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ペチュニア
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恵美一家は、犬を飼い出した。可愛い雌のビーグルだった。
一人でシャワーを浴びたりお風呂に入ったりするのが難しくなった幸子は、いつからか、週3回、恵美の家で、恵美に手伝ってもらい、体を洗うことになった。
その時に、幸子がエンジェルという犬との初顔合わせをしたのである。幸子は、犬や動物を飼った経験がなく、少し苦手だったが、エンジェルには、特別な愛嬌があって、触ったり撫でたりするようなことはしないものの、幸子は、案外すぐに慣れ、「可愛い」と言ったり、食べ残しをやったりするようになって行った。
ところが、幸子は何回雌だと聞かされても、犬にも雄と雌がいるというのは、頭では理解できるとはいえ、どうしてもしっくり来なくて、名前が天使という意味の「エンジェル」だと言われても、いくら可愛くても動物は畜生であるという考え方が幼い頃に植え付けられ、今でも根強い幸子には、どうしても、犬を「エンジェル」のような綺麗な名前で呼ぶことが、抵抗があり、出来なかったのである。
それでも、食事中、台所の隅っこに座り込み、訴えるような目で人間を見上げるエンジェルの姿には、幸子の母性本能をくすぐるところがあったようで、分けてあげたくなる。
ある日、朝から恵美の家に来ていた幸子は、午前中は、落ち着いていて調子が良かったのに、昼からイライラし出した。落ち着いているから子供たちに任せても大丈夫だろうとたかを括った恵美は、2階で書類を書いていて、幼い悠美と直美が幸子の面倒見役を丸投げされた。
「こんなところでのんびりしていられないわ。母のところに早く戻らなきゃ。ペチュニアの水やりもあるし、ご飯の支度もしなくちゃ。母が待っているから、そろそろお暇するね。ありがとう。またね。」
と幸子がいきなり悠美と直美に挨拶をし、家を出て行こうとした。
「おばあちゃんを絶対に外に出させちゃダメだ。」と母親から指示があった悠美は、祖母を止めようとした。
「おばあちゃん、お母さんはもうすぐ戻って来るから、それまでここで待っていて。」
幸子は、最初悠美に言われた通りに、しばらく待ってみたが、恵美はすぐに戻って来なかったため、幸子が「やっぱり、待てないわ!」と言い捨て、もう一度出て行こうとした。
「おばあちゃん、ダメだって!」
悠美が呼び止めようとすると、幸子が頭に来て、声を荒げて言った。
「私は、大人よ。なんで小さなあなたの言うことを聞かなきゃならないの?行くわ。」
そこまで言うと、幸子は、とうとう出て行った。
悠美は、すぐに2階にいる母親を呼びに行き、恵美が慌てて、幸子の後を追って外へ飛び出していった。幸子に追いついて、何とか無事に連れて帰ったが、帰って来ても、言い争いは続いた。
「だから、おばあちゃんは、もうとっくに亡くなったってば!もう20年以上前よ!あの家も、もうないよ!焼けちゃったよ!ペチュニアも、もう咲いていない!だから、帰らなくていい!帰っても、誰もいないわよ!家もないし!」
「そのはずはない!そんなことになっていたら、私には連絡が来るはずだけど、何も聞いていないわ!」
母親が亡くなったことを覚えていない幸子は、納得がいかない。
「死んだよ!連絡あったし、お母さんも、お葬式に出ていたよ!」
恵美がムキになって、怒鳴った。
「出ていない!亡くなったことすら知らされていないというのに…!」
幸子は、恵美の言うことは、全部自分の記憶とは異なるため混乱し、一向に興奮が収まらない。
「大体、焼けていなくても、ここからあの家まで歩いて行くのは、無理よ!何日もかかるわ!」
恵美が幸子の言い分の更なる矛盾点を指摘した。
「そんなこと、ない!今日だって、そこからここまで歩いて来たんだよ!」
幸子が反論した。
「歩いていないよ!私が車で迎えに行ったじゃん!しかも、おばあちゃんの家じゃなくて、お父さんとお母さんの家に!」
恵美は、母親とこうして揉めるのはもちろん、母親がここまで混乱し、色々わからなくなっているのが辛くて、とうとう涙が滲んできた。
