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ヒナ鳥にサヨナラ 2 すれちがい
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高乃さんが幹事を任された日の夕方には、忘年会の日程を知らせる一斉メールが届いた。できるだけ早く日付を知らせておかないと「予定の連絡が遅い」と文句を言われるらしい。ただでさえ忙しくなっている仕事の合間を縫って、高乃さんは他部署へと駆け回っていた。
幹事は他部署からも一名ずつ選出されていたようだが、高乃さんはその代表にも祭り上げられたようだ。「今回は仕方ない」とあきらめ気味につぶやいていたが、わざわざ忙しい高乃さんがやる必要があるのだろうかと疑問に感じる。
仕事量は平常時よりも多くなっている。それに加えて、忘年会の幹事たちと打ち合わせをしたり、出欠確認をしたり、当日の進行や催しの準備をしたりととにかく大変そうだった。
「高乃さん、私で手伝えることがあれば……」
そう申し出たこともある。通常の仕事だけでなく、忘年会の準備だって、少しくらい手伝えることがあるかもしれない。
すると高乃さんは私を抱きしめて頭を撫でながら「久遠さんのその言葉だけでがんばれるよ」と言うだけで、準備を私に回すことはなかった。
幹事を任される前に高乃さんは「年末は残業が増えてゆっくり話す時間が取れないだろうから、ランチだけは二人でゆっくり食べよう」と言ってくれていた。
だが、幹事になってからは、そのランチすらも一緒にとることができない。
仕事が押して昼休みが大きくずれ込んだり、短くなったりしたからだ。さらに、時間の節約のためにと他部署の幹事とランチミーティングをすることもあった。
いつも泊まりに行っていた週末すらも、会場の下見に行かなくてはいけないと断られてしまうこともあった。
そして、泊りに行った週末も、高乃さんはグッタリとしていることが多かった
仕方のないことだと分かっているけれど、寂しいという気持ちが抑えられない。もうどれくらい高乃さんとちゃんと喋っていないだろう。高乃さんの視線にドキドキしていた日々が懐かしい。
だが、忘年会の日が近づくと、準備もほとんど終えたからか、高乃さんに余裕が見えるようになった。大量の仕事もある程度目処がつき、鬼のような形相も和らいでいる。
「今日は久しぶりに一緒にランチ行けそうだよ」
高乃さんがチラリと私を見て言った。私はうれしくて飛び上がってしまうかと思った。一緒にランチに行くだけのことで、こんなにもよろこべることに我ながら驚く。ともかく私は、高乃さんとのランチのために、仕事をしっかり片付けようと気合いを入れた。
「それじゃあ、お昼前にこれだけ片付けてくるから」
そう言うと高乃さんは書類の束を持って立ち上がった。
それからしばらく経ち、私が午前中に予定していた仕事は終わった。しかし、高乃さんはまだ戻ってこない。仕方なく午後の仕事に着手する。だが、高乃さんはなかなか戻ってこなかった。
どうしたのだろうと思っているとスマホが鳴る。
『ゴメンつかまったひるむり』
高乃さんらしくない文面に、人の目を盗んで慌てて打ったのだろうと推測ができた。
ウキウキしていた分だけ落胆が大きい。高乃さんだって望んで約束を破ったわけでない。それでも、苛立ちを抑えることができなかった。
こんなとき、普通の恋人同士ならばどうするのだろう。怒って相手を責め立てるのだろうか。それとも寂しいと泣きくのだろうか。だけど、そんなことをしても高乃さんを困らせるだけだ。それ以上に、面倒臭いと思われ、嫌われてしまうのはいやだ。
私は板垣さんをチラリと見た。これもみんな板垣さんのせいだ。板垣さんが高乃さんに忘年会の幹事を押し付けたからだ。これまで以上に板垣さんのことが嫌いになった。
それでも、高乃さんがこんなにも忙しいのもあとわずかだ。忘年会が終われば、またいつも通りに戻る。そう自分に言い聞かせて一人でランチに出た。
ランチの場所に選んだのは、はじめて高乃さんと一緒に行ったパスタ屋だった。
あの頃の私は、高乃さんがやさしい人だと分かっていたけれど、まだ少し怖かった。いや、やさしい人だと思ったから、嫌われるのが怖かったのだ。怒らせたくないと必死だった。
ランチタイム終了も近くなった店内は、あの日と同じように半分ほどの席が埋まっている。ランチメニューの中に、カルボナーラを見付けて、私は迷わずそれを注文した。
程なくして運ばれてきたカルボナーラを一口食べる。
あのときは、私が明太子を嫌いと気付いた高乃さんが交換をしてくれた。実は、カルボナーラも苦手という程ではないが、あまり好きではなかった。あの頃は、今よりもずっと食が細かったため、こってりしたものや油っこい食べ物が苦手だったのだ。だから、イタリアンを食べようと思ったことがほとんどない。
