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間章 雨の降る前
第46話 その子の名は『時雨』
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――運命なのだろうか。宿命なのだろうか。義久の声に呼応したのだろうか。
その子は義久の命が消えると同時に産まれてきた。
「――――ぁぁ」
海琴は静かに抱き上げる。我が子を。小さくも懸命に生きようと泣いている我が子を。
「いい……子……ね」
村雨の服に包んで体を揺らす。
「い……いい……子。泣か……な――いで……いい子……だからね」
「マ……ママ……!」
全てを見ていた村雨は分かっていた。自分の母が衰弱していることを。適切な医療も受けず。ほとんど誰の助けも受けず。そんな環境での出産など、弱って当然だ。
辛いだろう。苦しいだろう。今にも泣き出したいだろう。そんな気持ちを必死に海琴は押さえつけていた。
だって――我が子が初めて見る母の顔が泣いている姿なんて可哀想だから。せめて最後に見る母の顔は笑っているべきだ。
だから痛くても苦しくても笑うのだ。それが母親としての最後の役目だ。
「う……ぅぅ……」
そんな母に胸を打たれて。村雨も必死に涙を押さえようとする。押さえようと――やはりダメだ。止めようとしても出てきてしまう。
「ぐぅ……ままぁ……」
「村雨……こっちへ来て。ママに顔を見せて」
母親の呼びかけに無言で応える。
「あぁほんとに……あの人に似てるわ。でも私にも似て……美人になるわよ」
止めどなく溢れてくる涙を親指の腹で撫で取る。
「ママやだ……死んじゃやだ……ひとりにしないで……」
「ごめん……ね。でもひとりじゃないわよ」
――娘を。今さっき産まれた娘を。村雨を妹を前へ出す。
「妹……あなたの妹よ。『時雨』っていうの……よ」
妹を――時雨を受け取ってしまったら。母親は死んでしまう。村雨はそう思った。躊躇する。躊躇う。
でも、でもでも、これが母親の最期の願いでもあるのだ。だから村雨も唇を噛みながら――時雨を抱き上げる。
時雨は5歳の村雨でも抱き上げられるほど軽く。それでいて力強く。暖かかった。
「貴女が護るのよ。他でもない貴女が……」
「……うんっ。うん……うん」
何度も。何度も何度も頷く。
「ふ――ふっ――――」
最後の力を振り絞って海琴は――村雨と時雨の頭を――撫でた。
「護るから……絶対に護るから……」
――手がだらんと力なく地面に落ちた。海琴の目から光は消えた。体温が消えた。メラメラと燃えていた命の炎は音もなく消えていった。
村雨は泣き崩れる。しっかりと時雨を抱いたまま。冷たくなった母親へと寄り添う。
「だから……いかないで……ママ……」
大雨の中。村雨は歩いていた。まだ産まれてすぐの時雨を抱いて。大きな声を張り上げながら。
「パパァァ!!誰かぁぁ!!」
叫んだ。喉が壊れるくらいに叫んだ。しかし声はどこにも届かず。雨の中に消えてゆく。
しかし叫んだ。それでも叫んだ。泣きながら叫んだ。希望を。望みを諦めたくなくて。
父親は『妹を守ってやるんだぞ』と言った。
母親は『妹を護ってあげて』と言った。
2人とも自分を守ってくれた。2人とも護ってくれた。だから自分も守るのだ。だから自分も護るのだ。
妹だけは。この胸に抱いている妹だけは。何があっても死なすわけにはいかないのだ。
――女が立っていた。雨宮だ。村雨は気がついていない。
雨宮はまだ不快な笑顔を作っている。その目線は歩いている村雨に向けられていた。
「ママがぁ……ママを……時雨を……助けて……誰かぁ……」
女は手を伸ばす。あの時と――義久を殺す時と同じように。手を伸ばす。
村雨の体は徐々に冷たくなってきていた。力ももうほとんどない。歩くのもやっと。抱き上げるのもやっとの状態。
周りには誰もおらず。手を差し伸べる人もおらず。孤独に。絶望に。泣いて泣いて泣き喚いて――それでも声は届かない。
「ママ――パパ――」
死が近づいてくる。約束された最厄が村雨と時雨を狙う。
悪夢も。絶望も。痛みも。全てを兼ね備えた悪魔が。村雨の肩に手を置こうとした――。
――手はピタリと止まった。
ほんの少し。もう少し近づけば村雨に触れられる。それなのに――体が動かない。
理由は簡単。――近づけないのだ。
『チッ……』
金色の霧が。人間の形をした霧があった。2人分。それは顔も見えず。体の輪郭しかない。しかし――不思議と誰かは分かる。
分かるからこそ雨宮は手を引いた。千載一遇のチャンスを見逃した。見逃さざるおえなかった。
金色の霧は睨む。『手は出させないぞ』と。『お前の好きにはさせないぞ』と。『娘には絶対に危害を加えさせないぞ』と。
「――お嬢ちゃん!?」
それと同時くらいだった。警察官が走ってきたのだ。
「君は――青谷さんの家の――え、子供!?しかも赤ちゃんじゃないか!!」
警察官は村雨の家に置かれてあったカラスの死骸を見に来た人だった。夜勤なのだろうか。顔見知りなのは村雨にとって幸運だった。
