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第11話
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期限が決められた主従関係だった。最初は早く解放されたいと思っていた。だけど今はあと三年で終わってしまうことが寂しかった。生意気で、口が悪くて、素直じゃないけれど、とびっきりかわいいお嬢様と、もっとずっと一緒にいたいと思っていた。
祖父の味を再現してパン屋を開きたいと思っていたけれど、それを諦めてでもお嬢様のそばにいたいと思っていた。
お嬢様に「おいしい」と言ってもらえるパンが焼きたかったけれど、その言葉が悲しかったのは、離れてしまうときが迫っているのを感じてしまったからだ。
二十歳も年下の女の子にこんな思いを抱くのはおかしいと思っていた。だから、あと三年勤めあげて、大人になったお嬢様を笑顔で送り出そうと思っていた。
この想いに名前を付けたくはなかった。名前を付けてしまったらきっと抑えられなくなってしまうから。
だけど、もう誤魔化すことはできない。
この想いは、きっと愛だ。
「プ、プロポーズです」
「何を言ってるのよ」
お嬢様は顔をそむけたままだ。私はお嬢様の肩に手を置いてお嬢様の顔を見る。私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。だけどそれ以上にお嬢様の顔は真っ赤に染まっていた。
「大丈夫です。料理だって洗濯だってできるのは知っているでしょう? それにパンを焼きます。貯金もあるし、贅沢は無理ですけど、ちゃんとお嬢様を養っていけます」
「本気で言ってるの?」
「本気です」
「馬鹿じゃないの」
また顔を背けようとするお嬢様を私は思い切って抱きしめてみた。ものすごく恥ずかしいけれど、今きちんと伝えなければお嬢様は諦めてしまう。
「お嬢様は嫌ですか?」
「絶対に苦労するわよ」
「覚悟してます」
「私、何もできないわよ」
「知ってます」
するとお嬢様が私の脇腹をゴツンと叩いた。思わず手を緩めるとお嬢様は体を離す。
「プロポーズの相手を『お嬢様』はおかしいんじゃないの?」
「え? でもそれは、ずっとお嬢様でしたし」
「これから先も使用人なの?」
「う……み、美羽……様」
「様はいらない」
「美羽、一緒に逃げましょう」
勇気を振り絞って言うと、今度は美羽の方から私を抱きしめてくれた。
「じゃあ、逃げちゃおうか」
まるで遊びに行くかのように軽い口調でお嬢様が言った。だから私から言い出したことなのにちょっと尻込みしてしまう。
「えっと、でも、本当にいいんですか?」
「私はずっと紗雪が好きだったもの」
「へ? いつから?」
「きっとはじめて会ったときから」
耳元で囁くように美羽が言う。
「はじめてって、十二歳の?」
美羽が首を横に振るのが分かった。
「十歳。小学生のとき。誰かに人に追われていたときに紗雪が助けてくれた。あのときにもらったパンがすごくおいしかったの」
私は祖父が倒れたときに出会った少女のことを思い出した。あのときは私もいっぱいいっぱいだったから、少女の顔までは覚えてい。
「でも、あのときの子って用心深かったけど、素直ないい子でしたよ?」
すると美羽は体を離して私の両方の頬を摘まむ。
「今でも素直ないい子でしょう」
「あ、はい、そうですね」
そうして二人でクスクスと笑う。
「あの頃、誰も信用できなかった。だけど紗雪は信用できると思ったの。だからあれから紗雪のことをずっと探してた」
「そうだったんですね」
あの頃から、いやそれ以前からお嬢様はずっと一人で戦っていたんだ。
「でも、紗雪?」
「はい」
「一緒に逃げるのはいいんだけど、多分、未成年者略取で紗雪は逮捕されるわよ」
「え? 本人の同意があっても?」
「逮捕されるわね」
「そ、それはまずいですね」
一緒に逃げるとは言っても犯罪者として逃げるのはちょっと違う気がする。
「まぁ、紗雪が本当に私のことを好きなら、ちょっと手段を考えるわ」
そう言ってお嬢様は少し悪巧みをするような顔をした。その顔がやけにイキイキしていてきれいだった。
「……方法があるんですか?」
美羽の実家のことを考えたら私たちは無力だ。一筋縄ではいかない気がする。少なくとも私にはお嬢様の言う『手段』は思いつかない。
