名前も顔も知らない人に、恋することはありますか?

悠生ゆう

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第12話

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「ファーマーズクエストを選んだのは偶然でも運命でもないよ」
 あっさりといわれて私はちょっとショックを受けた。
「違うのか……。って、え? 偶然じゃない?」
「うん。休憩中に神奈ちゃんがスマホを見てる画面がチラッと見えて、どんなゲームをしてるのかな? って興味を持ったことがきっかけだから」
 私は密かに震えた。
 どうしても勝ちたいイベントがあったから、禁を破って会社でゲームをしたことがあったのだ。いつもは自ら課した禁を守っているけれど、あのときはつい……。それをリンリンに見られていたなんて気付かなかった。
 どれだけゲームに集中いたのだろう。
 本気で恥ずかしい。
「も……もしかして、私の農協も知ってたの?」
「さすがにそこまでは知らなかったよ。だから同じ農協になったのは、偶然といえば、偶然かもしれない」
「かも?」
「農協の代表者の名前が『オクトーブル』ってあったから、神奈ちゃんだったらいいなと思って入ったの。オクトーブルって、フランス語で十月のことでしょう? 十月は和名で神無月。だから完全に偶然とは言えないかな」
「お、大当たりだったんだ……はははっ」
 思わず苦笑いをしてしまう。
 ネーミングが安直過ぎたのだろうか。
 いや、そんな安直なネーミングだったからこそ、ゲームを通して仲良くなることができたのだから、良かったのかもしれない。
「もしも神奈ちゃんだったら、私のことがバレるんじゃないかと思って、プレイヤー名も言葉遣いも堅めにしてたの」
 リンリンの策略通り、私はグロッゲ曹長がリンリンだなんてまったく思わなかった。
「でも、グロッゲ曹長から私にダイレクトメール送ってないよね? フレンド登録もしていなし」
「いくら隠してても、やりとりが増えたらバレるかなと思って」
「なるほど……オクトーブルが私だって確信してないのにあえて避けてたんだね……慎重派だね」
「あ……。農協戦中のコメントとか、掲示板のやりとりを読んでて、神奈ちゃんだろうなって思ってたよ」
「マジで!」
 びっくりだ。
「対戦中の会話で、ランドさんが神奈ちゃんと一緒に暮らしている人だって思ったから、どんな人なのか気になったの……」
「それでランドとDMするようになったの?」
「うん」
 会社では私が彼氏と同棲しているという噂になっていたはずだ。でも、リンリンはランドのことを女性だと勘違いしていた。
「ランドのことを年上の女性だと思ってたっていうのはウソ?」
「それは半分本当だよ。オクトーブルさんが神奈ちゃんだとしたら、ランドさんは同棲相手でしょう。だったら男性かな? って思ってたの。ただ、メッセージのやりとりをしてると、なんとなく女性っぽい雰囲気があったんだよね。それで……もしかしたら神奈ちゃんの同棲相手は女性なんじゃないかって」
 リンリンは頭を掻きながら眉尻を下げて笑った。
「神奈ちゃんのことを好きにならないようにゲームをはじめたのに、ゲームでも神奈ちゃんに近付こうとしてたなんて、矛盾してるよね」
 最初にリンリンが言った「面倒くさい」とはこういうところを指していたのかもしれない。
 だけど、そんなに私を好きで、考えていてくれたなんて、今の私にはうれしいばかりだ。
 同時に情けない気持ちにもなった。こんなにも私を見ていてくれたのに、私はそれにまったく気付いていなかったのだ。
「神奈ちゃんが好きって言ってくれたとき、本当にうれしかった。でも怖くて……認めたくなくて……だから友だちでいたかった」
 あのとき、リンリンが私をフッた理由がようやくわかった。だけどまだ疑問がある。
「それならどうしてウチにきたとき、一緒にお風呂入ろうとか……他にもからかうみたいなことをしたの?」
 リンリンの行動は矛盾していると思った。友だちでいたいと思いながら、友だち以上の距離まで踏み込もうとしていたのだ。
 私はそれで戸惑ったし、少なからず傷ついた。
「私が「友だち」って言ったら、神奈ちゃんはあっさり引き下がったでしょう? 神奈ちゃんの「好き」って気持ちは簡単に諦められるくらいのものなのかな? って思ったら不安になって……」
 あそこでグイグイ食らいつけば良かったのだろうか? いや、無理だ。私のメンタルはそんなに強くない。
「それでちょっとだけ気持ちを確かめたくて迫ったら、神奈ちゃん、顔を真っ赤にして動揺して……。まだ私を好きでいてくれるんだって感じられて安心したの」
 これはわがままだと言っていいと思う。振り回される私の気持ちにもなってほしい。
「でも……お、襲うのはやり過ぎだよ」
「だって、一緒のベッドで寝てるのに、神奈ちゃんったら死体みたいに寝転がってるだけなんだもん。本当に私が好きなら少しくらい手を出そうとするもんじゃない? だから、つい……」
「つい……じゃないよぉ」
 これはわがまま確定だ。私は混乱してどうすればいいのかわからなくなっていたのに!
