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アザラシ女
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ヒカルが物心がついてから,いや,おそらく物心がつく前から、海で水遊びをしていると,必ず姿を見せ,一緒に遊んでくれる女の人がいた。遊んでいると,どこからともなく,突然現れ,一緒に遊んでくれて,気がついたら,いつも居なくなっていた。
女の人は,僕に名前を名乗ることも,自己紹介をすることもなかったが,母親であることが,ヒカルには,何となくわかっていた。
しかし,幼い頃は,あえて,自分の推測を口に出し,確かめようと思ったことはなかった。言葉では,「お母さんだよ。」とは言ってくれなくても,表情や仕草で,その気持ちが僕には,しみじみと伝わり,疑う余地もなかった。
ところが,10歳にもなれば,この不思議な女の人が母親なら,どうして海で遊ぶ時にしか会いに来ないのか,自分の母親という正体をどうして堂々と伝えないのか,気になるようになった。ヒカルは,いよいよ、尋ねてみることにした。
浜辺で遊び始めたら,女の人は,やっぱり,いつも通り現れた。
「僕のお母さんだよね?」
ヒカルが口に出してみた。
すると,女の人は,無言のまま,小さな笑みを浮かべながら頷いた。
「なら…なんで,言わなかったの?」
ヒカルが訊いた。
「言わなくても,わかったでしょう?」
女の人が不思議な表情をして,目を輝かせて言った。目を輝かせてみると、女の人の妖艶な顔がいつにも増して,美しく見えた。
「わかったけど…なんで,一緒に暮らさないの?」
ヒカルが更に追求した。
女の人は,すぐには答えなかった。ヒカルの目を覗き込み,話すかどうか迷っているようだった。しばらくすると,女の人がようやく言った。
「…自由の身じゃないから。」
ヒカルには,女の人の言葉の意味がよくわからなかった。
「どういう意味?」
すると,女の人が片手をあげ,その手で握っているアザラシの皮をヒカルに見せた。
「これが私の主人なの。」
「何,それ?」
ヒカルが珍しそうに見て,尋ねた。
「私の皮だよ。私は,セルキーというもので,10年前に,うっかりして,あなたのお父さんにこれを盗られてしまった。セルキーは,皮を盗られてしまうと,盗った人についていかなければならないの。だから,お父さんの妻になって,あなたを産んだ。」
女の人が説明した。
「なら,なんで,今はお父さんと一緒にいないの?」
ヒカルは,女の人の話は辻褄が合わないと感じてたまらなかった。
「見つけちゃったから…これね。お父さんが上手く隠したけどね…見つけちゃったの。探してもいなかったのに…だから,戻らなければならなかったの。あなたがいたから,戻りたくなかったけどね…。」
女の人は,ヒカルの顔を見るのが辛くなり,海を遠く眺めながら話した。
「…なら,いてくれたらよかったのに!皮なんか,どうでもいい…見つけても,いてくれたらよかったのに…!」
ヒカルの目から涙がぽろぽろ溢れ始めた。
「…たとえいたくても、いられないの。セルキーの皮には,そういう魔法の力があるの…魔法には,逆らえないの。」
女の人が困った顔をして,説明した。
「魔法とか…どうでもいい!」
ヒカルがふてくされた。
「…あなたは,人間だから,自由だから,そう言えるけど…どうでも良くないの…心臓が止まったら死ぬしかないと同じように,従うしかないの…。」
女の人が申し訳無さそうにつぶやいた。
「なんで,ここだと,会いに来れる?」
ヒカルが更に尋ねた。
「海なら,人間界との境を越えなくていいから,自由に動けるの。」
女の人が説明した。
「なら,毎日来る!」
ヒカルの顔が明るくなった。
これを見ると,女の人が愛おしそうにヒカルの頬を撫でた。
「ありがとう…でも,あまり頻繁に会わない方がいいかもしれない…。」
