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夕月
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「泳ぐって,あなたが教えるの?」
尚弥が尋ねた。
「教える。」
「もう,教えてもらったよ,お父さんに。」
龍太が言った。まだ少し傷ついていた。
「そんなのじゃなくて,潜ってやる泳ぎを教えるよ。」
「じゃ,僕の役目は,これで終わったなぁ。」
尚弥が満足そうに言ってから,帰ろうとした。
「帰らなくていいよ?」
海保菜が呼び止めた。
「いや,僕がここにいても,邪魔だし,保奈美は今家に一人だから,僕が帰って,相手するよ。」
尚弥は,保奈美のことがずっと気がかりだったが,ある程度落ち着くまで海保菜に任せた方がいいと思って,首を突っ込むようなことはしてこなかった。しかし,最近ようやく落ち着いて来たことがわかって,一度保奈美とゆっくり話してみたいと思っていた。
海保菜も,別に話したわけではないが,尚弥のこの思いは,わかっていた。
「そうね。じゃ,保奈美のことは,頼んだよ。」
尚弥が帰って,海保菜と龍太は,二人きりになった。
龍太は,母親と目を合わせず,何も言わずに,ただぼんやりと夕焼けの茜(あかね)色(いろ)に染まる海を夢中になって,眺めた。海保菜も,黙って一緒に見た。月は,陽が沈む前からはっきりと見えていた。
陽が完全に沈むと,海保菜が龍太に話しかけた。
「悪かったね,龍太。
体が変わるかどうかなんて,関係ないね。変わらなくても,人間じゃないし,私の子だから…変なことにこだわって,ごめん。」
「いいよ。何か事情があるみたいだし…もう少し泳いでいいかな?帰る前に。」
「どうぞ。私も一緒に泳いでいい?それか,一人で泳いでくる?どっちでもいいよ…怖いかな?」
「怖くない…一緒でいい。」
龍太が少しだけ間を置いてから,返事した。
「でも,すぐ変わるよ,私。いい?」
「分かっている。怖くない。」
「ありがとう!」
海保菜は,満面の笑顔になった。
龍太は,頷いた。
「でも、お母さんがさっきに入って。」
「逃げちゃだめだよ…ちゃんとついてくるんだよ?いったん入ったら,私はもう出て来れないから。」
「逃げないよ。」
「手を繋(つな)いで入ろう。」
海保菜は,息子に手を差し出して,言った。
龍太は,少しためらってから母親の手を握った。
「怖がらなくていいよ。」
龍太は,頷いた。
「入ろう。」
海保菜は,龍太を手で引っ張りながら,波へと向かった。
水に触れると,龍太は,海保菜の体が変わるとわかって,すぐに母親の手を離した。浅いところで立ち止まったが,逃げなかった。
海保菜は,すぐに振り向いて
「大丈夫よ。」
と安心させながら,また手を差し出した。
龍太は,また少しためらってから,海保菜の手を掴(つか)んだ。
すると、海保菜は,とても嬉しそうに龍太を自分の体に近付けて,強く抱きしめた。
「ありがとう!」
涙ぐみながら,言った。
海保菜の尻尾が龍太に少し触れると,龍太は,すぐに怖がって後ろへと飛び下がった。
「触れても,大丈夫だよ。」
海保菜は,「戻っておいで」と合図をしながら言った。
「ごめん。」
龍太がまた海保菜に近付いて,言った。
「いいよ。全然怖くなかったら,逆におかしいよ。強がらなくていい。かっこつけなくていい。私の前では,ありのままでいいよ。」
「泳いでみて。見せて。」
海保菜が言った。
「さっき,見たでしょう?」
「うん。でも、一緒に泳ぎたい…潜ってみて。」
「そんなこと,できない!」
「なんで?」
「だって,人魚じゃないよ…お母さんみたいに泳げるわけがない。」
「泳げるよ。人間じゃないし,人間でも,海に潜れるよ。」
「でも,お母さんみたいにはできないよ、絶対に。そんなに速くない。絶対についていけない。」
「自分を疑うのをやめて。あなたは,自分で思っているより,ずっといろんなことができるんだよ。人魚の子だよ、あなたは。海があなたの中にある。」
龍太は,少し緊張して,海保菜を見た。
「大丈夫,無理させないから。自分の体が自然にできることだけ,やればいいよ。それ以上の事は,求めない。ついて来れなければ、私が合わせる。ゆっくり泳ぐから,大丈夫。
自分の体にびっくりするかもしれないよ。きっといろんなことができる。来て。」
海保菜が息子の手を取った。
「でも…!」
「でも、何?絶対に溺れたりゃしないよ! 心配は,いらない。あなたは人魚のハーフだし,人魚と一緒に泳いでいる。溺れるわけがない。
いろんな悩みや不安を捨てて、一緒に来てよ。恐れることは,何もない。私が守るよ。この私は,陸にいるときなんかより,ずっと頼もしいよ。海の中の方が守れる。」
龍太は,ようやく頷いた。一緒に潜った。
「苦しくなったら、私の背中を叩いて。」
海保菜は,海の中でも普通に話した。
龍太は,頷いた。
「わかるよね?私の言っていること?」
龍太は,また頷いた。
「ほら、もうすでに証明されている。あなたは,人魚の子だ。私の子だ。私の言葉がわかるし,今,目を丸く開けたままでも,痛くないみたいだし…海は,海水だよ。普段,慣れていないと痛いよ。人間の目だったら,痛いよ。
そして、潜るときに,反射的に閉じる、普通。水中メガネでも,つけていなければ。あなたには,その反射神経は,ないみたい。
やっぱり人間とは,体の仕組みが異なる。あなたは,人間じゃない。私の子だ。」
海保菜が誇らしそうに言った。
「泳いでみて。まだ手を離さないけど。私が引っ張るから,泳いでみて。練習して。一人でも,できそうになったら,手を離すから。」
どんどん深く潜っていくと,海保菜は,龍太の様子を何度も振り向いて確かめるようにしたけれど、異変は,なかった。いよいよ,海底に近いところまで,潜った。
「大丈夫!?」
海保菜は,驚いた。
龍太は,頷いた。
「こんなに水深の深いところまで潜っても,細胞は,水圧で押しつぶされない。死なない。人間なら,今の深さの半分も潜れないよ。
そして,ずっと息していないのに,大丈夫だ。もう潜ってから,十五分も経つよ。人間なら,すぐに息がしたくなる。
本当に大丈夫?」
龍太は,頷いた。
「なら、一人で泳いでみて。動きは,力強いし、大丈夫そうだ。ついてきて。」
海保菜は,龍太の手を離した。
龍太は,慌てて,海保菜の手をまた握ろうとした。
「だめ。自分の力で泳いでみて。十分できるよ。信じて。」
龍太は,距離を保ちながら,少し覚束なく泳ぎ始めた。
「隣でいいよ。」
海保菜が龍太の手を掴(つか)んで,自分の近くに移動させた。
「恐る恐る私の後ろで,隠れるようにしなくていいよ。私の体を怖がらなくていい。ぶつかったり,触れたりしても,別にいいから。
そして、いろんなことを気にしすぎている。陸で暮らす自分を忘れて,自然に楽しく泳げるように,泳いだらいいよ。本当は,もっと速く泳げるでしょう?全てを忘れて,弾けろうよ。」
海保菜がまた息子の手を離した。
龍太は,海保菜にひけを取らないペースで泳ぎはじめた。
「ほら,すごいじゃないの?速い!