安心感。今までの疲れと感情が雨に混ざって消えていく。それと一緒に力の方も消えていった――。
その子は義久の命が消えると同時に産まれてきた。
「――――ぁぁ」
海琴は静かに抱き上げる。我が子を。小さくも懸命に生きようと泣いている我が子を。
「いい……子……ね」
村雨の服に包んで体を揺らす。
「い……いい……子。泣か……な――いで……いい子……だからね」
「マ……ママ……!」
全てを見ていた村雨は分かっていた。自分の母が衰弱していることを。適切な医療も受けず。ほとんど誰の助けも受けず。そんな環境での出産など、弱って当然だ。
辛いだろう。苦しいだろう。今にも泣き出したいだろう。そんな気持ちを必死に海琴は押さえつけていた。
だって――我が子が初めて見る母の顔が泣いている姿なんて可哀想だから。せめて最後に見る母の顔は笑っているべきだ。
だから痛くても苦しくても笑うのだ。それが母親としての最後の役目だ。
「う……ぅぅ……」
そんな母に胸を打たれて。村雨も必死に涙を押さえようとする。押さえようと――やはりダメだ。止めようとしても出てきてしまう。
「ぐぅ……ままぁ……」
「村雨……こっちへ来て。ママに顔を見せて」
母親の呼びかけに無言で応える。
「あぁほんとに……あの人に似てるわ。でも私にも似て……美人になるわよ」
止めどなく溢れてくる涙を親指の腹で撫で取る。
「ママやだ……死んじゃやだ……ひとりにしないで……」
「ごめん……ね。でもひとりじゃないわよ」
――娘を。今さっき産まれた娘を。村雨を妹を前へ出す。
「妹……あなたの妹よ。『時雨』っていうの……よ」
妹を――時雨を受け取ってしまったら。母親は死んでしまう。村雨はそう思った。躊躇する。躊躇う。
でも、でもでも、これが母親の最期の願いでもあるのだ。だから村雨も唇を噛みながら――時雨を抱き上げる。
時雨は5歳の村雨でも抱き上げられるほど軽く。それでいて力強く。暖かかった。
「貴女が護るのよ。他でもない貴女が……」
「……うんっ。うん……うん」
何度も。何度も何度も頷く。
「ふ――ふっ――――」
最後の力を振り絞って海琴は――村雨と時雨の頭を――撫でた。
「護るから……絶対に護るから……」
――手がだらんと力なく地面に落ちた。海琴の目から光は消えた。体温が消えた。メラメラと燃えていた命の炎は音もなく消えていった。
村雨は泣き崩れる。しっかりと時雨を抱いたまま。冷たくなった母親へと寄り添う。
「だから……いかないで……ママ……」
大雨の中。村雨は歩いていた。まだ産まれてすぐの時雨を抱いて。大きな声を張り上げながら。
「パパァァ!!誰かぁぁ!!」
叫んだ。喉が壊れるくらいに叫んだ。しかし声はどこにも届かず。雨の中に消えてゆく。
しかし叫んだ。それでも叫んだ。泣きながら叫んだ。希望を。望みを諦めたくなくて。
父親は『妹を守ってやるんだぞ』と言った。
母親は『妹を護ってあげて』と言った。
2人とも自分を守ってくれた。2人とも護ってくれた。だから自分も守るのだ。だから自分も護るのだ。
妹だけは。この胸に抱いている妹だけは。何があっても死なすわけにはいかないのだ。
――女が立っていた。雨宮だ。村雨は気がついていない。
雨宮はまだ不快な笑顔を作っている。その目線は歩いている村雨に向けられていた。
「ママがぁ……ママを……時雨を……助けて……誰かぁ……」
女は手を伸ばす。あの時と――義久を殺す時と同じように。手を伸ばす。
村雨の体は徐々に冷たくなってきていた。力ももうほとんどない。歩くのもやっと。抱き上げるのもやっとの状態。
周りには誰もおらず。手を差し伸べる人もおらず。孤独に。絶望に。泣いて泣いて泣き喚いて――それでも声は届かない。
「ママ――パパ――」
死が近づいてくる。約束された最厄が村雨と時雨を狙う。
悪夢も。絶望も。痛みも。全てを兼ね備えた悪魔が。村雨の肩に手を置こうとした――。
――手はピタリと止まった。
ほんの少し。もう少し近づけば村雨に触れられる。それなのに――体が動かない。
理由は簡単。――近づけないのだ。
『チッ……』
金色の霧が。人間の形をした霧があった。2人分。それは顔も見えず。体の輪郭しかない。しかし――不思議と誰かは分かる。
分かるからこそ雨宮は手を引いた。千載一遇のチャンスを見逃した。見逃さざるおえなかった。
金色の霧は睨む。『手は出させないぞ』と。『お前の好きにはさせないぞ』と。『娘には絶対に危害を加えさせないぞ』と。
「――お嬢ちゃん!?」
それと同時くらいだった。警察官が走ってきたのだ。
「君は――青谷さんの家の――え、子供!?しかも赤ちゃんじゃないか!!」
警察官は村雨の家に置かれてあったカラスの死骸を見に来た人だった。夜勤なのだろうか。顔見知りなのは村雨にとって幸運だった。
安心感。今までの疲れと感情が雨に混ざって消えていく。それと一緒に力の方も消えていった――。
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