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第一章 紗夜と蛙
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「ここは危険な山。すぐに帰られよ。」
魔犬が退散した後、少し落ち着きを取り戻した私に蛙は…いいえ、蛙様は言いました。しかし私も村の運命を背負ってここへ来たのです。
「いいえ蛙様、村を救うため、龍神の巫女こと龍加美紗夜は、龍神山の主様にお会いするためにやって参りました。龍神湖までご案内いただけませんか? お礼はいずれ必ず…」
固い決意に私の語気も強くなります。
「龍神の巫女…、龍加美紗夜殿とおっしゃったのか!!」蛙様は驚愕したような大声を出しました。
「は、はい。」
「…ならば、…それならば!!」身震いする蛙様。
「?」
「口づけを!!」
「それは嫌!!(お前、またそれかよ!!)」
…ですが、私は少し戸惑っておりました。命の恩人でもある蛙様の願いを全身全霊で拒絶するのは、何処か良心がちくちくするのでした。
**
「紗夜殿、少しだけ見て頂きたいのです。」
蛙様は私を魔犬の巣へ連れて行きました。
遠くから恐る恐る覗いてみると、魔犬の仔が酷い怪我をしていたのです。人間の罠にかかったのでしょう、前足の肉は裂け骨は砕かれていました。高熱に体を横たえたまま、苦しそうにクンクンと哭く魔犬の仔。
人間は妖に対して何と残酷なことをしたのでしょうか…。魔犬の仔を傷つけた罠は人間が仕掛けたものに違いありません。龍神山は人の寄りつかない魔の山ですが、ごく一部の人間が山へ入り、このような残酷な罠を仕掛けたのです。
龍神様の生き血や肉を狙う者です。彼らが自らの欲望のためにこのような罠を仕掛け、妖たちを傷つけたのです…。
遠い昔から、幾度も幾度も…!!
本当に恐ろしい鬼や妖の類は、実は人の心の中に棲んでいるのかもしれません…。
「魔犬のように、この山には人間に恨みを持つ者も多く、だからこそ危険なのです。もう…帰られよ。あれ、紗夜殿?!」
「申し訳ありません!」
遠くから見るだけのはずだったのですが、気がつけば私は魔犬の親子の前に走り出ていました。
魔犬の仔の傷は深いものでしたが、妖ですから人間よりも遥かに早く治癒してしまうでしょう。この傷がもとで死んだりすることもまずありません。ですが、私には痛みに苦しむ妖の仔の姿をこれ以上見ている事などできませんでした。
「人間め!!、何故ここに!!」
再び魔犬の親が殺意を爆発させました。私はあまりの恐怖に目を塞ぐことさえ出来ませんでした。
しかし、その仔を放っておく事などできなかったのです。
「私にはそのことに責任があるのだろうか? ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだ時、既に私には責任がある(#4)のだと思います。足をもがれるような苦痛から仔犬を一刻も早く救ってやりたいと、その一心だけで動いておりました。持っていた竹筒の水で傷口を洗い清潔にします。
「それは…貴重な飲み水では!?」蛙様。
「…構いません。」
水不足の村を出る時に汲んできた僅かな飲み水でしたが、仔犬の傷を洗浄するのに全て使いました。そして摘んだ薬草を素早くすり潰して傷口に塗布し、最後に白衣の袖を裂いて包帯にします。これで手当ては完了です。
しばらくすると高熱が下がり始め、傷口の痛みも和らいできたのか魔犬の仔の苦悶の表情も消えてゆきました。大丈夫、もう安心です。
「お犬様。このような残酷な罠を仕掛け、お子様を傷つけた人間の側の一人としてお詫びいたします。」
私は大地に両手をつき、深々と頭を下げて詫びました。
「人間の…娘殿、ありがとう。…そして貴女を襲ってしまったことを心よりお詫びする。」
そう言って下さった親犬からは、先程までの吹き荒ぶような殺気が消えていました。
人間が傷つけた妖の仔を手当てしたことで解り合えたとは、何とも皮肉な事のような気がします…。
