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悠生ゆう

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season5-5:ひとつの結論(viewpoint満月)

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 十一月も半ばとなり、すっかり冬らしくなっていたが、今日は天気がよくて過ごしやすい。
 草吹主任のカフェに入って店内を見回すと席はほぼ埋まっていた。店内にはさりげなくクリスマスのオーナメントが置かれており、花のコーナーの小さな植木もクリスマス仕様になっていた。
「いらっしゃい」
 私に気付いた草吹主任が笑顔で声を掛ける。草吹主任が会社を辞めてから三カ月くらい経つけれど、私は未だに『草吹主任』と呼ぶのをやめられない。
「お客様いっぱいですね」
「ええ、おかげ様で。今日は陽気がいいから特に、かな?」
「なんかすみません」
 謝罪の言葉を伝えたのは、店の奥にポツリと空いた席に気が付いたからだ。私が事前にこの店に来ることを伝えておいたから予約扱いにしてくれたのだろう。
「いえいえ、お得意様ですから」
 草吹主任はそう言って微笑むと「どうぞ」と私を店の奥へと促した。
 空けてもらっていた席に向かう途中、チラリとカウンターを見ると、用賀さんが洗い物をしていた。会社が休日でもこうして草吹主任のお店を手伝っているようだ。
 草吹主任が会社を辞めてからの用賀さんはいつもピリピリしていて、元々厳しい人だったけれど、それまで以上に近寄りがたい雰囲気になっていた。だけど最近は肩の力が抜けて穏やかな雰囲気になったように感じる。
「注文はどうする?」
「んー、揃ってからにします」
 私が答えると草吹主任は水だけを置いてカウンターの方へと戻って行った。
 私は今日、この場所に矢沢さんと輝美ちゃんを呼んでいる。
 三人で付き合うという不思議な関係がはじまって一カ月半ほどが過ぎていた。この間、私は頭が悪いなりに懸命に考えた。そのことを二人に話そうと思っている。
 三人だけで静かに話せる場所……例えば付き合うことを決めたときのようにカラオケ店でもよかったのだけど、草吹主任は矢沢さんのことを誰よりも心配していると思ったから、この店を選んだ。
 失礼ながら、予想していたよりもお客さんが多くてちょっと戸惑ってはいるけれど、みんな友だちとの会話に夢中なようだから問題ないだろう。
 しばらく待つと矢沢さんと輝美ちゃんが連れ立って店に現れた。輝美ちゃんはこの店に来るのははじめてだから、矢沢さんと一緒に来たのだろう。私は水を一口飲む。コップの中の氷がカランと音を立てた。
 コップを見つめ、集中力を高めつつ二人が来るのを待っていたのだけど、なかなか二人が現れない。どうしたのだろうと顔をあげて入口を見ると、二人は草吹主任に捕まっていた。輝美ちゃんは硬い笑みを浮かべながら頭をペコペコと下げている。まるで恋人の親にはじめて出くわしてしまったような雰囲気だった。
 私は苦笑いを浮かべつつも、やっぱりこの店にしてよかったなと思った。
 用賀さんのレフェリーストップによってようやく草吹主任から解放された二人が席までやってきた。
 輝美ちゃんはぐったりした顔をで私の目の前に座り、そんな輝美ちゃんを心配そうに見つめながら矢沢さんがその隣の席に座る。
「ねぇ、あの人なんなの?」
 輝美ちゃんが小声で尋ねる。
「矢沢さんの保護者みたいな人かな」
 私が応えると、「どうしてここにしたのよ」とさらにうなだれた。矢沢さんはそんな輝美ちゃんを不思議そうな顔で見ている。
 そこに草吹主任がやってきた。
「ご注文はどうしますか?」
 一応は店員としての仕事をしているのだが、草吹主任の視線は輝美ちゃんに注がれていた。まだ話し足りないようだ。
 輝美ちゃんは助けを求めるように私に視線で合図を送っている。
