ヒナ鳥の育て方

悠生ゆう

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ヒナ鳥の育て方1

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 そんなに悪い子ではないと分かっているのに、なぜか隣の席の久遠美星(くどうみほし)さんに苛立ちを感じてしまう。
 久遠さんは、少し前に他の部署から異動してきた、入社二年目か三年目かの若手社員だ。名前を裏切らない愛らしい容姿をしており、うちの部署に配属された瞬間から部署のアイドルになった。
 別に、若くてかわいい子だから苛立つというわけではない。
 『相性』という言葉があるけれど、なんとなく苦手だと感じたり、なんとなく好感を抱いたりすることがある。久遠さんに対する苛立ちは、まさにそんな感じだ。
 私は、恐らく勤続年数だけで決められたであろう『主任』という肩書を一応持っている。そのためか、久遠さんの指導担当を押し付けられてしまった。三十歳を過ぎた社員に、そういった役割が否応なくまわってくるのは致し方ないことだと思うが、私にそんな器はない。
 だからといって放棄することもできないし、苛立つからと厳しく接することもできない。そのため、心の中で「冷静に」「公平に」と呪文ように繰り返す日々が続いている。
 久遠さんは、どちらかといえば不器用な方だとは思うが、とても真面目に仕事に取り組んでくれている。
 昨年入社して、あっという間に辞めてしまった田中さんはひどかった。教えてもメモをとらない。理解しているのかと思い仕事を任せるとできない。分からなくても質問をしない。ミスをしても反省しない。やりかけの仕事を放りだす。やさしく注意をしても泣き出す。
 私の教え方が悪いのだろうかと試行錯誤を繰り返し、ストレスで胃が痛くなるという経験をした。
 良いところといえば、久遠さんに対して苛立ちを感じたとき、「田中さんよりちゃんとやってるじゃない」と自分を諫(いさ)められることくらいだ。そういう意味では、田中さんも役に立ったといえなくもない。
 しかし、そんな風に誤魔化しながらやり過ごしても、久遠さんとの相性が良くなるわけではない。一刻も早く、原因を割り出して打開策を検討する必要がある。そこで、私は久遠さんを観察し、自分の心理状況を分析することにした。



