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6章
115 終幕
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「父上、またこちらにおられたのですか⁉︎」
「ちょっと目を離すと、すぐ西楼宮に行ってしまわれるのだから……」
「あぁ! 龍兄様!」
「悠兄様! 抱っこ抱っこ!」
「こらこら、まずはお兄様達にご挨拶が先でしょう?」
いつものごとく騒がしい西楼宮の庭に、声変わりを終えた青年達の声と、子どもの高い声……そして、
子を嗜める柔らかな女の声が響く。
その場に出会した女官達も、瞬間的に手を止めて、その光景を一瞥すると、皆一様に頬を緩めて、またそれぞれの作業に戻っていく。
ここ数年の西楼宮では珍しくない光景であるものの、いつ見ても、微笑ましい光景であるのだ。
やってきた、背の高い2人の青年は、それぞれに飛び込んでくる小さな幼児をきちんと抱き留め、慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
抱き上げられた子供達は、「きゃー」と嬉しそうな歓声を上げると、その逞しくなりつつある体にピタリと甘えるように張り付いた。
「別に俺の仕事は片付いているのだから、いいだろう? お前たちこそ、俺を口実に来たくせに」
そんな彼らに、不満そうな声をあげるのは、この国の皇帝である愁蓮で、彼は己に張り付いていた愛娘が、さっさと父を捨て、兄達の元にかけて行ったことが、不服のようだ。
彼の横では、手にしていた二胡を片付けながら、「やっぱりお仕事を投げ出してきたのね?」と呆れる彼の寵姫である紅凛の姿がある。
「細々と尋ねたいことがあっても、すぐに聞けないのですから、効率が悪すぎます」
「たいがいのものは、順流に聞けば分かるようになっているのだから順流に聞けばいいだろう」
「その順流が、『陛下をお探しにならないと分かりませんね』と言うのだからここまで来たのです」
「チッ!順め……皇子達を使って俺を連れ戻させようとするなんて……」
「我が兄ながら、めちゃくちゃですね……」
毒ずく愁蓮に呆れる紅凛。こうしたやりとりも光景も、西楼宮では日常的である。
風黎の用意した茶を卓に並べながら、紅凛は幼い我が子を抱いてこちらにやってくる2人の皇子に向けて微笑む。
「お茶、飲まれるでしょう?」
「はい! 紅凛様!」
「やった! ねぇ兄様! 池におまままくしが産まれたの!」
「お・た・ま・じゃ・く・し、だよ!蓬椛」
「おまままくし?」
「ははは、蓬椛にはまだ難しいね」
楽しそうな声を上げながら、並んでこちらにやってくる子供達の姿を微笑ましく見守りながら、紅凛は傍らの椅子に座る愁蓮に視線を向ける。
彼もまた紅凛と同じように、子どもたちの姿を眩しそうに見つめていたが、その手は紅凛が卓に載せた手に重ねられている。
「こうして、子どもたちの姿を見ていると、最近不意に思い出すんだ。紅姫をこんな風に抱き上げて庭を散歩したり、あぁして言葉を教えたり……」
「そうなのですか?」
愁蓮の過去の話で紅姫の話が出てくる事は殆どなく、そして紅凛も紅姫の頃に彼と過ごした記憶は殆ど無い。意外に思い、愁蓮を見返すと愁蓮は肩をすくめて微笑む。
「母っ子だった紅姫は、なかなか鈴円様から離れようとしなくてな。なんとか懐かせようとして躍起になって声をかけたものだ……全然懐いてはくれなくて、ようやく抱かれるまでは許してくれるようになった頃に、俺は戦場に行くようになってしまったから……」
「今では考えられないな」と微笑まれ、紅凛は重ねられた手を、柔らかく握り返す。
「幼い頃の私は随分と、もったいない事をしていたのね」
「だからこそ、今が一層可愛くて仕方がないのかもしれないな」
くつくつとおかしそうに笑った愁蓮がゆっくりと立ち上がる。近づいてきた龍蓮から、6歳になる奏蓮を受け取り、隣に座らせると、その小さな手にそっと茶器を持たせてやる。
茶器の中にはピンク色の花びらが浮かべられており、ほのかに甘酸っぱい香りが、あたりを包む。
「今日のお茶は、桜……ですか?」