あの日、もしもランチメニューのボンゴレが残っていたら、それを頼んでいただろう。もしも、高乃さんがボンゴレを頼んでいたらカルボナーラにしていた思う。
でも、もしもボンゴレを頼んでいたら、高乃さんはあの言葉を言ってくれなかったかもしれない。そして、高乃さんとお付き合いをすることもなかったかもしれない。
嫌いなものは嫌いだと言っていい。それくらいで嫌いになったりしない。もっと自由にしていい。そんな高乃さんの言葉は、私に空想の中の母を思い起こさせた。暗かった私の世界に光が差したように感じた。
私はもうひと口カルボナーラを食べる。
よく眠れるようになり、よく動けるようになり、お腹もちゃんと減るようになった今は、カルボナーラもおいしいと感じる。
だけど、あの日食べたカルボナーラは、もっと特別な味がした。
高乃さんが少し食べたお皿をもらったら、今だってかなり特別な味に感じると思うけれど、ドキドキしすぎて逆に食べられないかもしれない。
高乃さんとお付き合いをするようになってから、日増しに高乃さんを好きだという気持ちが大きくなっている。同時に、よくない気持ちも強くなっていた。
高乃さんは素敵だから、私以外にも高乃さんのことを好きな人がいるに決まっている。
例えば板垣さんだ。親し気に高乃さんに話し掛けて、肩を叩いたり、肩を揉んだりしている。板垣さんは、高乃さんのことが好きなのではないだろうか。高乃さんだって、それを拒否しない。もしかしたら、二人は密かに想い合っているのかもしれない。
胸の奥でモヤモヤした黒いものが生まれた。
それに、忘年会の幹事をしている他部署の人もだ。だから、打ち合わせや下見だと言って、高乃さんをランチや夕食に誘っているのではないだろうか。
幹事を任されるくらいだから、高乃さんと同じくらい仕事ができるすごい人かもしれない。そんな人に私が勝てるなんて思えなかった。
胸の奥の黒いモヤモヤがムクムクと大きくなる。
高乃さんが浮気をするのではないかと疑っているのではない。そもそも、私なんかと付き合っていることがおかしいのだ。
高乃さんが他の人を好きになっても仕方がないと思う。私なんかと付き合っているのが気の迷いだとしか思えない。
高乃さんとすれ違いの日々が続いて、私は寂しくて仕方がないけれど、高乃さんは平気そうだ。もうすでに、高乃さんの心は、私から離れているのだろうか。
私はカルボナーラを半分ほど食べたところで、フォークを置いて店を後にした。
幹事は他部署からも一名ずつ選出されていたようだが、高乃さんはその代表にも祭り上げられたようだ。「今回は仕方ない」とあきらめ気味につぶやいていたが、わざわざ忙しい高乃さんがやる必要があるのだろうかと疑問に感じる。
仕事量は平常時よりも多くなっている。それに加えて、忘年会の幹事たちと打ち合わせをしたり、出欠確認をしたり、当日の進行や催しの準備をしたりととにかく大変そうだった。
「高乃さん、私で手伝えることがあれば……」
そう申し出たこともある。通常の仕事だけでなく、忘年会の準備だって、少しくらい手伝えることがあるかもしれない。
すると高乃さんは私を抱きしめて頭を撫でながら「久遠さんのその言葉だけでがんばれるよ」と言うだけで、準備を私に回すことはなかった。
幹事を任される前に高乃さんは「年末は残業が増えてゆっくり話す時間が取れないだろうから、ランチだけは二人でゆっくり食べよう」と言ってくれていた。
だが、幹事になってからは、そのランチすらも一緒にとることができない。
仕事が押して昼休みが大きくずれ込んだり、短くなったりしたからだ。さらに、時間の節約のためにと他部署の幹事とランチミーティングをすることもあった。
いつも泊まりに行っていた週末すらも、会場の下見に行かなくてはいけないと断られてしまうこともあった。
そして、泊りに行った週末も、高乃さんはグッタリとしていることが多かった
仕方のないことだと分かっているけれど、寂しいという気持ちが抑えられない。もうどれくらい高乃さんとちゃんと喋っていないだろう。高乃さんの視線にドキドキしていた日々が懐かしい。
だが、忘年会の日が近づくと、準備もほとんど終えたからか、高乃さんに余裕が見えるようになった。大量の仕事もある程度目処がつき、鬼のような形相も和らいでいる。
「今日は久しぶりに一緒にランチ行けそうだよ」
高乃さんがチラリと私を見て言った。私はうれしくて飛び上がってしまうかと思った。一緒にランチに行くだけのことで、こんなにもよろこべることに我ながら驚く。ともかく私は、高乃さんとのランチのために、仕事をしっかり片付けようと気合いを入れた。