すると、エンジェルという犬が幸子の膝へ飛び乗り、慰めようと思ったのか、幸子の顔をぺろりと舐めた。
幸子は、びっくりして、ソファから飛び起きた。幸子は、犬に舐められるはおろか、膝に乗せたことも、手で触るようなこともしたことがない。幸子は、亡き母の家に帰ろうとしていたことなどすっかり忘れ、早速洗面台へ行き、うがいをし始めた。
その後、すぐに哲雄が車で、幸子を迎えに来た。恵美一家にプレゼントしようと思い、コストコに寄ってベーグルやマフィンを買ったから、遅くなったのである。
本当は、娘一家に、週3回も幸子の面倒を見てもらうのは、申し訳なくて、胸が痛む。幸子の体を洗うことが自分で出来たらいいのだが、根気よくそういうお世話ができるような気質ではない。本当は、幸子の世話をしてくれている報酬として、その苦労に見合うような金額を現金で渡したいのだが、恵美は、「母親だから、当たり前だ。」と拒否し、お金を受け取らない。
だから、幸子が恵美のところに行っている間、コストコで買い物をし、「お裾分け」だと言い繕い、恵美や子供たちが喜びそうなものを買うことにしている。本当は、娘一家にお世話になっていなければ、幸子と二人暮らしだし、コストコのようなお店には、一生縁がなかったのだろう。
車から降り、哲雄も、エンジェルと初めて顔を合わせた。
「おー!綺麗な犬だなあ!綺麗な目している!」
子供の頃に犬を飼っていた哲雄は、すぐにエンジェルの耳の後ろと首辺りを撫で始めて、得意げに言った。
「犬は、ここを撫でてやると、喜ぶんじゃ。犬のお母さんは、この首のところを咥えて赤ちゃんを運ぶから、ここを撫でてやると、お母さんのことを思い出すんじゃ。」
エンジェルは、哲雄の腕の中で、気持ち良さそうに、尻尾を振った。
「私は、あの犬に舐められたのよ!しかも、口!一回うがいしたけど、もう一度しとこうかしら。」
幸子は、困った口調で言った。
「犬に舐められたぐらいで、そこまでしなくていいだろう。」
哲雄が言って、犬に慣れていない妻を安心させようとしたが、幸子は、それでも不安を払拭し切れず、もう一度うがいをし、帰宅した後も、2回ほどうがい薬で口内を徹底的に洗った。
一人でシャワーを浴びたりお風呂に入ったりするのが難しくなった幸子は、いつからか、週3回、恵美の家で、恵美に手伝ってもらい、体を洗うことになった。
その時に、幸子がエンジェルという犬との初顔合わせをしたのである。幸子は、犬や動物を飼った経験がなく、少し苦手だったが、エンジェルには、特別な愛嬌があって、触ったり撫でたりするようなことはしないものの、幸子は、案外すぐに慣れ、「可愛い」と言ったり、食べ残しをやったりするようになって行った。
ところが、幸子は何回雌だと聞かされても、犬にも雄と雌がいるというのは、頭では理解できるとはいえ、どうしてもしっくり来なくて、名前が天使という意味の「エンジェル」だと言われても、いくら可愛くても動物は畜生であるという考え方が幼い頃に植え付けられ、今でも根強い幸子には、どうしても、犬を「エンジェル」のような綺麗な名前で呼ぶことが、抵抗があり、出来なかったのである。
それでも、食事中、台所の隅っこに座り込み、訴えるような目で人間を見上げるエンジェルの姿には、幸子の母性本能をくすぐるところがあったようで、分けてあげたくなる。
ある日、朝から恵美の家に来ていた幸子は、午前中は、落ち着いていて調子が良かったのに、昼からイライラし出した。落ち着いているから子供たちに任せても大丈夫だろうとたかを括った恵美は、2階で書類を書いていて、幼い悠美と直美が幸子の面倒見役を丸投げされた。
「こんなところでのんびりしていられないわ。母のところに早く戻らなきゃ。ペチュニアの水やりもあるし、ご飯の支度もしなくちゃ。母が待っているから、そろそろお暇するね。ありがとう。またね。」
と幸子がいきなり悠美と直美に挨拶をし、家を出て行こうとした。
「おばあちゃんを絶対に外に出させちゃダメだ。」と母親から指示があった悠美は、祖母を止めようとした。
「おばあちゃん、お母さんはもうすぐ戻って来るから、それまでここで待っていて。」