「私は自家製ハーブティーを」
 私が言うと、矢沢さんも輝美ちゃんも同じものを注文した。
「季節のケーキも一緒にどう? 今はクリスマスのケーキよ」
 草吹主任がすかさず追加のおすすめをしたので、私たちはケーキもオーダーした。
 この店のケーキは近所のケーキ屋さんにオリジナルで作ってもらっているもので、かなり美味しい。
 オリジナルのケーキを置くようになってからお客さんも増えているようだ。チラリと店内を見回すと、半数以上のお客さんがケーキを食べているようだった。
「えっと……」
 私は少し勇気を振り絞って声を発する。
「なぁに?」
 注文を聞き終えたのにその場に留まり続けている草吹主任が笑顔で答えた。
 私たちの話が気になるのはわかるし、聞かれてもいいのだけれどちょっとあからさま過ぎる。
 そこに用賀さんが現れて草吹主任の腕を引っ張ってカウンターへと連れ戻してくれた。
 注文したハーブティーとケーキを運んできてくれたのは用賀さんだった。不満そうに頬を膨らませる草吹主任が視野の端に映る。
「光恵さんが運んでくるとこの席から離れなくなりそうなので……」
 そう言いながら用賀さんは皿とカップを並べていく。一度カウンターに戻り、ハーブティーの入ったポットを三つもってきてテーブルに置いた。
 そして「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げてテーブルを離れる。
「かわいい……」
 ケーキを見つめて矢沢さんがつぶやいた。クリスマスのケーキはロールケーキだった。
 スライスされたロールケーキが平置きになっていて、クリームやチョコでサンタの顔にデコレートされている。頭の部分に一粒の苺が置かれていて、三角帽子になっていた。
 輝美ちゃんはすかさずスマホで写真を撮り、矢沢さんも真似るように写真を撮る。
 私は早速サンタの頬の辺りにフォークを突き立てて口の中に放り込んだ。
 しっとりとしたスポンジ生地と軽いクリーム。甘さはしっかりあるけれど、上品な甘みなのでするりと喉の奥に落ちていく。
「美味しい」
 思わず声が漏れてしまった。
 私の声を聞いた二人はスマホを置いてケーキに口をつけ、私と同じように唸り声をあげる。
 ポットのハーブティーをカップに注いで口に含めば、爽やかな風味がロールケーキの余韻を洗い流して次のひと口へと誘う。
 これは魔性の組み合わせだ。
「って、ちょっと。美味しいけど、これを食べに来たわけじゃないでしょう?」
 輝美ちゃんの一声で私は本題を思い出した。
「ああ、うん。ちょっと話したいことがあって」
 輝美ちゃんは腕組みをして警戒するような視線を私に向けた。
 矢沢さんはどことなく不安そうな顔で私と輝美ちゃんの顔を見比べている。
「えっと……。この三人で付き合うようになって一カ月半くらい過ぎましたが……」
 少し緊張しているせいか、なんだか演説っぽい話し方になってしまった。自分でそれが面白くて笑ってしまいそうになる。
「なに? 長くなる話? 私これから陽さんとデートだから早くしてね」
 輝美ちゃんは相変わらず輝美ちゃんだなぁと思いつつ、気持ちを立て直す。
 矢沢さんは不安と気まずさが混ざったような表情だ。矢沢さんは私が入社したころよりもずっと表情が豊かになったような気がする。私が矢沢さんのわずかな表情の動きを理解できるようになったというのもあるかもしれないけれど、きっとそれだけではない。矢沢さん自身が変わってきたのだと思う。
「うん、多分そんなに時間はかからないから……」
 私はそう言ってハーブティーを一口飲んでから言葉を続けた。
「輝美ちゃんの提案のおかげで不思議な形ではあるけど、好きな人と付き合えてすごく……うれしかった」
 私はそう言って矢沢さんの顔を見る。視線が合うと矢沢さんは少しだけ照れ臭そうに目を伏せた。そんな表情を見ていると胃袋の裏の辺りで熱を帯びた液体がグルグルと回るような感覚が走る。そうしてやっぱり私は矢沢さんのことが好きだなと思った。大切にしたいし、守りたいと思うし、触れたくて、抱きしめたい。
