私のお嬢様は……

悠生ゆう

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第8話

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 お嬢様に急かされて家を出て街に向かう。DMに記された場所は意外とあっさり見つかった。
 展示会の会場になっているギャラリーの入り口はガラス張りになっていた。中の様子を伺うとすでに数名の客が絵を眺めていた。
 私は扉をあけてお嬢様を先に通す。
「お越しいただきありがとうございます」
 入口で私より少しだけ年上に見える女性が丁寧なあいさつをした。
「よろしければご記入をお願いできますでしょうか」
 女性はそう言って芳名帳を示す。私は小さく頷いて筆を取った。そして芳名帳に私の名前だけを書き入れて住所は空欄にしておいた。
 お嬢様がこの作者を好きならば、住所を書いて置けば今後も展示会の案内が届くのだろう。しかし無駄なトラブルを避けるためには致し方ない。お嬢様はそういう立場の人だ。
「はじめてですか?」
 女性が尋ねる。笑顔を浮かべると少し幼い感じになったので、私より年上という見立ては間違っているのかもしれない。
「はい。知人に勧められたんです。DMのイラストが素敵だったのでぜひ拝見したいと思いまして」
 私は差しさわりのない返事をする。チラリとお嬢様の様子を伺うと、すでに真剣な面持ちで絵を眺めていた。
「ありがとうございます。一生懸命描いたのでゆっくり見ていってくださいね」
 女性は屈託のない笑みを浮かべていった。私はその笑顔を見てきっと裏表のない人なんだろうなと思う。お嬢様のそばにいるのがこんな人ばかりだったら、お嬢様はもっと肩の力を抜いて過ごせるのだろう。
「ん? 一生懸命、描いた?」
「はい」
「もしかして、この絵を描いた画家さんですか?」
「いやぁ、画家というほどではないですけど……申し遅れました脇山すみ枝です」
 脇山先生は照れたように頭を掻いてからスッと右手を出した。私はつられるようにその手を握る。
 こうした展示会では画家本人が受付をしているのかとびっくりしてしまった。お嬢様に教えたら喜ぶかもしれない。今は絵を見るのに夢中だろうから、帰りにでも教えてあげることにしよう。
「脇山先生ご本人にお会いできるとは思っていなかったので驚きました」
「そうですか? 毎日ずっといられるわけではありませんけど、私は結構いますよ」
「脇山先生のファンの方は喜ぶでしょうね」
「どうなんでしょうね。むしろ私の方がうれしくてこうして会場に足を運んでいるんですよ」
「脇山先生が?」
「真剣に絵を見ていただいたり、ここが好きだって教えていただいたり。そういうのがうれしいんです」
 その言葉に私はパンの移動販売をしていた頃を思い出す。祖父のパンを頬張って微笑む人や、「おいしかったよ」と声を掛けてくれる人。もう随分前のことなのに、そうした一人ひとりの顔が脳裏によみがえる。
「その気持ち、私も分かります」
「そうですよね!」
 脇山先生も満面の笑みを浮かべた。そのとき急にグイッと腕が引かれた。振り向くとお嬢様が頬をふくらませている。
「どうされました?」
「いつまでしゃべってるのよ」
「あ、いえ、この方……」
 お嬢様に脇山先生を紹介しようと思ったのだが、グイグイと引っ張られて脇山先生から離れてしまう。私が謝罪の意を込めて頭を下げると、脇山先生はニッコリと笑って軽く手を振った。
「まったく……」
 お嬢様は少しだけ唇を尖らせて再び絵を見上げた。そして私の腕を引っ張っていた手を緩めて、そのまま私の手を握る。
 そういえばお嬢様の元に来てしばらくの間はときどきこうして手をつないでいたっけ、と思い出した。いつの頃から手をつながなくなったんだろう。少しだけ緊張しているようなお嬢様の手の平を感じながら私も絵を見上げる。
 先ほどまで話していた脇山先生からはちょっと想像できないような幻想的でロマンチックな絵だった。まっすぐに伸びた木々が天まで届き、色とりどりの魚や鳥が空を泳ぐ。そして二人の幼い人魚が手をつないで空を見上げていた。
