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名残月
しおりを挟むある日、海保菜はニ歳半の保奈美(ほなみ)と生後六か月の龍(りょう)太(た)と一緒に,テレビを見ていた。テレビの画面に,泳いでいるイルカの映像が流れた。
保奈美は,興奮して、
「見て!見て!」
と嬉しそうに,指をさした。
「うん、イルカだよ。」
海保菜は,海の生き物だから,保奈美の興奮ぶりに喜び、優しく教えてあげた。
海保菜は,村長夫妻との約束を守った。保奈美には,もう一年以上,自分の本当の姿を見せていなかったし,龍太にも,産まれて体が回復して以来,見せていない。保奈美には,海の話も,一切していない。家族にも,会わせていない。
しかし,海保菜は,諦めていなかった。姿は,見せられないし,話もできない。でも,許される範囲で,子供たちの記憶に人魚の面影が残るように出来ることは,していた。
毎晩,海の歌を歌って、子供たちを寝かしつけている。その歌を聞いてからの子供たちの寝つきが,他のどの歌よりも,良かった。あとは,海の生き物図鑑を見せたり,貝殻をおもちゃにして,一緒に遊んだり,する程度だが,意識的に子供の遊びや学びに海が登場するように,工夫していた。これぐらいしかできないのだが,この程度の工夫でも,意味があるとは,信じたかった。
イルカの映像が流れても,チャンネルを変えようとは,しなかった。そのまま見せた。これぐらいは,許されるだろうと思った。
イルカの姿を見て喜ぶ娘を見て、やっぱり体に表れなくても,私の娘だ,と誇らしく思った。海のものを見ると,喜ぶ。どの子供も,動物や乗り物など,動くものを見ると喜ぶのは,もちろんわかってはいるが、海の生き物だから,ここまで喜んでくれていると海保菜は,信じたかった。
イルカの映像が消え、次の番組が始まると、保奈美は泣き始めた。
「もっと!もっと!」
とテレビ画面を指差し,要求した。
海保菜が慰めても,ダメだった。余計癇癪(かんしゃく)を起こすだけだ。龍太は,イルカの泳ぐ音を聞いて,熟睡していた。
数年が経ち,保奈美も,龍太も,学校に行くようになった。
「お母さん,これを見て!」
保奈美は,学校の図書館で,借りてきた本を海保菜に見せてきた。
ギリシャ神話の本だった。保奈美は,人魚の絵の描いてあるページを指差し,嬉しそうに見せてきた。
「うーん、それはどうした?」
海保菜は,少しびっくりして,娘に訊いた。
龍太も,気になって,二人が何見ているのか,見に来た。
「何,これ!?すげえ!」
と感心して,言った。
「綺麗でしょう!ママ,人魚って,本当にいるの?海に行ったら,見れるの?」
保奈美は,目を輝かせて,海保菜に尋ねた。
「見れないかな…。」
海保菜は,適当に答えて,逃げようとした。
「見れない?…でも、いるでしょう!」
保奈美は,追求せずにはいられないくらい,興奮しているようだ。
「…わからないよ。」
海保菜は,しぶしぶ答えた。
保奈美は,がっかりしたように,本を持ったまま,ソファに深く座った。龍太も,隣に座り,
「もうちょっと見せて。」
と本を保奈美から奪い取ろうとした。
海保菜は,子供たちが,人魚に興味を示してくれて,どこかこそばゆくて,二人の横に座った。自分のことを何も教えない限り,少し話に付き合うことぐらい,出来るはずだと思った。やっぱり,人魚の母親として,かかわらずにはいられなかった。
「興味は,あるの?人魚,好きなの?」
海保菜は,言葉に気をつけながら,慎重に尋ねてみた。
「うん、好き!」
保奈美は,即答した。
「僕も,好き!」
龍太も,保奈美に負けないくらい,興奮している。
「なぜ?」
海保菜は,追求してみた。
「綺麗だし…。」
保奈美は,理由を求められ,返事に困った。
「速く泳げそうだし…。」
龍太も,自分のうっとりした気持ちを言葉で表現しようとしたが,難しいようだ。
「何故かわからないけど,好き。」
保奈美は,ようやく答えた。
龍太も,お姉さんの答えが気に入ったようで,強く頷いた。
海保菜も,子供たちのこの答えが可愛くてたまらなかった。
