レッドリアリティ

アタラクシア

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2日目

狂気

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――動いたのは同時だった。


女は桃也の首を狙ってきた。攻撃は大きい方の刀。曲線ではなく直線。叩き切るのではなく、撫でるように。

桃也の行動は攻撃ではなかった。体を地面に落としてスライディング。波のように木の葉を舞い上げながら、女の脇を通り過ぎる。


刀は桃也に当たることは無かった。しかし避けられたと気づくのは一瞬。すぐに方向を変え、もう一度大きい方の刀を振り下ろした。

桃也もすぐに立ち上がる。向かってくる刀を――避けない。むしろ向かっていった。

「――」

振り下ろされる刀に殴りかかる。――わけがわからない。包丁ならまだ分かる。だが素手だ。鉄の拳という表現があるが、機械の腕というわけでもない。

ただの自殺行為か。それとも策があるのか。片腕を捨ててでも自分を殺しに行くという意味なのか。――どんな行動にしろタダじゃ済まない。

次がどんな行動でも自分の方が速い。この男がどんな行動をしようと、自分の小刀が相手の腹を切り裂く。

止める必要なんてない。そもそも止められない。女の刀と桃也の手は激突した――。










――ガコン。ガキンと言ったのかも。


板チョコが割れた時のように。新品の鉛筆をへし折るかのように。刀の刃は――叩き割られた。

「ぇ――」

驚く暇もなかった。呼吸する暇もなかった。思考を纏める暇もなかった。


片手に握っていた包丁を握り直す。そして女に飛びかかった。体勢を崩して地面に転げ落ちる。さっきの桃也と立場は逆転していた。

その時だ。女の頭の中に1つの疑問の答えが出てきた。――なぜ素手で刀がへし折られたのだ。理由は簡単。





まず桃也は暗闇の中で周りを確認していた。どこに何があるのか。周りはどうなっているのか。

頭に叩き込んだ情報を足し算引き算する。どうすればこの状況を打破できるのかを、考えつく限り思い浮かべる。

そうして思いついたのは、相手の武器を壊すこと。それが可能な物が近くに落ちてある。それは――だ。昨日、自分を猿から救ってくれた石を使う。

相手の攻撃に合わせてスライディング。地面を滑りながら大きめの石を手に取る。暗闇で、なおかつ一瞬の出来事。女は桃也が石を持っていることには気が付かない。

そうすれば相手はまた攻撃してくる。もちろん刀でだ。あとはそれに合わせて石を叩きつけるだけ。鋼鉄とはいえ、相手の速度と自分の速度が合わさった石の攻撃。刀は簡単にへし折れる――。





女の首筋に包丁を突きつける――。ギリギリで女は防いだ。折れた刀を捨て、桃也の包丁を握っている手を押し返す。

倒れたとはいえ、まだもう片方の刀は握っている。マウントをとっていた桃也に振るうが、攻撃が当たる前に女の腕を踏んずけた。

「っっ――!!」
「っぃ――!!」

ここで殺す。そうしなければ自分が死ぬ。桃也は両手で包丁を押し込んだ。


両腕と片腕。力では明らかに両腕の方が強い。包丁は多少の抵抗をつけつつ、女の首元に近づいていく。

(なんて力だ……!?)

