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最終話
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レストランから出ると店長さんはすでに道路脇まで歩き、タクシーを止めようとしていた。私は駆け寄ってその腕を引く。
「あの、もう帰るんですか?」
店長さんは振り返り、少し目を多きくして驚きの表情を浮かべた。
「二次会は出ないんですか?」
私は重ねて聞く。
「もう帰ります。元々、こういった集まりは苦手ですから」
「それなら、どうしてわざわざ出席したんです?」
私はさっき聞けなかった質問をした。
「九条さんがいつまで経っても私のことを思い出してくれないから、嫌がらせに来たんですよ」
そうして浮かべた笑みは少しだけ悲しそうに見えた。
「それは……、本当に面目ない限りで……」
「でも、結局思い出してくれませんでしたね」
店長さんの言葉に返事をしようとしたとき、体温を根こそぎさらっていくような強い風が急に吹いた。
「うわ、さむっ」
「九条さん、コートはないんですか?」
「クロークに預けたままだった」
「取りに行った方がいいんじゃないんですか?」
「えっと、どうしよう。待っててくれますか?」
「……」
「そこは返事をしてくださいよ。じゃないと取りに行けないじゃ……。一緒に行きます?」
すると店長さんは小さくため息をついた。
「待ってますから、取ってきてください」
「本当に待っててくれますよね?」
店長さんが頷くのを確認して、レストランの中に戻ってコートを引き取る。そして二次会について説明を受けている友人たちに見つからないようにすぐにレストランの外に出た。
コートを羽織る時間も惜しんで元の場所に急いで戻ったのだが店長さんの姿がなくなっていた。
「嘘つき、待っててくれるって言ったのに」
そうつぶやくと背後から「嘘つきじゃありません」という声が聞こえた。
「あそこに立っていると目立つのでここに移動しただけです」
店長さんはそう言いながらレストランの看板の影から姿を現した。
ホッとする私をよそに私を見る店長さんの目は呆れているように見える。
「ここにいるとみんなに見つかっちゃうので、少し歩きませんか?」
私が言うと店長さんは頷いて駅の方向に足を進めた。私もその横を並んで歩く。
「それで、私を呼び止めてまで何の話があるんですか?」
店長さんは私の方を見ようともせずに言った。
「もう少し話がしたいと思って」
「もう充分に話したじゃないですか」
「それは、昔話ですよね」
「それならせめて、私の名前を思い出してからにしてください」
「そんなのとっくに思い出してますよ」
「へ?」
店長さんはようやく私の顔を見た。
「糸貫(いとぬき)多恵子(たえこ)さんですよね」
ヒントはたくさんもらった。
一年のときのクラスメートで外部受験組。
大人しくて目立たないタイプの生徒。
バレンタインに贈ってくれたチョコに名前は無かったけれど、小さくイニシャルが記されていたのを覚えている。
あの頃、ほとんど話したことはないけれど、視線を感じて振り向くと俯く糸貫さんの姿があった。
思い出の中の糸貫さんは今の姿とは全く違っている。ただ、まとっている空気はあの頃と同じような気がした。
「分かってたなら、どうして言ってくれなかったんですか」
「いつ呼べばいいんだろうって考えてたら、タイミングを逃しました」
「なんなんですか、それ……」
糸貫さんは肩をがっくりと落とす。
「名前を思い出したから、もうちょっとお話してくれますよね?」
「どうして話がしたいんですか?」
「どうしてって……」
「昔、九条さんのことを好きだったって言ったから、今でもそうだとか思ってます?」
「まあ、正直少しは期待してますけど」
「十二年も前のことですよ。私もそんなに一途なタイプじゃありませんから」
「そうですよね。でも、改めてゆっくり話をするくらいいいじゃないですか」
段々歩くスピードが速くなっていく糸貫さんに遅れないよう、私もペースを合わせる。
「彼女と別れて、池田さんや秋野先生に振られたから、この辺りで手を打とうとか思いました?」
「そんなわけないでしょう」
「それなら、あの頃も今も全く興味なかったくせに、どうして急に?」
「高校の頃は気付かなかったですけど、今は興味が無かったわけじゃありませんよ。そうでなきゃ糸貫さんのお店に通い続けませんよ。それに、いくらプロのアドバイスだって言っても、好みとは違う服を着たりしません。糸貫さんのアドバイスだったからですよ」
そう言って私は、この秋に勧めてもらった明るいグレーのコートを羽織った。
「明るい色が似合うんですよね?」
私が笑顔で言うと、糸貫さんはピタリと足を止めて私を見た。
「九条さん、調子のいいヤツだっていわれませんか?」
私も足を止めて糸貫さんを見つめて言う。
「糸貫さんは、面倒なヤツだって言われるでしょう?」
糸貫さんは俯いて何かを考えているようだった。怒っているのか、困っているのか、悩んでいるのか、戸惑っているのか、その表情から感情を読み解くことはできない。
「糸貫さん、昔話じゃなくて、未来の話をしませんか?」
「未来の話なんてあるんですか?」
糸貫さんは顔を上げる。怒ってはいないようだ。
「それは、糸貫さん次第ですよ」
「ずるい言い方ですね」
