皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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2章

36 恥ずかしい相談

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 どうしたら妻の役目をそれらしく演じられるのか……一晩中考えたものの、結局行き着く先は、圧倒的な知識と感覚の足りなさだった。

 「霜苓様、どうなさいました? 上の空ですね」

 少し寝不足な頭で、堂々巡りを繰り返していると、やはり気がそぞろになっていたようで、気がついたら汪景の育ちの良さそうな整った顔が、心配気に霜苓を覗き込んでいた。

「っ……すまない……」

「考えごとですか? 少し休憩にしましょう」

 慌てて居住まいを正す霜苓に苦笑を浮かべた汪景は、手にしていた書をパタリと閉じる。

「すまない、せっかく時間を割いてくれているのに」

 陵瑜の補佐の仕事も兼務しながら、霜苓の指導にもあたってくれている汪景に対して、肝心の霜苓が気を散じていては意味がない。

 申し訳ない思いで眉を下げる。
 
「そんな事もありますよ。むしろ今までずっと、よく集中なさっていたと思います。思いがけずその成果を発揮できたのですから、師としては教え甲斐があります」

 しかし、そんな霜苓とは裏腹に、彼はそんな事大した事ではないというように、カラリと笑い飛ばし、なんなら褒めてもくれるのだ。
 流石、皇太子の側につくだけの男である。懐が深い。
 
「ぼーっとしている場合じゃないな」

 胸の奥から深く息を吐き、自分を戒めるようにつぶやけば、やはり彼は出来た男で、スススッとさりげなくお茶を差し出してくれる。
 
「時には休息も必要です。根を詰めすぎるのも良くないですからね。それに……何か引っかかることがおありなのではないですか?」

 しかも、霜苓の心の中まで見透かしているときた。

 本当にどこまでも優秀な男だ。

 そんな汪景に「なんでもない」と隠し立てすることなど出来ようはずもない。
 
どうせ、霜苓1人でもどうにかできる事でもないわけで、近々彼に何かわかりやすい書物はないだろうかと相談しようかとも考えていたのだからいい機会だろう。
 
 
「実は、気づいてしまって……。確かに所作や言葉遣いは訓練でどうにかできる……でも私にはわからないことが一つあるんだ。陵瑜の求めている事に必要な決定的なことが……」

 意を決して口に出してみる。しかし、こんな事をどこからどう説明していいのやらわからない。辿々しい言葉になっている事に、なんだか情けなさを感じて来た。

「わからないこと? 決定的なことですか?」

 しかし、皇太子の有能な側近は、そんな霜苓の言葉の中から決定的な言葉だけを抜き出して、しっかりと話に耳を傾けてくれる。

 そんな汪景を一瞬じっと見つめて、霜苓は観念したように口を開いた。

「夫婦とはどういうものなのだ? 腰を抱かれたり、頭を撫でられたり……そういうことをされた時にどう反応するのが正解なのか、よくわからないのだ。その……両親はつがいというだけで、あのように、人前で触れ合う事はなかったので……」

 勢いに任せて一気に捲し立てた。恥ずかしい! 腰を抱かれただけで反応に困りドギマギしていたなんて白状するのが非常に恥ずかしい。
 
 汪景は妻帯者であるとも聞くから、きっと何を今さらこんな事を……と呆れるだろう。もしかしたら返答に困ってしまうかもしれない。
 
 申し訳ない思いで汪景の返答を待とうと、背筋を伸ばし、彼を見る。
 しかし彼は瞳を見開いて、笑みを貼り付けたまま固まっていた。
 
「っ……すまない……忘れてくれ……」

 やはり聞いてはいけなかったのだろう。慌てて手を振って、茶を流し込む。

 顔が尋常ではないほどに熱を帯びてくる。
 
 やはりこんな事、聞くべきではなかったし、普通ならば学ばなくとも自然と知る事なのだと、後悔の念が押し寄せる。
 
「いいいいいえ、いやいやいやいや……大切なことです‼︎  自己完結しないでください‼︎ 」
 
 ハッとした汪景が、ガタンと椅子の音を立て、立ち上がり、引き止めるように叫ぶ。
 
「それは、つまり、殿下と夫婦らしく見せるために、夫婦らしい触れ合いに対する対処法を覚えたいということですよね!?」
 
 噛み砕くように、早口で言い直されて、更に顔が熱くなるが、しかし、もう後には引けない。

 こくりと素直にうなずく。
 
「っ……そうだ。残念ながら私にはそんな経験はもちろん、そうした場面を見ることもなかったから……」

「どうしたら良いのかわからないと……」
 
「そうなんだ……」

 二人の間に沈黙が流れた。正直もう、この沈黙ですら、霜苓には恥ずかしくて耐え難い。
 きっと汪景を困らせるほどに常識外れた事を聞いてしまったのだ……。
 
「なる……ほど……」
 
 噛みしめるように、うなずいた汪景の声はわずかに震えているような気がした。
 
 妻帯者の彼ならば、その幼稚な悩みに呆れても仕方がない。
 
「やっぱり忘れてくれ……陵瑜に、直接言う……」

「いえ! なりません! それ……殿下にそのままお伝えすれば……いろいろ鬱陶しくなるのでやめましょう!」
 
 気を取り直したように顔を上げた汪景が、引き止めるように声を上げる。陵瑜の臣下の中ではかなり冷静沈着な彼が、なかなか感情を露わにしているのも珍しい。

「少しお待ち下さい」と言ってしばらく宙を見上げて何かを考え出した彼が、「大丈夫です!」と微笑んで背筋を正した。

「そういうことでしたら……明日までお待ち下さい。最適な者が参りますから!」

「参る?」

 ニコリと微笑んでうなずかれ、意味が分からないと霜苓は首を傾ける。
 
 その意味を霜苓が理解したのは、予告通り翌朝のことだった。
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