皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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2章

46 かけひき

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翌朝、いつも決まった刻限に珠樹の往診にくるはずの代榮が、随分と遅くに顔を出した。

「今日は遅かったのだな」
 
 挨拶にやってきた彼に何気なく声をかける自分の性格も悪いものだと内心で苦笑した陵瑜に、彼は「申し訳ございません」と何を説明するでもなく謝罪した。

 それ以上深く追求することはせず珠樹の部屋に共に向かい、診察に立ち会う。
 熱も下がり十分体力がついた珠樹に、彼が施す事は少なく、体調の確認を行って短時間で、終了した。

「本日は妃殿下のお姿が見えませんが……」

 何気なさを装って聞いて来た代榮の言葉に白々しく首を傾ける。
 
「出立の準備にバタバタしているらしいのでな……そうだ代榮、肌荒れやかゆみに効く薬はないだろうか?昨晩、慣れない事をしたせいか、霜苓の身体に湿疹が出来てしまったらしくてな」

 そう告げれば、代榮の表情が固まる。

「妃殿下も……でございますか……」
 
 驚いたようなその様子に陵瑜は内心でやはりか……とつぶやく

「も……とは?」

「……いぇ……。かゆみも伴うとのことですので、後ほど塗り薬などをお持ちしましょう」

 早口で、何事も無かったように話を終える代榮を、陵瑜は、何も気にしていないふりをしながらも、そっと観察する。

しかし、腐っても皇族に仕える医官、代榮の顔色に変化はなかった。

「まぁなんとなく検討はつくがな……お前が関わっていないようで良かった、苦労するな」

「っ、宮廷医でございますから……」

 陵瑜が何かを含んで労った言葉に、彼が息を飲み、そして言葉を濁して一礼すると、早々に退出してい行く。


 

「どうでした?」

 あえて外していた漢登が戻り、問うて来るので陵瑜は肩をすくめて見せる。

「多分、代榮は関わっていないな……ただ朝、彩杏が大騒ぎをしたのだろう。そしておそらく昨晩の宴で毒を誤って摂取した可能性があると、吐いたのだろうよ、自分の肌がただれる前に適切な処置をしたかったであろうからな。ではもともと誰に使ったものだろうか……代榮はその相手までは聞けなかったのだろう。霜苓だと言う事を匂わせておいたから、おそらく彼の中で全てが繋がったはずだ」

「どうされるでしょうか……」

「おそらく同じ情報を碧宇も事実として知る事になるだろう。自身の妻の速った行動をな……。これで今回、ここで世話になった借りを騒がない事で、あいこにできた。今後これを盾にしのごの言われず済む」

「霜苓様はそれで納得を?」

漢登の言葉に、陵瑜は渋い顔をする。
「納得も何も、霜苓は霜苓で自分で落とし前をつけたから、この件には満足しているさ」

 ちょうど時を同じくして、扉を叩く音が響き、霜苓が顔を出した。
 頬が僅かに赤みを帯びているものの、痒みなどは自前の薬で軽度に落ち着いている。

「代榮は戻ったか?」

「あぁ、あとから薬を持ってくると……」

「いらないのに……」

 肩をすくめる霜苓に、陵瑜はまぁまぁと苦笑する。
 
「まぁその辺りはこちらの都合だから、受け取って、あとは好きにしろ」

「そういう事なら、そうする。宮廷医が持ってくる薬がどんなものかも気になるし」

 霜苓らしい返答に、頬を緩めると、近づいてきた彼女がじっと陵瑜を見あげた。
 

「私のした事は余計な事だっただろうか? もし多大な迷惑をかけたのならすまない」

 どうやら一晩、彼女なりに少しは考えたのだろう。
 眉を下げる、不安そうな表情が愛おしくてつい頬が緩む。
 
「いや……むしろいい方向に働いたから、気にするな。だが、今後は教えてほしい」

「分かった。すまない」

 しょんぼりとしながら詫びた霜苓に、もっと近くに来るよう手招くと、彼女は不思議そうな顔をしながら、しかし素直に近づいてきた。

「隈ができているな。やはり痒みで眠れなかったか?」

 手を伸ばし、当て布をした頬に触れると、彼女の瞳がわずかに見開かれ、ついで小さく首を横に振られた。
 
「いや、久しぶりの潜入で気の高ぶりが落ち着かなかったんだ」

 やはり難なくこなしたように見えても、随分と神経を研ぎ澄ませていたのだろう。その上、毒が皮膚に熱を持たせでいるため、身体の調子も振るわないようだ。

「少し休め。大勝負は終わったのだ。これからまた移動も控えている」

 珠樹の側には俺が付いているから……と告げれば、一度珠樹に視線を移した彼女は少しだけ頬から緊張を解いたように見えた。 

「……すまない。そうさせてもらう」


 素直に従うところをみると、やはりどこか自身の不調を感じているのだろう。少し前ならば「大丈夫だ、なんでもない」と誤魔化そうとしたであろう。思わず顔がほころぶのを我慢して、霜苓が部屋を出るのを見送ると、置いて行かれたせいだろうか、それまで大人しく眠っていた珠樹が、ふえぇっと泣き始めたので、慌てて抱き上げる。泣き声を聞きつけて霜苓が戻ってきてしまってはいけない。


 軽く揺らして背をトントンと叩くと、まだ眠たいのだろう。一度だけうっすらと暗緑色の瞳を開いた珠樹が、またとろりと目を細めて……閉じた。
  
「しかし、何故今頃になって彩杏が霜苓にそんな事をしたのだろうか……控えめな、あの娘らしくないな……」

 珠樹が眠りに落ちていくのを確認しながら、小さくつぶやく。陵瑜の知る彩杏は、さほど苛烈な性格でもなく、婚約者候補の娘たちの中では控えめで分をわきまえていたように思えた。だからこそ、皇位継承の可能性を持つ碧宇の妻として選ばれたのだ。

「本気でそうお思いなのですか?」

 しかし、どうやらそう思っていたのは自分だけだったらしい。漢登の意外そうな言葉に陵瑜は苦笑する。

 幼い頃から、陵瑜のことだけではなく、陵瑜を取り巻く全ての子供達と関わりを持っていた彼がそう言うのならば、自分の知らない彼女の一面があるのだろう。

「お前たちには心当たりがあるのだな」

「本当に殿下は霜苓様にしか興味がないのですね」

 呆れたように返されて、たしかにな……と陵瑜は肩を竦めた。
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