皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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2章

34 異母弟

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「あなたが、霜苓様ですね?」

 涼しげで、中性的な顔立ちは、不思議と陵瑜とどこか似ているものの、琥珀色の瞳が随分と二人の印象を隔てている。その顔を見て、流石に疎い霜苓でも、彼が誰なのかは分かった。


「あなた様は、もしや碧宇殿下?」

 汪景は随分と優秀な師だ。反射的に振り返ることはせず、ゆるりと身体の向きを変えて、コテンと小首を傾ける。

 こんな緩慢でまどろっこしい動作をしたことが、今まであっただろうか。

 それが自然に板につくようにできたのは、ここ数日の汪景の熱心な指導の賜物である。
 
「お会いしたいと思うておりました。いかにも私が、碧宇です」

 そう言って近づいてくる、やはり立派な衣に身を包んでいる男は、陵瑜の弟である碧宇皇子で、この邸の主であるらしい。

 霜苓の前まで悠々と歩いてきた彼は、霜苓が形式的に礼を取ろうとするのを手で制すと「非公式な場ですゆえ」と柔らかく微笑む。

 整っているとはいえ、どちらかといえば、男っぽい顔つきの陵瑜に比べ、中性的な甘い顔立ちに微笑まれ、霜苓は落ち着かない気分になる。

 郷や任務で美しい女性とは出会うことはあっても、異性でこれほど美しい顔立ちの男に出会ったことはないように思う。
 
 陵瑜もたしかに整った顔立ちをしているが……皇族というものは、こうも皆顔が整っているものなのだろうか。
 
 「霜苓で、ございます。此度は娘のために、お手をお貸しいただきありがとうございます」

 一言ひとこと注意して言葉を紡ぐ。抑揚や声の張り方、言葉遣いまで、随分細かく指摘されたことを思い出しながら、それだけの事を話すだけで、かなりの神経を使う。しかし、ここで中途半端な対応を見せてしまって、裏を探られるのは避けたい……というのが汪景を含めるその他の側近達の想いのようだ。

 陵瑜自身は「そんな事は俺がしっかりとしていれば良いことだからあまり気負うな」と言ってくれてはいるのだが……

 やるからには、できるだけ依頼人の陵瑜の足を引っ張りたくはない。

本当であれば、もうしばらく先……陵瑜と共に祝の宴に招待を受けた際には完璧である事を目標にしていたのだが、思いがけないところで、警戒対象である碧宇皇子と出くわしてしまったのだから仕方がない。
 
 流石というべきか……背後に控えている漢登は何食わぬ顔をしているが、内心は間違いなく冷や汗をかいているであろう。
 
「いえ、待ち望んだ兄上の御子……私にとっても大切な姪子の一大事でございます。お手を差し伸べない選択肢などございません」

 そんな霜苓一行の腹の内などお構いなしに、碧宇皇子はとんでもないというように首を振り、人のいい笑みを浮かべる。

 持ち前の美しい顔とその優しげな様子に「なるほど、これは強敵かもしれない」と本能的に納得する。

 こんな美しい顔に柔らかく微笑まれ、挙げ句娘の命を助けてもらえたのだから、常人であれば、さほど悪い人間ではないのではないかと絆されることもあるかもしれない。

 しかし、幼い頃より全てを疑い、密偵としての訓練を受けてきた霜苓には、その優しげで……一見美しい琥珀色の瞳の奥にゆらめく念が見えるような気がした。

 得体がしれない……胸の奥がざわざわと騒ぎだすのを飲み込むように、霜苓は「殿下にそのように言っていただけますことを嬉しく思います」と、努めてか弱く可憐に微笑んで見せる。

 霜苓の素性については、陵瑜とその臣下達との間で、どの程度を真実としてどの程度を上手くごまかすかで割れている。全てを嘘で塗り固めるのは後にボロが出た時にまずいのだという。ある程度、真実を織り交ぜていたほうがごまかしやすいらしい。
 その辺りは霜苓にはよくわからないので、彼らに任せることにしているが、とりあえず淑やかな娘のふりをしておくべきだろうと判断した。

 ほんの一瞬、目の前の碧宇の瞳が細められるのを霜苓は見逃さなかった。彼自身が今現在霜苓の言葉遣いや抑揚、そして動きから霜苓の素性を引き出そうとしているのだろう。

 何か彼の中で今の霜苓の仕草が響いた事を悟る。いったい彼が霜苓をどの枠にはめようとしているのか……正直この状況からでは判断が付きづらく、また霜苓側にも情報が不足している。

「何か困りごとや必要なものがありましたら、遠慮なくお申し付けください。兄にも伝えておりますが、昔からどうも私には遠慮がちで……」

 困っているのだと眉を下げて自嘲した碧宇に霜苓はゆっくりと首を横に振る。

「殿下のご厚意のおかげで不自由なく生活をさせて頂いておりますゆえ、これ以上のことなどございませんわ。夫もそのように思うておりますので……」

 言いかけたところで、後方の回廊にバタバタと騒がしく足音が響く。霜苓たちを追うように近づいてくるその音は、歩き方の癖から、陵瑜の足音だとすぐに判別できた。

「碧宇っ! 突然どうしたのだ!?」

 息を切らせるほどではないにしても、それでも随分急いできた様子に、霜苓は内心でほっと安堵の息をつく。

 どうやら先触れか……もしくはこの状況をみとめた臣下の誰かの情報で、慌てて飛んできたらしい。

 ずんずんと近づいてきて、霜苓の前に立った彼がどんな顔をしているかはわからないが、なんとなく気が立っているのは理解できた。

 それほどまでに、異母弟を警戒しているのは、どういうことなのだろうか。霜苓には検討がつかないが、後からきちんと聞いておくべきだろうと胸の内に仕舞って成り行きを見守ることにした。

「いえ、少し時間が空きまして……この邸も久方ぶりに人を入れたものですから、あちらこちらに修繕を検討すべき場所が見つかったと報告を受けましてね。様子を見にきたのです。大切なお客様をお迎えしている以上、兄上や奥方や御子に何かあってからでは遅いので。ついでに霜苓様にご挨拶までできて、幸運でございました」

 ニコリと、微笑まれて、霜苓は形式ばかりの笑みを返すが、瞬間、陵瑜の纏う空気がピリリと凍てついた。

「まだ落ち着かぬゆえ、急な来訪は控えて欲しい。霜苓も連日の看病で疲れている。お前相手では気を使うなというのも無理があるだろう。せめて先触れをよこせ」

諭すような低い声は、随分と感情を抑えているように聞こえる。はっきりと牽制する言葉は陵瑜からの拒絶の意を十分にあらわしていた。

「確かにそれはそうですね……失礼いたしました」

 そんな陵瑜の様子など異に返した素振りも見せず、にこりと優美に微笑んだ碧宇が「これ以上兄上のご不況を買わぬ内に、また出直しましょう」そう冗談めかして、霜苓に肩をすくめてみせる。 

 優雅な動作で踵を返したその背を、隣に立つ陵瑜が焦れたように見送る気配を感じる。

 いやにのんびり帰って行く姿は間違いなく陵瑜を挑発していて……それだけでこの兄弟がいかに相容れない関係なのかと言うことが伝わって来た。



 
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