茶器を覗き込んだ龍蓮が不思議そうに首を傾ける。暑い夏が終わり秋めいてきた頃に、桜を見る事になるなどと、思いもしなかったという事らしい。
「そう、桜。今年の春に取れたものを塩に漬けてこうして湯を入れて飲むと美味しいのだと、いただいたの。季節外れかもしれないけれど、綺麗でしょう?」
蓬椛を膝に乗せて、少しずつ飲ませながら説明すれば、皇子達は「なるほど、塩に漬けるだけでこんなにも鮮やかな色を保つのですね……」などと感心しながら口をつけ始める。
そして
「美味しいですね!」とやはり気に入ってくれた様子で、頬を緩めて、茶器に浮かぶ花びらを眺めるのだ。
「西楼宮に来ると、毎回面白いお茶でおもてなししていただきますが、一体どんな茶屋を抱えていらっしゃるのです?」
不思議そうに悠月に問われれ、紅凛と愁蓮は顔を見合わせる。
確か数日前、彼らが来た時には、湯を注ぐと花が咲くお茶を出したはずだ。
それにも彼らは、いたく感動して、いくつか宮に持ち帰ったはずだ。
「古い知人で、植物に詳しい人がいるのだけど。その方が色々と作ってみては、子ども達にって送ってくれるの。章州で少しずつ人気になっているみたいだから、その内帝都にも入って来るかもしれないわね」
言いながらつい先日、柊圭経由で届いた狼伯の文の内容を思い出す。
「いずれ、皇帝陛下御用達となり、堂々とお会いできるまでになれますよう努力してまいります」
そう記されていた文には、柊圭からのものも添えられており、どうやら狼伯も少しずつ、背負った後悔から抜け出してきているのだという。
紅凛や、孫達に何かできないかと始めた、茶葉の研究が思いの外、彼にはあっていたようで、今では庭師をやめて、章州で店を構え、珍しい茶葉を作っているというのだ。
狼伯の生活に活力が戻り、もともと優秀であった彼が自身の才を生かし、前向きになった事を、柊圭が喜んでいる事は文面から読み取れる。
紅凛が見た最後の狼伯の姿は、肩を落とし泣きながら柊圭に引きずられるようにして退席していく姿だった。
少しでも、この先彼が彼らしく前を向いて生きていくことができたのならば、きっと空から見守る母や兄も安心するのではないだろうか。
「あと3年……ついに決まったよ」
「そう……」
再び席を立ち、池の周りで遊び出した子供達を眺めていると、徐に愁蓮が口火をきった。
3年……それが何を意味しているのか、聞かずとも紅凛は理解している。
彼が帝位を降りて、龍蓮に明け渡す目処が立ったのだ。
「2人ともよく努力している。2年ほどは側で相談役としてある事を条件に、官吏達を納得させた」
ここ一年ほど、戦って来た事についに決着がついたようで、安堵の表情を浮かべている。
帝位に着いた時から、己は繋ぎの皇帝だと、自負しながら、しかし間違いなく良い国の形を作り上げて、一つとなった鄭家と姜家の象徴に引き渡さねばならない。
そんな圧力を常に感じながら努力してきた彼が、ようやくその重い荷を降ろすことができるというのだ。
「お疲れ様でした。あと、5年ですか……」
「5年経てば、忍んで帝都を空けて好きな所へ行ける。章州にも、行ってみないか?」
改めて弔いたいし、会いたい者もいるだろう。そう含ませている愁蓮の言葉に、紅凛はゆっくり頷いて、彼の肩口に頭を寄せる。
「楽しみです。ずっと一緒にいて下さるのでしょう?」
「あぁ、嫌と言ってももう手遅れだぞ?」
「ふふ、そんな事、言うわけないでしょう? たとえ地獄に落ちようとも、貴方のそばにいると、とうの昔に決めているのよ?」
「そう言えば……そうだったな」
思い出したかのように、呟いた愁蓮の様子に、頬を膨らませる。
あの時の想いが揺らぐ事はない。紅凛にとっては一世一代の決心だったのだから……。
そんな紅凛の顎を掬い上げた愁蓮が、おかしそうに笑って、短く唇を重ねた。
「嘘だよ。愛しい人……俺もお前とならばどこまでも、共に行けるよ」
完
「ちょっと目を離すと、すぐ西楼宮に行ってしまわれるのだから……」
「あぁ! 龍兄様!」
「悠兄様! 抱っこ抱っこ!」
「こらこら、まずはお兄様達にご挨拶が先でしょう?」
いつものごとく騒がしい西楼宮の庭に、声変わりを終えた青年達の声と、子どもの高い声……そして、