そして、泳ぎ方も面白い!足じゃなくて,尻尾があるみたいに泳ぐ。
どのくらい速く泳げるか,試してみよう!まだいける?」
海保菜が笑いながら,スピードをもう少し出して,訊いた。
龍太は,最初は,少し遅れがちだったが,すぐに追いついた。
「よく追いついたね!
照れなくていいよ。さっき笑ったのは,馬鹿にして笑ったんじゃないからね。嬉しいよ。本当に感心している。ここまで,できると思わなかった。
しっくりくる泳ぎ方で,自然に,泳いでいていいよ。その泳ぎ方が今の体に合っていなくても、気にしなくていい。体が自然にその動きをしているのなら,無理して,私と違う泳ぎ方をしようとしなくていいから。
じゃ、普通のスピードで行ってみるよ。ついて来れるかな?」
海保菜が息子の恥ずかしそうな様子が気になって,言った。
龍太は,少し苦労しながらだったが、ついて行けた。
海保菜は,目を丸くして息子を見た。
「なんで?速すぎない!?私は,もうあなたに少しも合わせていないよ。普通に泳いでいるよ。」
龍太は,海保菜の腕を掴んで,指で上を指した。
「息できない?」
海保菜は,龍太が返事するのを待たずに,素早く海面に向かって,力強く息子を引っ張り,泳いで行った。
海面に戻ると,龍太は,喘ぎながら,最初は少し苦しそうに息をした。でも,何回か深呼吸すれば,息がすぐに安定し,楽になった。
「龍太,すごい!本当にすごい!潜って一時間ももった!
人間よりは,できるだろうと思っていたけど、ここまでできるとは,本当に思わなかった!」
海保菜は,龍太の腕を強く握ったまま、尋ねた。
「本当に大丈夫?痛くない?疲れていない?」
「大丈夫。異常なし。」
まだ泳げる?でも、そろそろ戻らなきゃ。 もう暗くなったし,今日は,帰ろう。引っ張ってあげるから,おいで。」
海保菜が龍太に手を差し出して,言った。
龍太は、首を横に振った。
「ついていけるよ。頑張る。」
と静かに言った。
海保菜は,笑顔を浮かべて,うなずいた。
「そうだね。出来るね。
せっかくだし,慌てて帰らなくてもいいよね。」
海保菜が潜ったら,龍太も,海保菜の後を追って,潜った。
龍太は,海保菜についていけた。潜ってから,一時間が経った頃に,龍太を心配して,海保菜が振り向いて,尋ねた。
「大丈夫?息しなくて,いいの?少し休憩する?」
「うーん、大丈夫。」
龍太は,水中でも,普通に声が出た。
海保菜は,急に動きが止まり,目を丸くして,龍太を見た。
「話せるの!?息ができるの!?さっきまでできていなかったのに…なんで!?」
龍太も,びっくりして,自分の喉を掴(つか)んだ。でも、水をまるで空気のように,吸ったり吐きだしたりできていた。少しも苦しくなかった。喉に少し違和感を覚える程度だった。
海保菜は,息子の顔をしばらく黙って見つめた。しばらく考え込むと,ふと息子が急に息ができるようになった仕組みに気づいて,表情は,厳しいものに変わった。
「私のせいだ。私は,バカだった。」
海保菜がようやく口を開けて,言った。
「早く帰らなくちゃ,一刻も早く。」
海保菜は,とても焦って,困った表情で,龍太の腕を掴(つか)み,龍太が感じたことのないようなスピードで泳ぎ始めた。
「どうした?」
「何もない。」
海保菜があまり説得力のない口調で言った。「でも、喋っちゃダメ。息をとめられる?もし,できたら、その方がいい。体も使わないで。私の動きを真似しないで。」
「…なんで?」
「これ以上変わったら,困るから。全部,抑えて。頑張って,抑えて。」
「あんなに逆のこと言ったのに…。」
海保菜は,龍太の言葉を無視して,反応しなかった。
「龍太,泳ぐなって,言ったでしょう?引っ張っているし,泳ぐ必要はない。」
「…わざとじゃない。意識していなくても,体は動いちゃうよ。」
龍太は,母親の急な態度の変化に戸惑った。どうしてここまで焦っているのか,見当がつかなかった。
「意識していないね。本能だね。わかるけど…。」
ようやく,岸に戻ると,海保菜は,龍太を腕で引っ張り、慌てて,陸に上がらせた。
龍太は,最初,足を動かしてみても,一向に動かなかった。
海保菜は,速く泳ぎ過ぎて,息が切れていた。
「歩いて。歩いてみて。手遅れじゃないといいけど…ごめんなさい。馬鹿だった,私。」
龍太は,動けずに,水の中で跪(ひざまず)き続けた。
「今すぐ,歩いてみて!急げば,感覚は,戻るかもしれない。」
龍太は,ゆっくりと立ち上がり、最初,足元は,ふらふらで頼りなかったが,少しずつ慣れて,また歩けるようになった。
海保菜も,自分の体を波の中から引っ張り出した。
「大丈夫そうだね。あんなに歩けていたら,多分大丈夫だ。体重をかけても,大丈夫なら,大丈夫だ。」
「一体,どうしたの,急に!?」
龍太が海水を吐き出しながら,訊いた。
海の中では,普通に空気みたいに吸えていた海水を,肺に空気が入ると,邪魔になり,次々と口から出て来た。
海保菜は,最初,返事しなかった。
龍太は,まだ喋れない格好だったが,表情で,海保菜に答えるように訴えた。
「あなたも同じだ…。」
海保菜がようやく口を開けたと思いきや,答えになっていない答えだった。
「同じだって…どう言うことだ?」
「保奈美と同じだ。
彼女が変われて、あなたはまだ変われないのは,体の仕組みやDNAが違うからではない。
年齢の違いに過ぎない。
大きな刺激がないと,あなたの体は,まだかわってしまうほど,発達していないだけだ。でも、今日,大きな刺激を与えてしまった。
今日は,止められたみたいだけど,いつか保奈美と同じように変わる。時間の問題だ。今日だって、あと少しでも,海の中にいたら,変わっていたかもしれない。
ごめんなさい。馬鹿だったね、知らなかった。本当に知らなかった。」
「大丈夫だし…。」
「この場所に連れてきて、泳がせるだけで、体が変わるとは,思わなかった。ごめん。」
「変わっていないし…。」
「変わるところだったよ!話せるようになったじゃない?それは,肺が変わらないと,できないことだよ。もう二度とここに来るんじゃないよ、わかった?」
「なんで?」
「だから…変わる必要があるような環境に置かれると,体が変わることが変わることは,今日わかったから。」
「…だから,何?どうして逃げなきゃならないの?理解できない。お母さんは,何が怖いのか,理解できない。」
「あなたが保奈美みたいに,海のものになってしまう前に,帰りたいの。あなたがこのままここにいれば、どうなるかわかる?大変なことになるよ。
来なくても,いずれ,そうなるのだけど,必要以上早くそうなって欲しくないの。」
「体が変わるかもしれないから,早く帰った方がいいって?」
海保菜は,頷いた。
「…それの何が問題なの?」
海保菜は,少し戸惑って,答えられずに息子の顔を見た。
「…問題ではないかもしれないけど…ここに残れば、これまで経験したことのないような痛みを味わうことになるよ。」
「そんなに痛いの?」
「抵抗すると,とても痛い。」
「抵抗しなければ?」
海保菜は,何も言わなかった。
「何が問題か,わからない。いずれ,変わるでしょう?いつか。」
「でも,こんなに早くしなくてもいい。」
「今,やっても,数年後にやっても,結局同じでしょう?」
「まあ、そうだけど…。」
「なら、何が問題?なんで,そんなに焦っているの?」
「…変わりたいの!?」
「…変わっても,構わない。本当に人魚なら、人魚に変わっても,平気。」
「え?」
海保菜は,とても驚いた。保奈美を見ていて,嫌がったり,抵抗したりするのは当たり前だと思うようになっていた。変わるのが嫌に決まっていると思うようになっていた。自分も、子供には,なるべく,その苦しみはさせたくないと強く思っていた。でも,息子は,どうも違うみたい。少しも怖がったり,怯んだりしない。
「胸も,さっきから痛いし,さっき離れようとしたら,「まだ帰りたくない」と言っているみたいだった。心がそう言っているなら,僕は,心には逆らいたくない。」
「感じられるようになったんだ,海の引力。ほら、これで,また一つ変わっちゃったよ。本当に早く帰らないと,取り返しのつかないことになるよ。」
「だから、怖くないって!
