74 / 234
第8章 絆
第291話 合掌
しおりを挟む
翌朝、翠玉達は早々に出立の準備を整えた。
前夜に州宰である主人には挨拶をしてあったのだが、当然妻である珠那が見送りに出てきた。
さぞ最後の嫌がらせに意気揚々としているのかと思えば、数日前に比べて、覇気がない様にも見える。
それどころか厚い化粧でも隠しきれないほどの隈が目の下に浮かんでる。
「色々とお世話になりましたね夫人」
翠玉が和かに声をかけると、それでも彼女はふふふと、涼しく笑って見せた。
「縁の深い冬殿下の奥様のお世話ができて光栄にございました。殿下にもよろしくお伝え下さいませね?」
まだ皮肉をいう元気はあるらしい。
最後の最後まで……と後ろで華南が小さく毒づくのが僅かに聞こえた。
「えぇ、伝えておきましょう」
さらりと言って除けると、にわかに彼女の形のいい眉がぴくりと動いた。
思いの外、翠玉からの返答が淡白だった事が気に入らなかったのだろうか。
「翠玉様、そろそろ」
長居は無用と、華南が促すので翠玉は頷く。
「では、これで失礼いたしますわね」
そう言って、出来るだけ堂々とした動作で、踵を返す。
無月の鞍に足を乗せる段になり、翠玉は「あぁ、そうそう」と声を上げる。
皆の視線が翠玉に集中したのを感じた。
「州宰殿にはお伝えしたのですが、珠那殿にも一応お心にお留めいただきたいのですが」
「なんでしょう?」
珠那を見れば、すました顔で首を傾げている。まるで自分は無害だとでもいう顔だ。
「今回の件、私がここを訪れた事や、どこに向かうかなど、他のお友達の貴婦人の方々や、女官の中などでお噂されませようお願い申し上げます。
事は我が国の明暗にかかる事でございますから」
「まぁ、そんなことならば重々承知しておりますわ。ご安心下さいませ」
そう言いながらもどこか真剣味にかけるその表情に翠玉は小さくため息を吐く。
やはり釘を指しておくべきだろう。
少しの迷いが決意に変わった瞬間だった。
「それはようございました。
それでしたら私も安心でございます。
なにしろ、この機密事項を漏らすような者がおりましたら、即刻処断せねばなりませんので」
そう言ってニコリと笑うと、珠那の頬がひくりと動いた。
「数日前から私の隠密達が何かを聞きつけて、随分と騒ついていたので心配だったのですが、杞憂でしたわね」
「まぁそんな事が?」
意外そうな声を上げて、笑顔を必死で作っているが……作りきれていない。
翠玉は気づかないフリをして、大様に頷く。
「そうなのです。念のために、彼らの一部をこの街に残して、噂が広がらないよう見張るつもりでございます。もし有事の際には街を少々騒がせる事になるやもしれませんが、ご理解いただけたらありがたく思います」
珠那の顔色がみるみる青くなっていくのが誰の目からも、はっきり見て取れた。
「では、今度こそ失礼いたしますね」
優雅に笑ってひらりと無月に乗ると、一度も彼女を振り返る事なく、門を出た。
「どう言う事です?」
街の喧騒を離れると華南が不思議そうに聞いてきたので、翠玉は、ふふふと笑い、隆蒼を見る。
隆蒼のいつもの硬い表情の隙間にちらりと笑みが見える。
「ちょっとね。昨夜隆蒼に脅しをかけてもらったのよ。自己顕示欲と矜恃が高そうな人だったから、私があまり相手にしなかった事が気に食わないとなると、腹いせにちょっとした私の悪評くらい流すでしょうね。
でもそれをされると、私の動向が分かってしまう。
この街にいる彼女には私のことを一切外部に漏らしていただきたくないでしょ?
