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3章
46-② 愁蓮視点
しおりを挟む皇帝の私室に戻り、人払いをすると、力が向けたようにドカリと乱暴に長椅子に身を預ける。
そうして、不意に顔を上げた視界の・・・窓から見える桃色に眉を寄せる。
「梅が嫌いになりそうだ」
八つ当たりのように低い声で呟くが、その言葉は誰にも聞かれる事もなくシンとした静寂の中に吸い込まれていく。
毎年こうして梅を見るたびに、きっと自分は紅凛の事を思い出すのだろう。彼女はここを去り…自分だけがここに残る。
彼女と散歩した庭園を見て、彼女と寄り添った事を思い出して・・・いったいどれだけの時をこの先一人で過ごしていくのだろうか。
「忘れ、られるだろうか」
正直なところ、忘れられる気がしない。それどころか、年を重ねていけば行くほど昔の思い出に固執して…隣に彼女がいたのなら、今はどのような姿なのだろうか?と思いを馳せてしまいそうな気さえする。
自分で決意したことであるはずなのに、何を女々しい事を思っているのだろう。
思わず自嘲して、大きく息を吐くと天を仰ぐ。
目をつむれば、瞳から大粒の涙をはらはらと流して、それでも気丈にこちらを見上げる彼女の顔が浮かぶ。
手を伸ばして、その頬に触れて涙をぬぐって・・・抱きしめることができたのならば・・・。
しかしそれさえも、彼女を苦しめてしまう事になると思うと怖くてできなかった。
結局、愁蓮自身は自分が皇帝でありながら近親の罪を犯すことはどうでもよかった。何らかの事が起こって、世間に露見してしまったならば、月香の残した皇子たちのどちらかに帝位を譲って潔く皇帝の地位を退くつもりだ。
しかし紅凛はどうだろうか。
彼女はきっと生涯、愁蓮にその道を歩ませてしまった自分を責め続けるだろう。
そしてきっと自身の出生を呪うのだ。
それは彼女にとっても・・・そして彼女をこの世に産み落とした鈴円様にも残酷な事だ。
ゆっくりと瞳を開けて、ゆらりと立ち上がる。
ひと払いをしておきながら、部屋にただぼんやりとしているような気分にはどうしてもなれなかった。
順流にもこの話をしなければ・・・そして柊圭にも今一度こちらに来てもらうよう親書を送らねばならない。
その前に・・・。
自室を出ると、そのまま今来た道を戻る。後宮の一角まで戻ると、今度は西楼宮とは別の方向に向けて歩を進める。
そんな中、後宮のどこからか僅かな二胡の音が聞こえてきて・・・悲し気で、儚い旋律は・・・考えなくとも、それが彼女の音色だと分かり、一層胸が締め付けられる。
音色ですら彼女のものと、そうでないものをいつのまにか聞き入れられるようになってしまっているらしい。
きっと・・・二胡の音も、嫌いになるのかもしれない。
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