この場所には,すごい力が潜んでいるのは,わかる。自分の体が左右されるのも,気づいている。でも、それが自然なら、戦っても,いずれ,そうなるものなら、何のために逆らわないといけないのか,僕にはわからない。」
海保菜は,息子の言葉を聞いて,まだ伝えないことを色々肌味で感じ,わかってくれていることがわかって,唖然(あぜん)とした。保奈美がいつかこうなればと願っていた心境には,息子はすでにたどり着いている。
海保菜は,少しの間,息子から目を逸らし,海を眺めた。海は,霞がかかり,ぼやけて見えた。息子を止めるべきかどうか,考えた。恐怖を植え付けるようなことはしたくないが,この波のものになるのは,どう言うことを意味しているのか,息子は,知らない。海から離れて,日々その引力を感じながら十年以上陸で暮らし続けている海保菜は,誰より知っている。力を手に入れると共に,自由を失うことを意味するということを熟知している。息子にも,娘にも,自由を失って欲しくない。束縛されて欲しくない。守りたい。
でも,自分には,止める権利はないと思った。人魚のくせに,息子が海と繋(つな)がることを妨害するようなことは,してはいけないことだし,出来ない。
海保菜がようやく振り向いて,龍太に言った。
「逆らわなくていい。
覚悟ができていれば、自分の心に従えばいいよ。
ただ,これは,あなたが自覚しているより,大きな決断だから,慎重に考えるべきだ。
保奈美には,まだ話していないことを話すね。
いったん,この海のものになってしまうと,もう戻れない。そして,そこで終わるわけでもない。私みたいに完全に海のものになるまで,日に日にますますそうなっていく。飲み込まれるまで。それが海だ。それが人魚だ。
海の奴隷(どれい)になる覚悟は,あるの?」
「奴隷(どれい)には,見えないけど?」
「見た目の問題じゃない。」
海保菜は,「奴隷」と言う言葉が自分の口から出たのは,自分でも,驚きだった。いつからそう感じるようになったのだろう。やっぱり陸での生活を始めてからだと思った。
自分に比べて,周りの人間たちは,とても自由に見えるのだ。自分みたいに海には縛られていない。もちろん,自分は人間のことをよく知らないから,そう見えるだけだし,人魚として自然であるように,ずっと海で暮らしていたら,そう感じないのだろうけれど…。
やっぱり,陸で暮らして,おかしくなったのかな?自分のことを「海の奴隷」と表現する人魚は,他にいないだろう…やっぱり,私は,おかしくなっている。海のものだと言うのは,有難(ありがた)いことなのに,誇りなのに…何を言っているのだろう?何が本音なのか,自分でも,よくわからなくなっていた。
子供には,誇りを植え付けるべきなのに,海と繋(つな)がっていると言う喜びを感じてほしいはずなのに…。でも,陸で暮らしているからこそ,わかる,喜びとは,全く違う側面は,確実にある。そして,海と陸の二つの世界の狭間(はざま)で生きることになる,自分の子供には,暗い側面や,苦しい側面も,知ってほしいと思った。全てを知ってほしい,両側面を。そう思った。
「僕は,奴隷になってもいいよ。好きなものなら。」
海保菜は,頷いた。
確かに,みんなは,何かに囚(とら)われているのかもしれない。自分には,自由で気ままに生きているような見える人間でも,何かの奴隷になっているのかもしれない。でも,龍太が言うように,好きなものが主人なら,それは,恐ろしいことではなくて,有難くて,嬉しいことなのかもしれない。自分だって,無理して好きでもないところで暮らそうとするから,圧迫感を感じるだけで,海にいる時は,不服はない。安心感しかない。
「なら,もう少し泳いできて。」
海保菜が満面の笑みを浮かべて,何かに救われたような気分で,言った。
龍太は,しばらく気持ちよさそうに泳いだが,そうするうちに,体が固まり,動かなくなった。
困っていることがすぐに海保菜に伝わり,救助しに行った。
龍太を岸まで引っ張って,二人で座った。
「大丈夫?痛い?」
「痛くない…どうなるの?」
「ん?何が?」
「体…。」
「え…?それは,もちろん,これになるよ。」
海保菜が自分の体を指差して,言った。
「どのくらい,かかる?」
「それは,あなた次第だね。抵抗すればするほど,長くかかるし,痛みもひどくなる。」
「そんなに痛いの?」
「すごく痛いと思う。保奈美は,何か言っていなかった?」
「いや、話していないし…。」
「まあ,死なないよ。それは,保証する。」
「よかった。死にたくない。」
龍太は,小さく笑った。
「笑う余裕があるんだね…すごい!」
いつからか,龍太は静かになった。
「大丈夫?痛い?」
「ちょっと痛くなって来た。」
「ここは,危ないから。洞窟の中へ入ろう。」
海保菜が十歳の息子を軽々と抱き上げ,移動させた。
「なんで,こんなに強い!?」
「実は,こう見えて,力持ちなんだよ,私。」
「…まるで,人間じゃないみたい。」
「だから…。」
海保菜も小さく笑った。
「人魚と言ったら,あまりたくましいイメージじゃなかったけど…。」
「それは,人間が考えた話しか知らないから。華奢(きゃしゃ)で,可愛いものじゃないよ…
熱があるかどうか確かめたいけど、ちょっと触っていい?」
「なんで,許可を求める?」
「いきなり,この手で触ってびっくりさせたら,可哀想だから。」
「うーん。でも,それがお母さんの手でしょう?本当の。」
「うん。」
「お母さんこそ,可哀想じゃない?自分じゃない体でいつも過ごして…。」
「保奈美は,最初,すごく嫌がったから…。」
「それは,お母さんが謝ることじゃないでしょう?」
「そうかな?」
海保菜は,手を息子の額に当てて,熱を確かめてから,水を手で掬(すく)って,龍太の体にかけた。
「え!?何をするの?」
「熱を下げているの。」
水をたっぷりかけて,少し待ってから,海保菜がもう一度息子の額に手を当てて,熱を測ってみた。
「下がっている。よかった!」
「なんか、急にしんどくなって来た…。」
