皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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1章

14 裏側①

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すうすうと、規則的な2人の眠る顔を見つめて、一つ息を吐いてくしゃりと前髪を掴んで首をふると、陵瑜は静かに腰を上げる。

 物音を立てないように、二人の眠る寝台の側を通りすぎ、客室の扉を開いて素早く外に滑り出る。

 感覚鋭く訓練されている霜苓のことである。多少の物音でも目を覚ましてしまうかもしれないと、最新の注意を払った。

 静かに扉を締め、慎重に鍵を締めると、すぐ向かいの客室の扉を叩く。

 すぐに待っていたかのようにカチリと扉が開き、昼間は荷馬車の御者を努めていた汪景おうけいが何も言わずに陵瑜を迎え入れてくれた。

 そのまま客室に入れば、窓際にいたもうひとりの御者、漢登かんとが椅子を勧めてくれる。
 素直に従って、椅子に座るとニヤつきながら後ろをついてきた汪景が「つまみ出されました?」と嬉しげに聞いてくるので、陵瑜はそんな彼を睨みあげる。

「バカを言うな。 二人共眠ってしまったから、来たのだ!」

「おっと、ならば、俺の勝ちだ!」

 苛ついた陵瑜の様子なんて全く気にもしていない様子で、嬉々とした声を挙げたのは、酒の瓶と杯を持ってきた漢登だ。どうやら腹が立つことに彼らは今夜陵瑜が霜苓に部屋を追い出されるかどうかで賭けをしていたらしい。

「お前達は……」

 腹立たしく思いながらも、彼らのこうした悪ノリはいつものことで、叱る気にもなれず、陵瑜は額に手を当てる。

「もっと扱いづらい方かと思いましたが、意外と従順なのですね」

 たいして悪くも思っていなさそうに「すみません」と謝った漢登が酒を注ぎ、陵瑜の前に丁寧に置く。それを受けっとて一口喉に流し込むと大きく息をつく。

「あいつの中での俺は、依頼主だから、長期任務くらいの気分なのだろうよ」

 自分で思った以上に落胆を含んだ声が出た。

「何も、思い出さないのですか?」
「全くだ……くそっ」

 汪景の言葉に、毒づいて、自棄とばかりに酒を飲み干すと、少し乱暴に杯を卓に置く。

「それは……貴方様にとっては、本当に何もかもが新鮮な方ですね……」 

 今、それはお気の毒に……と言いかけただろ? そう突っ込む気力すら沸かない。

「新鮮……未知の生物だ。まさかそんなものに心奪われて絡め取られるとは」

 自分でも、正直訳が分からない。苛立ちと焦燥感と、言いしれぬ執着心。ここ数日陵瑜がずっと胸の奥に抱えて、持て余している、初めて知る感覚だ。

「永くお使えしてますが、私も驚きです」
「わたしもです」

 汪景の言葉に、漢登も追随する。しかし、彼ら二人ともが、得体の知れぬ感情にもがく陵瑜を心配していると言うよりは、なんだか楽しんでいるような様子を垣間見せるから、少々腹が立つ。

 既婚者の余裕だろうか……やはり結構、腹が立つ。

「ですが、思ったよりも、貴方様が妻子に尽くす方で驚きました」

「自分でも、驚いている」

 椅子の背に体を預けてもう一度ため息を吐く。

「飲まれますか?」
「あと1杯もらおう」

 酒を勧める漢登に頷く。いつも1杯と決めてはいるが、今日はこればかりでは酔えそうもなかった。

「周辺に変わりはないか?」

 杯に波々と注がれる、白濁とした液体の水面を眺め、どちらにでもなく問いかける。

「特に問題はないようです。やはり早めにあの場を離れたのがよかったかと……」

 途端に笑いを引っ込めた汪景の報告に、無言で頷く。平時はふざけた二人であるが、仕事に関しては、とても優秀である。

「そうか……このまま上弦まで何事もなく行けたらいいのだがな……」
 
 静かに頷いて、酒を口にする。先程よりも甘みが強くなったように感じるのは、気のせいか、酔のせいだろうか……

 もう、みすみす逃すことはするものか!

 あの朝、霜苓が隣に居なくなっていた時の絶望感を思い出すといまでも胸が張り裂けそうになる。

 あんな風に、女に心を引かれたのは初めてだったのだ。

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