「私もさすがにやり過ぎたなって反省したよ……ごめんね」
 謝るリンリンの様子があまりにかわいいから許そうと思うけれども、とりあえず反省はしてほしい。
「あ、そうだ……。もうひとつどうしても確認しておきたいことがあるんだけど……。どうして睦と付き合ったり、結婚しようって言ったりしたの?」
 リンリンは自分の想いと矛盾する行動で私のことを振り回した。今までの言葉を聞けば、睦と付き合うなんてあり得ないはずだ。
 リンリンはばつの悪そうな顔で俯いたけれど、すぐに顔を上げて話しはじめた。
「私ね、ずっとベルのことが嫌いだったの。私の名前でオクトーブルさんと仲良くしているように見えたから。嫉妬してたんだね」
 なぜ突然ベルちゃんの話になるのだろう。
「神奈ちゃんがベルと会った日に思ったの。いくら友だちとして近くにいても、神奈ちゃんに恋人ができたら一緒にいられなくなるんじゃないかなって」
 私は頷いて言葉の先を促した。
「睦くんと結婚すれば、私は神奈ちゃんの義妹になれるでしょう? そうして家族になれば、どんなことがあっても離れずにずっと側にいられるんじゃなかって思ったの。睦くんのことは特に好きってわけじゃないけど、この際いいかなって思ったから」
 私は頭を抱えたくなった。
 これは確かに「面倒くさい」タイプかもしれない。
「そこまで私のことが好きなら、両想いになってずっと一緒にいられる方法を考えなかったの?」
 私はリンリンに好きだと言った。
 リンリンはただ、自分も同じ想いだと言うだけなのだ。
 どうしてこんなに回りくどく、ややこしいことをするのだろう。
 リンリンの思考回路は面倒くさ過ぎる。
 こんな面倒な思考回路を、恋愛経験値ゼロの私に理解できるはずがない。もしも経験値が多少あったとしても、絶対に無理だと思う。
 私は立ち上がってリンリンの隣に座った。そして両手でリンリンの手を握った。
「本当に、予想以上に面倒くさくてびっくりしたよ。でもね。そんな面倒くさいところも愛おしいって感じるよ」
 私は頭が悪いからむずかしいことはわからない。かっこいい台詞も浮かばない。
 できるのは、今感じていることをそのまま、心を込めて伝えるだけだ。
「人の気持ちはいつか変わるかもしれない。未来がどうなるかなんて誰にもわからないよ。だけど私は、わからない未来のために、今、リンリンを好きだったっていう気持ちを諦めたくない。私はリンリンのことが好きです。だから私と付き合ってください」
 私の想いが伝わるように、手にギュッと力を込める。
「でも……」
 やっぱり私の言葉ではリンリンの不安は拭えないのか……。
 そう思ったとき、予想外の言葉が返ってきた。
「神奈ちゃん、ベルと付き合ってるんだよね?」
「あぁぁぁ! そうだった!」
 まだ一日か二日だけど、私はベルちゃんと付き合っていたんだった。
 こんな重大なことを失念しているなんて、私は人間してダメなんじゃないだろうか。
 さすがにベルちゃんに申し訳ない。もちろんリンリンに対しても申し訳なさすぎる。
「神奈ちゃんの気持ちはうれしい。私もちゃんと自分の気持ちに向き合おうって思ったの。だからこうして神奈ちゃんと話をするって決めたんだよ。でも……今付き合ったら浮気になっちゃうよね? 私、浮気相手は嫌だな……」
 そうか、浮気になるのか。
 まぁ、そうだよね。
「えーっと、ちょっと待ってね。考えるから」
 私はリンリンの手を離して腕組みをした。
 ピピッと答えが出せるほど頭の回転が良いわけではないから、こういう場合は落ち着いて考えるのが良策である。リンリンも黙って私が答えを出すのを待ってくれていた。
 まず、私はリンリンが好きだ。これはさっきしっかり考えて明確にわかっている。
 ベルちゃんはどうだろう。
 ベルちゃんのことも確かに好きだったと思う。
 付き合うことになったのは、はじめて会った日、ベルちゃんに「好き」か「嫌い」かの二択を迫られて「好き」を選んだからだった。
 でも、「好き」を選んだら「付き合う」ことになるのかな?