「水には,役割が二つあるから…ごめんね。」
「どんな役割?」
「熱を下げて,楽にさせる役割と、変化を加速させる役割。」
「加速しなくていい。」
「いや、した方がいい。ゆっくり程しんどいよ。」
「さっきより,今の方がしんどい。」
「でも、この方がしんどい時間は,短い。」
龍太は,起き上がった。
「痛い…!」
「うん、しばらく痛いよ。でも、逆らわないで。」
「痛い…。」
「痛いね…横になってみて。」
龍太は,海保菜の指示に従って,横になってみた。すると,少し楽になった。でも、しばらくすると,お腹の痛みがひどくなり,我慢できなくなった。起き上がろうとしたけれど,力が入らなくて,できなかった。
「痛い!何,この痛み!?」
「服を脱がなきゃ。」
「なんで!?」
「私だって,今,服着ていない。人魚は,服を着ない。何も恥ずかしくない。」
「なんで脱がないといけない?」
「もういいから、脱いで。
鰭(ひれ)が生えて来ると,ズボンが邪魔になる。脱がないと,鰭(ひれ)がズボンに押されて,もっと痛くなる。これだよ。」
海保菜は息子の手を取り,自分のお腹に当てさせた。
「硬いね。」
「うん、硬いから痛いの。背中も生える。
怖くなければ,触って,慣れて。触られても,嫌じゃないから。息子だし。」
龍太は,慎重に母親の尻尾、お腹、腕を指でなぞってみた。
海保菜は,息子の手を握った。
「怖い?」
「いや…なぜかよくわからないけど,あまり怖くない…まだ信じていないかな。」
「良かった。叫んだり,暴れたりしていないから,私も楽。」
「暴れるって…暴れたくても,殆ど動けないから意味がない。」
「また動けるようになる。もう少し辛抱すれば。」
龍太は,頷いた。
少しすると,龍太は,急に自分の足を掴んだで,「痛い!!」と悲鳴を上げた。
「シー。大丈夫。」
海保菜は,自分の手で息子の足を揉んで,楽にさせた。足が長く伸びて,先が扇子のように広がり始めた。
次,背中を押さえて,また悲鳴を上げた。
「なんで,こんなに痛い?」
「仕方ないよ…体がこんなに変わっているんだから…。
まだできることがあるけど,早くなっても怖くない?」
「わからない…。」
「水に浸かったら,早いよ。」
「いや…いやだ。」
「私が舐(な)めると,早くなるよ。」
「ええ!?」
「その顔をしないで。動物だもの…動物は,よく子供を舐めるもの。」
「人間は,しないでしょう!」
「関係ない。」
「いやだ…。」
「じゃ、胸に手を当てるのは?それも,いや?」
「手を当てて,どうする?」
「早くする。」
「怖くない、それ?」
「怖い…だから、していいか訊いている。」
龍太は,痛みがますますひどくなり,そろそろ限界だった。
「やっていいよ,全部。何でも,やっていいよ。」
「いい?嫌になったら,言ってよ。そして,体を柔らかくして。固まっていると,もっと痛くなるだけだから。」
「止めて。なんとか,止めて。あんなに力があるなら…。」
「止める力はないの…私の持っている力は,水と同じだから。早めたり,痛みを抑えたりできるけど,止められない。」
「もう早く終わってほしい。」
「なら、おいで。」
海保菜は,息子を赤ちゃんみたいに,腕の中で抱いた。そして,胸に手を当てて,エネルギーを流れ込ませた。
「痛い!痛い!何,その力!?」
「これが一番早いから,戦わないで。」
龍太は,最後まで,頑張って耐えた。
「よく耐えたね。」
海保菜が息子の胸からようやく手を離して,言った。
「耐えるしかない。やめないし。」
「ごめんね。でも,あっという間だったでしょう?それでも,痛かっただろうけど。」
龍太は,頷いた。
「保奈美も,助けさせてくれたらよかったのに…あの子は,随分長いこと奮闘したよ。戦ってばかりで,相当痛かったと思う。
また,保奈美と話してね。」
尚弥は,保奈美とゆっくり話す機会が出来て,喜んでいた。妻が龍太についての意見が変わったのも,とても嬉しかった。ルンルン気分で家に帰った。
「保奈美,帰ったよ。」
「お帰り。龍太たちは?」
「しばらく,帰ってこないかな…お母さんはね,気が変わったようで,「もう約束はいい!」と言って,龍太に泳ぎを教えるって。」
「え!?」
保奈美も,父親の報告を聞いて,驚いたが,よかったと思った。海保菜から聞いた約束の内容を考えると仕方がないかもしれないけれど,母親の前の態度では,龍太は,可哀想だと思った。
「…でも,よかった。」
保奈美が付け加えた。
「あなたは,大丈夫?」
「うん,大丈夫だよ。」
「しばらく参っているように見えたけど,落ち着いた?」
「まあ…少し落ち着いたかな。」
「びっくりしたね。」
「お父さんは,びっくりしなかった?」
「僕は、最初から知っているから、びっくりしていない。」
「そうか…お母さんとずっと暮らしていて,どう?」
「どうって?別に,苦労はしていないよ。互いに、相手が何を考えているのか、よくわからない時もあるけど,それは,どの夫婦も,あることだし…保奈美が想像するほど,大変じゃないよ。愛し合っているし…。
誰かとずっと一緒にいるとね,互いに似てくることがあるの。僕とお母さんの場合も,そうだなぁ。」
「似てくるって?」
「ずっと一緒に色々乗り越えて来た仲だから,僕は,お母さんの考え方がある程度わかるし、僕に染まっている部分もあるんだ。つまり,僕の考え方が他の人間より,人魚に近いということになるね。
そして,お母さんも,芯が強いから僕ほどではないかもしれないが,この世界のやり方や考え方が染まって,前より,考え方は,人間よりになっていると思うんだ。
長く続く夫婦は,そうなのかもしれない。恋が冷めてしまうと,愛が続くためには,そう言うことが必要なのかもしれない。歩み寄りというか,妥協というか…。」
「お父さんの親は,知っているの?おじいちゃんとおばあちゃん。」
「知らない。話すつもりもない。」
「それで,うまくいくものなの?」
「いや,うまくいかない。だから,あまり会わないでしょう?