だから、貴方を見張っているよ、下手な噂流したら貴方消されるよって脅しただけ!」
説明をすれば、華南はしっかり意図が理解出来たらしい。
「何したの?」と隆蒼に尋ねている。
「少し寝室の屋根裏を歩いてやっただけだよ。あと、小刀をうっかり1本落としたかな」
なんでもないように隆蒼は答えた。実際彼には造作もない事だったらしい。
「よく騒ぎにならなかったわね?」
「小刀は、朝起きて身支度をする頃気づく場所に落としてやったから。まぁ軽い警告だ」
「そんな事知らなかったわ!」
抗議するように華南が隆蒼を睨みつけるが、隆蒼はどこ吹く風で
「相談するほどの事案でもないからな」と簡単に言い捨てた。
「知っていたなら、さっきのやり取り、もっと楽しく聞けていたのにぃ~」
「お前、ほんと性格悪いな」
心底悔しそうな華南に、呆れたように息を吐いて、彼は置いてけぼりになっている翠玉を見る。
「ですが翠玉様もお優しいですね。あれだけ嫌なこと言われたのに警告だけでお済ませになるなんて」
「そう?だって折角色々考えて謀したのに、ここで無に帰することになるのは困るじゃない?
何がなんでも彼女には黙っていてもらう必要があるもの!」
そう言って翠玉は、自身の腰に収まっている短剣に手をかける。
「それに、その件に関しては私が怒るのは彼女じゃなくて、もう1人の方にだと思うのよね!」
少しトーンが落ちた声で静かに言う翠玉を見て、隆蒼と華南は心の中で王都に向かって手を合わせた。
前夜に州宰である主人には挨拶をしてあったのだが、当然妻である珠那が見送りに出てきた。
さぞ最後の嫌がらせに意気揚々としているのかと思えば、数日前に比べて、覇気がない様にも見える。
それどころか厚い化粧でも隠しきれないほどの隈が目の下に浮かんでる。
「色々とお世話になりましたね夫人」
翠玉が和かに声をかけると、それでも彼女はふふふと、涼しく笑って見せた。
「縁の深い冬殿下の奥様のお世話ができて光栄にございました。殿下にもよろしくお伝え下さいませね?」
まだ皮肉をいう元気はあるらしい。
最後の最後まで……と後ろで華南が小さく毒づくのが僅かに聞こえた。
「えぇ、伝えておきましょう」
さらりと言って除けると、にわかに彼女の形のいい眉がぴくりと動いた。
思いの外、翠玉からの返答が淡白だった事が気に入らなかったのだろうか。
「翠玉様、そろそろ」
長居は無用と、華南が促すので翠玉は頷く。
「では、これで失礼いたしますわね」
そう言って、出来るだけ堂々とした動作で、踵を返す。
無月の鞍に足を乗せる段になり、翠玉は「あぁ、そうそう」と声を上げる。
皆の視線が翠玉に集中したのを感じた。
「州宰殿にはお伝えしたのですが、珠那殿にも一応お心にお留めいただきたいのですが」
「なんでしょう?」
珠那を見れば、すました顔で首を傾げている。まるで自分は無害だとでもいう顔だ。
「今回の件、私がここを訪れた事や、どこに向かうかなど、他のお友達の貴婦人の方々や、女官の中などでお噂されませようお願い申し上げます。
事は我が国の明暗にかかる事でございますから」
「まぁ、そんなことならば重々承知しておりますわ。ご安心下さいませ」
そう言いながらもどこか真剣味にかけるその表情に翠玉は小さくため息を吐く。
やはり釘を指しておくべきだろう。
少しの迷いが決意に変わった瞬間だった。
「それはようございました。
それでしたら私も安心でございます。
なにしろ、この機密事項を漏らすような者がおりましたら、即刻処断せねばなりませんので」
そう言ってニコリと笑うと、珠那の頬がひくりと動いた。
「数日前から私の隠密達が何かを聞きつけて、随分と騒ついていたので心配だったのですが、杞憂でしたわね」
「まぁそんな事が?」
意外そうな声を上げて、笑顔を必死で作っているが……作りきれていない。
翠玉は気づかないフリをして、大様に頷く。
「そうなのです。念のために、彼らの一部をこの街に残して、噂が広がらないよう見張るつもりでございます。もし有事の際には街を少々騒がせる事になるやもしれませんが、ご理解いただけたらありがたく思います」
珠那の顔色がみるみる青くなっていくのが誰の目からも、はっきり見て取れた。
「では、今度こそ失礼いたしますね」
優雅に笑ってひらりと無月に乗ると、一度も彼女を振り返る事なく、門を出た。
「どう言う事です?」
街の喧騒を離れると華南が不思議そうに聞いてきたので、翠玉は、ふふふと笑い、隆蒼を見る。
隆蒼のいつもの硬い表情の隙間にちらりと笑みが見える。
「ちょっとね。昨夜隆蒼に脅しをかけてもらったのよ。自己顕示欲と矜恃が高そうな人だったから、私があまり相手にしなかった事が気に食わないとなると、腹いせにちょっとした私の悪評くらい流すでしょうね。
でもそれをされると、私の動向が分かってしまう。
この街にいる彼女には私のことを一切外部に漏らしていただきたくないでしょ?