 そして私はひとつ息を付く。
「だけど、私、この関係をやめようと思います」
「「え?」」
 矢沢さんと輝美ちゃんが同時に声を上げた。
「それって、陽さんと付き合うのをやめるって意味?」
 聞いたのは輝美ちゃんだ。私はその言葉に頷く。
 おかしな形であっても、矢沢さんと付き合えるのはうれしかった。矢沢さんは『好き』という気持ちがわからないと言っていたけれど、私の想いに向き合い、考えようとしてくれる。それだけで天にも昇るほどうれしかった。
 だけど『付き合う』という行為を一生懸命に実践しようとする矢沢さんの姿に、そして『好き』だという気持ちがわからないと言いながら、必死で考えようとしている矢沢さんの姿に、私は苦しくなった。
 私の想いが矢沢さんを追い詰めるのではないかと感じた。そうして私の想いはただのエゴではないかと思うようになったのだ。
 考えるほどに思考は壁に突き当たって、私は考えるのが嫌になった。正直に言ってしまえば、矢沢さんを好きでいることが面倒になったのだ。
 好きでいることを止めてしまえば楽になれる。そう思っていたとき、雅に頭からビールをかけられた。
 雅に厳しい言葉や冷たい言葉を投げつけられたことは幾度もある。だけどあんなに冷たい視線を浴びせられたのははじめてだった。
 そして輝美ちゃんの家に泊めてもらってはじめて輝美ちゃんとじっくりと話をした。輝美ちゃんはちょっと口が悪いけれどうらやましいくらい真っすぐで、矢沢さんのことを本当に好きなんだなと感じた。
 輝美ちゃんに「雅のことを好きだったんじゃないの?」と聞かれたとき、私はなぜかそれに答えることができなくて眠ったフリをした。
 その夜は、雅の冷たい視線と輝美ちゃんの問いが頭の中をグルグルと回ってほとんど眠ることができなかった。
 そして気付いてしまった。いや、考えないようにして忘れたフリをしていたことを思い出したのだ。
 私は大学時代、雅のことが好きだった。
 些細なきっかけで仲良くなった雅は、私なんかよりずっと頭が良いのに、馬鹿な私に呆れたり怒ったりしながらも見捨てることなくいつも私を助けてくれた。そして私が同性を好きになると知ってからも少しも変わらない態度で私の側にいてくれた。
 自分が抱く恋心が実ることはないと諦めていた私にとって、雅は希望だった。雅とならもしかしたら諦めなくてもいいのではないかと思った。
 だけど私は、いつでも側にいてくれる雅がいなくなることを恐れた。それならば生涯友だちでいられればいいと思った。
 そうして私は雅のことを諦めた。いや、雅を好きだという気持ちから目を背けて、考えることをやめたのだ。
 考えるのをやめてしまえば楽だった。
 だけど……だから、雅が日和さんと付き合っていると知ったとき、素直に喜ぶことができなかったのだ。二人が大学時代から付き合っていると知ってさらに大きなショックを受けた。
 雅への想いを諦めて、親友として側にいようと思っていたのに、恋人のことを知らされなかったことで、親友にもなれなかったのだと感じた。
 そして私が恋人にも親友にもなることができなかった雅の隣にいられる日和さんに憎しみの念すら抱いていた。
 それが独りよがりで自分勝手な想いだということは頭の奥ではわかっていたけれど、気持ちをコントロールすることができずにいたのだ。
 目を背けていた雅への気持ちを自覚して頭がガンガンと痛んだ。
 ベッドからは輝美ちゃんの寝息が聞こえはじめている。私は体を起こして輝美ちゃんを見た。
 輝美ちゃんがうらやましいと思った。どうしてそんなに真っすぐに矢沢さんを好きだと言えるのだろう。
 輝美ちゃんは誰かを好きになったら真っすぐに突き進んでいける人なのだと思う。
 矢沢さんは誰かを好きになったことが無い。好きという感情がわからないと言った。
 そして私は、誰かを好きになっても前に進めない。私は人を好きになることを恐れていた。
