花の記憶

Yonekoto8484

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待宵草

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幸子がアルツハイマー病と診断されても、子供たちが会いに来る回数が減るどころか、みんなが今のうちだと思ったのか、急激に増えた模様だった。恵美一家も、例外ではなかった。

週1回の食事会が、幸子が作るのが困難になり、哲雄の料理の腕が悪いことを知っていた恵美は、気を利かせて、週3回ぐらいのペースで両親の食事を用意するようになった。8人兄弟の中で、子供が一番幼くて、子育てに追われる日々を送っていた恵美には、何故に白羽の矢が立ったのか謎だが、恵美は、負担に思っている様子は特になかった。

ある日、庭のグリルで肉を焼いて、ハンバーガーみたいにパンで挟んで食べる予定にしていた時のことだった。幸子がリンゴなどの果物を切って、お皿に並べ、哲雄は得意のサラダを用意した。

食べ終わると、ちょうど黄昏時で、辺りが薄暗くなっていた。草刈りをおろそかにして草がぼうぼうに伸びているせいか、哲雄と幸子の庭は、昔から蛍が沢山出ることを知っている子供たちは、幸子に瓶を用意してもらい、蛍を捕まえようと備えた。

しばらく待つと、蛍が草むらの中から空へと舞い上がり、ちらほら蛍のお尻がピカピカと光り始めた。蛍の放つ細やかな光が見えた途端に、瓶を構えて時期を待っていたこと子供たちは、一斉に動き出した。歓声を上げながら、蛍を追いかけ回り、捕まえた蛍を瓶に入れていく。蛍は息ができるように、ちゃんと瓶の蓋には、穴が開けてある。

恵美は、両親の今の姿を記憶に焼き付けようとまじまじと見ながら、静かに考え始めた。母親は、いつまで父親と、こうして並んで立ち、子供たちの遊ぶ姿を見守ることができるのだろう?いつまで、自分や子供たちのことがわかるのだろう?いつまで、食事を共にできるのだろう?いつまで、子供の相手ができるのだろう?これらの質問に対する答えは、どれも、「神のみぞ知る」である。

母親が病気であることを知り、余命宣告ではないが、一緒に過ごす時間が有限であることを知らされたような気がした。病気ではなくても、人と過ごす時間が有限であるのは、言うまでもないことである。どの人間関係にも、いずれは、必ず別れが来るのだが、母親は、治らない病気であることを知り、残りの時間を常に意識しながら、過ごすようになったのは確かである。これは、母親の病気を知った当初、とてつもなく寂しくて、不甲斐ないことのように感じた。

しかし、よく考えたら、時間を無限であるかのように、何も考えずに、だらだらと、能天気に過ごしているところへ突然死が訪れ、不意をつかれるより、最初から有限であると意識して過ごしている方が、残りの時間を大事にできるのかもしれないと思った。

哲雄は、無邪気に走り回り、はしゃぐ孫たちの姿を見て、やましい気持ちに襲われ、ジーンと来た。まだこんなに幼くて無垢だというのに、自分と幸子のせいで、辛いことを沢山知ることになるのだろうと後ろめたくなった。幸子が本当に病気なら、子供に迷惑をかけるのは、回避できないだろうけれど、孫まで道連れにしたいとは、到底思えない。

やがて夜が深まり、足元が見えにくいくらい暗くなり、蚊が出始めると、恵美と旦那の勇翔が「そろそろ、帰ろう!」と友達に呼びかける。

子供たちは、名残惜しそうに、瓶の蓋を外し、捕まえた蛍たちを1匹残らず逃がす。自由になった蛍たちは、たちまち瓶の底から這い上がり、乱舞しながら、ずんずんと真っ暗な夜空へと昇っていく。

しかし、たまには、羽を怪我し、なかなか飛び立てない蛍もいる。子供たちには、捕まえる時に、蛍の羽を傷つけないように気をつけるように大人から、一応指導されているのだが、気合が入ると、どうしても指が羽に触れ、羽を傷めてしまう時がある。

こういう怪我を負った蛍がいると、子供たちは、まず声援を送り、「頑張れ!」と蛍を励ましてみる。しばらく見守ると、覚束なくても、蛍が無事に飛び立てる時がある。励ましながら見守っても、蛍が飛べそうにない場合は、子供たちは、蛍を手のひらに乗せ、踏まれないように、薔薇の周りの草むらにそっと逃がしてあげる。

子供が車に乗ろうとしていると、哲雄が長女の悠美に、
「手を出してご覧。」
と声を掛け、孫娘の手のひらに、待宵草という花の蕾を乗せた。

「家に帰るまで、これをジーっと見ているんだよ。あなたが帰るまでに、きっと、花を開くから。」

悠美は、祖父から花の蕾を受け取り、帰り道、目を一瞬も離さずに、手のひらの中の蕾をジーっと見つめ続けた。すると、祖父に言われた通りだった。車が我が家へ向かって走っていく間に、いつからか蕾が開き始め、家に着く頃には、立派な一輪の花になっていた。悠美には、魔法のように思えて、ワクワクした。

「見て、見て!」
悠美が手の中で開いた一輪の花を妹の直美と亜美にも見せた。3人は、その夜、興奮でなかなか寝付けなかったのである。
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