「なんで?」
ヒカルが訊いた。
「あなたは,人間だから,人間界で,人間たちと一緒に生きるべきだ。私は,邪魔。自分の産んだ子だし,放っとけないから、時々顔を見に来たくなるけど…しょっちゅう会うのは,良くないわ。」
女の人が言った。
「…お母さんなのに?」
ヒカルがまた泣きそうになった。
「そばにはいられなくても,あなたのことをずっと見ているから…。」
女の人が辛そうに言った。
「お父さんには,会いたくないの?」
「会いたくない。あの人を愛したことがない…言ったように,皮を盗られたから仕方なく妻になった…それだけの関係だ。」
女の人が厳しい顔で,即答した。
「でも,僕には,会ってくれるよね?」
ヒカルが不安になって,念を押した。
「もちろん…でも,たまにね。しょっちゅうは,良くない。」
女の人は,自分の条件を繰り返した。
「なんか,嫌だ…。」
ヒカルがつぶやいた。
「いやでも,どうしようもないの…。」
女の人がヒカルの肩に手をかけ,慰めた。
ヒカルが落ち着いたのを見ると,女の人が沖の方へ移動し始めた。
「では,またね…。」
女の人が名残惜しそうに言った。
「また来てね?」
ヒカルがまた念を押した。
「もちろん!あなたがアザラシの華を見せてくれる日を楽しみにしているよ。」
女の人が顔を綻ばせて,言った。
「…アザラシの華!?何,それ?」
ヒカルが初めて聞いた表現の意味がわからなくて,聞き返した。
「人間には,通じないか、この言葉…その人の秘めた力のような意味かな…。」
女の人が考え深く言った。
「お母さんには,ある?」
ヒカルが尋ねた。
「もちろん!セルキーはみんなあるよ。アザラシの姿でしか披露できない秘めた力…この後,見せようか?」
女の人が少しためらいがちに申し出た。
ヒカルは,嬉しそうに頷いた。
女の人も満面の笑顔で頷いた。女の人が潜ったと思ったら,潜ったところの海がぐるぐると回り始め,渦になった。女の人が居なくなっても,数分回り続けた。
ヒカルは,興奮しながら,渦に近づいて,眺めた。渦というものを見るのは,生まれて初めてだった。
渦を見て,女の人にもっと色々聞いてみたくなったが,もうとっくに居なくなっていた。
女の人は,僕に名前を名乗ることも,自己紹介をすることもなかったが,母親であることが,ヒカルには,何となくわかっていた。
しかし,幼い頃は,あえて,自分の推測を口に出し,確かめようと思ったことはなかった。言葉では,「お母さんだよ。」とは言ってくれなくても,表情や仕草で,その気持ちが僕には,しみじみと伝わり,疑う余地もなかった。
ところが,10歳にもなれば,この不思議な女の人が母親なら,どうして海で遊ぶ時にしか会いに来ないのか,自分の母親という正体をどうして堂々と伝えないのか,気になるようになった。ヒカルは,いよいよ、尋ねてみることにした。
浜辺で遊び始めたら,女の人は,やっぱり,いつも通り現れた。
「僕のお母さんだよね?」
ヒカルが口に出してみた。
すると,女の人は,無言のまま,小さな笑みを浮かべながら頷いた。
「なら…なんで,言わなかったの?」
ヒカルが訊いた。
「言わなくても,わかったでしょう?」
女の人が不思議な表情をして,目を輝かせて言った。目を輝かせてみると、女の人の妖艶な顔がいつにも増して,美しく見えた。
「わかったけど…なんで,一緒に暮らさないの?」
ヒカルが更に追求した。
女の人は,すぐには答えなかった。ヒカルの目を覗き込み,話すかどうか迷っているようだった。しばらくすると,女の人がようやく言った。
「…自由の身じゃないから。」
ヒカルには,女の人の言葉の意味がよくわからなかった。
「どういう意味?」
すると,女の人が片手をあげ,その手で握っているアザラシの皮をヒカルに見せた。
「これが私の主人なの。」
「何,それ?」
ヒカルが珍しそうに見て,尋ねた。