 人を好きになって、自分が傷つくことが怖いのだ。
 私はかつて雅のことが好きだった。そして雅と日和さんのことに動揺した。だけど今は雅に対して恋愛感情はない。
 今、好きなのは矢沢さんだとはっきりと言える。
 だけど輝美ちゃんのように真っすぐに好きだと言えないのだ。
 矢沢さんは『好き』がわからないと言いながらも、必死で向き合おうとしてくれている。それなのに私は、雅のときと同じように思考を止めようとしていた。
 雅が怒ったのはそのことに気付いたからだろうか。
 雅は私のことを私以上に知っている。だからあんなにも冷たい、悲しそうな目をしていたのかもしれない。
 私は矢沢さんのことが好きだ。
 小さな体でいつも一生懸命なところが好きだ。不器用にそれでも丁寧に言葉を伝えようとしてくれるところが好きだ。たまに背伸びをして、それでも失敗をして落ち込んでいるところもかわいい。うれしさをかみしめるように小さな笑みを浮かべる姿が愛おしい。
 不安そうな顔をしていたら助けてあげたいと思うし、悲しそうな顔をしていたら寄り添いたい。楽しそうなときには側で一緒に笑いたい。
 だけどその答えが矢沢さんと付き合うことだとは思えなかった。
 互いに好きで、側にいたいと願うなら付き合うという答えでもいいのだろう。
 だけど矢沢さんは違う。矢沢さんに無理をさせているような気がしてならないのだ。
 輝美ちゃんの真っすぐな気持ちが間違っているとは思わない。それなのに私はこのまま進んでいいとは思えなかった。
 答えがわからないのは、人を好きになっても立ち止まり思考を止めて来たことのツケなのかもしれない。
 だったら私がやることは、答えを見つけるまで考え続けることだけなのかもしれない。
 そうして私は今日までずっと考え続けてきた。
 考えて、考えて、考えて。私は三人の不思議な関係を終らせようと思った。
 雅に愚痴ったときのように、思考を停止して出した答えではない。
「あ、あの……」
 矢沢さんが少し震えた声で私に問いかける。
「わ、私、何か間違ったことをしましたか?」
「いいえ、そんなことないです。矢沢さんは何も間違ったことをしていません」
 私は慌てて訂正をする。
「野崎さんはもう私を好きではなくなった、ということですか?」
「いえ、大好きです」
 私は真っすぐに矢沢さんを見つめて言う。この気持ちに嘘はない。矢沢さんは少し目を彷徨わせてから俯くと、両手でカップを持ってハーブティーを飲んだ。
「そ、それなら……どうして、ですか? やっぱりこの間のデートがダメでしたか? 私、自分だけで楽しんでしまって……。手も繋がなかったし、それで……?」
「この間のデートは私も楽しかったですよ」
 私は笑顔で言う。キャット博での矢沢さんとのはじめてのデートは本当に楽しかった。私も猫が好きだからキャット博自体も楽しかったのだけど、子どものように目をキラキラさせて夢中で猫を眺める矢沢さんを見ているだけで本当にうれしい気持ちになれた。
 ほとんど会話もなかったし、手も繋がなかったし、もちろんハグもキスもしていない。だけど私は十分に満足だった。
 だからこそ私は、三人で付き合うこの関係を終らせる決意ができたのだ。
「言っておくけど」
 硬い声で会話を制したのは輝美ちゃんだ。
「あんたがやめるって言っても、私はやめる気ないからね」
「うん」
「それ、どういう意味かわかって言ってる?」
「もちろん」
「あんたが抜けて、私と陽さんが付き合うってことだよ」
「うん、わかってる」
「それでも抜けるの?」
「うん」
「そう……」
 そうして輝美ちゃんは小さく息を付くと、ケーキにフォークを突き立てた。
 矢沢さんは俯いたまま黙っている。なぜだかその顔が少し泣きそうに見えた。
「矢沢さんのこと、今でも好きですし、むしろ前よりずっと好きになりました。それにこう決めたのは矢沢さんのせいではなくて、私自身の気持ちのせいです」
 すると矢沢さんはようやく顔をあげて上目遣いで私を見る。
