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第二章 紗夜と喜佐光
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しおりを挟む口づけをきっかけに、私の中で失われた遠い記憶が断片的に甦り始めたのです。今の段階ではそれが一体何の記憶なのかはっきりとしませんが、狂おしい懐かしさと喜びの記憶だったような気がするのです。
私は、その記憶の糸をたどろうとしましたが、喜佐光様が「畜生!! 俺よりも、蛙とだとぉぉぉぉぉぉぉ!?」怒りのあまり、ありったけの力を込めて私を殴りつけたのです。
これでは記憶をたどるどころではありません。
あまりの勢いに私はまたも地面に這いつくばってしまいました。私の髪を後ろで束ねていた水引(巫女の正装時の髪型である垂髪は長い髪を背中で一つに束ね、和紙でできた水引で留めている)は千切れてしまい、背中を覆うほどの長さの髪がみだれて顔を覆いました。頬は腫れ唇も切れていました。
「この俺をないがしろにし、蛙なんぞと契りを交わした女がこの先、まともな人生を送れると思うなよ!!」
その言葉、どういう意味でしょう?
嫉妬の狂気に染まった顔は人としての理性などどこかに忘れてきたようでした。まさに『喜佐光様ご乱心』の如き様相でございます。
一方、蛙様はご自分が瀕死であるにも関わらず私の心配をして下さっていました。
「紗夜…殿…、大丈夫か…!! この御恩は…忘れません…!!」
何とお優しいのでしょう…。
その蛙様を喜佐光様は「この糞蛙が!!!」と全力で地面に叩きつけたのです。
蛙様は恐ろしい勢いで大地に叩きつけられ、そのまま湖まで転がり水面に落ちてしまいました。
私は声の限りに呼びましたが、蛙様はそのまま戻っては来ませんでした。
「蛙様ああああ!」
「うるせぇ!! 蛙は殺してやった、ざまぁ見やがれ!!!」
そのまま喜佐光様は倒れたままの私に渾身の蹴りを入れたのです! もう蛙だろうが、女だろうが、容赦ありません。只々衝動のままに暴力をまき散らす喜佐光様。
私は地面を転がりながら朦朧とする意識の中で思っていました。
「私も、殺される…」と。
私が死を覚悟した時、蛙様が落ちたあたりの湖の水面が妖しい光を放ち、揺れ始めました。それが次第に広がり遥か遠くの対岸にまで及ぶまでにそう時間はかかりませんでした。
「…?!」
「…。」
誰もが「これは何かの前兆だ」と思った時、突如大爆発が起きたのです。
広大な水面がふわりと膨らんだかと思った瞬間、耳を破るような爆音とともに水中にある巨大な何かが、鏡のような水面を破って飛び上がったようでした。それと同時に広大な湖にたたえられていた大量の水のほとんどが一瞬にして気化し一緒に空へ吸い込まれるように舞上がったのです。
「!!」
周囲は真白な水煙に包まれ一時は視界が利かないほどでした。対岸が見えないほど大きな湖が保有する、とてつもない水量が一瞬にして空へ舞上がったのですから無理もありません。やがてそれは龍神山の遥か上空で巨大な積乱雲を形成し、地上に恵みの雨を降らせたのです。
干ばつによって干上がり痩せ衰えた大地は、四十日振りに雨の匂いに包まれたのでした…。
**
収穫祈願祭当日。
私の村には四十日振りに雨が降りそそぎました。切望し続けた雨が遂に降ったのです。
「絶望的な干ばつに見舞われていた村はこれで救われる…!」
「雨が!! 雨が…!! もしやこれは紗夜様が!?」
歓喜に沸く村人たちが騒ぎ始めました。
昨夜から姿の見えない私の事を、もしかしたら龍神山へ向かったのではないかと、心配して下さっていたのです。村の有力者の息子である喜佐光様も今朝早くから手下どもを引き連れ山へ向かったという噂が広まっておりました。
「龍神山の上を見ろ!! あれは伝説の龍神様ではないのか!!」
降りそそぐ雨の中で村人たちは、龍神山の遥か上空を幾度も旋回しながら宙を舞う龍神様の姿を目撃したのです。
龍神様の全身に纏わりつく積乱雲が引きちぎられて何十本もの糸のように長い尾を引いていました。あまりに大きなそのお姿は空一面を覆い尽くすかと思われるほどでした。
「甦った…」
「龍神様が甦った!!!!」
村人たちは、降りしきる雨の中で口々に叫びながら大地に跪きひれ伏したのです。
**
積乱雲の中から現れ空を舞い続ける龍神様。
その元の姿は蛙様だったのです。いえ、理由あって龍神様が蛙様の姿になっていたのです。その龍神様がたった今、蛙から元の姿に戻りました。
念願の恵みの雨が降り、干ばつに見舞われていた私の村は救われるでしょう。
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