「私の皮だよ。私は,セルキーというもので,10年前に,うっかりして,あなたのお父さんにこれを盗られてしまった。セルキーは,皮を盗られてしまうと,盗った人についていかなければならないの。だから,お父さんの妻になって,あなたを産んだ。」
女の人が説明した。
「なら,なんで,今はお父さんと一緒にいないの?」
ヒカルは,女の人の話は辻褄が合わないと感じてたまらなかった。
「見つけちゃったから…これね。お父さんが上手く隠したけどね…見つけちゃったの。探してもいなかったのに…だから,戻らなければならなかったの。あなたがいたから,戻りたくなかったけどね…。」
女の人は,ヒカルの顔を見るのが辛くなり,海を遠く眺めながら話した。
「…なら,いてくれたらよかったのに!皮なんか,どうでもいい…見つけても,いてくれたらよかったのに…!」
ヒカルの目から涙がぽろぽろ溢れ始めた。
「…たとえいたくても、いられないの。セルキーの皮には,そういう魔法の力があるの…魔法には,逆らえないの。」
女の人が困った顔をして,説明した。
「魔法とか…どうでもいい!」
ヒカルがふてくされた。
「…あなたは,人間だから,自由だから,そう言えるけど…どうでも良くないの…心臓が止まったら死ぬしかないと同じように,従うしかないの…。」
女の人が申し訳無さそうにつぶやいた。
「なんで,ここだと,会いに来れる?」
ヒカルが更に尋ねた。
「海なら,人間界との境を越えなくていいから,自由に動けるの。」
女の人が説明した。
「なら,毎日来る!」
ヒカルの顔が明るくなった。
これを見ると,女の人が愛おしそうにヒカルの頬を撫でた。
「ありがとう…でも,あまり頻繁に会わない方がいいかもしれない…。」
「なんで?」
ヒカルが訊いた。
「あなたは,人間だから,人間界で,人間たちと一緒に生きるべきだ。私は,邪魔。自分の産んだ子だし,放っとけないから、時々顔を見に来たくなるけど…しょっちゅう会うのは,良くないわ。」
女の人が言った。
「…お母さんなのに?」
ヒカルがまた泣きそうになった。
「そばにはいられなくても,あなたのことをずっと見ているから…。」
女の人が辛そうに言った。
「お父さんには,会いたくないの?」
「会いたくない。あの人を愛したことがない…言ったように,皮を盗られたから仕方なく妻になった…それだけの関係だ。」
女の人が厳しい顔で,即答した。
「でも,僕には,会ってくれるよね?」
ヒカルが不安になって,念を押した。
「もちろん…でも,たまにね。しょっちゅうは,良くない。」
女の人は,自分の条件を繰り返した。
「なんか,嫌だ…。」
ヒカルがつぶやいた。
「いやでも,どうしようもないの…。」
女の人がヒカルの肩に手をかけ,慰めた。
ヒカルが落ち着いたのを見ると,女の人が沖の方へ移動し始めた。
「では,またね…。」
女の人が名残惜しそうに言った。
「また来てね?」
ヒカルがまた念を押した。
「もちろん!あなたがアザラシの華を見せてくれる日を楽しみにしているよ。」
女の人が顔を綻ばせて,言った。
「…アザラシの華!?何,それ?」
ヒカルが初めて聞いた表現の意味がわからなくて,聞き返した。
「人間には,通じないか、この言葉…その人の秘めた力のような意味かな…。」
女の人が考え深く言った。
「お母さんには,ある?」
ヒカルが尋ねた。
「もちろん!セルキーはみんなあるよ。アザラシの姿でしか披露できない秘めた力…この後,見せようか?」
女の人が少しためらいがちに申し出た。
ヒカルは,嬉しそうに頷いた。
女の人も満面の笑顔で頷いた。女の人が潜ったと思ったら,潜ったところの海がぐるぐると回り始め,渦になった。女の人が居なくなっても,数分回り続けた。
ヒカルは,興奮しながら,渦に近づいて,眺めた。渦というものを見るのは,生まれて初めてだった。
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