 そういう表情を見ていると抱きしめたくなってしまう。草吹主任がやたらと矢沢さんを抱きしめたがる気持ちに強く共感できた。
「なんていうのかな……。私が矢沢さんを大好きだという気持ちと、矢沢さんと付き合うってことがどうしても一致しなかったんです」
「好きだったら、付き合うものじゃないんですか? 光恵さんと用賀さんみたいに……」
 そうして矢沢さんは、カウンターの中で何やらじゃれ合っている草吹主任と用賀さんを見た。
「そうですね。好き同士だったら付き合うのは自然なことなのかもしれません。だけど、矢沢さんは私のことを好きなわけではないですよね」
「それは……」
 矢沢さんは再び俯いてしまった。
「あ、責めてるわけじゃないんです。だって好きになった人に必ず好きになってもらえるわけじゃないですし、私なんて今までずっとそんなのばっかりだったんですから」
「でも、私は『好き』がわからないから……わかるようになるために、三人でお付き合いをしようって……」
「そうですね。だけど、矢沢さん無理していませんでしたか?」
「無理?」
「私、一生懸命考えたんです。結局、どうしたらいいのかよくわからなかったんですけどね。でも、付き合うって形にこだわる必要はないんじゃないかなって思ったんです」
 矢沢さんが首を傾げる。
「付き合っていてもいなくても、私が矢沢さんを好きだという気持ちは変わらないんですから。だったら会社の先輩と後輩で、たまに一緒にランチを食べて、たまに遊びに行って楽しいな、って思えればそれでいいじゃないのかなって」
「それで、いいんですか?」
「はい。矢沢さんは、急に私たちから好きだって言われて戸惑ったと思います。だけど好きになろうとして好きになれるモノじゃないし、無理に好きになるのも違うと思います」
 こんな風に考えられるようになったのは砂川さんのおかげでもある。矢沢さんとデートに行く一週間くらい前、砂川さんからランチに誘われた。矢沢さんも一緒に行きたそうだったけれど、そのときは砂川さんが大事な話があるからと断ったのだ。
 砂川さんは私にいたずらをしていた前科があるし、草×陽トーク満載のランチタイムという過去もあるので、大事な話が何なのか非常に警戒していた。
 もしや新しいカップリングについて語られるのか? とも思っていたのだけど、砂川さんの口から出たのは私への告白の言葉だった。
「へ? 私?」
 私はかなりマヌケな顔でそんな風に答えることしかできなかった。
「そう、野崎さん」
 確か随分前に日和さんと三人でランチを食べていたとき、もしかしたらと思うことはあったけれど、それ以降は安定の草×陽マニアだったから、そんな可能性はすっかり頭から消えていた。
「えっと、どうしてですか?」
「そんなの私にもわからないわよ。どこがいいんだろうね?」
「いや、私に聞かれても……」
 矢沢さんのことを考えるだけで一杯いっぱいの私に、砂川さんのことまで考える余裕はない。
「別に付き合ってとか言いたいわけじゃないから」
「そうなんですか?」
「はっきり返事くらいは聞きたいけど」
「あ、そうですよね。えっと、ありがとうございます。でも、ごめんなさい」
「わかった」
 そうして笑う砂川さんはやけにスッキリした顔をしていた。
 フラれれば傷つくし辛いはずだ。別にそんな顔をしてほしいというわけではないけれど、からかわれていたのだろうかとも思ってしまう。
「その、今、砂川さんのことをフッたんですけど……」
「わかってるわよ。改めて言わないでくれる? これでも結構傷ついてるんだから」
「あ、すみません。でも、なんかスッキリしてる感じがしたから……」
「それはそうね。スッキリした」
「どうしてなのか、聞いてもいいですか?」
「野崎さんの答えはわかってたから、本当は告白なんてしなくてもいいかなと思ったの。でもきっちりフラれてスッキリしたかった。だからこれは私のわがままかな」
「わがまま、ですか?」
「だってこんなこと言われたら、野崎さんだって気にするでしょう? それがわかってて言ってるんだもん」