「それじゃあ、お昼前にこれだけ片付けてくるから」
そう言うと高乃さんは書類の束を持って立ち上がった。
それからしばらく経ち、私が午前中に予定していた仕事は終わった。しかし、高乃さんはまだ戻ってこない。仕方なく午後の仕事に着手する。だが、高乃さんはなかなか戻ってこなかった。
どうしたのだろうと思っているとスマホが鳴る。
『ゴメンつかまったひるむり』
高乃さんらしくない文面に、人の目を盗んで慌てて打ったのだろうと推測ができた。
ウキウキしていた分だけ落胆が大きい。高乃さんだって望んで約束を破ったわけでない。それでも、苛立ちを抑えることができなかった。
こんなとき、普通の恋人同士ならばどうするのだろう。怒って相手を責め立てるのだろうか。それとも寂しいと泣きくのだろうか。だけど、そんなことをしても高乃さんを困らせるだけだ。それ以上に、面倒臭いと思われ、嫌われてしまうのはいやだ。
私は板垣さんをチラリと見た。これもみんな板垣さんのせいだ。板垣さんが高乃さんに忘年会の幹事を押し付けたからだ。これまで以上に板垣さんのことが嫌いになった。
それでも、高乃さんがこんなにも忙しいのもあとわずかだ。忘年会が終われば、またいつも通りに戻る。そう自分に言い聞かせて一人でランチに出た。
ランチの場所に選んだのは、はじめて高乃さんと一緒に行ったパスタ屋だった。
あの頃の私は、高乃さんがやさしい人だと分かっていたけれど、まだ少し怖かった。いや、やさしい人だと思ったから、嫌われるのが怖かったのだ。怒らせたくないと必死だった。
ランチタイム終了も近くなった店内は、あの日と同じように半分ほどの席が埋まっている。ランチメニューの中に、カルボナーラを見付けて、私は迷わずそれを注文した。
程なくして運ばれてきたカルボナーラを一口食べる。
あのときは、私が明太子を嫌いと気付いた高乃さんが交換をしてくれた。実は、カルボナーラも苦手という程ではないが、あまり好きではなかった。あの頃は、今よりもずっと食が細かったため、こってりしたものや油っこい食べ物が苦手だったのだ。だから、イタリアンを食べようと思ったことがほとんどない。
あの日、もしもランチメニューのボンゴレが残っていたら、それを頼んでいただろう。もしも、高乃さんがボンゴレを頼んでいたらカルボナーラにしていた思う。
でも、もしもボンゴレを頼んでいたら、高乃さんはあの言葉を言ってくれなかったかもしれない。そして、高乃さんとお付き合いをすることもなかったかもしれない。
嫌いなものは嫌いだと言っていい。それくらいで嫌いになったりしない。もっと自由にしていい。そんな高乃さんの言葉は、私に空想の中の母を思い起こさせた。暗かった私の世界に光が差したように感じた。
私はもうひと口カルボナーラを食べる。
よく眠れるようになり、よく動けるようになり、お腹もちゃんと減るようになった今は、カルボナーラもおいしいと感じる。
だけど、あの日食べたカルボナーラは、もっと特別な味がした。
高乃さんが少し食べたお皿をもらったら、今だってかなり特別な味に感じると思うけれど、ドキドキしすぎて逆に食べられないかもしれない。
高乃さんとお付き合いをするようになってから、日増しに高乃さんを好きだという気持ちが大きくなっている。同時に、よくない気持ちも強くなっていた。
高乃さんは素敵だから、私以外にも高乃さんのことを好きな人がいるに決まっている。
例えば板垣さんだ。親し気に高乃さんに話し掛けて、肩を叩いたり、肩を揉んだりしている。板垣さんは、高乃さんのことが好きなのではないだろうか。高乃さんだって、それを拒否しない。もしかしたら、二人は密かに想い合っているのかもしれない。
胸の奥でモヤモヤした黒いものが生まれた。
それに、忘年会の幹事をしている他部署の人もだ。だから、打ち合わせや下見だと言って、高乃さんをランチや夕食に誘っているのではないだろうか。
幹事を任されるくらいだから、高乃さんと同じくらい仕事ができるすごい人かもしれない。そんな人に私が勝てるなんて思えなかった。
胸の奥の黒いモヤモヤがムクムクと大きくなる。
高乃さんが浮気をするのではないかと疑っているのではない。そもそも、私なんかと付き合っていることがおかしいのだ。
高乃さんが他の人を好きになっても仕方がないと思う。私なんかと付き合っているのが気の迷いだとしか思えない。
高乃さんとすれ違いの日々が続いて、私は寂しくて仕方がないけれど、高乃さんは平気そうだ。もうすでに、高乃さんの心は、私から離れているのだろうか。
私はカルボナーラを半分ほど食べたところで、フォークを置いて店を後にした。
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