「久遠さん、今の作業が片付いたら、さっき使った資料を倉庫に戻しておいてくれる?」
 私はパソコン入力の手を止めることなく言う。久遠さんがこちらを見る気配を感じた。
「あの作業はまだ全部終わっていませんけど、片付けてしまっていいんですか?」
「資料はこれ以上使わないから片付けて大丈夫だよ」
「わかりました」
 久遠さんは、そう返事をすると付箋にメモを書く。そして、パソコンモニターの端に貼られている付箋を並べ替えて、上から二番目に貼り付けた。
 あ、これだ。と私は思う。
 忘れないようにメモするのはいいことだ。それに、タスク管理もいいことだと思う。
 だが、それがいちいち細かいのだ。手が空いたら資料を片付けに行くくらいのことは、そこまでキッチリ管理することでもないと思う。
 久遠さんは、毎朝、作業予定を付箋に書いて貼り付けている。そこそこ時間をかけているので、簡単な作業ならば一つ二つ終えられるのではないかと思ってしまうのだ。
 仕事には本人にしか分からない段取りややり方がある。それを否定するつもりはないけれど、もう少し効率よくできないだろうかと思ってしまう。
 だが、これについてはもう少し様子をみることにしよう。うちの部署の仕事に慣れたら、自然にスマートなやり方に変化するかもしれない。慣れないうちにやり方を変える方が不安やミスを招くだろう。
 それに、付箋によるタスク管理にはいい面もある。久遠さんの作業量や進捗状況を、ひと目でチェックできることだ。
 苛立ちポイントを一つスルーしようと決めたら、その分、私の心も軽くなる。
 それに、久遠さんは疑問に思ったことを質問してくれた。これは好感ポイントだ。
 観察と分析は予想以上にいい効果があるかもしれない。
 しばらくすると、久遠さんはパソコンを打つ手を止める。そして、一番上のタスク付箋を外してノートに貼り付け、何かを書きはじめた。
 あー、これもだ。
 久遠さんは、作業が一つ終わると、ノートに気付いたことや反省などを綴っているようだ。若干無駄が多いような気もするが、これもスルーしよう。
 忘れないうちに反省するのはいいことだ。それに、慣れてくればこの時間は減るだろう。将来的なことを考えれば、久遠さんが先輩になって後輩指導をするときのマニュアルになるかもしれない。
 苛立ちポイントの二つ目もスルーに決定した。
 そんなことを考えている間に、久遠さんはノートを閉じた。そして、「高乃(たかの)さん、倉庫に行ってきます」と言って立ち上がる。
 こうして都度報告をしてくれるのは好感ポイントだと思う。
 だが、すぐにまた苛立ちポイントを見付けてしまった。空きデスクに置いてあった資料の入った段ボールを持ち上げる姿だ。
 私ならば、あの程度の段ボールなら、二箱くらいは楽々に運べる。だが、華奢な久遠さんが持つと、なんだかとてつもなく大変そうに見えて、罪悪感が芽生えてしまうのだ。
 久遠さんが辛そうにしているわけでも、嫌々やっているわけでもない。私が勝手に心配して、勝手に罪悪感を抱いてしまうだけだ。久遠さんに非があるわけではない。これは大いに反省しよう。
 そして久遠さんが、段ボールを持って部屋を出ようとしたとき、同じ部署の西島くんが声を掛けた。
「重そうだね、手伝おうか?」
 これも久遠さんに対する苛立ちポイントだ。我が部署のアイドル、久遠さんは、男性社員からお姫様のような扱いを受けている。百歩譲って、それは良いとしよう。だが……。
「若い子をこき使うなんて、嫌な上司だよね。きっとひがんでるんだよ」
 西島くんは声を潜めているつもりのようだが、しっかり私の耳に届いている。久遠さんに注意をしたり、少し大変そうな仕事を任せたりすると、私への非難の声が大きくなる。私としては、久遠さんに少しでも早く仕事を覚えてもらうためにやっていることだ。だが、若くてかわいい久遠さんに嫉妬しているために嫌がらせをしていると言われてしまう。
 その点、田中さんのときは良かった。田中さんの仕事ぶりは、他の社員たちから見ても目に余ったようだ。私が田中さんを注意しても、「高乃さん大変だなぁ」くらいの視線が送られていた。
 だが、久遠さんは基本的にいい子だから、矛先は私に向いてしまう。
 とはいえ、これで久遠さんに苛立つのは間違っている。久遠さんがそうして欲しいと頼んでいるわけではない。部署のアホどもが勝手にやっていることなのだ。アホどもに苛立ったとしても、久遠さんを非難するべきではない。私は密かに深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
 だが、次の瞬間には、また苛立ちセンサーが反応してしまった。
「倉庫に運ぶんだよね? オレが運ぶよ」
 西島くんはそう言って久遠さんが持つ段ボールに手を掛ける。
「大丈夫です」
「まあまあ、これくらい任せてよ」
 そう言って西島くんは半ば強引に段ボールを久遠さんの手から取り上げた。
「あ、えっと、それじゃあお願いしていいですか? ありがとうございます」
 久遠さんは、少し下を向いて考える仕草をしてからお礼を言った。その言葉を聞き、西島くんはニカっと笑って部屋を出て行く。
 おそらく、私が一番苛立っているポイントがこれだ。
 私ならば、「自分で運べます。私を手伝う暇があるなら、自分の仕事をしてください」くらい言ってしまうだろう。だが、久遠さんはそうしない。例え相手が善意を押し付けているだけだとしても、それを受け入れるのだ。
 席に戻った久遠さんに私は小声で話し掛ける。
「西島くんに任せたの?」
「あ、はい。あとで確認に行ってきます」
 そう言いながら久遠さんは、付箋に『資料確認』と書いて、次の作業の下に張り付けた。
 西島くんが好意で運んでくれたとしても、資料が所定の場所に保管されたか確認しなければいけない。万一、別の場所に紛れ込んでしまうと、後日大変なことになる。そして、西島くんはそんなミスをしそうなタイプなのだ。それが分かっているのに、久遠さんは西島くんの好意を受け入れてしまう。
「ああいうの、断ってもいいんだよ?」
 すると、久遠さんは不思議なものを見るような顔で私を見て首をひねった。
「でも、任せた方が喜びますよね?」
「ん? それってどういう意味?」
「ああいうときって、普通、男の人は頼られたいんですよね? だから頼った方が普通は喜ぶんじゃないんですか?」
「それはそうかもしれないけど……」
「相手が喜ぶであろうことをするのは、普通ですよね?」
「え、あ、うん、まあ……」
 とても純粋に見える久遠さんの瞳に、私は思わず返事をしたが、釈然としない思いに駆られていた。相手に喜んでほしい。喜ばせたい。そう考えるのは間違っていないと思う。だが、久遠さんが言うことは、少しおかしい気がした。
「もしかして、西島くんのことが好きなの?」
 私は、思い切って久遠さんに聞いてみた。だが、久遠さんはキョトンとした顔をしてる。
「別に好きではありませんけど……」
「ああ、そう。ごめん、変なこと聞いて……。仕事、しようか」
 私は苦笑いを浮かべつつ、パソコンに向き直った。久遠さんも「はい」と答えてパソコンを打ち始める。
 西島くんのことが好きで、彼に好かれたいと思っているのなら少しは納得できた。そうでないというのなら、久遠さんがしきりに口にした「普通」とは、本当に一般論を指しているのだろう。先ほどのような久遠さんの態度は西島くんに対してだけではないように感じる。
 久遠さんの行動原理は「普通」と「相手が喜ぶ」なのだろうか。
 久遠さんのこの態度が私の苛立ちポイントであるのは間違いなさそうだ。けれど、打開策は見つからない。しばらく経過観察が必要なようだ。
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