「はぁ」
「だけどせめて二日くらいは私のことも考えてね」
「あ、それは多分、もっと考えちゃうと思います」
「それで十分。ごめんね、こんな風に気持ちを押し付けて。でも一歩踏み出せた気がする」
「私のことはもう?」
「なに? 残念なの?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……。そんなに簡単に気持ちを切り替えられるものかなって」
「簡単に切り替えられるはずないでしょう? 一歩踏み出して、片想いを続けるか、新しい恋を見つけるかは私の自由でしょう?」
「そ、そうですね。……砂川さん、なんかかっこいいですね」
「今更気付いたの? もしかして惚れちゃった?」
「いえ、私、好きな人がいるので」
 すると砂川さんは少し目を丸くしたあとケラケラと笑った。
「知ってるわ。これでも野崎さんのことずっと見ていたんだから」
「あ、すみません」
 なおも笑いながら砂川さんは言う。
「ホント、なんでこんな人を好きになったのか、自分でも不思議だよ」
 砂川さんの笑いは止まらない。
「まぁ、野崎さんの恋の応援はできないけど、がんばって」
 そうしてスッと立ち上がると「私は先に戻るね」と言って店を出て行った。
 私に背を向けるとき指先で目元を拭っていたような気がした。
 その日以降も砂川さんは今までと変わらず会社の面倒見のいい先輩として私と接してくれた。
 私は素直に砂川さんのことをかっこいいと思った。だけど私は砂川さんを好きにはなれない。もしも違うタイミングで違う出会い方をしていたら……。もしも私が矢沢さんと出会っていなかったら……。そんなもしもがあったとしたら、私は砂川さんを好きになっていたかもしれない。
 だけどそれは今更どうしようもない仮定だ。私は矢沢さんと出会って、矢沢さんを好きになっている。砂川さんとの出会いをやり直すこともできない。
 好きになってくれた人を好きになれれば簡単だけど、心は自分でも自由に動かすことができない。
 それならせめて、砂川さんのようにかっこよくありたい。そして、最後までかっこ悪くあがき続けよう。そう思えたのだ。
「私、入社したばっかりのころは、矢沢さんのことがよくわからなくて苦手だったんですよ」
「はい……知ってます」
 矢沢さんの返事に、そういえば居酒屋で話していたのを聞かれていたのだと思い出した。
「でも、矢沢さんのことを少しずつ知っていくうちに、いつの間にか好きになってました。だから、付き合うって形を取らなくてもいいと思うんです。仲良くなって楽しく過ごしている間に、いつか矢沢さんも私を好きになってくれたらいいなって、そう思ってるんです」
「好きに、なれないかもしれません」
「それでもいいです。それにもしかしたら私も矢沢さんを好きな気持ちが小さくなって、別の人を好きなるかもしれません」
「別の人?」
 すると矢沢さんが少し奥歯を噛みしめるように表情を硬くしてハーブティーを一口飲んだ。
「可能性の話です。それに矢沢さんだって、別の誰かを好きになるかもしれないですよ」
 矢沢さんはチラリと私の顔を見るとすぐに視線を落としてカップの中で揺れるハーブティーを見つめて黙ってしまった。
「ねぇ、私のこと、忘れてないよね」
 ケーキを食べ終えた輝美ちゃんが頬杖をついて言った。
「もちろん、忘れてないよ」
「あんたがどう考えようが私は陽さんと付き合ってるんだよ。デートもするし、手も繋ぐし、それ以上のこともするかもしれない。それでも文句言わないってことだよね」
「悔しがると思うけど、文句は言わない。でも付き合ってるからって輝美ちゃんは矢沢さんに無理強いはしないでしょう?」
 私は輝美ちゃんも好きなのだ。そして輝美ちゃんのことを信用している。
「う……」
「それにこの関係から私が抜けても、選ぶのが矢沢さんだっていうことは変わらないよね?」
「まぁ、それは……」
 輝美ちゃんは不満そうに唇を尖らせてフイとそっぽを向いた。
「私は、どうすればいいんですか?」