秘密があるとね,それが壁になって,どうしても距離が出来てしまうんだ。その距離が程よいものだといいのだが、僕と両親の場合はね,どんどん距離が遠くなって行くの。
不思議な話だけど,僕が今自分の親と話してみるとね,お母さんと話す時はそう感じないのに,まるで違う生き物と話しているような気分になる。それぐらい距離があるの。話が噛(か)み合わないというか…もう,心は違うの。底辺を流れているものが違う。そして,それは,親だけではなくて,同僚などと話す時も,感じてしまうんだ。
僕は,本当に人間なのかな?と疑う時がある。もう人間じゃないかもしれないって…もちろん,体は,人間だけどね。」
「もう人間じゃないって…?おかしい。」
「おかしくないよ。人はね,心と体は,一応繋がっているけど,必ず一致する訳ではないんだ。
体は,方向性が決まっている。死ぬまで,老化の一途を辿るだけだ。
でも,心は,違う。心の成長や進化は,無限の可能性がある。
だから,保奈美や龍太も,無理しなくてもいいんじゃない?人間にも,人魚にも,なろうとしなくても,いいんじゃない?」
尚弥が尋ねた。
「教える。」
「もう,教えてもらったよ,お父さんに。」
龍太が言った。まだ少し傷ついていた。
「そんなのじゃなくて,潜ってやる泳ぎを教えるよ。」
「じゃ,僕の役目は,これで終わったなぁ。」
尚弥が満足そうに言ってから,帰ろうとした。
「帰らなくていいよ?」
海保菜が呼び止めた。
「いや,僕がここにいても,邪魔だし,保奈美は今家に一人だから,僕が帰って,相手するよ。」
尚弥は,保奈美のことがずっと気がかりだったが,ある程度落ち着くまで海保菜に任せた方がいいと思って,首を突っ込むようなことはしてこなかった。しかし,最近ようやく落ち着いて来たことがわかって,一度保奈美とゆっくり話してみたいと思っていた。
海保菜も,別に話したわけではないが,尚弥のこの思いは,わかっていた。
「そうね。じゃ,保奈美のことは,頼んだよ。」
尚弥が帰って,海保菜と龍太は,二人きりになった。
龍太は,母親と目を合わせず,何も言わずに,ただぼんやりと夕焼けの茜(あかね)色(いろ)に染まる海を夢中になって,眺めた。海保菜も,黙って一緒に見た。月は,陽が沈む前からはっきりと見えていた。
陽が完全に沈むと,海保菜が龍太に話しかけた。
「悪かったね,龍太。
体が変わるかどうかなんて,関係ないね。変わらなくても,人間じゃないし,私の子だから…変なことにこだわって,ごめん。」
「いいよ。何か事情があるみたいだし…もう少し泳いでいいかな?帰る前に。」
「どうぞ。私も一緒に泳いでいい?それか,一人で泳いでくる?どっちでもいいよ…怖いかな?」
「怖くない…一緒でいい。」
龍太が少しだけ間を置いてから,返事した。
「でも,すぐ変わるよ,私。いい?」
「分かっている。怖くない。」
「ありがとう!」
海保菜は,満面の笑顔になった。
龍太は,頷いた。
「でも、お母さんがさっきに入って。」
「逃げちゃだめだよ…ちゃんとついてくるんだよ?いったん入ったら,私はもう出て来れないから。」
「逃げないよ。」
「手を繋(つな)いで入ろう。」
海保菜は,息子に手を差し出して,言った。
龍太は,少しためらってから母親の手を握った。
「怖がらなくていいよ。」
龍太は,頷いた。
「入ろう。」
海保菜は,龍太を手で引っ張りながら,波へと向かった。
水に触れると,龍太は,海保菜の体が変わるとわかって,すぐに母親の手を離した。浅いところで立ち止まったが,逃げなかった。
海保菜は,すぐに振り向いて
「大丈夫よ。」
と安心させながら,また手を差し出した。
龍太は,また少しためらってから,海保菜の手を掴(つか)んだ。
すると、海保菜は,とても嬉しそうに龍太を自分の体に近付けて,強く抱きしめた。
「ありがとう!」
涙ぐみながら,言った。
海保菜の尻尾が龍太に少し触れると,龍太は,すぐに怖がって後ろへと飛び下がった。
「触れても,大丈夫だよ。」
海保菜は,「戻っておいで」と合図をしながら言った。
「ごめん。」
龍太がまた海保菜に近付いて,言った。
「いいよ。全然怖くなかったら,逆におかしいよ。強がらなくていい。かっこつけなくていい。私の前では,ありのままでいいよ。」
「泳いでみて。見せて。」
海保菜が言った。
「さっき,見たでしょう?」
「うん。でも、一緒に泳ぎたい…潜ってみて。」
「そんなこと,できない!」
「なんで?」
「だって,人魚じゃないよ…お母さんみたいに泳げるわけがない。」
「泳げるよ。人間じゃないし,人間でも,海に潜れるよ。」
「でも,お母さんみたいにはできないよ、絶対に。そんなに速くない。絶対についていけない。」
「自分を疑うのをやめて。あなたは,自分で思っているより,ずっといろんなことができるんだよ。人魚の子だよ、あなたは。海があなたの中にある。」
龍太は,少し緊張して,海保菜を見た。
「大丈夫,無理させないから。自分の体が自然にできることだけ,やればいいよ。それ以上の事は,求めない。ついて来れなければ、私が合わせる。ゆっくり泳ぐから,大丈夫。
自分の体にびっくりするかもしれないよ。きっといろんなことができる。来て。」
海保菜が息子の手を取った。
「でも…!」
「でも、何?絶対に溺れたりゃしないよ! 心配は,いらない。あなたは人魚のハーフだし,人魚と一緒に泳いでいる。溺れるわけがない。
いろんな悩みや不安を捨てて、一緒に来てよ。恐れることは,何もない。私が守るよ。この私は,陸にいるときなんかより,ずっと頼もしいよ。海の中の方が守れる。」
龍太は,ようやく頷いた。一緒に潜った。
「苦しくなったら、私の背中を叩いて。」
海保菜は,海の中でも普通に話した。
龍太は,頷いた。
「わかるよね?私の言っていること?」
龍太は,また頷いた。
「ほら、もうすでに証明されている。あなたは,人魚の子だ。私の子だ。私の言葉がわかるし,今,目を丸く開けたままでも,痛くないみたいだし…海は,海水だよ。普段,慣れていないと痛いよ。人間の目だったら,痛いよ。
そして、潜るときに,反射的に閉じる、普通。水中メガネでも,つけていなければ。あなたには,その反射神経は,ないみたい。
やっぱり人間とは,体の仕組みが異なる。あなたは,人間じゃない。私の子だ。」
海保菜が誇らしそうに言った。
「泳いでみて。まだ手を離さないけど。私が引っ張るから,泳いでみて。練習して。一人でも,できそうになったら,手を離すから。」
どんどん深く潜っていくと,海保菜は,龍太の様子を何度も振り向いて確かめるようにしたけれど、異変は,なかった。いよいよ,海底に近いところまで,潜った。
「大丈夫!?」
海保菜は,驚いた。
龍太は,頷いた。
「こんなに水深の深いところまで潜っても,細胞は,水圧で押しつぶされない。死なない。人間なら,今の深さの半分も潜れないよ。
そして,ずっと息していないのに,大丈夫だ。もう潜ってから,十五分も経つよ。人間なら,すぐに息がしたくなる。
本当に大丈夫?」
龍太は,頷いた。
「なら、一人で泳いでみて。動きは,力強いし、大丈夫そうだ。ついてきて。」
海保菜は,龍太の手を離した。
龍太は,慌てて,海保菜の手をまた握ろうとした。
「だめ。自分の力で泳いでみて。十分できるよ。信じて。」
龍太は,距離を保ちながら,少し覚束なく泳ぎ始めた。
「隣でいいよ。」
海保菜が龍太の手を掴(つか)んで,自分の近くに移動させた。
「恐る恐る私の後ろで,隠れるようにしなくていいよ。私の体を怖がらなくていい。ぶつかったり,触れたりしても,別にいいから。
そして、いろんなことを気にしすぎている。陸で暮らす自分を忘れて,自然に楽しく泳げるように,泳いだらいいよ。本当は,もっと速く泳げるでしょう?全てを忘れて,弾けろうよ。」
海保菜がまた息子の手を離した。
龍太は,海保菜にひけを取らないペースで泳ぎはじめた。
「ほら,すごいじゃないの?速い!
