皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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逃亡

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「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 月の無い闇を走る。ただやみくもに、足だけを前に前に。
 暗闇のなかでも、活動できるように訓練された目と鼻と皮膚の感覚が、指し示すがまま、霜苓しょうれいは草木をかき分け、倒木を飛び越え、細い灌木の隙間を縫う。幼い頃から下り慣れた、さとの山のはずだが、無性に息が切れるのは、追い詰められ、逸る気持ちが先行しているからだろうか。
 呼吸を整えねば……でないとすぐに見つかってしまう。彼らは同族の呼吸に敏感だから……。
 できる限り郷を離れて、できる限り人の多い場所へ……。

 唇をかみしめると、胸の中でモゾリと自分の意思とは関係のないものが動く。上気する自身の胸に顔を摺り寄せて、ムグムグと目を閉じたまま、口を動かす大切な我が子。
 
 「珠樹しゅじゅ……なんとか、あなただけでも……」

 すやすやと眠る暖かな温もりのふくふくと丸い頬を撫でる。抱きなおして、霜苓はまた神経を研ぎ澄ませ、再び走り出す。
逃げきれるとは思ってなどいない。ただこの子だけは、郷から切り離して外の世界で生きて欲しいのだ。
 たとえ、自分自身が禁忌を犯したとして殺されようとも。

 チリチリとした気配が少しずつ近づいて来るのを感じて、霜苓は内心で舌打つ。
どうやら、網がぎちんと霜苓を捕まえていたらしい。想定はしていたけれど、思った以上の速さに、唇を噛む。

 ここで、まだ捕まる訳にはいかないのだ。

 きりりと奥歯を噛みしめて、腰に刺した暗器に手を添える。
 
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