 どの絵にも幼い人魚が描かれている。一人の場合もあるし二人の場合もある。すぐに見つかることもあるし、よく探さなければ見つけられないこともある。
 間違いなくお嬢様が大好きな世界観だと思った。
 最後の一枚までお嬢様と手をつないだままだったのが少し照れくさくもあったけれどうれしくもある。そんなむず痒いような気持ちを誤魔化すようにお嬢様に声を掛けた。
「どれかお買いになりますか?」
 普通の女子高生が買えるような金額ではないが、お嬢様ならば問題なく買えるだろう。気に入っているならば何点か購入したいのではないかと思った。
「んー、素敵だし欲しいけど……やめておくわ」
「どうして?」
 私の問いにお嬢様は寂しそうな笑みを浮かべただけで答えてはくれなかった。そしてゆっくりと手を放すと「帰りましょう」と言って出口に向かった。
 出口の近くでは脇山先生はお客様らしき人と話し込んでいた。
 話の邪魔をするのもどうかと思ったけれど、どうしてもお嬢様に脇山先生を紹介したい。
 さっさと展示会場を出ていこうとするお嬢様手を引いて引き止めた。
「なんなの?」
 お嬢様は眉間にしわを寄せる。なんだかいつものお嬢様に戻っていた。そんなお嬢様を一旦無視して脇山先生に「お話中にすみません」と声を掛ける。脇山先生は嫌な顔もせず私に向き直った。
「お嬢様、脇山すみ枝先生ですよ」
「え? 嘘……」
 お嬢様は普段はしないような驚いた顔をしたあと、頬を赤く染めた。そして「あ、握手をしていただけますか?」と殊勝な口ぶりで両手を出す。
 脇山先生はニコッと笑ってお嬢様と両手で握手をした。
 紹介しておいてなんだけどちょっぴりイラっとしてしまった。握手を終えたお嬢様がうれしそうに自分の両手を見つめているのもなんだか気に入らない。私と手をつないでそんな顔をしたことは一度もない。まぁ、それは当然か。私はお嬢様が憧れる画家ではなくてただの使用人なのだ。
「あ、そうだ。こちら小説家の佐倉(さくら)アサ先生です」
 脇山先生が先ほどまで話していた女性を紹介してくれた。
「あ、あの幻想小説の?」
 私はその名前に思い至って声を上げたが、お嬢様は首を捻っていた。
「脇山先生と佐倉先生はお知り合いなんですか?」
 私は二人の顔を交互に見て尋ねる。
「今度、佐倉先生の小説の表紙に私の絵を使っていただくことになったんです」
 そう説明する脇山先生の横で佐倉先生はワタワタと手を振りながら「そ、そんな大きな声で……恥ずかしいじゃないですか」と言っている。どうやら佐倉先生は随分照れ屋のようだ。
「佐倉先生の小説読ませていただいています。握手をしていただいてもいいですか?」
 私はお嬢様がそうしたように佐倉先生に両手を差し出した。するとモジモジしながらも佐倉先生は両手で私と握手をしてくれた。
 好きな作家さんに握手をしてもらえるのはかなりうれしい。と思った矢先、お嬢様に足を思いっきり踏みつけられた。
 思わず叫びそうになったが、それを寸でのところで堪えて、少し涙の溜まっためでお嬢様を見る。
 するとお嬢様は澄ました顔で佐倉先生に顔を向けた。
「すみません、私は不勉強でまだ先生の小説を読ませていただいていなくて……」
「と、とんでもないです。あんなのは若い女の子が読むような話じゃないので、はい」
 確かに佐倉先生の小説は少し重たいテーマが多いから、女子高生の愛読書にはならないかもしれない。
「脇山先生が表紙を担当される小説はぜひ買わせていただきます」
 そうして完璧なよそいきの笑みを浮かべてみせた。
 そうしてお嬢様は私と目を合わせようともせずさっさと外に出て行ってしまった。そういう年齢だからなのか、お嬢様だからなのか分からないけれど、気分の浮き沈みが激し過ぎてときどきついていけない。
 仕方なく脇山先生と佐倉先生に頭を下げてお嬢様を追おうとしたが、私はすぐに足を止めて脇山先生に向き直った。こんな機会はめったにないと思う。申し訳ないけれど、お嬢様には少し待ってもらうことにしよう。
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