桃也は驚いていた。両腕の桃也の方が力自体は強い。だが片腕でも相当の圧力があった。気を抜けば押し返されるかもしれないほどだ。

しかもこちらは押し込めている。相手は押し上げている。押し込める方が強い。当たり前だ。常識だ。なのに両腕で負けかけている。

「く――そ――っっ!!」

女の首筋に包丁の先端が突き刺さる。血が1滴。首筋に赤い線をつけながら、地面へと滴った――。





「あそこだ!!」
「捕まえろ!!」

下の方から声が聞こえてきた。思わず力を抜いてしまう――。

――女に押し返された。すぐさま女は桃也を蹴り飛ばして距離をとる。


声は十中八九、村の住人だ。しかも複数の声。数は……数える暇なんてない。ここから逃げなくてはいけない。

女の動静に注意しながら、桃也は走り出した。何度か女の方に振り返る。女は一切動く様子はなかった――。





「――椿つばき!!」

遠藤義明だ。後ろには他の執行教徒がいる。義明は走っていた桃也の方向を向き、後ろの執行教徒3人に顎で合図した。

合図と同時に走り出す3人。桃也が走っていった山の奥に向かう。


椿。さっきまで桃也と戦っていた女の名前だ。緊張の糸が切れたのか、体から力を抜いて倒れる。そんな椿を義明が支えた。

「無事か?」
「……ちょっとヤバかった」

力なく答える。殺気は消えていた。完全に義明を信頼している。全体重を義明の腕に預けていた。

「今のヤツはなんなんだ?」
「わかんない。妖怪か怪物かと思ったよ」
「そうか……無事ならよかった」


後ろから走ってくる。水色の髪――氷華だ。その後ろから猟虎。さらに後ろから蓮見と亜依が歩いてきた。

「つー姉!!」

氷華が椿に駆け寄る。義明も氷華なら任せられると判断したのか、椿を離した。

落ちる椿の体を氷華が支える。ゆっくりと木を背にして座らせた。

「無事?大丈夫?」
「大丈夫だって。心配しすぎだよ」

椿は氷華に向かってニコッと微笑んだ。


「しかし珍しいね。椿ちゃんが負けるなんて」

亜依が椿の首筋を見ながら話す。

「相手、そんなに強かったの?」
「……こんな目に会っておいて言うのもなんだけど、強くはなかったよ。私の攻撃を防いだのも運が良かったのが大きかったと思う」
「ほぅ……」

興味深そうに蓮見が自分の顎を撫でた。猟虎と義明は静かに椿の話を聞いている。

「――アイツは強いんじゃない。頭がおかしいんだよ。『狂ってる』の方が正しいかな」
「狂ってる?」
「普通は相手が殺しに来たらビビるでしょ?まぁ最初のうちはビビってたよ。だけどアイツは途中からの。自分の方が不利なのに。自分の方が殺されそうなのに」
「……」
「生きるか死ぬかの場面だよ。アイツはそこら辺に落ちてあった石で私の刀を叩き割った。異常だよ。暗くてよく見えないし、石なんかで叩き割れるかも分からない。ズレることだって普通に有り得た。……仮面でよく見えなかったけど、アイツは笑ってたの。そんな状況でね」
「んだそれ……?」
「とんでもないヤツだな」

口々に感想を言う。思ったことをそのまま喋っているかのようだ。


「……とにかくヤバいことになってるな」
「そうだね。儀式を見られてる」
「大丈夫だろ。執行教徒が殺してるさ。椿と戦って消耗してるはずだし」

どこか重苦しい空気。そんな空気を切り裂くように猟虎が話している。だが皆は猟虎の言葉に同調したのか、安心したような顔に戻る。

――約一名。蓮見以外だ。蓮見だけは思い詰めたような顔をしている。

「なんであんなヤツがこんな場所に……」
「外から来た……とは考えにくいね。こんな山奥に来るような奴はそうそういない」
「最近まではこんなことは無かった。急にこんなことになった。……まぁ考えられるのは――」
「――羽衣桃也」


その名前に氷華の体がビクッと跳ねた。

「やはりアイツか……」
「そもそもおかしかったんだ。長い歴史を持つ八月村で唯一の儀式に適さない者。こんな異常事態など起きたことがない」
「神蔵さんが言ってた。『――あの男は厄災そのもの』だって」

「なんで早くそれ言わないの」と亜依に殴られた。

「……まぁでも、これでアイツは死んだ。残されたのは妻と娘だけ」
「妻の方はに使えるだろ。ひとまずは安心だな」
「娘も将来は優秀な子供を産んでくれそうだ」
「一時はどうなるかと思ったよ」

みんなが胸を撫で下ろしている中、氷華だけは深刻な面持ちをしている。

(ヤバい……)

高鳴る心臓。流れる脂汗。狂気的な笑みを浮かべる蓮見を氷華は見つめていた。

「――炎渦登竜舞かえんとうりゅうまいは明日、予定に一切の狂いなく実行される」
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