そして、泳ぎ方も面白い!足じゃなくて,尻尾があるみたいに泳ぐ。
どのくらい速く泳げるか,試してみよう!まだいける?」
海保菜が笑いながら,スピードをもう少し出して,訊いた。
龍太は,最初は,少し遅れがちだったが,すぐに追いついた。
「よく追いついたね!
照れなくていいよ。さっき笑ったのは,馬鹿にして笑ったんじゃないからね。嬉しいよ。本当に感心している。ここまで,できると思わなかった。
しっくりくる泳ぎ方で,自然に,泳いでいていいよ。その泳ぎ方が今の体に合っていなくても、気にしなくていい。体が自然にその動きをしているのなら,無理して,私と違う泳ぎ方をしようとしなくていいから。
じゃ、普通のスピードで行ってみるよ。ついて来れるかな?」
海保菜が息子の恥ずかしそうな様子が気になって,言った。
龍太は,少し苦労しながらだったが、ついて行けた。
海保菜は,目を丸くして息子を見た。
「なんで?速すぎない!?私は,もうあなたに少しも合わせていないよ。普通に泳いでいるよ。」
龍太は,海保菜の腕を掴んで,指で上を指した。
「息できない?」
海保菜は,龍太が返事するのを待たずに,素早く海面に向かって,力強く息子を引っ張り,泳いで行った。
海面に戻ると,龍太は,喘ぎながら,最初は少し苦しそうに息をした。でも,何回か深呼吸すれば,息がすぐに安定し,楽になった。
「龍太,すごい!本当にすごい!潜って一時間ももった!
人間よりは,できるだろうと思っていたけど、ここまでできるとは,本当に思わなかった!」
海保菜は,龍太の腕を強く握ったまま、尋ねた。
「本当に大丈夫?痛くない?疲れていない?」
「大丈夫。異常なし。」
まだ泳げる?でも、そろそろ戻らなきゃ。 もう暗くなったし,今日は,帰ろう。引っ張ってあげるから,おいで。」
海保菜が龍太に手を差し出して,言った。
龍太は、首を横に振った。
「ついていけるよ。頑張る。」
と静かに言った。
海保菜は,笑顔を浮かべて,うなずいた。
「そうだね。出来るね。
せっかくだし,慌てて帰らなくてもいいよね。」
海保菜が潜ったら,龍太も,海保菜の後を追って,潜った。
龍太は,海保菜についていけた。潜ってから,一時間が経った頃に,龍太を心配して,海保菜が振り向いて,尋ねた。
「大丈夫?息しなくて,いいの?少し休憩する?」
「うーん、大丈夫。」
龍太は,水中でも,普通に声が出た。
海保菜は,急に動きが止まり,目を丸くして,龍太を見た。
「話せるの!?息ができるの!?さっきまでできていなかったのに…なんで!?」
龍太も,びっくりして,自分の喉を掴(つか)んだ。でも、水をまるで空気のように,吸ったり吐きだしたりできていた。少しも苦しくなかった。喉に少し違和感を覚える程度だった。
海保菜は,息子の顔をしばらく黙って見つめた。しばらく考え込むと,ふと息子が急に息ができるようになった仕組みに気づいて,表情は,厳しいものに変わった。
「私のせいだ。私は,バカだった。」
海保菜がようやく口を開けて,言った。
「早く帰らなくちゃ,一刻も早く。」
海保菜は,とても焦って,困った表情で,龍太の腕を掴(つか)み,龍太が感じたことのないようなスピードで泳ぎ始めた。
「どうした?」
「何もない。」
海保菜があまり説得力のない口調で言った。「でも、喋っちゃダメ。息をとめられる?もし,できたら、その方がいい。体も使わないで。私の動きを真似しないで。」
「…なんで?」
「これ以上変わったら,困るから。全部,抑えて。頑張って,抑えて。」
「あんなに逆のこと言ったのに…。」
海保菜は,龍太の言葉を無視して,反応しなかった。
「龍太,泳ぐなって,言ったでしょう?引っ張っているし,泳ぐ必要はない。」
「…わざとじゃない。意識していなくても,体は動いちゃうよ。」
龍太は,母親の急な態度の変化に戸惑った。どうしてここまで焦っているのか,見当がつかなかった。
「意識していないね。本能だね。わかるけど…。」
ようやく,岸に戻ると,海保菜は,龍太を腕で引っ張り、慌てて,陸に上がらせた。
龍太は,最初,足を動かしてみても,一向に動かなかった。
海保菜は,速く泳ぎ過ぎて,息が切れていた。
「歩いて。歩いてみて。手遅れじゃないといいけど…ごめんなさい。馬鹿だった,私。」
龍太は,動けずに,水の中で跪(ひざまず)き続けた。
「今すぐ,歩いてみて!急げば,感覚は,戻るかもしれない。」
龍太は,ゆっくりと立ち上がり、最初,足元は,ふらふらで頼りなかったが,少しずつ慣れて,また歩けるようになった。
海保菜も,自分の体を波の中から引っ張り出した。
「大丈夫そうだね。あんなに歩けていたら,多分大丈夫だ。体重をかけても,大丈夫なら,大丈夫だ。」
「一体,どうしたの,急に!?」
龍太が海水を吐き出しながら,訊いた。
海の中では,普通に空気みたいに吸えていた海水を,肺に空気が入ると,邪魔になり,次々と口から出て来た。
海保菜は,最初,返事しなかった。
龍太は,まだ喋れない格好だったが,表情で,海保菜に答えるように訴えた。
「あなたも同じだ…。」
海保菜がようやく口を開けたと思いきや,答えになっていない答えだった。
「同じだって…どう言うことだ?」
「保奈美と同じだ。
彼女が変われて、あなたはまだ変われないのは,体の仕組みやDNAが違うからではない。
年齢の違いに過ぎない。
大きな刺激がないと,あなたの体は,まだかわってしまうほど,発達していないだけだ。でも、今日,大きな刺激を与えてしまった。
今日は,止められたみたいだけど,いつか保奈美と同じように変わる。時間の問題だ。今日だって、あと少しでも,海の中にいたら,変わっていたかもしれない。
ごめんなさい。馬鹿だったね、知らなかった。本当に知らなかった。」
「大丈夫だし…。」
「この場所に連れてきて、泳がせるだけで、体が変わるとは,思わなかった。ごめん。」
「変わっていないし…。」
「変わるところだったよ!話せるようになったじゃない?それは,肺が変わらないと,できないことだよ。もう二度とここに来るんじゃないよ、わかった?」
「なんで?」
「だから…変わる必要があるような環境に置かれると,体が変わることが変わることは,今日わかったから。」
「…だから,何?どうして逃げなきゃならないの?理解できない。お母さんは,何が怖いのか,理解できない。」
「あなたが保奈美みたいに,海のものになってしまう前に,帰りたいの。あなたがこのままここにいれば、どうなるかわかる?大変なことになるよ。
来なくても,いずれ,そうなるのだけど,必要以上早くそうなって欲しくないの。」
「体が変わるかもしれないから,早く帰った方がいいって?」
海保菜は,頷いた。
「…それの何が問題なの?」
海保菜は,少し戸惑って,答えられずに息子の顔を見た。
「…問題ではないかもしれないけど…ここに残れば、これまで経験したことのないような痛みを味わうことになるよ。」
「そんなに痛いの?」
「抵抗すると,とても痛い。」
「抵抗しなければ?」
海保菜は,何も言わなかった。
「何が問題か,わからない。いずれ,変わるでしょう?いつか。」
「でも,こんなに早くしなくてもいい。」
「今,やっても,数年後にやっても,結局同じでしょう?」
「まあ、そうだけど…。」
「なら、何が問題?なんで,そんなに焦っているの?」
「…変わりたいの!?」
「…変わっても,構わない。本当に人魚なら、人魚に変わっても,平気。」
「え?」
海保菜は,とても驚いた。保奈美を見ていて,嫌がったり,抵抗したりするのは当たり前だと思うようになっていた。変わるのが嫌に決まっていると思うようになっていた。自分も、子供には,なるべく,その苦しみはさせたくないと強く思っていた。でも,息子は,どうも違うみたい。少しも怖がったり,怯んだりしない。
「胸も,さっきから痛いし,さっき離れようとしたら,「まだ帰りたくない」と言っているみたいだった。心がそう言っているなら,僕は,心には逆らいたくない。」
「感じられるようになったんだ,海の引力。ほら、これで,また一つ変わっちゃったよ。本当に早く帰らないと,取り返しのつかないことになるよ。」
「だから、怖くないって!