「んー、多分なんとかなると思うけど……。でもそうしたらこんな生活はできなくなるわよ」
「私は構いませんけど、お嬢様……美羽はいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、安曇先生と作戦をねらなくちゃ」
「安曇先生?」
「実家で出会った人で、数少ない信用できる人よ」
私は昼間であった安曇先生のことを思い出す。確かに安曇先生は信用できそうだと思う。だけど実家と繋がりのある人を本当に信用していいのか不安だ。
「安曇先生は本当に信用していいんですか?」
「ええ」
美羽は自信に満ちた顔で頷いた。どうしてそこまで信用できるのか理解できない。そして若干嫉妬する。
「はじめて会ったのは私が中学の頃だったかしら。警戒していた私に安曇先生、どんな話をしたと思う?」
「さあ?」
お嬢様に信用されるだけの言葉を言ったのだろうがまったく思いつかない。
「恋人のためならどんな悪事にだって手を染める覚悟はあるけど、恋人が望まないことは絶対にしないって言ったの」
その時のことを思い出したのか、お嬢様が楽しそうに笑った。安曇先生の言う恋人とは友永さんのことだろう。
「それは……なかなかですね」
「中学生相手に平然とそんなことを言っちゃう人よ。絶対にこの人は大丈夫だって思うでしょう?」
そうだろうか? 正直私にはよくわからない。だけどお嬢様の琴線には触れたようだ。
お嬢様はさらに私に体を寄せて、ほとんど私の膝の上に座るようにして私を見つめた。
「紗雪は本当にいいの? これからすごく大変よ」
「覚悟してます」
「途中で嫌だって言っても聞かないからね」
「そんなこと言いません」
すると美羽はやわらかく笑ってゆっくりと私に顔を寄せた。
私は咄嗟に手を出して美羽の口もとをガードする。
「何するの?」
不機嫌さを隠さずに美羽が言う。
「美羽こそ何しようとしているんですか?」
「紗雪がプロポーズしたのよ。もう恋人同士なんでしょう? キスくらいするのは当然じゃないの?」
「美羽はまだ十七歳ですよ。そんなことしたら私が捕まるじゃないですか」
「ヘタレ」
「あと一年我慢します」
「馬鹿」
「何と言われてもダメです」
美羽は少し考えるように俯いた。
「まだ使用人としての契約期間中よね?」
「え? はい」
「だったら命令。動かないで」
そうビシッと言うと、私の頬を両手で挟む。
「私からされるのなら不可抗力でしょう?」
「これはセクハラになるんじゃないですか? パワハラですか?」
「馬鹿じゃないの? 黙りなさい」
そうして美羽は私に顔を寄せ、そのあたたかな唇を私の唇に重ねた。
私は美羽の腰に腕を回して引き寄せる。「動かないで」と命令されたような気はするが、まあいい。薄く目を開けると眉を寄せて硬く目を閉じた美羽の顔が見える。
触れた唇をさらに強く押し当てる。身を引こうとする美羽の頭の後ろに手を回して何度もその唇を吸う。静かな部屋にリップ音だけが響く。舌で口中への侵入を試みると、美羽は「んっ」と小さな声を漏らした。驚いたのか何かを言おうとしたのか、美羽の唇が少し緩んだ。私はその隙を見逃さずに舌を押し当て奥へと侵入する。私の肩を掴んでいた美羽の手に力が込められて少し痛みを感じたけれどそれを無視して美羽の熱を口いっぱいに含む。
逃げようとする美羽の舌を執拗に追いかけていると、美羽が私の頭やら背中やらをポカポカと乱暴に叩いた。そしてグッと私の胸を押して私を引き剥がす。
顔が離れると名残を惜しむように唾液が糸を引いた。
「ば、馬鹿じゃないの! はじめてのキスでここまでする?」
美羽が耳まで真っ赤にして叫びながら唇を拭く。
「すみません。私もいい大人なのでちょっと我慢ができませんでした」
「いい大人なら我慢しなさいよ!」
そう言って美羽はソファーから立ち上がった。
「美羽?」
「呼び捨てにしないで! まだ契約中なんだから!」
「お嬢様~?」
「馬鹿! エッチ! 変態!」
「いや、変態はないでしょう」
どうやらやり過ぎてしまったようだ。お嬢様はズタズタと足を踏み鳴らして自室に向かう。
「お嬢様、怒らないでくださいよ、もうしませんから~」
私が懇願すると、お嬢様は自室の扉に手を掛けたところで足を止めて振り向いた。
「し、しちゃダメとは言ってないでしょう。……けどっ、紗雪からするのは絶対ダメだからね!」