「そんなことはありません、紗夜殿の人柄の賜物ですよ。」
蛙様が私の心を見透かしたように、そう言いました。
私は子守歌を歌いました。妖は音楽を知りません。じっと聞き入ってくれました。私は大勢の人前でなど歌ったことはありません。初めてでした。少し恥ずかしかったのですが、この場面ではそうしてあげることがとても自然な事のように思えて、勇気を出して歌いました。お犬様の仔はすやすやと眠りに堕ちてゆきました。その表情は既に苦痛から解放されているようでした。
**
別の妖が現れました。毒猿でした。普段ならばお犬様の敵で殺し合いのような喧嘩をするのです。
しかし、この時は様子が違いました。今は喧嘩などする気はないようです。一度は殺気立ったお犬様もすぐに牙を納められました。
毒猿にもまた仔があり、その仔を抱いていました。毒猿の仔は昨年亡くなった母が恋しくて哭くのでした。
「先程の優しい歌を、…もう一度聞かせてやってもらえないだろうか…?」
「ええ、かしこまりました。」
私が歌う子守歌で毒猿の仔も良く眠ってくれました。
「すまない、感謝する…」私にそう言って下さったのです。
気がつけば大勢の妖たちに囲まれておりました。私の子守歌に集まって来たのです。そのほとんどが仔連れで「もっと聞かせて欲しい…」と懇願するのです。
私は幾度も繰り返して歌いました。
大勢の妖たちが仔を抱いたままじっと聞き入ってくださいました。
「そよ風のような美しい歌声に聞き惚れ、心と体をゆだねていましたよ。」
後に、蛙様がその時の様子を話してくださいました。
「龍神山全体が紗夜殿の歌声に包まれ、植物は生い茂り花が狂い咲いておりましたよ!」とも。
よかった。こんな私でもお役に立てることがあって、そして喜んで頂けたのですから。
でもちょっと、言い過ぎではありませんか? 褒めて下さっても何も出ませんよ(笑)
私はまだこの時、自分の力に気づいていませんでした。
「蛙殿…」
私には聞こえませんでしたが、お犬様がそっと蛙様に近づき何か話していました。
「あなたの正体はもしや…?」
「(笑)。」
笑顔を返しただけで、蛙様は何も答えなかったようです。
(#4) 「私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです。 ドストエフスキー ロシアの小説家、思想家 / 1821~1881
魔犬が退散した後、少し落ち着きを取り戻した私に蛙は…いいえ、蛙様は言いました。しかし私も村の運命を背負ってここへ来たのです。
「いいえ蛙様、村を救うため、龍神の巫女こと龍加美紗夜は、龍神山の主様にお会いするためにやって参りました。龍神湖までご案内いただけませんか? お礼はいずれ必ず…」
固い決意に私の語気も強くなります。
「龍神の巫女…、龍加美紗夜殿とおっしゃったのか!!」蛙様は驚愕したような大声を出しました。
「は、はい。」
「…ならば、…それならば!!」身震いする蛙様。
「?」
「口づけを!!」
「それは嫌!!(お前、またそれかよ!!)」
…ですが、私は少し戸惑っておりました。命の恩人でもある蛙様の願いを全身全霊で拒絶するのは、何処か良心がちくちくするのでした。
**
「紗夜殿、少しだけ見て頂きたいのです。」
蛙様は私を魔犬の巣へ連れて行きました。
遠くから恐る恐る覗いてみると、魔犬の仔が酷い怪我をしていたのです。人間の罠にかかったのでしょう、前足の肉は裂け骨は砕かれていました。高熱に体を横たえたまま、苦しそうにクンクンと哭く魔犬の仔。
人間は妖に対して何と残酷なことをしたのでしょうか…。魔犬の仔を傷つけた罠は人間が仕掛けたものに違いありません。龍神山は人の寄りつかない魔の山ですが、ごく一部の人間が山へ入り、このような残酷な罠を仕掛けたのです。
龍神様の生き血や肉を狙う者です。彼らが自らの欲望のためにこのような罠を仕掛け、妖たちを傷つけたのです…。
遠い昔から、幾度も幾度も…!!