私は糸貫さんの手を取った。手を振りほどかれないことにホッとする。
そして、私たちは再び肩を並べて歩き出した。
おわり
「あの、もう帰るんですか?」
店長さんは振り返り、少し目を多きくして驚きの表情を浮かべた。
「二次会は出ないんですか?」
私は重ねて聞く。
「もう帰ります。元々、こういった集まりは苦手ですから」
「それなら、どうしてわざわざ出席したんです?」
私はさっき聞けなかった質問をした。
「九条さんがいつまで経っても私のことを思い出してくれないから、嫌がらせに来たんですよ」
そうして浮かべた笑みは少しだけ悲しそうに見えた。
「それは……、本当に面目ない限りで……」
「でも、結局思い出してくれませんでしたね」
店長さんの言葉に返事をしようとしたとき、体温を根こそぎさらっていくような強い風が急に吹いた。
「うわ、さむっ」
「九条さん、コートはないんですか?」
「クロークに預けたままだった」
「取りに行った方がいいんじゃないんですか?」
「えっと、どうしよう。待っててくれますか?」
「……」
「そこは返事をしてくださいよ。じゃないと取りに行けないじゃ……。一緒に行きます?」
すると店長さんは小さくため息をついた。
「待ってますから、取ってきてください」
「本当に待っててくれますよね?」
店長さんが頷くのを確認して、レストランの中に戻ってコートを引き取る。そして二次会について説明を受けている友人たちに見つからないようにすぐにレストランの外に出た。
コートを羽織る時間も惜しんで元の場所に急いで戻ったのだが店長さんの姿がなくなっていた。
「嘘つき、待っててくれるって言ったのに」
そうつぶやくと背後から「嘘つきじゃありません」という声が聞こえた。
「あそこに立っていると目立つのでここに移動しただけです」
店長さんはそう言いながらレストランの看板の影から姿を現した。
ホッとする私をよそに私を見る店長さんの目は呆れているように見える。
「ここにいるとみんなに見つかっちゃうので、少し歩きませんか?」
私が言うと店長さんは頷いて駅の方向に足を進めた。私もその横を並んで歩く。
「それで、私を呼び止めてまで何の話があるんですか?」
店長さんは私の方を見ようともせずに言った。
「もう少し話がしたいと思って」
「もう充分に話したじゃないですか」
「それは、昔話ですよね」
「それならせめて、私の名前を思い出してからにしてください」
「そんなのとっくに思い出してますよ」
「へ?」
店長さんはようやく私の顔を見た。
「糸貫(いとぬき)多恵子(たえこ)さんですよね」
ヒントはたくさんもらった。
一年のときのクラスメートで外部受験組。
大人しくて目立たないタイプの生徒。
バレンタインに贈ってくれたチョコに名前は無かったけれど、小さくイニシャルが記されていたのを覚えている。
あの頃、ほとんど話したことはないけれど、視線を感じて振り向くと俯く糸貫さんの姿があった。
思い出の中の糸貫さんは今の姿とは全く違っている。ただ、まとっている空気はあの頃と同じような気がした。
「分かってたなら、どうして言ってくれなかったんですか」
「いつ呼べばいいんだろうって考えてたら、タイミングを逃しました」
「なんなんですか、それ……」
糸貫さんは肩をがっくりと落とす。
「名前を思い出したから、もうちょっとお話してくれますよね?」
「どうして話がしたいんですか?」
「どうしてって……」
「昔、九条さんのことを好きだったって言ったから、今でもそうだとか思ってます?」
「まあ、正直少しは期待してますけど」
「十二年も前のことですよ。私もそんなに一途なタイプじゃありませんから」
「そうですよね。でも、改めてゆっくり話をするくらいいいじゃないですか」
段々歩くスピードが速くなっていく糸貫さんに遅れないよう、私もペースを合わせる。
「彼女と別れて、池田さんや秋野先生に振られたから、この辺りで手を打とうとか思いました?」
「そんなわけないでしょう」
「それなら、あの頃も今も全く興味なかったくせに、どうして急に?」
「高校の頃は気付かなかったですけど、今は興味が無かったわけじゃありませんよ。そうでなきゃ糸貫さんのお店に通い続けませんよ。それに、いくらプロのアドバイスだって言っても、好みとは違う服を着たりしません。糸貫さんのアドバイスだったからですよ」
そう言って私は、この秋に勧めてもらった明るいグレーのコートを羽織った。
「明るい色が似合うんですよね?」
私が笑顔で言うと、糸貫さんはピタリと足を止めて私を見た。
「九条さん、調子のいいヤツだっていわれませんか?」
私も足を止めて糸貫さんを見つめて言う。
「糸貫さんは、面倒なヤツだって言われるでしょう?」
糸貫さんは俯いて何かを考えているようだった。怒っているのか、困っているのか、悩んでいるのか、戸惑っているのか、その表情から感情を読み解くことはできない。
「糸貫さん、昔話じゃなくて、未来の話をしませんか?」
「未来の話なんてあるんですか?」
糸貫さんは顔を上げる。怒ってはいないようだ。
「それは、糸貫さん次第ですよ」
「ずるい言い方ですね」
私は糸貫さんの手を取った。手を振りほどかれないことにホッとする。
そして、私たちは再び肩を並べて歩き出した。
おわり
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