だから、貴方を見張っているよ、下手な噂流したら貴方消されるよって脅しただけ!」
説明をすれば、華南はしっかり意図が理解出来たらしい。
「何したの?」と隆蒼に尋ねている。
「少し寝室の屋根裏を歩いてやっただけだよ。あと、小刀をうっかり1本落としたかな」
なんでもないように隆蒼は答えた。実際彼には造作もない事だったらしい。
「よく騒ぎにならなかったわね?」
「小刀は、朝起きて身支度をする頃気づく場所に落としてやったから。まぁ軽い警告だ」
「そんな事知らなかったわ!」
抗議するように華南が隆蒼を睨みつけるが、隆蒼はどこ吹く風で
「相談するほどの事案でもないからな」と簡単に言い捨てた。
「知っていたなら、さっきのやり取り、もっと楽しく聞けていたのにぃ~」
「お前、ほんと性格悪いな」
心底悔しそうな華南に、呆れたように息を吐いて、彼は置いてけぼりになっている翠玉を見る。
「ですが翠玉様もお優しいですね。あれだけ嫌なこと言われたのに警告だけでお済ませになるなんて」
「そう?だって折角色々考えて謀したのに、ここで無に帰することになるのは困るじゃない?
何がなんでも彼女には黙っていてもらう必要があるもの!」
そう言って翠玉は、自身の腰に収まっている短剣に手をかける。
「それに、その件に関しては私が怒るのは彼女じゃなくて、もう1人の方にだと思うのよね!」
少しトーンが落ちた声で静かに言う翠玉を見て、隆蒼と華南は心の中で王都に向かって手を合わせた。
11
お気に入りに追加
4,402
あなたにおすすめの小説
皇太子殿下は刺客に恋煩う
香月みまり
キャラ文芸
「この子だけは、何としても外の世に!」
刺客の郷を出奔した霜苓は、決死の思いで脚を動かす。
迫り来る追手に、傷口から身体を蝕む毒。もはや倒れるのが早いか、捕まるのが早いのか……。
腕に抱いた我が子を生かすために選んだ道は、初手から挫かれる事となるのだろうか。
遠く意識の中で差し伸べられた温かな手は、敵なのか味方なのか、もしくはあの時の──
真面目な刺客育ちのヒロインとその子どもを、必死に囲おうとする、少々不憫なヒーローのお話です。
戦闘シーン、過激表現がどの程度になるか分からないのでR18で置いておきます。
「後宮の棘」R18のお話
香月みまり
恋愛
『「後宮の棘」〜行き遅れ姫の嫁入り〜』
のR18のみのお話を格納したページになります。
本編は作品一覧からご覧ください。
とりあえず、ジレジレストレスから解放された作者が開放感と衝動で書いてます。
普段に比べて糖度は高くなる、、、ハズ?
暖かい気持ちで読んでいただけたら幸いです。
R18作品のため、自己責任でお願いいたします。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。