この場所には,すごい力が潜んでいるのは,わかる。自分の体が左右されるのも,気づいている。でも、それが自然なら、戦っても,いずれ,そうなるものなら、何のために逆らわないといけないのか,僕にはわからない。」
海保菜は,息子の言葉を聞いて,まだ伝えないことを色々肌味で感じ,わかってくれていることがわかって,唖然(あぜん)とした。保奈美がいつかこうなればと願っていた心境には,息子はすでにたどり着いている。
海保菜は,少しの間,息子から目を逸らし,海を眺めた。海は,霞がかかり,ぼやけて見えた。息子を止めるべきかどうか,考えた。恐怖を植え付けるようなことはしたくないが,この波のものになるのは,どう言うことを意味しているのか,息子は,知らない。海から離れて,日々その引力を感じながら十年以上陸で暮らし続けている海保菜は,誰より知っている。力を手に入れると共に,自由を失うことを意味するということを熟知している。息子にも,娘にも,自由を失って欲しくない。束縛されて欲しくない。守りたい。
でも,自分には,止める権利はないと思った。人魚のくせに,息子が海と繋(つな)がることを妨害するようなことは,してはいけないことだし,出来ない。
海保菜がようやく振り向いて,龍太に言った。
「逆らわなくていい。
覚悟ができていれば、自分の心に従えばいいよ。
ただ,これは,あなたが自覚しているより,大きな決断だから,慎重に考えるべきだ。
保奈美には,まだ話していないことを話すね。
いったん,この海のものになってしまうと,もう戻れない。そして,そこで終わるわけでもない。私みたいに完全に海のものになるまで,日に日にますますそうなっていく。飲み込まれるまで。それが海だ。それが人魚だ。
海の奴隷(どれい)になる覚悟は,あるの?」
「奴隷(どれい)には,見えないけど?」
「見た目の問題じゃない。」
海保菜は,「奴隷」と言う言葉が自分の口から出たのは,自分でも,驚きだった。いつからそう感じるようになったのだろう。やっぱり陸での生活を始めてからだと思った。
自分に比べて,周りの人間たちは,とても自由に見えるのだ。自分みたいに海には縛られていない。もちろん,自分は人間のことをよく知らないから,そう見えるだけだし,人魚として自然であるように,ずっと海で暮らしていたら,そう感じないのだろうけれど…。
やっぱり,陸で暮らして,おかしくなったのかな?自分のことを「海の奴隷」と表現する人魚は,他にいないだろう…やっぱり,私は,おかしくなっている。海のものだと言うのは,有難(ありがた)いことなのに,誇りなのに…何を言っているのだろう?何が本音なのか,自分でも,よくわからなくなっていた。
子供には,誇りを植え付けるべきなのに,海と繋(つな)がっていると言う喜びを感じてほしいはずなのに…。でも,陸で暮らしているからこそ,わかる,喜びとは,全く違う側面は,確実にある。そして,海と陸の二つの世界の狭間(はざま)で生きることになる,自分の子供には,暗い側面や,苦しい側面も,知ってほしいと思った。全てを知ってほしい,両側面を。そう思った。
「僕は,奴隷になってもいいよ。好きなものなら。」
海保菜は,頷いた。
確かに,みんなは,何かに囚(とら)われているのかもしれない。自分には,自由で気ままに生きているような見える人間でも,何かの奴隷になっているのかもしれない。でも,龍太が言うように,好きなものが主人なら,それは,恐ろしいことではなくて,有難くて,嬉しいことなのかもしれない。自分だって,無理して好きでもないところで暮らそうとするから,圧迫感を感じるだけで,海にいる時は,不服はない。安心感しかない。
「なら,もう少し泳いできて。」
海保菜が満面の笑みを浮かべて,何かに救われたような気分で,言った。
龍太は,しばらく気持ちよさそうに泳いだが,そうするうちに,体が固まり,動かなくなった。
困っていることがすぐに海保菜に伝わり,救助しに行った。
龍太を岸まで引っ張って,二人で座った。
「大丈夫?痛い?」
「痛くない…どうなるの?」
「ん?何が?」
「体…。」
「え…?それは,もちろん,これになるよ。」
海保菜が自分の体を指差して,言った。
「どのくらい,かかる?」
「それは,あなた次第だね。抵抗すればするほど,長くかかるし,痛みもひどくなる。」
「そんなに痛いの?」
「すごく痛いと思う。保奈美は,何か言っていなかった?」
「いや、話していないし…。」
「まあ,死なないよ。それは,保証する。」
「よかった。死にたくない。」
龍太は,小さく笑った。
「笑う余裕があるんだね…すごい!」
いつからか,龍太は静かになった。
「大丈夫?痛い?」
「ちょっと痛くなって来た。」
「ここは,危ないから。洞窟の中へ入ろう。」
海保菜が十歳の息子を軽々と抱き上げ,移動させた。
「なんで,こんなに強い!?」
「実は,こう見えて,力持ちなんだよ,私。」
「…まるで,人間じゃないみたい。」
「だから…。」
海保菜も小さく笑った。
「人魚と言ったら,あまりたくましいイメージじゃなかったけど…。」
「それは,人間が考えた話しか知らないから。華奢(きゃしゃ)で,可愛いものじゃないよ…
熱があるかどうか確かめたいけど、ちょっと触っていい?」
「なんで,許可を求める?」
「いきなり,この手で触ってびっくりさせたら,可哀想だから。」
「うーん。でも,それがお母さんの手でしょう?本当の。」
「うん。」
「お母さんこそ,可哀想じゃない?自分じゃない体でいつも過ごして…。」
「保奈美は,最初,すごく嫌がったから…。」
「それは,お母さんが謝ることじゃないでしょう?」
「そうかな?」
海保菜は,手を息子の額に当てて,熱を確かめてから,水を手で掬(すく)って,龍太の体にかけた。
「え!?何をするの?」
「熱を下げているの。」
水をたっぷりかけて,少し待ってから,海保菜がもう一度息子の額に手を当てて,熱を測ってみた。
「下がっている。よかった!」
「なんか、急にしんどくなって来た…。」
「水には,役割が二つあるから…ごめんね。」
「どんな役割?」
「熱を下げて,楽にさせる役割と、変化を加速させる役割。」
「加速しなくていい。」
「いや、した方がいい。ゆっくり程しんどいよ。」
「さっきより,今の方がしんどい。」
「でも、この方がしんどい時間は,短い。」
龍太は,起き上がった。
「痛い…!」
「うん、しばらく痛いよ。でも、逆らわないで。」
「痛い…。」
「痛いね…横になってみて。」
龍太は,海保菜の指示に従って,横になってみた。すると,少し楽になった。でも、しばらくすると,お腹の痛みがひどくなり,我慢できなくなった。起き上がろうとしたけれど,力が入らなくて,できなかった。
「痛い!何,この痛み!?」