そうして顔を真っ赤にしたまま部屋の中に入っていった。
私のお嬢様は高飛車で、口が悪くて、素直じゃない。だけど、とびっきりかわいい。
おわり
祖父の味を再現してパン屋を開きたいと思っていたけれど、それを諦めてでもお嬢様のそばにいたいと思っていた。
お嬢様に「おいしい」と言ってもらえるパンが焼きたかったけれど、その言葉が悲しかったのは、離れてしまうときが迫っているのを感じてしまったからだ。
二十歳も年下の女の子にこんな思いを抱くのはおかしいと思っていた。だから、あと三年勤めあげて、大人になったお嬢様を笑顔で送り出そうと思っていた。
この想いに名前を付けたくはなかった。名前を付けてしまったらきっと抑えられなくなってしまうから。
だけど、もう誤魔化すことはできない。
この想いは、きっと愛だ。
「プ、プロポーズです」
「何を言ってるのよ」
お嬢様は顔をそむけたままだ。私はお嬢様の肩に手を置いてお嬢様の顔を見る。私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。だけどそれ以上にお嬢様の顔は真っ赤に染まっていた。
「大丈夫です。料理だって洗濯だってできるのは知っているでしょう? それにパンを焼きます。貯金もあるし、贅沢は無理ですけど、ちゃんとお嬢様を養っていけます」
「本気で言ってるの?」
「本気です」
「馬鹿じゃないの」
また顔を背けようとするお嬢様を私は思い切って抱きしめてみた。ものすごく恥ずかしいけれど、今きちんと伝えなければお嬢様は諦めてしまう。
「お嬢様は嫌ですか?」
「絶対に苦労するわよ」
「覚悟してます」
「私、何もできないわよ」
「知ってます」
するとお嬢様が私の脇腹をゴツンと叩いた。思わず手を緩めるとお嬢様は体を離す。
「プロポーズの相手を『お嬢様』はおかしいんじゃないの?」
「え? でもそれは、ずっとお嬢様でしたし」
「これから先も使用人なの?」
「う……み、美羽……様」
「様はいらない」
「美羽、一緒に逃げましょう」
勇気を振り絞って言うと、今度は美羽の方から私を抱きしめてくれた。
「じゃあ、逃げちゃおうか」
まるで遊びに行くかのように軽い口調でお嬢様が言った。だから私から言い出したことなのにちょっと尻込みしてしまう。
「えっと、でも、本当にいいんですか?」
「私はずっと紗雪が好きだったもの」
「へ? いつから?」
「きっとはじめて会ったときから」
耳元で囁くように美羽が言う。
「はじめてって、十二歳の?」
美羽が首を横に振るのが分かった。
「十歳。小学生のとき。誰かに人に追われていたときに紗雪が助けてくれた。あのときにもらったパンがすごくおいしかったの」
私は祖父が倒れたときに出会った少女のことを思い出した。あのときは私もいっぱいいっぱいだったから、少女の顔までは覚えてい。
「でも、あのときの子って用心深かったけど、素直ないい子でしたよ?」
すると美羽は体を離して私の両方の頬を摘まむ。
「今でも素直ないい子でしょう」
「あ、はい、そうですね」
そうして二人でクスクスと笑う。
「あの頃、誰も信用できなかった。だけど紗雪は信用できると思ったの。だからあれから紗雪のことをずっと探してた」
「そうだったんですね」
あの頃から、いやそれ以前からお嬢様はずっと一人で戦っていたんだ。
「でも、紗雪?」
「はい」
「一緒に逃げるのはいいんだけど、多分、未成年者略取で紗雪は逮捕されるわよ」
「え? 本人の同意があっても?」
「逮捕されるわね」
「そ、それはまずいですね」
一緒に逃げるとは言っても犯罪者として逃げるのはちょっと違う気がする。
「まぁ、紗雪が本当に私のことを好きなら、ちょっと手段を考えるわ」
そう言ってお嬢様は少し悪巧みをするような顔をした。その顔がやけにイキイキしていてきれいだった。
「……方法があるんですか?」
美羽の実家のことを考えたら私たちは無力だ。一筋縄ではいかない気がする。少なくとも私にはお嬢様の言う『手段』は思いつかない。
「んー、多分なんとかなると思うけど……。でもそうしたらこんな生活はできなくなるわよ」
「私は構いませんけど、お嬢様……美羽はいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、安曇先生と作戦をねらなくちゃ」