幸子は、最初悠美に言われた通りに、しばらく待ってみたが、恵美はすぐに戻って来なかったため、幸子が「やっぱり、待てないわ!」と言い捨て、もう一度出て行こうとした。
「おばあちゃん、ダメだって!」
悠美が呼び止めようとすると、幸子が頭に来て、声を荒げて言った。
「私は、大人よ。なんで小さなあなたの言うことを聞かなきゃならないの?行くわ。」
そこまで言うと、幸子は、とうとう出て行った。
悠美は、すぐに2階にいる母親を呼びに行き、恵美が慌てて、幸子の後を追って外へ飛び出していった。幸子に追いついて、何とか無事に連れて帰ったが、帰って来ても、言い争いは続いた。
「だから、おばあちゃんは、もうとっくに亡くなったってば!もう20年以上前よ!あの家も、もうないよ!焼けちゃったよ!ペチュニアも、もう咲いていない!だから、帰らなくていい!帰っても、誰もいないわよ!家もないし!」
「そのはずはない!そんなことになっていたら、私には連絡が来るはずだけど、何も聞いていないわ!」
母親が亡くなったことを覚えていない幸子は、納得がいかない。
「死んだよ!連絡あったし、お母さんも、お葬式に出ていたよ!」
恵美がムキになって、怒鳴った。
「出ていない!亡くなったことすら知らされていないというのに…!」
幸子は、恵美の言うことは、全部自分の記憶とは異なるため混乱し、一向に興奮が収まらない。
「大体、焼けていなくても、ここからあの家まで歩いて行くのは、無理よ!何日もかかるわ!」
恵美が幸子の言い分の更なる矛盾点を指摘した。
「そんなこと、ない!今日だって、そこからここまで歩いて来たんだよ!」
幸子が反論した。
「歩いていないよ!私が車で迎えに行ったじゃん!しかも、おばあちゃんの家じゃなくて、お父さんとお母さんの家に!」
恵美は、母親とこうして揉めるのはもちろん、母親がここまで混乱し、色々わからなくなっているのが辛くて、とうとう涙が滲んできた。
すると、エンジェルという犬が幸子の膝へ飛び乗り、慰めようと思ったのか、幸子の顔をぺろりと舐めた。
幸子は、びっくりして、ソファから飛び起きた。幸子は、犬に舐められるはおろか、膝に乗せたことも、手で触るようなこともしたことがない。幸子は、亡き母の家に帰ろうとしていたことなどすっかり忘れ、早速洗面台へ行き、うがいをし始めた。
その後、すぐに哲雄が車で、幸子を迎えに来た。恵美一家にプレゼントしようと思い、コストコに寄ってベーグルやマフィンを買ったから、遅くなったのである。
本当は、娘一家に、週3回も幸子の面倒を見てもらうのは、申し訳なくて、胸が痛む。幸子の体を洗うことが自分で出来たらいいのだが、根気よくそういうお世話ができるような気質ではない。本当は、幸子の世話をしてくれている報酬として、その苦労に見合うような金額を現金で渡したいのだが、恵美は、「母親だから、当たり前だ。」と拒否し、お金を受け取らない。
だから、幸子が恵美のところに行っている間、コストコで買い物をし、「お裾分け」だと言い繕い、恵美や子供たちが喜びそうなものを買うことにしている。本当は、娘一家にお世話になっていなければ、幸子と二人暮らしだし、コストコのようなお店には、一生縁がなかったのだろう。
車から降り、哲雄も、エンジェルと初めて顔を合わせた。
「おー!綺麗な犬だなあ!綺麗な目している!」
子供の頃に犬を飼っていた哲雄は、すぐにエンジェルの耳の後ろと首辺りを撫で始めて、得意げに言った。
「犬は、ここを撫でてやると、喜ぶんじゃ。犬のお母さんは、この首のところを咥えて赤ちゃんを運ぶから、ここを撫でてやると、お母さんのことを思い出すんじゃ。」
エンジェルは、哲雄の腕の中で、気持ち良さそうに、尻尾を振った。
「私は、あの犬に舐められたのよ!しかも、口!一回うがいしたけど、もう一度しとこうかしら。」
幸子は、困った口調で言った。
「犬に舐められたぐらいで、そこまでしなくていいだろう。」
哲雄が言って、犬に慣れていない妻を安心させようとしたが、幸子は、それでも不安を払拭し切れず、もう一度うがいをし、帰宅した後も、2回ほどうがい薬で口内を徹底的に洗った。
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