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6章

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久しぶりの、愁蓮との夜の逢瀬に、紅凛の心は落ち着かなかった。

 昼に聞いた事を思えば、素直に喜べる様な気持ちにはなれなかった。とはいえ、募る想いを誤魔化し、平気な顔をして耐えたきた日々は、紅凛にとっては決して短くはなかった。

 扉が開いて、就寝の準備を整えた愁蓮が入室して来るのを出迎えれば、すぐさま大きな手が紅凛の頭を引き寄せた。

「あんな話を聞いた後であったのに、遅くなってしまってすまない」
 耳元で低く詫びられて、紅凛はフルフルと首を振る。

「色々と整理する時間ができました。幼い頃より様々なものに流されて、でもその中でそれなりに幸せに生きて参りましたから。意外とすんなり受け入れられているんです」

 広い愁蓮の背中に手を回し、肩に頬を寄せて、宥める様に告げる。

 ここ数日の事件の後処理に、今日の柊圭達との時間を取るために、愁蓮はかなり仕事の時間を割いている。流石に紅凛に付き添っている時間までとらせるわけにはいかなかった。

「そうか……紅凛は、すごいな……。俺は、まだ色々と整理がつかないと言うのに……」

「無理もないです。蓮様にとって……母は初恋だったのでしょうし……」

 実のところ、今回の事実を知る上で、1番酷だったのは愁蓮だったのではないかと紅凛は思っている。

 母を早くに亡くした彼の寄る辺となったのは、母の鈴円で、おそらく彼は純粋に彼女を慕い、恋をしていたのではないかと紅凛は思っている。

 そしてそれを側で見ていた兄の順流はそれを見破っていた。だからこそ、彼女に似た娘を妓楼で見つけ、養女にしたのだろう。

 そして、その狙い通り、愁蓮は紅凛を求めた。

 そこまでして想いを寄せ、忘れられない人が実は自分を利用するために側にいたなどという事実を、知りたくはなかったに違いない。

 紅凛の言葉に、愁蓮がゆっくりと身体を離すと、大きな手が紅凛の頬を撫でる。
 懐かしい剣胼胝のできた、ザラついた手の感触と、恋しかった温もりに、頬を寄せる。

「俺の事ならば心配ない。なんとなく分かっていたから……父の寵が離れ始め、男児が出来ず、渡り合う側室達は10も歳上の者達ばかり、彼女が己の立場を守るためには、俺を利用するのが1番賢い方法だったはずだから……。それでも、寄る辺もない孤独な子どもだった俺が、きちんと後継者候補として立場を守りきれたのは、彼女の存在が大きかったから、今でも感謝している」


「おいで」と肩を抱かれ、ゆっくりと二人寝台に向かう。

 見上げた愁蓮の表情は、穏やかで……紅凛が想像した以上に彼が割り切れている事に、安堵する。


「狼伯の話してくれたことは、驚くことばかりだったな」

「はい……まさか……私が先帝陛下の子どもでもなく、両親を同じくした兄がいて、母にも狂おしいほどに愛しく想った人が居たなんて」

 二人で寝台に腰を下ろす。ゆらりと脇に灯された炎と香の煙が揺れ、二人並んだ影が、足元に伸びるのを、紅凛は懐かしい気持ちで見つめた。

「狼伯は、鈴円様が少しずつ壊れていたと言っていたが……俺には違うように思うのだ……」

 愁蓮がぽつりと漏らした言葉に、紅凛は顔を上げる。紅凛も同じことを想っていた。まるでそれを見透かしたかのような愁蓮の言葉に、驚いた。

「俺が知る限り、鈴円様は確かにお気が強い性格ではあったと思うが……しかし思慮深く、頭の回転の早い方だった。たしかに他の側室達からの当たりは強かったが、彼女は相手の戦意を削ぐようにひらりひらりと上手く躱しているように見えていた」

いいですか、愁蓮様。あぁいう手合はまともに相手をしてはなりませんよ。「わぁそうなのですねぇ~、知りませんでした~、教えていただいてありがとうございますぅ~」て馬鹿のフリをして、にこりと微笑んでやるのです。時に怒ることも大切ですが、そうでない方が相手が堪えることもありますから!