「安曇先生?」
「実家で出会った人で、数少ない信用できる人よ」
私は昼間であった安曇先生のことを思い出す。確かに安曇先生は信用できそうだと思う。だけど実家と繋がりのある人を本当に信用していいのか不安だ。
「安曇先生は本当に信用していいんですか?」
「ええ」
美羽は自信に満ちた顔で頷いた。どうしてそこまで信用できるのか理解できない。そして若干嫉妬する。
「はじめて会ったのは私が中学の頃だったかしら。警戒していた私に安曇先生、どんな話をしたと思う?」
「さあ?」
お嬢様に信用されるだけの言葉を言ったのだろうがまったく思いつかない。
「恋人のためならどんな悪事にだって手を染める覚悟はあるけど、恋人が望まないことは絶対にしないって言ったの」
その時のことを思い出したのか、お嬢様が楽しそうに笑った。安曇先生の言う恋人とは友永さんのことだろう。
「それは……なかなかですね」
「中学生相手に平然とそんなことを言っちゃう人よ。絶対にこの人は大丈夫だって思うでしょう?」
そうだろうか? 正直私にはよくわからない。だけどお嬢様の琴線には触れたようだ。
お嬢様はさらに私に体を寄せて、ほとんど私の膝の上に座るようにして私を見つめた。
「紗雪は本当にいいの? これからすごく大変よ」
「覚悟してます」
「途中で嫌だって言っても聞かないからね」
「そんなこと言いません」
すると美羽はやわらかく笑ってゆっくりと私に顔を寄せた。
私は咄嗟に手を出して美羽の口もとをガードする。
「何するの?」
不機嫌さを隠さずに美羽が言う。
「美羽こそ何しようとしているんですか?」
「紗雪がプロポーズしたのよ。もう恋人同士なんでしょう? キスくらいするのは当然じゃないの?」
「美羽はまだ十七歳ですよ。そんなことしたら私が捕まるじゃないですか」
「ヘタレ」
「あと一年我慢します」
「馬鹿」
「何と言われてもダメです」
美羽は少し考えるように俯いた。
「まだ使用人としての契約期間中よね?」
「え? はい」
「だったら命令。動かないで」
そうビシッと言うと、私の頬を両手で挟む。
「私からされるのなら不可抗力でしょう?」
「これはセクハラになるんじゃないですか? パワハラですか?」
「馬鹿じゃないの? 黙りなさい」
そうして美羽は私に顔を寄せ、そのあたたかな唇を私の唇に重ねた。
私は美羽の腰に腕を回して引き寄せる。「動かないで」と命令されたような気はするが、まあいい。薄く目を開けると眉を寄せて硬く目を閉じた美羽の顔が見える。
触れた唇をさらに強く押し当てる。身を引こうとする美羽の頭の後ろに手を回して何度もその唇を吸う。静かな部屋にリップ音だけが響く。舌で口中への侵入を試みると、美羽は「んっ」と小さな声を漏らした。驚いたのか何かを言おうとしたのか、美羽の唇が少し緩んだ。私はその隙を見逃さずに舌を押し当て奥へと侵入する。私の肩を掴んでいた美羽の手に力が込められて少し痛みを感じたけれどそれを無視して美羽の熱を口いっぱいに含む。
逃げようとする美羽の舌を執拗に追いかけていると、美羽が私の頭やら背中やらをポカポカと乱暴に叩いた。そしてグッと私の胸を押して私を引き剥がす。
顔が離れると名残を惜しむように唾液が糸を引いた。
「ば、馬鹿じゃないの! はじめてのキスでここまでする?」
美羽が耳まで真っ赤にして叫びながら唇を拭く。
「すみません。私もいい大人なのでちょっと我慢ができませんでした」
「いい大人なら我慢しなさいよ!」
そう言って美羽はソファーから立ち上がった。
「美羽?」
「呼び捨てにしないで! まだ契約中なんだから!」
「お嬢様~?」
「馬鹿! エッチ! 変態!」
「いや、変態はないでしょう」
どうやらやり過ぎてしまったようだ。お嬢様はズタズタと足を踏み鳴らして自室に向かう。
「お嬢様、怒らないでくださいよ、もうしませんから~」
私が懇願すると、お嬢様は自室の扉に手を掛けたところで足を止めて振り向いた。
「し、しちゃダメとは言ってないでしょう。……けどっ、紗雪からするのは絶対ダメだからね!」
そうして顔を真っ赤にしたまま部屋の中に入っていった。
私のお嬢様は高飛車で、口が悪くて、素直じゃない。だけど、とびっきりかわいい。
おわり
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