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夫の帰省
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ある日,夫が急に帰って来ると言い出した。悠貴の訃報が届いてから,私からあまり電話しなくなったことが不安にさせてしまったらしい。もちろん,電話しなくなったのは,寂しいからではなく,悠貴が「いる」からだったが,そう話すわけにはいかない。私も,止めようとしたら挙動不審になっていることがバレて,怪しまれるから,止めようとはしなかった。
夫が帰って来て,すぐに私を抱きしめてくれた。
「大丈夫?元気に頑張れている?」
「何とか…。」
私が答えて,悠貴の幽霊が待つ部屋へと案内した。夫には,幽霊が見えるかどうか,早く確かめたくて仕方がなかった。
夫が部屋に入ると,すぐに悠貴の幽霊が座る部屋の隅っこの方へ目をやったが,何も言わなかった。どうも,見えていないらしかった。
夫の荷物を受け取り,私が早速食事の支度を始めた。私がご飯を作りながら,夫は,ずっと悠貴の幽霊が座る方をジロジロ,何かを調べるように見ていたが,何も言わない。もしかして,見えている?
食事が出来上がると,すぐに盛り付けて,夫の前にお皿を出した。夫がいない時にいつもしているように,悠貴の分も,盛り付けた。
「これは,誰の?」
夫が私に尋ねた。
「悠貴の分。」
と私が少しはにかみながら言った。
「幽霊にご飯を出して,どうする?」
夫が突っ込んだ。
「やっぱり,見えている?」
私が驚いて,訊いた。
「そこに座っているでしょう?いつからいる?」
夫が尋ねた。
「事故のすぐ後から…。」
私が答えた。
悠貴は,父親にも自分の姿が見えていることがわかって,初めて振り向いて,父親と目を合わせた。
すると,頭の中で何か淀んでいたものがまた突然流れ出したかのように,自分が死んだ日の記憶が蘇り,テレビの映像を見るかのようにはっきりと,目の前で再生された。
☆☆☆
悠貴が自殺しようと思い立ったのは,自分の苦しみを和らげるというより,親の負担を軽減させるという意図からだった。オンラインでALS患者の闘病記や,ご家族の方の介護日記や体験談を読んでいると,介護の心身への甚大な負担がしみじみと伝わり,恐ろしくなった。自分の親には,絶対に,この思いはさせたくない。親には,元気な自分の記憶だけを残し,この世を去りたい。そう思った。
でも,自殺も,遺族に与える精神的な苦痛は大きい。これは,前から知っていることだった。なら,絶対にバレないような形で,自分の死を事故に見せかけるしかない。
そう考えているうちに,ある日,二度とない絶好のチャンスが訪れた。雨が降り始めたのだ。ただの雨じゃない。豪雨だった。というか,その前兆だった。本当にひどくなると言われていたのは,その日の夕方からだった。事故死を偽装するなら,今日しかない。
今日が人生の最後の日だと思うと,悠貴は,さすがに怖気付いて来た。薬は,用意してあったし,その後のことも,考えてあった。でも,心の準備はまだ出来ていなかった。
しかし,チャンスを逃せば,条件がここまで完璧に揃うことは絶対に二度とないのだ。怯んでいる場合ではない。病気には,まだ誰も気づいていない。恵梨以外の人には、まだ話してもいない。進行すれば,バレてしまう。そして,豪雨の最中なら,事故に見せかけるのは,簡単だ。大災害に見舞われ,大混乱している中,わざわざ検死を行うようなこともしないだろうし…。
事故死でも,親は,傷つく。でも,長い闘病生活に付き合わされたり,自殺されたりするほどではないはずだ。自然災害の犠牲者なら,自責せずに受け止められるだろう。
悠貴は,紙とボールペンを出して,最後となる手紙を書いた。それから,携帯を出し,恵梨に最後となるメールを打った。「1時間後に来てくれる?一つお願いしたいことがある。」
両親には,何も言わずにこの世を去るのは,心苦しかったが,自殺だとバレないようにしようと思えば,手紙は残せない。
「後は,恵梨に頼むしかない。」
悠貴は,そう割り切ろうとして,用意した薬を飲み,眠った。二度と,目を覚ますことはないはずだった。
夫が帰って来て,すぐに私を抱きしめてくれた。
「大丈夫?元気に頑張れている?」
「何とか…。」
私が答えて,悠貴の幽霊が待つ部屋へと案内した。夫には,幽霊が見えるかどうか,早く確かめたくて仕方がなかった。
夫が部屋に入ると,すぐに悠貴の幽霊が座る部屋の隅っこの方へ目をやったが,何も言わなかった。どうも,見えていないらしかった。
夫の荷物を受け取り,私が早速食事の支度を始めた。私がご飯を作りながら,夫は,ずっと悠貴の幽霊が座る方をジロジロ,何かを調べるように見ていたが,何も言わない。もしかして,見えている?
