8 / 77
1章
6直感
しおりを挟む
陵瑜と名のった男は、放浪気味に実家の商家の手伝いをしているのだと、自身の事を説明した。西の朔眉国へ買い付けに行き、たまたまその地で頼まれた品を渡南の町に運ぶ仕事を引き受け、急ぎ走っている際に霊月山のふもとの街道で、倒れた霜苓を見つけたという事らしい。
「銀鉤国の上弦に家があるからな。一旦そちらに帰ろうかと思っていたのだが……もしどこか行く当てがあるのならば送っていくぞ?」
そう言われて霜苓は冷やした手ぬぐいを目の上から少しだけ持ち上げる。まさか自分が初対面の……否、他の人間の前で涙を流すことが有ろうとは、思いもしていなかったため、胸の内は複雑だ。
出来ることならばこのまま助けてもらった礼を告げ、「さようなら」と行きたいところではあるのだが……。
手持ちの解毒剤を飲んだからとて、今すぐ珠樹を抱いて動き出すことが出来るかといえば、それは難しい。
せめてあと1日ほど時間が有れば随分と回復するだろうが、そうなると、郷からの追手が近づいてくる可能性は高い。
彼に手を貸してもらうのが良策だ。
「行くあてはない……この子と一緒に静かに過ごせる場所を探そうと思っている。だから一緒に連れて行ってほしい。国境まででも構わない、とにかく今は霊月山からすこしでも離れたい」
「霊月山ね……」
意を決して告げれば、陵瑜は何か含みがあるように呟き、霜苓の脇で霜苓の黒髪を弄び、キャッキャと笑っている珠樹に視線を移す。
「国境まで連れて行くのは構わない。霊月山から離れたいと言うことならば、南国の南の果てまででも連れて行ってやる。しかし……珠樹の父はどうしている……頼る事はできないのか?」
問われて霜苓は肩を竦める。
「この子の父親の所在は分からない……恥ずかしい話、私もどんな男だったのか覚えがない。ひどく酔っている時の事だったから……」
霜苓記憶に残る珠樹の父親の情報は本当に少ない。一つは銀鉤国の人間で……軍職にあるものであるということ……。そして珠樹と同じ深い緑色の瞳を持つことくらいだ。
霜苓の言葉に陵瑜は何を思ったのだろうか、整えられた太い眉をわずかに下げて苦笑した。きっと馬鹿な女だと思われたに違いない。仕方がない、霜苓自身もそう思っているのだから。
「ただ、この子の父は恐らく銀鉤国の人間だから……同じ血を持つ国で育つ方がいいのかもしれない」
パタパタと機嫌よく手足を動かす珠樹を引き寄せ、丸く傷一つない額に頬を寄せる。甘く柔らかい乳の香りが、霜苓の心を落ち着ける。
「同じ血……か……。父親を、探そうとは思わないのか?」
陵瑜の問いに、「まさか!」と笑う。
「探してどうする? たった一晩、酒の勢いで関係を持っただけの男に何を期待する? 実際探し出したところで、相手にとっては、この子が本当に自分の子どもだと信じられるとは思えない。もしかしたら妻子があるのかもしれない。子どもを盾に妻や妾になるような女に成り下がる気はない!」
狭い郷育ちの霜苓だが、任務で下働きとして潜入した地方の高官の邸などではそんな話を多く見聞きしてきた。いくら高官の家族となろうとも、自分を殺し、男に縋って生きる事しかできない彼女達を、不憫で不自由なものだと、他人事のように思っていた。
しかし、珠樹をつれて逃げる事を考える内に、自分自身だって、郷の掟に縛られ、自分を殺し、血に拘って生きている事に気付かされた。
もう、そんなものに翻弄されるのは御免だ。特に、珠樹にはそんな思いをさせたくない。
「なるほどな……そうか、分かった」
霜苓の強い思いを感じたのか、陵瑜は一つ息を吐くと、自身の膝をポンと叩いて、立ち上がる。
「とにかく先を急いだほうがいいのだな? 夕には出発するが、その身体で馬車は乗れそうか?」
「問題ない。すまないが、とても助かる」
素直に頷くと、「そりゃあ良かった」と陵瑜は端正な顔をくしゃりと崩して笑い、部屋を出て行く。どうやら出発の準備をしに行くらしい。どうして、見ず知らずの人間が、ここまで霜苓達に良くしてくれるのかは分からない。だが、彼自身からにじみ出る人の良さと、無害な気配はなぜか霜苓を安心させる。それは全て感覚的なものであるが、感覚を磨いて生きて来た霜苓にとってそれも重要な判断材料でもあるのだ。
「銀鉤国の上弦に家があるからな。一旦そちらに帰ろうかと思っていたのだが……もしどこか行く当てがあるのならば送っていくぞ?」
そう言われて霜苓は冷やした手ぬぐいを目の上から少しだけ持ち上げる。まさか自分が初対面の……否、他の人間の前で涙を流すことが有ろうとは、思いもしていなかったため、胸の内は複雑だ。
出来ることならばこのまま助けてもらった礼を告げ、「さようなら」と行きたいところではあるのだが……。
手持ちの解毒剤を飲んだからとて、今すぐ珠樹を抱いて動き出すことが出来るかといえば、それは難しい。
せめてあと1日ほど時間が有れば随分と回復するだろうが、そうなると、郷からの追手が近づいてくる可能性は高い。
彼に手を貸してもらうのが良策だ。
「行くあてはない……この子と一緒に静かに過ごせる場所を探そうと思っている。だから一緒に連れて行ってほしい。国境まででも構わない、とにかく今は霊月山からすこしでも離れたい」
「霊月山ね……」
意を決して告げれば、陵瑜は何か含みがあるように呟き、霜苓の脇で霜苓の黒髪を弄び、キャッキャと笑っている珠樹に視線を移す。
「国境まで連れて行くのは構わない。霊月山から離れたいと言うことならば、南国の南の果てまででも連れて行ってやる。しかし……珠樹の父はどうしている……頼る事はできないのか?」