子を嗜める柔らかな女の声が響く。
その場に出会した女官達も、瞬間的に手を止めて、その光景を一瞥すると、皆一様に頬を緩めて、またそれぞれの作業に戻っていく。
ここ数年の西楼宮では珍しくない光景であるものの、いつ見ても、微笑ましい光景であるのだ。
やってきた、背の高い2人の青年は、それぞれに飛び込んでくる小さな幼児をきちんと抱き留め、慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
抱き上げられた子供達は、「きゃー」と嬉しそうな歓声を上げると、その逞しくなりつつある体にピタリと甘えるように張り付いた。
「別に俺の仕事は片付いているのだから、いいだろう? お前たちこそ、俺を口実に来たくせに」
そんな彼らに、不満そうな声をあげるのは、この国の皇帝である愁蓮で、彼は己に張り付いていた愛娘が、さっさと父を捨て、兄達の元にかけて行ったことが、不服のようだ。
彼の横では、手にしていた二胡を片付けながら、「やっぱりお仕事を投げ出してきたのね?」と呆れる彼の寵姫である紅凛の姿がある。
「細々と尋ねたいことがあっても、すぐに聞けないのですから、効率が悪すぎます」
「たいがいのものは、順流に聞けば分かるようになっているのだから順流に聞けばいいだろう」
「その順流が、『陛下をお探しにならないと分かりませんね』と言うのだからここまで来たのです」
「チッ!順め……皇子達を使って俺を連れ戻させようとするなんて……」
「我が兄ながら、めちゃくちゃですね……」
毒ずく愁蓮に呆れる紅凛。こうしたやりとりも光景も、西楼宮では日常的である。
風黎の用意した茶を卓に並べながら、紅凛は幼い我が子を抱いてこちらにやってくる2人の皇子に向けて微笑む。
「お茶、飲まれるでしょう?」
「はい! 紅凛様!」
「やった! ねぇ兄様! 池におまままくしが産まれたの!」
「お・た・ま・じゃ・く・し、だよ!蓬椛」
「おまままくし?」
「ははは、蓬椛にはまだ難しいね」
楽しそうな声を上げながら、並んでこちらにやってくる子供達の姿を微笑ましく見守りながら、紅凛は傍らの椅子に座る愁蓮に視線を向ける。
彼もまた紅凛と同じように、子どもたちの姿を眩しそうに見つめていたが、その手は紅凛が卓に載せた手に重ねられている。
「こうして、子どもたちの姿を見ていると、最近不意に思い出すんだ。紅姫をこんな風に抱き上げて庭を散歩したり、あぁして言葉を教えたり……」
「そうなのですか?」
愁蓮の過去の話で紅姫の話が出てくる事は殆どなく、そして紅凛も紅姫の頃に彼と過ごした記憶は殆ど無い。意外に思い、愁蓮を見返すと愁蓮は肩をすくめて微笑む。
「母っ子だった紅姫は、なかなか鈴円様から離れようとしなくてな。なんとか懐かせようとして躍起になって声をかけたものだ……全然懐いてはくれなくて、ようやく抱かれるまでは許してくれるようになった頃に、俺は戦場に行くようになってしまったから……」
「今では考えられないな」と微笑まれ、紅凛は重ねられた手を、柔らかく握り返す。
「幼い頃の私は随分と、もったいない事をしていたのね」
「だからこそ、今が一層可愛くて仕方がないのかもしれないな」
くつくつとおかしそうに笑った愁蓮がゆっくりと立ち上がる。近づいてきた龍蓮から、6歳になる奏蓮を受け取り、隣に座らせると、その小さな手にそっと茶器を持たせてやる。
茶器の中にはピンク色の花びらが浮かべられており、ほのかに甘酸っぱい香りが、あたりを包む。
「今日のお茶は、桜……ですか?」
茶器を覗き込んだ龍蓮が不思議そうに首を傾ける。暑い夏が終わり秋めいてきた頃に、桜を見る事になるなどと、思いもしなかったという事らしい。
「そう、桜。今年の春に取れたものを塩に漬けてこうして湯を入れて飲むと美味しいのだと、いただいたの。季節外れかもしれないけれど、綺麗でしょう?」
蓬椛を膝に乗せて、少しずつ飲ませながら説明すれば、皇子達は「なるほど、塩に漬けるだけでこんなにも鮮やかな色を保つのですね……」などと感心しながら口をつけ始める。
そして
「美味しいですね!」とやはり気に入ってくれた様子で、頬を緩めて、茶器に浮かぶ花びらを眺めるのだ。
