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5章

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「二人の想いや動機については理解しているな?」
 確認するように問われて、紅凛はしとかりと頷く。
 
「えぇ……彼女たちの行動の全てが月香様の意思を推測してのことだと…‥あれほど執拗に私に怒りを募らせた理由がわかって納得はできました……」

 理解する事はできた……確かに月香の生涯を想うと、胸が痛む。しかし、だからと言って、桜貴妃と桃妃が、彼女の名を掲げて、多くの人を不幸にした今回の顛末には、同情する気にはなれなかった。


 手を伸ばして愁蓮の頬に触れて、目の下に浮き上がる隈をなぞる。

「蓮様は……月香様のお心に気づく暇もなかったのでしょう? 優しい貴方ならば、きっとそんな自分を責めているのではないかと心配で……会いに来ました」

 自分をここまでの立場に持ち上げて、子まで産んでくれた女性が、実のところ真に自分の事を想ってくれ、そして求めながら死んでいったという事実は、彼にとって残酷なものだっただろう。
 皇帝の地位にいながらも、もともとの心根は優しい人だ。月香に対して申し訳ない気持ちと、あの時少しでも彼女の想いに気づき、報いてやれなかっただろうかと、己を責めているだろう。
 紅凛がすぐにでも会いたかったのは、彼がそうした後悔から心を消耗することが心配だったからである。
 頬に這わせた手を、愁連の大きな手が包む。「そうか……」とため息混じりに発せられた言葉には驚きが滲んでいた。
「紅凛は……俺の心配をしてくれていたのか……何の罪もなく、ただ俺に請われて後宮に入り、命を狙われることになってしまったというのに……」
 怒っていないのか? 詰られても仕方がないと思っていた……と眉を下げる彼に、とんでもないと首を振る。

「私が蓮様をお慕いしたのですから、私も同罪です。きっと月香様がご存命であったならば、私は彼女とこの後宮で貴方様の寵を取り合って……同じようにあの2人から様々な仕打ちを受けていたでしょう? 結局逃れられない事だったのです」

 月香が生きていたならば、戦を終えて、皇帝となった愁蓮とどのような関係になっていたかは分からない。もしかしたら紅凛と愁蓮が出会うこともなかったのかもしれない。

「月香は、気丈で凛とした人だった……戦場のことしか分からない当時の青二才の俺にとって、少し年上で鄭家の姫として気高くある彼女に会うと、いつもどうしたらいいのか分からなかった。血に汚れた手で、皆の宝である彼女に触れることも、いわれるがままに体を重ね、夫婦となったことも、これで本当に良かったのだろうか、これが夫婦というものなのだろうかと釈然としないまま、こんな気高い人がこんな男の妻とされて申し訳ないと思っていた」

「あの頃の俺は戦に関わる事意外について、圧倒的にものを知らなすぎた」そう自嘲した愁蓮の言葉に、紅凛はかける言葉が見つからず、唇を噛む。

「彼女と出会う少し前に鈴円様を亡くして、失意の中にもいて……鈴円様の面影を月香に求めてはならないと自制したのもある。とにかく、あの頃の俺は自分のことばかりで、月香が俺をどう思っているかなど、あまり考えていなかった。まさか彼女が、それほど俺に対して想いを寄せていてくれていたとは思いもしなかった。彼女も俺同様に、家のために駒に徹しているのだと都合よく考えていたのかもしれない」

「っ……あの頃は戦も頻繁で激しく、姜家と鄭家の足元も盤石でなかったと李昭から聞いています。16、17の年若い青年には戦だけでも重すぎることだったと……」
 思わず出た言葉は、先程李昭から伝え聞いたもので、当時の状況を全く知らない紅凛はその程度のことしか言えないのが口惜しく、もどかしい。

 おそらくそんな紅凛の気持ちを愁蓮は理解をしているようで、カサついた指先が、紅凛の頬を宥めるように撫でる。

「皆が、そう言ってくれている……ありがたい事に、当時共に戦場に出ていた鄭家の家臣の者たちも……。しかし、ここまで禍根を残す前に、できた事はあっただろうとも思うのだ。特に、俺にはそれを知る機会が数度はあったのだからな」

小さく息を吐いた愁蓮が、意を決したように話を続ける。

「月香が亡くなる寸前、彼女の幼馴染である男……今回の襲撃の首謀者である笙漢だが……彼が俺を呼びに戦場まで来た。月香が俺を呼んでいる……と。その時俺はそれを聞いて、そんな馬鹿なことあるはずないと信じられない思いと、どうしても戦場を離れられない状況に、どうしたらいいのか分からなかった。結局その場にいた父や歴戦の男たちに言われるがままに、「戻れない」という決定を下して笙漢を返した。その直後、後から来た伝令から月香の訃報が伝えられたが、あの時もっと笙漢の話に耳を傾けていたらと思うのだ。一年後、戦が落ち着いて、領地に戻った時にも、月香の廟を詣でた時にも、最後まで月香の側に居た桜貴妃と桃妃から話を聞いてもよかった。圧倒的に、俺は残された月香の周囲の者たちへの配慮が足りていなかったのだ。月香が命がけで残した皇子達を後継者として立派に育て上げればいいと、それだけでは足りなかったのだ」
 
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