「今まで通りでいいですよ」
「今まで通り?」
「矢沢さんは無理して頑張らなくても大丈夫です。私が矢沢さんを振り向かせるために頑張るので」
 矢沢さんは無表情のまま私を見つめていた。納得ができないのかもしれない。私だってこれが正しいのかわからない。だけど私にはこのやり方のほうが合っている気がする。
「言っておくけど」
 輝美ちゃんが私のケーキの苺にフォークを突き立てて奪い取りながら言う。
「私は陽さんと別れる気はないし、あんたの邪魔もしまくるから」
「え? ああ、うん。わかった。でも……」
「なによ」
「毎週デートはちょっと頻度を下げた方がいいかも」
「私の勝手でしょう」
「そうなんだけど、矢沢さんがちょっと疲れちゃってるみたいだから」
「え? 陽さん、そうなんですか?」
 すると矢沢さんが気まずそうに目を背けた。
「それなら言ってください。デートも無理ならそう言ってくれていいんですよ」
 目を背けている矢沢さんに代わって私が答える。
「なんていうのか、申し訳なくて断りづらいんじゃないかな?」
「陽さん、そうなんですか?」
 すると観念したように矢沢さんがコクリと頷いた。
 輝美ちゃんは悔しそうに奥歯を噛んで私を睨みつけると、私のケーキの皿に手を伸ばして、あっという間に平らげてしまう。
 そして口もとに付いたクリームを指先で拭ってペロリと舐めると私を見てニヤリと笑った。
「忠告ありがとう。それじゃあ私からもひとつ伝えておこうかな」
「なに?」
「立花雅、放っておいていいの?」
「は? 雅がどうかしたの?」
「毎晩ウチの居酒屋で飲んだくれてるわよ」
「雅が?」
「そう、立花雅が」
 雅にビールをかけられたあの日から私は雅に連絡をしていない。どんな顔をして会えばいいのかよくわからなかった。何より、まずは矢沢さんに対する気持ちを整理する方が先決だと思って先送りにしてきたのだ。
「雅さんがどうかしたんですか?」
 矢沢さんも気持ちを復活させたようで、輝美ちゃんの話題に混ざりはじめた。
「私は毎日バイトに入っているわけじゃないので知らないですけど、店長が言うには毎晩店に来て、閉店間際までひたすらお酒を飲んでるみたいですよ」
「人違いじゃない? 雅はそんな飲み方をするタイプじゃないよ」
「間違いなく立花雅。この間バイトに入ったときに絡まれたもん。本当に迷惑だったんだから」
「私、会ったことないです」
「あー、陽さんが帰った後に来てるんです」
 輝美ちゃんは矢沢さんにはやさしい声を出す。この切り替えの早さはすごいなと思う。
「それでどうして雅はそんな風に飲んでるの?」
「そんなこと知らないわよ」
「日和さんには聞いた?」
「なんで私が聞かなきゃいけないの?」
 輝美ちゃんはキョトンとした顔で言う。
「だって、友だちだよね?」
「私は雅と日和に絡まれてるだけ。友だちじゃない。友だちなのはあんたでしょう。なんとかしなさいよ」
 なんとかしろと言われてもどうすればいいのだろう。
 雅がそんな風に飲んでいる姿は想像がつかない。そもそもつい最近まで雅がお酒を飲むことすら知らなかったのだ。
 私はスマホを取り出して日和さんにメッセージを送った。
『最近、雅の様子ってどうなの? 何かあった?』
 すると程なくして返事が届く。
『どうだろう。私、少し前に雅と別れたから連絡してないんだよね』
 私は思わずスマホを落としそうになってしまった。日和さんとは会社で顔を合わせていたけれど、そんな話は聞いていないし、変わった様子もなかった。
「日和、なんだって?」
 輝美ちゃんがのほほんとした顔でハーブティーを飲みながら聞く。
「別れたって……」
「別れた?」
「雅と日和さん、別れたって……」
 私の言葉に輝美ちゃんも矢沢さんも驚いた顔で私を見た。やはり二人も知らなかったようだ。
 私はその夜、雅に会うために居酒屋へ行くことにした。
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