「服を脱がなきゃ。」
「なんで!?」
「私だって,今,服着ていない。人魚は,服を着ない。何も恥ずかしくない。」
「なんで脱がないといけない?」
「もういいから、脱いで。
鰭(ひれ)が生えて来ると,ズボンが邪魔になる。脱がないと,鰭(ひれ)がズボンに押されて,もっと痛くなる。これだよ。」
海保菜は息子の手を取り,自分のお腹に当てさせた。
「硬いね。」
「うん、硬いから痛いの。背中も生える。
怖くなければ,触って,慣れて。触られても,嫌じゃないから。息子だし。」
龍太は,慎重に母親の尻尾、お腹、腕を指でなぞってみた。
海保菜は,息子の手を握った。
「怖い?」
「いや…なぜかよくわからないけど,あまり怖くない…まだ信じていないかな。」
「良かった。叫んだり,暴れたりしていないから,私も楽。」
「暴れるって…暴れたくても,殆ど動けないから意味がない。」
「また動けるようになる。もう少し辛抱すれば。」
龍太は,頷いた。
少しすると,龍太は,急に自分の足を掴んだで,「痛い!!」と悲鳴を上げた。
「シー。大丈夫。」
海保菜は,自分の手で息子の足を揉んで,楽にさせた。足が長く伸びて,先が扇子のように広がり始めた。
次,背中を押さえて,また悲鳴を上げた。
「なんで,こんなに痛い?」
「仕方ないよ…体がこんなに変わっているんだから…。
まだできることがあるけど,早くなっても怖くない?」
「わからない…。」
「水に浸かったら,早いよ。」
「いや…いやだ。」
「私が舐(な)めると,早くなるよ。」
「ええ!?」
「その顔をしないで。動物だもの…動物は,よく子供を舐めるもの。」
「人間は,しないでしょう!」
「関係ない。」
「いやだ…。」
「じゃ、胸に手を当てるのは?それも,いや?」
「手を当てて,どうする?」
「早くする。」
「怖くない、それ?」
「怖い…だから、していいか訊いている。」
龍太は,痛みがますますひどくなり,そろそろ限界だった。
「やっていいよ,全部。何でも,やっていいよ。」
「いい?嫌になったら,言ってよ。そして,体を柔らかくして。固まっていると,もっと痛くなるだけだから。」
「止めて。なんとか,止めて。あんなに力があるなら…。」
「止める力はないの…私の持っている力は,水と同じだから。早めたり,痛みを抑えたりできるけど,止められない。」
「もう早く終わってほしい。」
「なら、おいで。」
海保菜は,息子を赤ちゃんみたいに,腕の中で抱いた。そして,胸に手を当てて,エネルギーを流れ込ませた。
「痛い!痛い!何,その力!?」
「これが一番早いから,戦わないで。」
龍太は,最後まで,頑張って耐えた。
「よく耐えたね。」
海保菜が息子の胸からようやく手を離して,言った。
「耐えるしかない。やめないし。」
「ごめんね。でも,あっという間だったでしょう?それでも,痛かっただろうけど。」
龍太は,頷いた。
「保奈美も,助けさせてくれたらよかったのに…あの子は,随分長いこと奮闘したよ。戦ってばかりで,相当痛かったと思う。
また,保奈美と話してね。」
尚弥は,保奈美とゆっくり話す機会が出来て,喜んでいた。妻が龍太についての意見が変わったのも,とても嬉しかった。ルンルン気分で家に帰った。
「保奈美,帰ったよ。」
「お帰り。龍太たちは?」
「しばらく,帰ってこないかな…お母さんはね,気が変わったようで,「もう約束はいい!」と言って,龍太に泳ぎを教えるって。」
「え!?」
保奈美も,父親の報告を聞いて,驚いたが,よかったと思った。海保菜から聞いた約束の内容を考えると仕方がないかもしれないけれど,母親の前の態度では,龍太は,可哀想だと思った。
「…でも,よかった。」
保奈美が付け加えた。
「あなたは,大丈夫?」
「うん,大丈夫だよ。」
「しばらく参っているように見えたけど,落ち着いた?」
「まあ…少し落ち着いたかな。」
「びっくりしたね。」
「お父さんは,びっくりしなかった?」
「僕は、最初から知っているから、びっくりしていない。」
「そうか…お母さんとずっと暮らしていて,どう?」
「どうって?別に,苦労はしていないよ。互いに、相手が何を考えているのか、よくわからない時もあるけど,それは,どの夫婦も,あることだし…保奈美が想像するほど,大変じゃないよ。愛し合っているし…。
誰かとずっと一緒にいるとね,互いに似てくることがあるの。僕とお母さんの場合も,そうだなぁ。」
「似てくるって?」
「ずっと一緒に色々乗り越えて来た仲だから,僕は,お母さんの考え方がある程度わかるし、僕に染まっている部分もあるんだ。つまり,僕の考え方が他の人間より,人魚に近いということになるね。
そして,お母さんも,芯が強いから僕ほどではないかもしれないが,この世界のやり方や考え方が染まって,前より,考え方は,人間よりになっていると思うんだ。
長く続く夫婦は,そうなのかもしれない。恋が冷めてしまうと,愛が続くためには,そう言うことが必要なのかもしれない。歩み寄りというか,妥協というか…。」
「お父さんの親は,知っているの?おじいちゃんとおばあちゃん。」
「知らない。話すつもりもない。」
「それで,うまくいくものなの?」
「いや,うまくいかない。だから,あまり会わないでしょう?
秘密があるとね,それが壁になって,どうしても距離が出来てしまうんだ。その距離が程よいものだといいのだが、僕と両親の場合はね,どんどん距離が遠くなって行くの。
不思議な話だけど,僕が今自分の親と話してみるとね,お母さんと話す時はそう感じないのに,まるで違う生き物と話しているような気分になる。それぐらい距離があるの。話が噛(か)み合わないというか…もう,心は違うの。底辺を流れているものが違う。そして,それは,親だけではなくて,同僚などと話す時も,感じてしまうんだ。
僕は,本当に人間なのかな?と疑う時がある。もう人間じゃないかもしれないって…もちろん,体は,人間だけどね。」
「もう人間じゃないって…?おかしい。」
「おかしくないよ。人はね,心と体は,一応繋がっているけど,必ず一致する訳ではないんだ。
体は,方向性が決まっている。死ぬまで,老化の一途を辿るだけだ。
でも,心は,違う。心の成長や進化は,無限の可能性がある。
だから,保奈美や龍太も,無理しなくてもいいんじゃない?人間にも,人魚にも,なろうとしなくても,いいんじゃない?」
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「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
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