 それでも私は否定をしなかった。
 リンリンに「わからない未来のために、今、リンリンを好きだったっていう気持ちを諦めたくない」なんてカッコイイ風に言ってみたけれど、二股なんてかなりダメなんじゃないだろうか。
 ベルちゃんと実際に会う前から……名前も顔も知らないころから、私はベルちゃんが好きだった。
 ベルちゃんの正体がリンリンだったらいいのにとずっと思っていた。
 ベルちゃんとゲームを通してメッセージをやりとりするのは楽しかった。ベルちゃんに会って、かわいい子だなと思った。話をしていても楽しかった。
 だけど、リンリンを好きな気持ちとベルちゃんを好きな気持ちとは明らかに違う。
 ゲームではベルちゃんを人妻だと思っていた。現実のベルちゃんは高校生だった。そんなギャップにがっかりしたのだろうか?
 それは違う。
 話してみたとき、ゲームでの印象とは違う感じもあったけれど、やっぱりベルちゃんだなと思うところもいっぱいあって、私は当たり前に目の前のベルちゃんを受け入れられたと思う。
 だからがっかりなんてしていなかったけれど、少しショックは受けていた。
 すでにわかっていて、頭では理解していたはずなのに、期待していた妄想がはっきりと否定されたからだ。
 それはベルちゃんがリンリンではないという現実だ。
 リンリンがグロッケ曹長だと告白してくれた時点でベルちゃんがリンリンではないことをわかっていた。
 それなのに、頭のどこかでまだ『リンリン=ベルちゃん』という図式が消せずにいたのだ。
 目の前にベルちゃんが現れてそれをはっきりと否定された。
 ベルちゃんとのゲームでのやりとりの中で、私はずっとリンリンの面影を見ていた。
 実際のベルちゃんを見て、ベルちゃんに好感を抱いたけれど、この人が好きだとはっきり確信できないのは、ベルちゃんがリンリンではないからだ。
 そんな当たり前のことに気付かないなんて私は本当にポンコツ過ぎる。
 私はどれだけリンリンのことを好きなのだろう。
 私はどれだけベルちゃんに失礼なことをしたのだろう
 バカすぎてこの瞬間まで気付かなかったことで、ベルちゃんを傷付けることになってしまった。
 そして、リンリンのことも傷付けて、それでも踏み出してくれた気持ちに応えることができない。
「あのね。ようやくわかった」
 私はゆっくりと整理できた気持ちをリンリンに伝える。
「私はベルちゃんのことを好きだけど、これは恋愛じゃない。鈴人に対して感じている好きとは違うってはっきりわかった。だから、ベルちゃんにきちんと伝えようと思う」
「うん」
 リンリンが素直に頷いてくれたことにホッとした。また面倒くさい回路が発動して睦と結婚するとか言い出さなくて良かった。
「ベルちゃんときちんと話をしたら、その後で……」
「その後で、もう一度私に告白してくれる?」
 私が言おうとした言葉をリンリンが被せて言った。
 小首を貸してて私の目を覗き込むようにして言うリンリンがかわいすぎる。
 思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、それをグッとこらえて「うん、もちろん」と返事をした。
 大きな山を登り終えたような気持ちだ。
 ホッとしたら、なんだか無性に眠たくなった。
 そういえば昨夜は一睡もできなかったのだ。
 勝手におりてくるまぶたを必死で上げようとしていたら、リンリンがクスクスと笑った。
「神奈ちゃん、眠い?」
「あ、うん。ゴメン、ホッとしたらなんか、ちょっと」
「私も昨日寝てないから眠いし、一緒に寝る?」
 思わず目を見開くとリンリンはニヤッとした。
「眠るだけだよ。浮気はしないんでしょう?」
「あ、うん」
 いつも通りのリンリンに、うれしいような残念なような複雑な気持ちになった。でも眠気がもう限界でこれ以上考えるのは無理だ。
 自室に移動して来客用の布団を出そうかと思ったら、リンリンが「面倒だからいいよ!」とベッドに潜り込んでしまった。
 友だちだったころも、こうして二人で寝ていたのだし、これくらいは浮気にならないだろう。
 それに思考回路も体力も限界に達している。
 私は反対も抵抗もせず、ベッドに潜り込んでリンリンの隣に体を横たえた。
 目を閉じるとリンリンのぬくもりが伝わってくる。
 リンリンの香りが鼻腔をくすぐる。
 心臓はドキドキしたけれど、なんだかとても心地良い。
 スーっと引き込まれるように眠りに落ちそうになったとき、リンリンの体が大きく動いた。そして次の瞬間、私の唇にやわらかくてあたたかなものが触れた。
 びっくりして目を開けると、すぐ近くにリンリンの顔がある。
「えっと……あの……」
「これは浮気じゃないよ。前借り」
 そう言っていたずらっ子のような笑みを浮かべると、リンリンはベッドにもぐりこんでしまった。
 前借りか。
 私はすぐ横にあるリンリンの手を握った。
「私も前借りしていい?」
 リンリンは何も言わず、ギュッと手を握り返す。
 幸せだな。
 そう感じながら、私は眠りについた。
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