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1日目
奇怪
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桃也が帰宅した時には既に7時を回っていた。扉を開けると「おかえりー」という声がキッチンから聞こえてくる。美結の声だ。
まだ「ただいま」も言っていない。ついさっき命の危機を体験した桃也。この声はとても安心できるものであった。
キッチンでは美結と時斜が料理をしていた。匂いからして……焼き魚だろうか。空っぽの胃袋が食事を求めてくる。動いていたからなおさらだ。
「狩りにいってたんでしょ?やったことあるっけ?」
「いや初めて」
料理の手を止めることなく聞いてくる。ちょうど米が炊き終わったようだ。
「大変だったよ……なんか猿が出てきてさ。死にかけたんだ」
「そりゃ大変だね。大丈夫なの?」
「大丈夫、疲れただけだよ。でも動物と殺し合うのは初めての経験だった」
リビングに腰を下ろす。まるでおじいさんのように「よっこいせ」と口に出しながら。
横では遊び疲れて眠っている凛がいた。気持ちよさそうな吐息を漏らし、胸を上下に揺らしている。
「にしては冷静ねぇ」
盛り付けた料理を机に運んでいる。見事な腕前だ。見てるだけで腹が鳴る。
「ウチの夫が死にかけた時はすごくてねぇ。『怖かった怖かった』って母親に泣きついてたらしくて」
笑ながら話す。命の危機が目の前に来ることなど滅多にない。普通ならそのくらいに恐怖していてもおかしくはない。
「――そーいえば桃也。仕事とかあるの?」
狼狽える。完全に考えていなかったようだ。美結もジト目で見つめる。
「えー……農作業とか?」
「農作業は大変よ。技術とか知識とか、覚えることが多いからね。初めての人がそう簡単にできるものじゃないわよ」
「あははー……はぁ」
どうするべきか分からない。考え無しでここに来たのでノープランだ。せめて知識の一つや二つを勉強してから来たら良かった、と後悔する。
「……猟師。とか考えてみない?」
「猟師……」
「こっちも覚えることが多いけど、農業よりかはやりがいがあるんじゃない?」
――猟師。その言葉によって昼間の記憶が呼び起こされた。
痛めつけられる猿。もがき苦しむ猿の声。血の匂い。生暖かい空気。異常な事態。異常な出来事。
確かに異常事態だ。それは分かっている。だが桃也にとって、生き物が死ぬ場面はそれほど珍しいものではない。
――何回も見てきたからだ。
――何回も自分の手で殺してきたからだ。
殺すことに苦労はしていない。むしろ殺さないようにする方が難しかった。
しかしここの猟師たちは違った。明らかに手馴れていたのだ。どこを切りつければ死なず、どこを殴れば苦しむのかが分かっていた。
つまり昔からやっていたということ。動物と人間は違うとはいえ、21人を拷問して殺している桃也以上に痛みに対して詳しいはずだ。
そもそも猿を狩るのに、痛みを与える必要なんてない。別に猿肉を食べた訳でもないからだ。じゃあなぜ意図的に痛めつけたのだ。
作物を荒らされたから?
人に危害を加えたから?
人の心を持っているなら、それだけじゃ理由にはならない。価値観の違いもあるのだろうが。
――もしかしたら、痛めつけることこそが『目的』なのかもしれない。それだと「儀式」という言葉にも説明がつく。
「もし……人間にもしているなら……」
考えすぎか。いや、そうとも言えない。この村は長年孤立している。閉鎖的な空間だ。何があってもおかしくない。
「――痛っ!?」
美結の声に反応する。考えていた脳がピタッと停止した。
「あっ、ごめんなさい!ついうっかりしてて……」
「これくらい大丈夫ですよ。手を切っただけですし」
「本当にごめんなさい。久々に新しい人が来て、ちょっと浮かれてたわ」
どうやら皿を落としてしまったようだ。飛び散った破片が美結の手をかすってしまったらしい。
大きな怪我ではない。近くの救急箱を美結と時斜の所へ持っていく。
「こんなのかすり傷です。平気ですよ」
「本当……?」
狩りの時。あのことをまた思い出した。もしかしたらワザと怪我をさせたのかも――。
「……って考えすぎだな」
箱を置いて、眠っている凛の横に座る。まだ来て初日。しかも色々とあった疲れているのだろう。
ストレスが溜まっている……と考えることにしておく。
夕食後。3人はひとつの大きな布団に入っていた。
縁側から月光が刺している。それでも暗い。街ではこの時間帯でも昼間のように明るかった。……それはちょっと誇張したが。
凛はすやすやと寝ている。さっきまで眠っていたはずだが、もう深い眠りについていた。
「頬の傷は大丈夫?」
「あぁ。問題ないよ」
起きないように小声で話す。
「初日から大変だったな……殴られたり、狩りに連れていかれたり」
「バタバタしてたね」
「……この村で暮らしていけそうか?」
美結は顎に手を当て、少し考えた後に話し始めた。
「――分かんない。だけど飽きることはなさそう」
「そうか……」
疑問は多い。不信感は強い。桃也は確信していた。――この村には何かがある。
「……」
気になっては止められない。人間が動く根源的な理由は「興味」によるものだからである。
