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2章

29 足止め

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 国境を超えてから7日が経過した。

 馬車に揺られる霜苓の頬を撫でる風が、温かい。温暖な南に向かっている証拠である。

 もうしばらく行けば、上弦のある上州だ。

 長旅に終わりが見えていることに、安堵を覚えつつ、このまま動きを止めることに不安を感じることもある。しかしそれとは裏腹に、幼い珠樹をこれ以上落ち着かない環境に置くこともはばかられ、早く一日中揺れる生活から開放してやらねばと想っていた矢先の出来事だった。

「陵瑜……珠樹を触ってみてくれないか?」

 起き出した珠樹を抱き上げた霜苓は、すぐに隣に座る陵瑜に声をかける。

突然の霜苓の深刻な声に、陵瑜が首を傾けて珠樹の頬にそっと触れて……

「熱が、ありそうだな」


 赤子というものは体温が高いものではあるが、今までにない異常な熱さに二人で顔を見合わせて眉をひそめる。

「朝から少し乳の飲みも悪いんだ。寝起きなのに機嫌も良くないし……疲れが出たのかもしれない」

 思えば朝から「おや?」っと思ったことがいくつかあるのを思い出し、何故もっと早く気付けなかったのだろうと、唇を噛む。

「次の街で医者に見せよう」

「だが、今日中に上州に入りたいと……」

 確か誰かを待たせていると……そんなような内容の話を彼等がしていたのを、聞いていたため、大丈夫なのかと問うてみると……

「そんなことは、なんとでもできるからどうだっていい。とにかく次の街で宿を取るよう、伝えてくる」

 そんな事は些事だと、言い捨てて、珠樹を抱いたままの霜苓を「危ないから」と座らせると御者席に向かって行ってしまった。

 幌の向こう側で、御者達に状況を話す声を聞きながら、霜苓はぼんやりとこちらを見上げる愛娘を抱き直す。

「珠樹……すまない」

 つい数日前に、生まれて4ヶ月を迎えたばかりだ。ここまで過酷な中、よく元気でいてくれたものだとしながらも、やはり小さな体に負担をかけていたことを後悔する。
 
 陵瑜と御者達の計らいで、次の街には正午には到着した。すぐに宿屋に医者が呼ばれ、案の定医者からは疲れによるものだろうと診断を受けた。

 薬を出され、しばらく休ませるよう言われたが、やはり高熱でつらいのだろうか、珠樹は抱いていないと上手く眠れない様子で、終始抱いている時間が続いた。

 少し休むよう、陵瑜や御者の男たちも代る代る抱いてくれたが、眠ると悪夢をみてしまい結局眠れぬ時間を過ごした。

 そんな状況が2日経過するも、珠樹の熱は下がることがなかった。

「流石に、少しばかり長いようにも思う。珠樹には酷かもしれないが、上州に入れば、あそこには良い医者が揃っているはずだ。今日の内に出立して、あちらの医者に診せたらどうだろう」

 あまり眠れず夜を明かし、少しの仮眠から目覚めた早朝。珠樹を腕の中で寝かせる陵瑜から深刻な面持ちで提案され、霜苓は首を傾ける。

「ここの医者とそんなに違うのか?」

 実のところ、霜苓としても状況が好転しないことにそろそろ焦りが募っていた。とはいえ、策なしにいたずらに珠樹に負担を掛けて動かすことも怖かった。

 そんな霜苓の心情は、きっと陵瑜ならば、感じ取ってくれているだろうが、それも怖くて聞かずにはいられなかった。

「薬の種類も豊富にあり、何より最高位の医者がいる。国境を超えた上荘じょうそうの街に、弟がいる。そちらに世話になれるよう、今漢登を走らせている」

「大丈夫とは言い難いが、しかしここにいるよりは良い」と素直に説明してくれた陵瑜の言葉に、息を吐く。

 そういえば昨晩から御者の一人の姿が見えないと思っていた。まさか珠樹のためにそんなことまでしてくれていたというのであれば、ここにいるよりは好転の期待は高いのだろう。

 今珠樹が受けている治療にも限界があることを、霜苓も感じ取っていた。

「少し心配だが……分かった。準備をする」

 そう告げると陵瑜が励ますように珠樹の頬をなでて、霜苓の頭に手を乗せる。

「すまないな」

 何を謝るのだろうかと、見上げて……霜苓は言葉を飲み込んだ。

 見上げた陵瑜の表情が、彼にしては珍しく、固く……そして思い詰めているように見えたのだ。
 

 
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