食事が出来上がると,すぐに盛り付けて,夫の前にお皿を出した。夫がいない時にいつもしているように,悠貴の分も,盛り付けた。
「これは,誰の?」
夫が私に尋ねた。
「悠貴の分。」
と私が少しはにかみながら言った。
「幽霊にご飯を出して,どうする?」
夫が突っ込んだ。
「やっぱり,見えている?」
私が驚いて,訊いた。
「そこに座っているでしょう?いつからいる?」
夫が尋ねた。
「事故のすぐ後から…。」
私が答えた。
悠貴は,父親にも自分の姿が見えていることがわかって,初めて振り向いて,父親と目を合わせた。
すると,頭の中で何か淀んでいたものがまた突然流れ出したかのように,自分が死んだ日の記憶が蘇り,テレビの映像を見るかのようにはっきりと,目の前で再生された。
☆☆☆
悠貴が自殺しようと思い立ったのは,自分の苦しみを和らげるというより,親の負担を軽減させるという意図からだった。オンラインでALS患者の闘病記や,ご家族の方の介護日記や体験談を読んでいると,介護の心身への甚大な負担がしみじみと伝わり,恐ろしくなった。自分の親には,絶対に,この思いはさせたくない。親には,元気な自分の記憶だけを残し,この世を去りたい。そう思った。
でも,自殺も,遺族に与える精神的な苦痛は大きい。これは,前から知っていることだった。なら,絶対にバレないような形で,自分の死を事故に見せかけるしかない。
そう考えているうちに,ある日,二度とない絶好のチャンスが訪れた。雨が降り始めたのだ。ただの雨じゃない。豪雨だった。というか,その前兆だった。本当にひどくなると言われていたのは,その日の夕方からだった。事故死を偽装するなら,今日しかない。
今日が人生の最後の日だと思うと,悠貴は,さすがに怖気付いて来た。薬は,用意してあったし,その後のことも,考えてあった。でも,心の準備はまだ出来ていなかった。
しかし,チャンスを逃せば,条件がここまで完璧に揃うことは絶対に二度とないのだ。怯んでいる場合ではない。病気には,まだ誰も気づいていない。恵梨以外の人には、まだ話してもいない。進行すれば,バレてしまう。そして,豪雨の最中なら,事故に見せかけるのは,簡単だ。大災害に見舞われ,大混乱している中,わざわざ検死を行うようなこともしないだろうし…。
事故死でも,親は,傷つく。でも,長い闘病生活に付き合わされたり,自殺されたりするほどではないはずだ。自然災害の犠牲者なら,自責せずに受け止められるだろう。
悠貴は,紙とボールペンを出して,最後となる手紙を書いた。それから,携帯を出し,恵梨に最後となるメールを打った。「1時間後に来てくれる?一つお願いしたいことがある。」
両親には,何も言わずにこの世を去るのは,心苦しかったが,自殺だとバレないようにしようと思えば,手紙は残せない。
「後は,恵梨に頼むしかない。」
悠貴は,そう割り切ろうとして,用意した薬を飲み,眠った。二度と,目を覚ますことはないはずだった。
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