本当に恐ろしい鬼や妖の類は、実は人の心の中に棲んでいるのかもしれません…。
「魔犬のように、この山には人間に恨みを持つ者も多く、だからこそ危険なのです。もう…帰られよ。あれ、紗夜殿?!」
「申し訳ありません!」
遠くから見るだけのはずだったのですが、気がつけば私は魔犬の親子の前に走り出ていました。
魔犬の仔の傷は深いものでしたが、妖ですから人間よりも遥かに早く治癒してしまうでしょう。この傷がもとで死んだりすることもまずありません。ですが、私には痛みに苦しむ妖の仔の姿をこれ以上見ている事などできませんでした。
「人間め!!、何故ここに!!」
再び魔犬の親が殺意を爆発させました。私はあまりの恐怖に目を塞ぐことさえ出来ませんでした。
しかし、その仔を放っておく事などできなかったのです。
「私にはそのことに責任があるのだろうか? ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだ時、既に私には責任がある(#4)のだと思います。足をもがれるような苦痛から仔犬を一刻も早く救ってやりたいと、その一心だけで動いておりました。持っていた竹筒の水で傷口を洗い清潔にします。
「それは…貴重な飲み水では!?」蛙様。
「…構いません。」
水不足の村を出る時に汲んできた僅かな飲み水でしたが、仔犬の傷を洗浄するのに全て使いました。そして摘んだ薬草を素早くすり潰して傷口に塗布し、最後に白衣の袖を裂いて包帯にします。これで手当ては完了です。
しばらくすると高熱が下がり始め、傷口の痛みも和らいできたのか魔犬の仔の苦悶の表情も消えてゆきました。大丈夫、もう安心です。
「お犬様。このような残酷な罠を仕掛け、お子様を傷つけた人間の側の一人としてお詫びいたします。」
私は大地に両手をつき、深々と頭を下げて詫びました。
「人間の…娘殿、ありがとう。…そして貴女を襲ってしまったことを心よりお詫びする。」
そう言って下さった親犬からは、先程までの吹き荒ぶような殺気が消えていました。
人間が傷つけた妖の仔を手当てしたことで解り合えたとは、何とも皮肉な事のような気がします…。
「そんなことはありません、紗夜殿の人柄の賜物ですよ。」
蛙様が私の心を見透かしたように、そう言いました。
私は子守歌を歌いました。妖は音楽を知りません。じっと聞き入ってくれました。私は大勢の人前でなど歌ったことはありません。初めてでした。少し恥ずかしかったのですが、この場面ではそうしてあげることがとても自然な事のように思えて、勇気を出して歌いました。お犬様の仔はすやすやと眠りに堕ちてゆきました。その表情は既に苦痛から解放されているようでした。
**
別の妖が現れました。毒猿でした。普段ならばお犬様の敵で殺し合いのような喧嘩をするのです。
しかし、この時は様子が違いました。今は喧嘩などする気はないようです。一度は殺気立ったお犬様もすぐに牙を納められました。
毒猿にもまた仔があり、その仔を抱いていました。毒猿の仔は昨年亡くなった母が恋しくて哭くのでした。
「先程の優しい歌を、…もう一度聞かせてやってもらえないだろうか…?」
「ええ、かしこまりました。」
私が歌う子守歌で毒猿の仔も良く眠ってくれました。
「すまない、感謝する…」私にそう言って下さったのです。
気がつけば大勢の妖たちに囲まれておりました。私の子守歌に集まって来たのです。そのほとんどが仔連れで「もっと聞かせて欲しい…」と懇願するのです。
私は幾度も繰り返して歌いました。
大勢の妖たちが仔を抱いたままじっと聞き入ってくださいました。
「そよ風のような美しい歌声に聞き惚れ、心と体をゆだねていましたよ。」
後に、蛙様がその時の様子を話してくださいました。
「龍神山全体が紗夜殿の歌声に包まれ、植物は生い茂り花が狂い咲いておりましたよ!」とも。
よかった。こんな私でもお役に立てることがあって、そして喜んで頂けたのですから。
でもちょっと、言い過ぎではありませんか? 褒めて下さっても何も出ませんよ(笑)
私はまだこの時、自分の力に気づいていませんでした。
「蛙殿…」
私には聞こえませんでしたが、お犬様がそっと蛙様に近づき何か話していました。
「あなたの正体はもしや…?」
「(笑)。」
笑顔を返しただけで、蛙様は何も答えなかったようです。
(#4) 「私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです。 ドストエフスキー ロシアの小説家、思想家 / 1821~1881
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