「お母さんも,どうしてかわからないけど,好き。」
海保菜は,はにかみながら言った。これぐらいは,言ってもいいだろう。自分は,人魚だと言わない限り,約束違反にならない。
「お母さんも好きなの?」
保奈美は,驚いて,訊いた。
「うん!」
海保菜は,満面の笑顔で言った。
「見たこと,あるの?」
保奈美は,さらに訊いた。
海保菜は,この質問には,答えなかった。代わりに,
「綺麗だって言ってくれて,ありがとう。」
と笑みを浮かべたまま,言った。
「なんで、ありがとうなん?」
保奈美は,海保菜の答え方がおかしかったようで,訊いた。
「そうだね。おかしいね…。ごめんね。」
海保菜は,笑顔が消え,仕方なく謝った。
尚弥が,仕事が終わり,帰宅すると、保奈美と龍太は、彼にも,嬉しそうに人魚の絵を見せた。止める間もなかった。海保菜が気づいた時には,もうすでに遅かった。海保菜,夫の反応が心配で,気づいていないふりをすることにした。
「人魚って言ってね、本当にいるかどうかわからないけど,好き!」
保奈美は,喜びに満ちた笑顔で、お父さんに話した。
「お母さんも,好きだって!」
龍太が,付け加えた。
海保菜は,「しまった!」と思った。
これを聞いて,尚弥の注目が海保菜に移った。
「まだ早いと思うけど…。」尚弥は,イライラした声で,言った。
「自分で借りてきた本だし,何も教えていない…好きだって言ってくれたから,私も好きだって言ったまでだ。あなたに責められるようなことは,何もしていない!」
海保菜は,不機嫌を隠さずに,ぶっきらぼうに言った。
子供たちは,親が何故この話題で揉めるのか,よくわからなくて,困惑した。
「お父さんは,嫌いなの,人魚のこと?」
保奈美は,悲しそうに尋ねた。
「うん、嫌いだよ!お父さんは。」
海保菜は,尚弥より先に答えた。
「嫌いじゃないよ!」
尚弥は,海保菜を睨みつけて,否定した。
「なら、なんで文句を言うの!?別にいいんじゃない,好きな絵本を見たって!?」
海保菜は,やきもきして,言った。
「ごめんなさい。」
子供の前だったから,それ以上会話を続けることができずに,尚弥は,仕方なく謝った。
その後,二度と人魚の話は,しなかった。保奈美と龍太も,タブーな話題だと察したようで,二度と持ち出さなかった。
一年後に,龍太が尋ねた。
「お母さんって,なんでいつもこの貝殻のネックレスをつけているの?」
「…お母さんのお父さんとお母さんがくれたものだから,大事だよ。」
海保菜は,少しだけ迷ってから,答えた。
「そうなんだ。お母さんのお父さんとお母さんって,どこにいるの?」
母方の祖父母に会わせてもらったことがない龍太は,訊かずにはいられなかった。
龍太がそう訊くと,コタツで宿題をしている保奈美も,海保菜の答えが気になり,顔を上げて,海保菜と目を合わせてきた。
海保菜は,どう答えたら良いのか,少し考えてから,
「遠いところにいるの。」
と曖昧な返事にした。
「死んだってこと?」
龍太は,尋ねた。
「いや、死んでいない。」
海保菜は,死んだと言った方がいいのかな?とも思いながら,殺したくないので,死んでないと答えることにした。
「会わないの?」
龍太が,さらに追求した。
「時々会うよ。」
海保菜は,どう答えていいか,わからなくなり,正直に答えてしまった。ここまで追求されるのは,初めてのことだ。
「僕も会ってみたい。」
龍太は,素直に言った。
「私も!」
保奈美は,海保菜の様子を注意深く伺いながら,言った。
「そうだね。会ってみたいね…いつか会わせるね。」
海保菜は,他にどう言い逃れたら良いのかわからずに,守れるかどうかわからない約束をしてしまった。
数年後,
保奈美は,小学校四年生,龍太は,ニ年生になっていた。
「保奈美ちゃん,この貝は,どうした?どこで拾ってきた?」
理科の先生が,尋ねた。
「お母さんが持っていた。」
保奈美は,答えた。
理科の先生は,びっくりして言った,
「この貝は,海のすごく深いところでしか見つからないもので,かなり高価なものだよ。」
「そう?」
