのときは本当に心の底から「馬鹿なの」と思ったものだ。
 紗雪は期限付きの使用人だ。だから私の元を去った後、ちゃんと夢を叶えられるようにパンを焼く練習をさせようという私の配慮に全く気付かない。
 紗雪の鈍さは私にとっての救いだったけれど、同時に苛立ちの元でもあった。
「さ、温かいうちに食べてください」
 私がいつまでも手を伸ばさないことにしびれを切らして紗雪が言った。紗雪の焼くパンはおいしい。だけど私はこれまで一度も焼き立てのパンに合格点を出したことがない。それは紗雪が目指す味ではないと知っていたからだ。
 紗雪のおじい様のレシピは、焼き立てではなく焼いてからしばらく寝かせたときにおいしくなるように考えられていたらしい。それが分かってから、紗雪は前日にパンを焼くようになった。
 昨日は日中外出していて焼く時間が無かったから、早起きをしてパンを焼いたのだろう。
 それはわかるのだけど採点を甘くするつもりはない。紗雪は不合格を言い渡す私も心苦しいのだということがわかっていないのだ。
 焼き立てのパンには合格点を出せない。
 私は紗雪の顔を改めて見る。こうやって従順な犬のように尻尾を振って採点を待つ紗雪は本当に馬鹿だと思うしかわいいと思う。そうして紗雪の顔をみていたら、ついつい紗雪の口もとに目が行って赤面しそうになった。
 私はそれを誤魔化すようにあたたかなテーブルロールに手を伸ばすと、小さくちぎって一片を口の中に放り込んだ。
 表面は香ばしく中はふっくらとやわらかい。噛みしめると小麦の香とそれを追いかけるようにほんのりとバターの香がした。
「え? おいしい……」
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