皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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3章

65 柔らかな名残

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「北側の様子を再度確認させましたが、特に大きな変化はないということです」
 漢登の言葉に、陵瑜は深く息を吐いて額に手を当て、うなだれる。

「では、侵入経路は、北側ではないのか……」
 

「殿下方の居住する宮に隣接しておりますので、警備が厚い場所でもありますが……」
 机上に開いた建物の配置図を指しながら眉を寄せた漢登に陵瑜も頷いて応える。
「それを掻い潜って侵入しているのならば相当な手練れだ……蝕の郷の者の可能性もあるか……」
 
「ですが、霜苓様と接触しているという事でしょうか……」
 それはあり得ないのではないか、と言いたげな漢登に己も同感だと頷き、机に頬杖をつく。

「もしかしたら霜苓も気配を感じているだけで、接触をしていないのかもしれない、しかし……」

 飛刀を握り込んだ手をゆっくりと開き、窓から差し込む日差しに翳せば、キラリと鋭利な輝きが翻る。
 早朝、見回りの兵が発見し、届けられたものだ。

「霜苓のものに間違いないのだ……そして、この先の状態は……」
 
 指を滑らせ、先端を弾く。本来ならば鋭利に尖っているはずの飛刀の先端は、何か硬いものに弾かれたのか、先端が折れ曲がり先が潰れている。

「投げる必要があった……そして間違いなく、相手もそれを正面から弾いている……と言うことですよね。霜苓様はなんと……」

漢登の言葉に、陵瑜は首を振る。
 
「いや、なんでもないと……なぜ話そうとしないのか……話す必要がないと思っているのか……分からない」

 昨晩、霜苓は珍しく、陵瑜の手を離す事なく眠った。いつも彼女は、陵瑜の行動に、戸惑う様子を見せる事が多く、いつの間にかススッと離れている事が多い。そんな距離感だったのだが、昨晩のあれは何かが違った。

「とりあえず警備を増やすように手配いたしましょう」
 
トントンと、机を叩いて、呟く漢登に対して、陵瑜はゆっくり首を振る。
 
「いや、そのままにしておいてくれ……」

「何故です?」
 すぐさま、意図を図りかねると鋭い視線で返され、陵瑜は肩をすくめる。

「霜苓が、何も言わないのに警備が厚くなれば、警戒されるだろう? 状況が変わらなければまた現れるかもしれない。しばらく様子を見たい。その代わり、霜苓から目を離すな」

「……承知しました」
 何かを言いたげに……しかしどうにか飲み込んだ漢登は、渋々といった様子で頷くと、退出して行く。

 その背中を見送ると、椅子に深く腰掛け、天を仰ぐ。
 己の手をかざして、握ると、瞳を閉じて唇に寄せる。

 見慣れた無骨な己の手だが、朝まで、霜苓の小さくて柔らかな手に包まれていた温もりがまだ残っているように感じるのだ。
 
 昨晩から早朝にかけて、何度も彼女の手を強く握りしめて、どこにも行くなと言うのを堪えた。

 すうすうと寝息を立てはじめた彼女の寝顔を眺めながら、眠れぬ夜を過ごした。
 眠ってしまったら、霜苓があの時のようにいなくなってしまうような気がしてならなかったのだ。
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