「西楼宮に来ると、毎回面白いお茶でおもてなししていただきますが、一体どんな茶屋を抱えていらっしゃるのです?」
不思議そうに悠月に問われれ、紅凛と愁蓮は顔を見合わせる。
確か数日前、彼らが来た時には、湯を注ぐと花が咲くお茶を出したはずだ。
それにも彼らは、いたく感動して、いくつか宮に持ち帰ったはずだ。
「古い知人で、植物に詳しい人がいるのだけど。その方が色々と作ってみては、子ども達にって送ってくれるの。章州で少しずつ人気になっているみたいだから、その内帝都にも入って来るかもしれないわね」
言いながらつい先日、柊圭経由で届いた狼伯の文の内容を思い出す。
「いずれ、皇帝陛下御用達となり、堂々とお会いできるまでになれますよう努力してまいります」
そう記されていた文には、柊圭からのものも添えられており、どうやら狼伯も少しずつ、背負った後悔から抜け出してきているのだという。
紅凛や、孫達に何かできないかと始めた、茶葉の研究が思いの外、彼にはあっていたようで、今では庭師をやめて、章州で店を構え、珍しい茶葉を作っているというのだ。
狼伯の生活に活力が戻り、もともと優秀であった彼が自身の才を生かし、前向きになった事を、柊圭が喜んでいる事は文面から読み取れる。
紅凛が見た最後の狼伯の姿は、肩を落とし泣きながら柊圭に引きずられるようにして退席していく姿だった。
少しでも、この先彼が彼らしく前を向いて生きていくことができたのならば、きっと空から見守る母や兄も安心するのではないだろうか。
「あと3年……ついに決まったよ」
「そう……」
再び席を立ち、池の周りで遊び出した子供達を眺めていると、徐に愁蓮が口火をきった。
3年……それが何を意味しているのか、聞かずとも紅凛は理解している。
彼が帝位を降りて、龍蓮に明け渡す目処が立ったのだ。
「2人ともよく努力している。2年ほどは側で相談役としてある事を条件に、官吏達を納得させた」
ここ一年ほど、戦って来た事についに決着がついたようで、安堵の表情を浮かべている。
帝位に着いた時から、己は繋ぎの皇帝だと、自負しながら、しかし間違いなく良い国の形を作り上げて、一つとなった鄭家と姜家の象徴に引き渡さねばならない。
そんな圧力を常に感じながら努力してきた彼が、ようやくその重い荷を降ろすことができるというのだ。
「お疲れ様でした。あと、5年ですか……」
「5年経てば、忍んで帝都を空けて好きな所へ行ける。章州にも、行ってみないか?」
改めて弔いたいし、会いたい者もいるだろう。そう含ませている愁蓮の言葉に、紅凛はゆっくり頷いて、彼の肩口に頭を寄せる。
「楽しみです。ずっと一緒にいて下さるのでしょう?」
「あぁ、嫌と言ってももう手遅れだぞ?」
「ふふ、そんな事、言うわけないでしょう? たとえ地獄に落ちようとも、貴方のそばにいると、とうの昔に決めているのよ?」
「そう言えば……そうだったな」
思い出したかのように、呟いた愁蓮の様子に、頬を膨らませる。
あの時の想いが揺らぐ事はない。紅凛にとっては一世一代の決心だったのだから……。
そんな紅凛の顎を掬い上げた愁蓮が、おかしそうに笑って、短く唇を重ねた。
「嘘だよ。愛しい人……俺もお前とならばどこまでも、共に行けるよ」
完
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近親相姦を題材にしたストーリーには驚きましたが、読み終えてふと疑問が湧きました。
何故、紅妃は母親と同じ隠し部屋にいなかったのか。
何故、夏家は紅凛を妓楼から身請けする時、妓楼前の紅凛の身の上を詮索しなかったのか。
後、大変失礼ですが、人名の誤字が数多見られます。
感想ありがとうございます。
楽しんでいただけて嬉しいです。
子供達は、いくつになってもイチャイチャしている両親に、「やれやれ」と呆れながら良い国を作っていってくれる事と思います😊
感想ありがとうございます。
ようやく完結となります!大変お待たせして申し訳ありません🥺🥺DMやお手紙で「続きが楽しみです!」と言っていただけて、どれほど原動力となった事か😭✨
最後までお楽しみ頂けたら嬉しいです❤️