保奈美は,無関心を装って,相槌を言った。本当は,海保菜が,どうしてその上等な貝を持っているのか,ずっと気になっている。しかし,質問しても,はぐらかしたり,逃げたりしてばかりだから,困らせたくなくて,追求するのを諦めたのだ。
「うん、お母さんって,ダイビングするのかな?」
「…しないと思う。」
保奈美は,お母さんがダイビングをしているところを想像しようとしたが,やっぱりピンと来ない。その話を聞いたこともないし。
「じゃ,買ったかな?どこかで?」
「…知らない。」
保奈美は,少々呆れてきた。知らないと言っているのに,どうしてここまで追求するのだろう。
「そうか。今日,家帰ったら、訊いてみて。」
保奈美は,久しぶりに海保菜に訊いてみようと思った。先生が知りたがっていると言ったら,答えてくれるだろう。そう思った。
家に帰ってすぐに,
「お母さん,理科で貝とか,石とか,勉強しているけど,家にあるものを持ってきてと言われたから,勝手にお母さんのこの貝を借りたんだ。そしたら,理科の先生が,すごく珍しがってね…。」
と海保菜に話しかけた。
「え!なんで,あんなものを持って行った!?私に言わずに。」
海保菜は,驚き、しまったと思った。保奈美が持っている貝は,深海にしか生息しない生き物の貝だ。ダイビングしても,人間が採るのは,かなり難しいと思った。
子供が成長するにつれて,「しまった」と焦る瞬間や出来事が増えている。子供が小さい時は、色々質問しないから,秘密があることもばらさずに自分の正体を隠すのは,簡単だったが,どんどん難しくなってきた。子供は,だんだん賢くなり,何かを隠していることに気づいているようだ。尋問の技も,少しずつ身につけてきて,対応が難しい。秘密が壁となり,少しずつ子供との距離が遠くなり,会話も減ってきた。もはや隠し通せる自信がない。思春期に突入したら,いよいよお手上げ状態になりそうだ。
大きくなれば,体質が変わり,話せる日がくるのではないかと,期待していた。しかし,二人とも,海保菜の遺伝を受け継いでくれていると思わせるような兆候は,いまだに何もない。なら,村長夫妻の命令に従い,彼らを守るしかない。隠し通すしかない。
「ごめん。」
保奈美は,申し訳なく誤った。
「別にいいよ。ただ,今後はちゃんと私に訊いてから借りてね。」
海保菜は,柔らかい口ぶりで言った。
「はい,わかった…でも、なんでこういう貝を持っているの?」
保奈美は,勇気を出して,尋ねてみた。
「貝が好きだから。集めているの。」
海保菜は,自分でもびっくりするくらい間を置かずに,すぐに答えられた。最近,嘘を思い浮かぶのが楽になってきた。自慢には,ならないけれど。今では,もはや本当のことを話すより,嘘をついた方が楽なのかもしれない。
「でも,なんでこれを?先生は,水の深いところでしか見つからないものだって言っていたよ。お店にもあまり売ってないって言っていたよ。」
保奈美は,納得できる返事が返ってくるまで追求するつもりみたいだ。
「買っていない。もらった。」
海保菜は,咄嗟に言った。
「誰から?」
「もう覚えていないわ。」
保奈美は,小さく溜息をついて,諦めて部屋を出て行った。
その日の午後に,海保菜が子供たちに,「お散歩に行かない?」と誘った。二人とも,自然が大好きで,家の中より外で遊ぶのが好きだから,すぐに「行こう!」と言ってくれた。
最近は,寒いから,ほとんどお散歩に行けていないのだが,今日は,太陽が出ているから暖かく感じた。子供たちは,防寒具を着て,すぐに外に飛び出した。
寒さを全く感じていないかのように,楽しそうに走り回る子供を見て,海保菜は,やっぱり子供はたくましいと思った。自分は,風が吹くたびに身震いをし,家に戻りたくなるというのに。
海は寒いが,風はないので,やっぱり陸で何年過ごしても風にはなかなか慣れない。風が吹くと,体の芯まで凍りそうになる。
「お母さん!ほら,月が出ているよ!夜じゃないのに!」
龍太が指差して,言った。
「綺麗だね。名残の月というんだよ。」
海保菜が,寒天を見上げて,言った。
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