 そう微笑んで、「気をとりなおしましょう」と菓子を渡してくれた鈴円の事を愁蓮は思い出す。

「もしかしたら、鈴円様は、狼伯を解放するつもりだったのではないかと……わざと狼伯が離れて行くように仕向けたのではないだろうか」

 男手一つで幼な子を抱えて生きて行く事はそう簡単な事ではないはずだ。
 共に歩む先がないのに、いつまでも、自分達に狼伯を縛りつけておく事が、彼のためにならないと……。そう考えたのだとしたら、突然朗炎を引き取り側に置いたのには彼が思っているのとは真逆な意図があっただろう。
 
愁蓮の大きな手が、紅凛の肩を引き寄せる。

「本人が亡い今、真実は分からないが……それでも俺には鈴円様が己のことだけを考えていたとは思えない」

「私もそう思います。もしかしたら、最後に狼伯に嫌われてしまおうと思ったかもしれないなと……きっと私がお母様の立場なら、そう考えることもあるかもしれないと思います」

 愁蓮の胸に頬を寄せ、紅凛は瞳を閉じる。

 思い出すのは、わずかに覚えている母の柔らかな声と、髪を撫でる優しい手。狼伯が側を離れた後も、きっと彼女は紅凛と狼炎の向こう側に、彼を見ていたに違いない。
 自分たちを置いていなくなった男を恨んでいたり、嘆いているようには思えなかった。

「柊圭も、まだ把握できていないことも多いようだったし、近日中に陳家として、この件にどう対処して、そして夏家ともどのように申し合わせをするかを相談したいと、順流に申し出があったそうだ。俺も同席する事になるとは思うが、流石に……」

「後宮でお話いただくわけにもいかないですし、私が後宮を出ていくのも……ですよね。貴方様と皆様にお任せいたします」
 言い澱む愁蓮に、紅凛は理解していると頷く。皆が紅凛を想って考えてくれることであるのだから、例え蚊帳の外でもその結果を受け入れるつもりはある。

 そう告げると、愁蓮は安堵したように、紅凛の髪をなでる。

「また、こうして紅凛を抱いて眠れる夜がこんなに早く来るとは思わなかった。狼伯の話を聞いて、愛しい者とこうした時を過ごせることがどれだけ幸せか」

 紅凛の首筋に唇を寄せた愁蓮の声は甘く熱い。
「っ……」
 思わず愁蓮の夜着の襟元を握りしめ、紅凛は身を固くする。

 兄妹では無かった事実が分かり、身体を重ねることに、障害も無くなったいま、かつてのように、互いを求め合う事に何の罪もなくなった。

 しかし……あまりに唐突に突きつけられた事実の多さに、心の整理が伴わない。

 愁蓮に抱かれたくないわけではない。むしろ、彼を求めている女としての欲が、彼が欲しいと疼いているのも自覚している。
 それでも……今日はなぜか、それを求める事に、後ろめたさを感じてしまうのだ。

 どうやらそれは、愁蓮にも伝わったのか……もしくは彼も同じ気持ちだったのだろうか一度強く紅凛を抱きしめ、そのまま後ろに倒れ込むように寝台に沈むと、紅凛の頭頂に唇を寄せる。

「本当ならば、一晩中抱いても足りないくらい、紅凛を欲しているのだがな……とはいえ、今日は色々なことを知りすぎて、心が追いつかない気持ちもわかるから……」

「ごめんなさい……」

 大きく息を吐き上下する胸板に頬を擦り寄せ詫びれば、愁蓮は「構わないさ」と自嘲ぎみに笑い、紅凛の肩を包む手に力がこもる。

「もうこの先、離れなくていいことが分かったのだ。少しの間なら辛抱できるさ……なんせ俺は皇帝だからな……気は長い方だ」

「ふふふ、そんなにお待たせは致しませんから……ありがとうございます」

思わず肩を揺らして笑って、紅凛は、瞳を閉じる。

 温かく、そして懐かしい香りと愁蓮の鼓動を聞いていると、少しずつ、胸の奥が詰まるような切なさが癒えていくような気がした。
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