桃也は瞼を閉じる。とりあえず動くのは明日。全ての疲労を布団に預け、意識を暗闇へと押し込んだ。
まだ「ただいま」も言っていない。ついさっき命の危機を体験した桃也。この声はとても安心できるものであった。
キッチンでは美結と時斜が料理をしていた。匂いからして……焼き魚だろうか。空っぽの胃袋が食事を求めてくる。動いていたからなおさらだ。
「狩りにいってたんでしょ?やったことあるっけ?」
「いや初めて」
料理の手を止めることなく聞いてくる。ちょうど米が炊き終わったようだ。
「大変だったよ……なんか猿が出てきてさ。死にかけたんだ」
「そりゃ大変だね。大丈夫なの?」
「大丈夫、疲れただけだよ。でも動物と殺し合うのは初めての経験だった」
リビングに腰を下ろす。まるでおじいさんのように「よっこいせ」と口に出しながら。
横では遊び疲れて眠っている凛がいた。気持ちよさそうな吐息を漏らし、胸を上下に揺らしている。
「にしては冷静ねぇ」
盛り付けた料理を机に運んでいる。見事な腕前だ。見てるだけで腹が鳴る。
「ウチの夫が死にかけた時はすごくてねぇ。『怖かった怖かった』って母親に泣きついてたらしくて」
笑ながら話す。命の危機が目の前に来ることなど滅多にない。普通ならそのくらいに恐怖していてもおかしくはない。
「――そーいえば桃也。仕事とかあるの?」
狼狽える。完全に考えていなかったようだ。美結もジト目で見つめる。
「えー……農作業とか?」
「農作業は大変よ。技術とか知識とか、覚えることが多いからね。初めての人がそう簡単にできるものじゃないわよ」
「あははー……はぁ」
どうするべきか分からない。考え無しでここに来たのでノープランだ。せめて知識の一つや二つを勉強してから来たら良かった、と後悔する。
「……猟師。とか考えてみない?」
「猟師……」
「こっちも覚えることが多いけど、農業よりかはやりがいがあるんじゃない?」
――猟師。その言葉によって昼間の記憶が呼び起こされた。
痛めつけられる猿。もがき苦しむ猿の声。血の匂い。生暖かい空気。異常な事態。異常な出来事。
確かに異常事態だ。それは分かっている。だが桃也にとって、生き物が死ぬ場面はそれほど珍しいものではない。
――何回も見てきたからだ。
――何回も自分の手で殺してきたからだ。
殺すことに苦労はしていない。むしろ殺さないようにする方が難しかった。
しかしここの猟師たちは違った。明らかに手馴れていたのだ。どこを切りつければ死なず、どこを殴れば苦しむのかが分かっていた。
つまり昔からやっていたということ。動物と人間は違うとはいえ、21人を拷問して殺している桃也以上に痛みに対して詳しいはずだ。
そもそも猿を狩るのに、痛みを与える必要なんてない。別に猿肉を食べた訳でもないからだ。じゃあなぜ意図的に痛めつけたのだ。
作物を荒らされたから?
人に危害を加えたから?
人の心を持っているなら、それだけじゃ理由にはならない。価値観の違いもあるのだろうが。
――もしかしたら、痛めつけることこそが『目的』なのかもしれない。それだと「儀式」という言葉にも説明がつく。
「もし……人間にもしているなら……」
考えすぎか。いや、そうとも言えない。この村は長年孤立している。閉鎖的な空間だ。何があってもおかしくない。
「――痛っ!?」
美結の声に反応する。考えていた脳がピタッと停止した。
「あっ、ごめんなさい!ついうっかりしてて……」
「これくらい大丈夫ですよ。手を切っただけですし」
「本当にごめんなさい。久々に新しい人が来て、ちょっと浮かれてたわ」
どうやら皿を落としてしまったようだ。飛び散った破片が美結の手をかすってしまったらしい。
大きな怪我ではない。近くの救急箱を美結と時斜の所へ持っていく。
「こんなのかすり傷です。平気ですよ」
「本当……?」
狩りの時。あのことをまた思い出した。もしかしたらワザと怪我をさせたのかも――。
「……って考えすぎだな」
箱を置いて、眠っている凛の横に座る。まだ来て初日。しかも色々とあった疲れているのだろう。
ストレスが溜まっている……と考えることにしておく。
夕食後。3人はひとつの大きな布団に入っていた。
縁側から月光が刺している。それでも暗い。街ではこの時間帯でも昼間のように明るかった。……それはちょっと誇張したが。
凛はすやすやと寝ている。さっきまで眠っていたはずだが、もう深い眠りについていた。
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起きないように小声で話す。
「初日から大変だったな……殴られたり、狩りに連れていかれたり」
「バタバタしてたね」
「……この村で暮らしていけそうか?」
美結は顎に手を当て、少し考えた後に話し始めた。
「――分かんない。だけど飽きることはなさそう」
「そうか……」
疑問は多い。不信感は強い。桃也は確信していた。――この村には何かがある。
「……」
気になっては止められない。人間が動く根源的な理由は「興味」によるものだからである。
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