皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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2章

52 招かざる者③

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「お一人……何の後ろ盾も持たない者を娶られたのであれば、均衡を取って殿下の役に立つ者を娶られるべきと進言申し上げます!」

 今にも立ち上がらんばかりの勢いで、力説する男を陵瑜は冷ややかに見つめる。
 

「それで、お前の妹を……娶ればいいと……」

「我が家は、ご存知の通り、いく人もの優秀な政治家を排出しております。王妃の生家として申し分はございません。お心を通じた方を妻にされ、お子様もすでにお産まれとの事。殿下は主君としての才覚をお持ちです。あと必要なものは、強靭な後ろ盾かと……」

 しかし呆れ半分につぶやいた言葉はどうやら、彼等には陵瑜が自分達の意見に耳を傾けたように聞こえたらしい。

 饒舌に語り出すのは周家の長男周櫂真かいしんで、その隣では泣き腫らして腫れた瞳をわざと強調するような、まるで酔っ払いのような化粧を施した妹の春芽しゅんめいが、瞳をうるうると潤ませて陵瑜を熱い視線で見つめている。

 この兄妹の、一方的かつその場の空気が読めない所が前々から陵瑜は苦手だったのだ。
彼らの祖父は二代前の左丞相で、現在はその息子である彼らの叔父がその跡目を継いでいる。しかしその叔父である現左丞相は子に恵まれず、姉の息子である櫂真が養子となり跡取りとなる事が決まっているらしい。

 祖父や叔父に続き、自身も皇帝の寵臣に上り詰めようと野心を燃やす櫂真は、自らの妹を次期皇后にし、皇帝の外戚となる事で自身の立場を盤石にしたのだ。昔から隙きさえあれば、陵瑜に媚を売ったり自分の有能さを売り込んで来るのだが、残念ながら陵瑜の臣下達と比べれば小物感が強い。

 来たる陵瑜の御代に彼を厚遇するかと聞かれれば、家柄を忖度して、忠臣の末席に名を置かざるを得ないだろうと、頭を悩ませる程度の者である。

 彼らの言うように、たしかに時には後ろ盾が必要かもしれないが、家柄だけの彼らが後ろ盾となるのかは、はなはだ疑問である。

 その程度の彼らであるから、正直今回の件で春芽の輿入れを諦めてくれないだろうか、という淡い期待は、裏切られることとなった。

 彼らはどうやらどこかで、霜苓に後ろ盾がないと嗅ぎつけたらしい。少し方向性を変えて、心の妻の他に表向きの妻が必要だろうと、切り込む方向に方針を変えてきたらしい。

 皇帝や皇太子が多くの女を囲うことは、当然であるから、寵妃がいようとも正妻として扱うならば目を瞑ると言いたいのだろう。

 しかし……

「私は、幼い頃より殿下に嫁ぐものとして教育を受けてまいりました。王妃として、殿下や今回お迎えになった妃や姫様の生活のお邪魔をするつもりは一切ございません。ただ国のために、殿下の御代のために、私はお役に立ちたいと思っているのです」

 大きな瞳いっぱいに涙を貯めて、祈るように陵瑜を見上げながら、見るものが見れば健気な様子で春芽が言い募るのを、陵瑜は思いっきり胡散臭い視線で見返すのを我慢した。

 本音で言えば、無能で愚鈍な彼女の兄とは少し違い、実のところ春芽はなかなか強かな所がある油断ならない女なのである。

 長いこと妻を娶ろうとしなかった陵瑜に、なぜ陵瑜が認めても居ないのに、妃の筆頭候補がいたかと言えば、彼女の立ち回りが大きく影響する。
 彼女はその天性の整った可愛らしい顔つきと、なぜかどのような場面でも自分が物語の主人公然とできる厚かましさ、そして利用できる者を見極める嗅覚に長けている。
 幼い頃より、皇太子である陵瑜には当然、数人の婚約者候補が居たが、その全てを蹴散らして、一人だけが筆頭候補として君臨し続けていたのがその証拠である。
 時に「私の恋路を応援してくださいませんか?」と相手を籠絡して手を引かせたり、それが通じない相手には他の男を近づけてみて「殿下の妃として数多の女の一人でいるよりも、想ってくださる方に大切にされる生涯のほうが幸せでしょうね」などと言って恋仲を取り持ったり……とにかく誰も敵を作ることなく巧妙に敵の人数を減らし、その座に居座っていたのだ。
 ちなみに彼女の行い全て、同じように婚約者候補だった蘭玉に見聞きさせた事だ。

 この女だけは絶対に自分の後宮に入れるつもりはないし、霜苓にも近づけさせたくはない。

 霜苓と、春芽……合わない組み合わせがぶつかった時、何が起こるか考えただけで恐ろしい。

 それに、今は「形ばかり皇后の座につくのは不満ではない」と言っている彼女のその言葉が本心とは到底思えないのだ。
 彼女は、目的のためなら手段を選ばない野心家だ。今はそんな事を言っていても、いずれ確実に次期皇帝の生母となるために、霜苓や珠樹を追い落とす算段をつけ始めるに決まっている。
 この国、この宮廷の中を泳ぐノウハウを持った彼女と、物理的に自身の身を守ることしか出来ない霜苓……どちらに軍配が上がるかは明白である。
 だからこそ危ない芽はここで断ち、今後一切陵瑜が彼女を受け入れない姿勢を作らねばならない。

 うるうるときらめく春芽の瞳から視線を外し、一度だけ大きく息を吐いて、陵瑜は意を決する。

 ちょうど、部屋の扉が開いて、女官が陵瑜の分の茶を持って入室してきた。
 いらんと言ったのに、話が長くなっているからと、誰かが気をきかせたのだろう。

「必要ない」と固辞しようと、その女官を見て、陵瑜はぎょっとした。

 茶器を両の手で支えて、しずしずとこちらへ歩いて来て、すっと音もなく卓の上に茶を置く黒髪の娘……凛とした背筋に勝ち気な瞳は女官のふりをしているせいか伏し目がちで……あぁ女官の姿も似合うのだ……と場違いにも見惚れてしまったが……

 一番この場に居てはいけない人物である。

 霜苓が、なぜここに!?

 思わず、彼女の後ろに控える女官(よく見たら霜苓付きの女官だ)に目を向け、その後方で顔を引き攣らせる臣下達を見るも

 皆が、諦めろというように、遠くを見つめて首を振っている。

 当の霜苓は混乱している陵瑜の事など構わぬ様子で、茶器を置くと本当に普通の女官のような素振りで、後方へ下がって行った。
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