問われて霜苓は肩を竦める。
「この子の父親の所在は分からない……恥ずかしい話、私もどんな男だったのか覚えがない。ひどく酔っている時の事だったから……」
霜苓記憶に残る珠樹の父親の情報は本当に少ない。一つは銀鉤国の人間で……軍職にあるものであるということ……。そして珠樹と同じ深い緑色の瞳を持つことくらいだ。
霜苓の言葉に陵瑜は何を思ったのだろうか、整えられた太い眉をわずかに下げて苦笑した。きっと馬鹿な女だと思われたに違いない。仕方がない、霜苓自身もそう思っているのだから。
「ただ、この子の父は恐らく銀鉤国の人間だから……同じ血を持つ国で育つ方がいいのかもしれない」
パタパタと機嫌よく手足を動かす珠樹を引き寄せ、丸く傷一つない額に頬を寄せる。甘く柔らかい乳の香りが、霜苓の心を落ち着ける。
「同じ血……か……。父親を、探そうとは思わないのか?」
陵瑜の問いに、「まさか!」と笑う。
「探してどうする? たった一晩、酒の勢いで関係を持っただけの男に何を期待する? 実際探し出したところで、相手にとっては、この子が本当に自分の子どもだと信じられるとは思えない。もしかしたら妻子があるのかもしれない。子どもを盾に妻や妾になるような女に成り下がる気はない!」
狭い郷育ちの霜苓だが、任務で下働きとして潜入した地方の高官の邸などではそんな話を多く見聞きしてきた。いくら高官の家族となろうとも、自分を殺し、男に縋って生きる事しかできない彼女達を、不憫で不自由なものだと、他人事のように思っていた。
しかし、珠樹をつれて逃げる事を考える内に、自分自身だって、郷の掟に縛られ、自分を殺し、血に拘って生きている事に気付かされた。
もう、そんなものに翻弄されるのは御免だ。特に、珠樹にはそんな思いをさせたくない。
「なるほどな……そうか、分かった」
霜苓の強い思いを感じたのか、陵瑜は一つ息を吐くと、自身の膝をポンと叩いて、立ち上がる。
「とにかく先を急いだほうがいいのだな? 夕には出発するが、その身体で馬車は乗れそうか?」
「問題ない。すまないが、とても助かる」
素直に頷くと、「そりゃあ良かった」と陵瑜は端正な顔をくしゃりと崩して笑い、部屋を出て行く。どうやら出発の準備をしに行くらしい。どうして、見ず知らずの人間が、ここまで霜苓達に良くしてくれるのかは分からない。だが、彼自身からにじみ出る人の良さと、無害な気配はなぜか霜苓を安心させる。それは全て感覚的なものであるが、感覚を磨いて生きて来た霜苓にとってそれも重要な判断材料でもあるのだ。
3
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
鍛えすぎて婚約破棄された結果、氷の公爵閣下の妻になったけど実は溺愛されているようです
佐崎咲
恋愛
私は前世で殺された。
だから二度とそんなことのないように、今世では鍛えて鍛えて鍛え抜いた。
結果、
「僕よりも強い女性と結婚などできない!」
と言われたけれど、まあ事実だし受け入れるしかない。
そうしてマイナスからの婚活スタートとなった私を拾ったのは、冷酷無慈悲、『氷の公爵閣下』として有名なクレウス=レイファン公爵だった。
「私は多くの恨みを買っている。だから妻にも危険が多い」
「あ、私、自分の身くらい自分で守れます」
気づけば咄嗟にそう答えていた。
「ただ妻として邸にいてくれさえすればいい。どのように過ごそうとあとは自由だ」
そう冷たく言い放った公爵閣下に、私は歓喜した。
何その公爵邸スローライフ。
とにかく生きてさえいればいいなんて、なんて自由!
筋トレし放題!
と、生き延びるために鍛えていたのに、真逆の環境に飛び込んだということに気付いたのは、初夜に一人眠る寝室で、頭上から降って来たナイフをかわしたときだった。
平和どころか綱渡りの生活が始まる中、もう一つ気が付いた。
なんか、冷たいっていうかそれ、大事にされてるような気がするんですけど。
「番外編 溶けた氷の公爵閣下とやっぱり鍛えすぎている夫人の仁義なき戦い」
クレウスとティファーナが手合わせをするのですが、果たして勝つのは……というお話です。
以下はこちら↓の下の方に掲載しています。
<番外編.その後>
web連載時の番外編です。
(書籍にあわせて一部修正しています)
<番外編.好きと好きの間>
文字数オーバーしたため書籍版から泣く泣く削ったエピソードです。
(大筋はweb連載していた時のものと同じです)
<番外編.それぞれの>
いろんな人からの視点。
公主の嫁入り
マチバリ
キャラ文芸
宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。
17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。
中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
孤児が皇后陛下と呼ばれるまで
香月みまり
ファンタジー
母を亡くして天涯孤独となり、王都へ向かう苓。
目的のために王都へ向かう孤児の青年、周と陸
3人の出会いは世界を巻き込む波乱の序章だった。
「後宮の棘」のスピンオフですが、読んだことのない方でも楽しんでいただけるように書かせていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる